史上最強の自宅警備員 -本日も自宅に異常なし-

開蜘蛛

第1話:継承せよ!自宅警備員!

 『自宅』とは、何であるか?


 自宅とは、平安なる寝床である。

 自宅とは、穏やかな心の故郷である。

 人が帰るべき場所であり、人々のかけがえのない心の拠り所である。


 しかし、この世界には自宅を狙う、卑劣なる魔の手が溢れんばかり。

 家庭の安全の為、ひいては国家の安寧の為、そして、己の矜持の為に。

 ひしめく魔手より、『自宅』を警護する者たちがいた。


 ――人は彼らを、『自宅警備員』と呼ぶ。



 ■  ■  ■



 都内某所。警備面への配慮から詳細な言及は避けるが、ここにまた新たなる自宅警備員が誕生しようとしていた。


 守宮やもり家は一般住宅が林立する内の、一見して何の変哲もない、一件の平屋建てであった。

 その屋敷の奥間に、異臭を放ちながら鎮座する一人の中年がいた。


 男の名は、守宮 順敬やもり じゅんけい

 守宮家の家長であり、国家が所有する有数の『自宅警備員』。

 引退を間近に、40を越える年齢にありながら、その様相は異様の一言に尽きる。


 順敬は際限なく太った両腕を組み上げ、しきりに荒い息を吐いていた。

 その身を包む紺色の甚平こそ上等な仕立てをしているのだが、額に巻いた迷彩色のバンダナには不快な汗がにじみ、その品格を見事に打ち消している。

 毛髪に至っては手入れもされず、雑木林の如しである。

 

 何も知らぬ者が見れば、それは悪趣味な豚の置物にも例えられたかもしれない。

 しかし、その場に誰一人として彼を侮る者はいない。


 その脂肪の下には、厚い筋肉の鎧が隠されている。巻かれたバンダナは額に刻まれた一文字の刀傷を隠す為のもの。雑木林の奥からは、虎や豹などに見られる猛獣の瞳が絶えず鋭敏なる気を放っていた。


 順敬の口が、にちゃりと音を立てて開いた。

 

「よくぞ戻った……息災であったか、継嗣つぎつぐ


 先程から順敬の鋭気に当てられ、心胆を縮み上がらせながらも悟られぬように平伏するスーツ姿の若者がいた。

 若者の名は、守宮 継嗣やもり つぎつぐ

 名前から分かるように、守宮順敬の息子である。


 伸ばした黒髪は丁寧に整えられ、身を包むスーツは某有名ブランドの拵えだ。

 よほど頑丈に縫われているのか、継嗣の隆々とした筋肉を無理なく上品に包んでいる。

 順敬の許しを得て上げた顔には、強い意志を窺わせる力強い眼光。

 近代では珍しい若武者のような青年。

 それが継嗣を知る者たちがこぞって口にする表現だった。


「はっ! 浅才の身なれど、無事、俗世での修学を終えて帰って参りました!」


 継嗣の声は、順敬と違ってよく響き、凛として涼やかなものであった。

 しかし、そんな美しい声に混じって、ドボドボと不快な音が聞こえる。

 見れば、順敬は股間にペットボトルを添えていた。


 親子の久々の対面。その第一声の時。

 なのに、順敬は何に憚るでもなく、己の小便をペットボトルにぶちまけていた。

 

 順敬は気でも狂っているのか。

 いや、そうではない。

 

