自宅巡り その一(3):太くて長き、その名は縁

「うわぁぁぁああああ!」


 少年・守宮継嗣やもり つぎつぐの絶叫が黄金色の小麦畑に吸い込まれていく。

 容易く動揺するほどにやわな心胆を練ってはいないが、先程まで話し込んでいた人間が突如、血を吹きながら倒れたのでは平常心でいられない。


 一体、何が起きたのか。

 今も顔面蒼白に倒れる香革かがわの自宅警備員・観音寺長虫かんおんじ おさむ

 その純白の肌は見る見る土気色に染まり、迫り来る『死』を予感させていた。


 継嗣はその急変をしばし唖然と見届けていたが、観音寺の唇がわずかに動いている事に気付くとそっと耳を立てた。

 かすかに声が聞こえる。


「……け……しく、ん」

「なんですか!? 観音寺さん!」


 あの太い声は見る影もなく、注意深く耳を立てねば、そのか細い声を聞き取る事は難しい。

 今や息も絶え絶えに、かろうじて聞き取れたその声は、さらに驚くべき要求をよこしていた。


 ――――調理場にある一杯の『うどん』を持ってきてくれないか。


 訳が分からない。

 しかし、この時の継嗣は冷静な判断力を欠いていた。

 本来、しかるべき機関に連絡し、救命隊を要請すべきだったのだが、なぜか言われるままに調理場へ向けて走り出してしまった。 

 それともあるいは、継嗣の第六感がもっとも正しい判断を下したというべきなのか。


「これか!」

 

 足早に駆け込むと、確かに調理場にはまるで準備していたかのように、お椀に盛られた一杯のうどんが置いてあった。

 素早く手に取ると、あとは電光石火。一呼吸の間にも継嗣はそのうどんを観音寺の元へと届けていた。

 巨体を抱き起こし、そのうどんを近づけると、観音寺は息を吹き返して無心でうどんをすすりだす。


 それは実に奇妙な光景だった。

 先程まで死に体だった男が、ずる、ずるっ、と音をたてる度、まるで蘇生するように生気を取り戻していくのである。

 一体全体、この男の体はどういう理屈で出来上がっているのか。

 観音寺がうどんを完食した頃には、すでに元の純白の肌色を取り戻していた。


「ぷはー! いや、まさに生き返る美味さだ!」


 つゆを飲み終えて、満悦の息もまた元の太さである。

 お椀を脇に置くと、観音寺は深々と頭を下げた。


「礼を言わせてもらうぞ、継嗣くん。君は命の恩人だな」

「……説明していただいてもいいですか?」


 礼を言われたところで継嗣は上手く対応できずにいる。

 今起きた珍騒動がなんだったのか。それが分からなければ言葉の返しようもなかった。

 

「分かった、一から説明しよう。言うなれば『身から出た錆』というやつだな」


 自業自得だな。

 先程の顛末てんまつを一括りに、観音寺はそうまとめた。

 

「継嗣くん、君は『医食同源』という言葉を知っているかな?」

「いかなる食事も自身の健康に繋がるという思想ですよね」

「うん。どんな料理も食い方が悪ければ自分の健康を損なう。一つ一つは無害な食材も食い合わせによっては毒にもなる」

「まさか」


 継嗣の気付きに、観音寺は無言の頷きで答えた。

 つまり、最初に観音寺が食べていたうどんがその実、食べただけでたちまち人体に異常を来す「毒うどん」だったと云うのである。


「香革には様々なうどんの歴史がある。うどんに盛りつける食材は自由である故にその種類は無限と言ってもいいだろう。そして、その歴史の中で生みだされた、決して組み合わせてはいけない食材の組み合わせ――――僕が食べたうどんがソレだ」

「じゃあ、さっきのは……」

「あれは薬効うどん。つまり、毒うどんとは逆の発想で生み出された身体の回復を目的としたうどんだ。今こうしてピンピンしているのは解毒作用が効いているお陰」

「そんな――――」


 そんな馬鹿な。

 継嗣はその事実に気付いた端から言葉を失くし、戦慄した。


 この世界には確かに即効性の毒物が存在する。同時にそれを中和する作用を持った薬物も存在している。

 だが、たとえ観音寺のいう薬効が事実であったとして、それを食べただけでここまで劇的に作用するはずがない。

 人体とはそこまで単純なものではない。毒を喰い、薬を喰ったからといって、すぐに相殺されて何もかも無かった事になる訳がないのだ。


 あり得るとすれば、それは観音寺の強固な精神力。

 うどんに対する絶対の信仰がその異常な奇跡を体現しているのである。

 

