The S.A.S.【6-1】


【6】


 港に駐車したレンジローバーの車内は狭苦しく、清掃されていない空調も相まって、仲間の呼気で空気が籠もっていた。人気の失せた深夜一時とはいえ、物々しい戦闘装備の異邦人が衆目につくのはまずい。秘匿性を保つ為に、スモークフィルムを貼ったウィンドウは下ろせない。それに、この国の夜は酷く冷える。海際であれば、ひとしおだ。

 もう何度目になるやも知れないが、膝の上の銃に点検の手を入れる。〈マグプル〉の樹脂製の弾倉は、ちゃんと挿入されている。〈レディマグ〉に取り付けた、追加の弾倉も同様だ。軽く振っても、部品同士の衝突音は立たない。それでは、喉にまとわり付くこの不穏な感情は何だ。こめかみを拳で押していると、左手からチョコレートバーの包みが差し出される。

「そろそろ、糖分が不足しているかと」

 肩が触れるほどの距離で、フル装備のブリジットが微笑んでいた。お前だよ、不安材料!

 さあて、どういった了見でこの小さな兵隊さんは我々『エコー・ワン』の攻撃車輌に同乗しておはしますのか。果たせるかな、やはりそこには彼女の姑たる、リチャード・クラプトンが一枚噛んでいた。


 たかだか六百キロの空の旅は、一時間ほどで終わってしまった。瞬く間のフライトで夢を見る間もなくダニーに揺り起こされ、空港の滑走路へ降り立つ。水平線の向こうで、陽が沈みかけていた。現地の陸軍士官の誘導で使用されていない倉庫へと移動し、そこで作戦に使用する車輌を受け取った。防弾処理済のレンジローバー二台と、就役から八十年余りの重機関銃を載せたランドローバーが二台。これ程に強力な武装を目の当たりにしても、心臓を小突かれる様な不快感が続いていた。

 そこに頭痛までもが加わった。我々に先んじて到着していた作戦本部に、見慣れた不審人物が紛れていた。小さな影は我々と同じ砂漠戦闘服を着て、真新しいベルゲンを背負っている。そいつは俺を見付けるなり、一つ結びにした髪を揺らして駆け寄ってきた。「道中、何もお変わりありませんか?」なんて、気を遣ってきやがる。たった今お変わりだよ!

 ただならぬ眩暈を覚え、携帯電話を取って親父を呼び出す。ワンコールが終わる前に繋がった通話に、語気荒く問いただした。

「どういう事だこの野郎」

〈追加で派遣した衛生兵だ。嬉しいだろ?〉

 嬉しくねえよ、ばあか!問い詰めれば、ブリジットの強い希望に応じたとの弁だが、それならそれで引き止めて戴きたい。見れば確かに、彼女の上腕には赤十字の腕章があった。戦闘用の迷彩服に着けては、何の意味も為さないのに。そして、身幅より大きな背嚢を負ぶった彼女は、邪気のない微笑で手を振っていた。これで怒る気が七割失せるのだから、つくづく救いようがない。残る三割は、戦闘ベストに忍ばせたドライジンで揉み消した。どうも、クラプトンの男共は美女に弱い。

 で、そのまま倉庫内に設けた即席司令部に残っていてくれればいいものを、こいつは我々の極秘作戦にまで着いてきたのだ。流石に少しは説教を垂れたが、本気になれないのが明け透けであり、彼女の何処まで本気なのか知れない意志を殺ぐには至らなかった。作戦行動には一切関与しないという事を前提に、部下も何も言わない。何てこった。

 そういった経緯で、ブリジットはこの黒塗りのレンジローバーに我々と同乗している。何が「一切関与しない」だ。渦中に入っておいて、よくも言う。メンタルの脆弱な旦那の不安を知ってか知らずでか――魔性の女だから、分かってやっているんだが――彼女はサイズの合わないヘルメットの下で微笑んでいた。遊びじゃないんだよ、全く。

 愛妻を危険な環境に置く不甲斐なさに、ため息をひとつ漏らす。快適性を根こそぎ取り払った車中には、楽しい玩具が詰まっている。ブリジット・クラプトン衛生兵が偽りなく持参した医療品・大量の発煙筒・ボルトカッターと各種手榴弾。そして室内への突入に使用する多種多様の成形爆薬。順当に潜入調査が進むのであれば、こんな大荷物は要らない。大概の者が、この作戦を楽な仕事と軽んじていた。であるからこそ、尚更に疑念を抱く。――何かが異様だ。お気楽なブリジットが邪魔だとか、そういう問題だけではない。この任務自体に、不穏な気配を覚えずにはいられなかった。

 中東に着いてからこっち、嫁さんに関しての心労は募るばかりだ。気を抜けば、肺で渦巻くストレスが顔中から漏れてしまう。緊張を殺しきれなかったのか、作戦中だというのに感傷に浸っていた。――なあ、マーク。どうしてこの場にいてくれないんだ。

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