 自宅警備員の生き様とは、『常在戦場』の一言に集約される。

「生理現象で自宅を守れませんでした」

 そんな寝言が許されるほど、この世界は甘くない。


 腹が減ればその時に。催せばその時に。まるで猛獣のように本能の赴くまま。

 恥も外聞も捨てねばならぬ。

 それが過酷な自宅警備員の常であった。


 故に、順敬の放尿を咎める者など居はしない。

 継嗣は何ら気にする事なく、順敬の次の言葉を待った。


 少しして、順敬は身をぶるりと震わせると、己の小便で満たされたペットボトルに何食わぬ顔で蓋をし、脇に置いた。

 そして、何事もなかったかのように継嗣を褒め称える。


「仔細は既に聞き届いておる。よくぞ修めたな、我が息子よ」


 その一言で、継嗣の目に涙がにじんだ。

 万感の思いがある。


 一流大学では血反吐を吐くような思いまでして日夜、勉学に勤しんできた。

 球技系の部活に所属して非凡な功績を残し、休日にはボランティア活動にも励んだ。

 親元を離れ、羽を伸ばした気楽な学生生活も送れたはず。

 しかし、継嗣は苛烈なまでに自らを追い込み、そして結果を残してきたのだ。

 その全ては、家業である自宅警備員を継ぐべく積み重ねてきたものだった。


「あり……ありがとうございます。父上」

「うむ。しかし所詮は学内での事。これから貴様が生きる『自宅』とは、あのような生易しい場所ではないぞ?」

「承知しております。これより我が身は家庭を、ひいては国家を支える柱の一つ。決して折れる事は許されませぬ」


 息子に慢心はない。

 そう感じ取った順敬は、不敵に笑いながら柏手を鳴らした。


「ならば、歩むがよい。茨の道を、炎の道を、たとえその足が燃え尽きようとも止まる事が許されぬ修羅の道を」


 順敬の合図に合わせ、襖を開けて着物姿の女性が現れた。

 順敬の妻である恵穂めぐほは、老いて増々美しさに磨きがかったと評判の美女であったが、同時に賢母でもある。


 家内の儀式に女が余計な口を挟むべきでない。

 そう判断し、久方ぶりに出会った息子には声もかけず、一枚の衣服を順敬と継嗣の間に置くと、すぐに部屋から出て行ってしまった。

 

 息子を愛していない訳ではない。

 その証拠に黒目がちな瞳は、立派になった息子の勇姿に打ち震え、潤んでいた。

 

 そんな母の機微に、継嗣は心の中で「ありがとうございます」と感謝の意を述べる。

 しかし、両者の間に置かれた衣服に再び視線が移った時、興奮から母への慕情は一瞬で霧散した。



 そんな息子の変化がおかしかったのか、順敬は大口を開けて笑い出す。


「がっはっは! そこまで焦がれるか、継嗣!」

「はい! この世に生を受けて以来、これに袖を通す事が私の悲願でした!」


 しかし、その返事に笑顔から一転。順敬の表情が苛立ちで歪んだ。

 息子の間違いを正すべく、一喝する。


「たわけがっ! これは終着点ではないぞ! ここからが貴様の地獄なのだ!」

「はいっ! 分かっております! しかし、それを理解して尚、これは憧れなのです! 焦がれてきたのです!」


 先刻まで順敬の気合いに縮みあがっていた若者はどこへ行ったのか。

 ぎらつく順敬の瞳を真正面から睨み返し、継嗣は怯えるどころか気炎を吐いた。


 その成長を喜ばぬ親がどこに居ようか。

 自宅警備の修羅として生きてきた順敬にも、人の親としての情が備わっていたらしい。

 鼻の奥に先走るものを感じた。


(虎の子はいずれも虎として産まれる。しかし自宅警備員はそうではない)


 ふいに順敬の意識が過去に飛んだ。


 産まれた時の継嗣はひどく病弱で、とても自宅警備員になれる器ではなかった。

 生来、気も弱く、順敬と面と向かって会話するにも3年の歳月を要してしまった。

 守宮家断絶の危機を回避すべく、次善の策に走った事もあった。


(人の子はどうあっても人にしか産まれぬ。人が自宅警備員に成るには何が必要なのか)


 問うた所で、その答えは順敬にも知る由がない。

 再び意識を今に振り戻し、目前に座る息子の姿を見た。

 そこにはどこに出しても恥ずかしくない、盛壮たる若者の姿があった。

 

(……継嗣。貴様は成ったのだな――自宅警備員に)

 

 表には見えぬ麗しき親子愛。

 その美しき花を添え、ついにその時は訪れた。



「よかろう。継嗣! 袖を通すがよい――我が守宮家に伝わる警備装束に!」


 部屋に轟く大音声。獣の雄叫びを思わせる絶叫に襖も窓も震えている。

 しかし、至近距離でそれを浴びた継嗣は怯みもしない。父親譲りの眼光は、既に目前に据え置かれたモノに固定されていた。


「守宮に受け継がれし家宝・警備装束! 確かに継受、賜ります!」


 継嗣は鍛え抜いた右腕を喉元に添えると、一息にスーツもネクタイもシャツもズボンも、全ての衣服を破り捨てた。

 それらはもはや継嗣には必要の無いものだった。

 これより継嗣が身に纏うべき衣服はただ一つ。


 その衣は、元は輝かんばかりに美しき純白のTシャツだったと云う。

 しかし、幾年月、自宅を駆け抜けてきた警備員たちの血と汗と魂が染み込み、名峰にのみ存在する、歴史と威厳を感じさせる霊石が如き色合いに変貌していた。

 胸元には力強い筆文字で、ある言葉が記されていた。


『働いたら負け』


 守宮における自宅警備員開祖・守宮創冠やもり そうかんの遺した格言である。



「うおおおおおおおおおおッ!!!!」


 継嗣は装束を身に纏うや、滝のように流れ出る涙と激情を抑えきれず、吠え叫んだ。

 雄々しき警備装束一丁の獣。その咆哮は未だ赤子の産声に等しい。

 流れる涙は悲願を果たした喜びか、はたまた人を捨てた哀しみか。

 今、ここに『自宅』に巣食う修羅――新たなる『自宅警備員』が誕生したのだった。



 ――本日も自宅に異常なし!

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