 ――――信じるものは、救われる。

 継嗣の脳裏によぎったものは、人智を超えた恐るべき何かだった。


「しかし僕が言うのもなんだけど、君もずいぶんと呑気な質だね。怒って良いんだよ?」


 言葉を失くした継嗣に相反するように、観音寺は元の呑気な気風を取り戻していた。

 しかし、そんな安穏とした男が、まるで継嗣のお気楽さを咎める風に言うのである。


「……どういう意味です?」

「分からないのかい? 僕が食べたうどんは、君が選ばなかった方のうどんだよ?」


 その言葉に、胃の奥から迫り上がる物を感じた。

 あの二つのお椀に盛られたうどんに違いは見られなかった。となれば、自分も毒を盛られたか。

 ところが観音寺は継嗣の豹変を見て、からから笑い出した。


「違う違う。君が食べた方のうどんは僕が作った最高級のうどんだよ。毒なんてこれっぽっちも混じっちゃいない」

「……本当ですか?」

「本当、本当。現に君の体のどこかに異常があるかい?」


 言われてみれば体から血が噴き出るような症状は見られない。

 どころか各地で痛めつけられた体の痛みが、少しだけ和らいでいるような感覚さえある。


「あれは間違いなく、現時点で僕が作れる最高傑作さ。うどんに誓ってね」


 まるで神に誓うように、当たり前の言葉としてうどんが出て来る。

 だが、それこそが最上級の保証には違いない。継嗣は胸を撫で下ろした。


「君は自らの手で毒の無いうどんを選び取ったんだ。君は資格を得た」

「資格?」

 

 資格。

 継嗣がその言葉の意味するところを飲み込むのに数瞬の時を要した。

 その間に観音寺は継嗣の両手を掴み取り、言った。


「――――書くよ、推薦状。是非、書かせてくれ。君のような男が自宅警備員にならねば神州の損失だ」

「ち、ちょっと待って下さい。なんで……」

「正確に言うなら、君がうどんを選んだのではなく、うどんが君を選んだんだ」

 

 毒の無いうどんを選んだ。

 観音寺はただそれだけの事で継嗣が資格を得たと言うのである。


「こんな事で決めていいんですか!?」

「良いも悪いも僕に決定権は無い。すべては、うどんが選んだのさ」

「そんな馬鹿な……」

「では逆に問おうじゃないか。君はなぜ、あの時、右のお椀を選んだんだい?」


 観音寺が差し出したうどん。

 その二つから毒の無いうどんを選び取った理由など――――あるはずがない。


「偶然です。強いて言うなら、利き腕で取りやすいの方のお椀を取ったとしか……」

「なら、なぜ君は右利きなんだい?」


 観音寺はまたぞろおかしな事を言い出した。

 生まれつきの利き腕に理由などあるはずが無い。


「君の利き腕が右である事。僕が毒のないうどんを右に置いた事。これらには大きな意味があるのさ」


 一部始終が意味不明な論理で支配されている男。

 しかし、その先に出てくる言葉はすぐに分かった。

 ――――またうどんか。


「これもすべて『えにし』さ」


 継嗣の予想とは違う答えがそこにあった。

 そして、そこに差し出された答えとは、継嗣にもよく理解できるものだった。


「君と僕、そしてうどんの間には『縁』があったんだ」


 縁。その見えない絆がこの偶然を引き起こしたと言うのである。

 その言葉に心当たりが無い訳ではない。

 そもそもこの香革の地を踏んだのも、偶然の積み重ねがあったればこそだったのだ。



 ■  ■  ■



 実は継嗣はこの香革に至る旅の途中で一度、命を落としかけていた。

 東都を出発し、まずは近辺の自宅警備員を訪ねて回っていたのだが、その中の一つで事件が起きた。

 

 秘境・軍真圏ぐんまけん

 言わずと知れた、圏土の九割をジャングルに覆われた未開の大森林地帯である。

 この軍真の大森林にも自宅警備員――――甘楽かんら・ジャー・ラスタファーライという名の戦士が生息している。


 継嗣は周囲の反対を押し切って、この秘境に足を踏み入れたまではよかったが、そこで謎の伝染病にかかり、死にかけていた。

 鯨波子ときこが決死の情報収集の甲斐あってか、伝染病を治療できる薬品をわずかに保持していた圏を発見。すぐさま継嗣を載せたヘリが飛んだ。

 その地というのが他ならぬ、この香革圏だったのである。



 ■  ■  ■



 数奇な出来事の積み重ねでこの香革に流れ着いてきた。

 そんな成り行きをまとめてみれば、それは確かに『縁』とまとめる他にはないのかもしれない。

 ふいに観音寺は笑いを噛み殺した。


「ふふ、観音寺と守宮の因縁を思えば、それもまた面白い」

「……観音寺と守宮の因縁?」

「なんだ、君は。そんな事も知らずにここに来たのかい」


 当然知っているだろうという口振りだったが、それも知らぬ様子に気付くと観音寺は逆に感心したように頭の後ろを掻き始めた。

 戸惑う継嗣に、観音寺はさらに思いもよらぬ秘話を打ち明けた。

 

「かつて守宮の自宅警備員がその継承権を剥奪された後、その才を惜しんだ各圏の自宅警備員が守宮に推薦状を送った事は知っているよね?」

「はい。……というか、よく御存知ですね」

「そりゃ知ってる。観音寺家では有名な話だからね。その推薦状を最初に送ったのが何を隠そうこの香革――――つまり、この観音寺の先祖様なんだよ」


 東都圏五代目自宅警備員・守宮啓来やもり けいらい

 その窮地において、いの一番に一筆認めたのが当時の香革の自宅警備員・観音寺長蛇かんおんじ ちょうだだったのだ。

 

「そうか。知らずに来たのか。そりゃ傑作だ」

「すいません。古くから御恩がある家とは露知らず」

「いい、いい。やったのは御先祖様で僕は僕。今更、恩を着せようなんて思わないよ」


 そう言って笑うと、観音寺は真っ白な膝を立てた。

 空になったお椀を手に立ち上がると、継嗣の方を振り向いて言った。


「そうなると継嗣くん。これはもう一杯、付き合ってもらわないと駄目だな」

「えっ!」

「あははっ! もう毒うどんは出さないよ。次も僕の最高傑作でおもてなしをしよう」

「そういう事なら……しかし何故?」

「継嗣くん。うどんには末永い長寿や人の幸せを祈る願いが込められている」


 香革の祝いの場でうどんが配られるのは、それが縁起がいい食べ物であると知られているからである。

 長寿に幸福。その純白の料理が持つ意味とは、こうした晴れやかな人の未来を祝う為のものだった。

 観音寺はその白い肌に似た純白の歯を見せて、笑った。

 

「そしてもう一つの意――――『太く、長い付き合いを宜しくお願いします』だ」

 



 ■  ■  ■



 推薦状を懐に推し戴き、継嗣は再び次なる土地を目指す。

 山道を振り返ると、あの黄金の小麦畑はすでに遠い景色の中に混ざり合っていた。


 一陣の風と共に、黄金の波が香革の大地にうねる。

 その景色を遠目に眺めながら、継嗣の脳裏にはある確信が浮かんでいた。


「……あの人は、嘘つきだな」


 観音寺は自らが戦う理由は小麦畑を運営する為の資金稼ぎだと断言した。

 だが、実際はどうだろう。


 例えばあの小麦畑ひとつ取ってもそうだった。

 大枚はたいて海外から優秀な品種の小麦を輸入しているというが、それならわざわざ小麦そのものを仕入れる必要は無い。

 風味の問題もあるのだろうが、それでも環境が違う土地で一から育てる苦労を考えるなら小麦粉そのものを手に入れた方が早いし、安上がりなはずだ。

 

 それでも観音寺が練り上げる至高のうどんとは、やはりこの香革の大地が育んだ小麦でなければ駄目なのだろう。

 たくましき郷土への愛。その片鱗がこの風景からも香り立つようだった。


 地鐸など関係ない。そううそぶきながら、やはり彼は地鐸を守り続けるのだろう。

 地鐸を狙う悪とは即ち、彼が愛する香革の平和を脅かす悪意そのものなのだから。


 香革を守護する真っ白な怪人・観音寺長虫。

 多少いびつだが、彼もまた自宅警備員に違いなかったのだ。


 あるいは地鐸ばかりが全てではないのかも知れない。

 そんな新たな視点を教えられた香革という土地に感謝しながら、継嗣はこの地を後にした。


 その後姿には誰にも見えない、真っ直ぐで長くて純白な。

 まるでうどんのように太い『縁』が繋がっている気がした。



 ――――少年・守宮継嗣。『香革の自宅警備員・観音寺長虫』より推薦状、頂戴する。

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