第2章 前途多難な日々のはじまり_3


 午前。カーティスに資料をたのまれて書庫へ行き、分厚く重い本を数冊運ぶ。それが終わると、王宮の使用人が郵便物を届けてくれた。アンドリューてだ。

 きんちようしつつ、彼のアトリエをノックした。投げやりな返事が聞こえて、ドアを開ける。

 広い室内の壁一面に、こうがきや花々をモチーフにしたタペストリーがかざられ、たたまれた色とりどりの布が、りゆうれいな調度品に整理されてある。ちり一つないせいとんされた室内のすみに、まばゆいドレスをまとったトルソーが数体並んでいた。

 思わずドレスに見とれたものの、ながでスケッチしているアンドリューの視線を感じ、

「荷物です」

 それだけ告げて、小包をローテーブルに置いて出た。ほうっと息をつく間もなく、今度はライナスに用事を頼まれる。

 宝物棟とうへ行ったジルは、二十号のサイズのわくを使用人に頼んだ。用意してもらえるのを待つ間、美術品が布に巻かれて大切に保管されている、奥行きのある室内をわたす。

 絵画、ちようぞう、カーペットやタペストリーにはじまり、椅子やランプの調度品までもが、整然とわかりやすく置かれていた。

(飾られていない物がこんなにあるなんて。もう一つお城があっても、じゆうぶん飾れるほどの量があるわ)

 一つくらいなくなっても、だれも気づかないのではないだろうか。だが、宝物棟のせつとうきよつけいだ。おそろしいことを思ってしまったとぶるいしたとき、木枠が仕上がる。礼をのべたジルは、すぐに芸術棟へもどった。ライナスにそれを渡し終えると、ちょうど昼になった。

(めまぐるしく動きまわっているせいか、時間のつのがいやに早いわ)

 ジルがちゆうぼうへ行こうとした矢先、紙包みを右手に持ったアンドリューが、とつぜん大階段を下りて来た。ジルを無視してとびらに向かう彼を、階上のカーティスが呼び止める。

「どうした、アンドリュー」

 立ち止まったアンドリューは、紙包みをかかげながらり返った。

「届いた見本が注文していたものとちがっている。まったく、馬車で片道二時間だぞ!」

 あ、とジルは思いあたる。さっき届けた小包だ。

こんにしている生地屋なら来てもらえばいい。いつもそうしているだろう」

「いつものところじゃないんだ」

 かみをかき上げたアンドリューは、まいったとばかりにたんそくした。

「イルタニア産のシルクシャンタンは、うまく使えば美しさが増す。だが、デイランド産よりも色の深みが強すぎて、かろやかな色味を好むキルハの人々はけたがる。そのために田舎いなか町まで行かなければ手に入らない。やっと見つけたこの生地屋は、最悪なことに王族や貴族にしりみして訪問をこばむ有り様だ。おかげでいちいち足を運ばなくちゃならない……クソッ! 王女殿でんと昼食の約束をしていたのに、断るしかない」

「だったら、ジルに頼めばいい」

 カーティスが言う。アンドリューはジルを冷たくにらみすえた。

 認めてもらうには、すべての仕事をきっちりとやりきるしかない。そうちかったばかりなのだ。この機会をのがすわけにはいかない。

「アンドリュー様、僕が行きます。シルクシャンタンは知っています」

 太さの違うシルク糸をつむいだ、平織りの生地だ。独特な風合いがこうたくにあらわれて、なめらかなシルクよりもやくどう的な美しさが生まれる。生地屋へ行くたびにあこがれたものだ。どう算段をつけても、手に入れられない値段だったから。

「知っている……だと? お前が?」

「母や妹にともなわれて、生地屋へ行くことがありましたので、わかります」

 アンドリューの視線は、かい的だ。

「イルタニアの王太子殿下が来てから、こんやく式まで四日ある。その間に王女殿下が着るドレスを作っている。すでに数着仕上がっているが、婚約式後のとう会で着るものはこれからだ。ごろやスカートはデイランド産の生地だが、リボンやベルトのそうしよく品はすべてイルタニア産にしている。同色でも生地のかすかなのうたんに動きが出て美しいうえに、それがイルタニアへの尊敬と友好のあかしになるからだ。これから作る最後の一着も、同じくそうする」

 色はクロムイエローに決めていると、アンドリューはたたみかけた。

「見本をたしかめてから、仕上がったデザインにさらに手を加えるのが俺のやり方だ。ときには生地自体を変えることもあるから、俺には見本が必要なんだ。だが、届いたのは〝クロムイエローのシルク〟で、〝クロムイエローのシルクシャンタン〟じゃない。だから、正しい見本をいますぐ手に入れたい」

「わかりました。でも、産地までは判断がつきません」

 アンドリューはジルに、紙包みを突きつけた。

「店員に聞け。住所はその裏に記されている。少しの時間のゆうもない。いますぐにここを出ろ。いいか、絶対に間違えるなよ」

 目をすがめたアンドリューは、のどの奥から苦しげなこわしぼり出した。

「俺が王女殿下のために作る──最後のドレスの生地だ」

 ──最後のドレス。

 アンドリューの声音から、ジルはその言葉を重く受け止めた。

(彼にとって、大切な意味のあるドレスなんだわ。絶対に失敗できないことよ)

「はい」

 やりとりを聞きつけたらしいライナスが、階上のカーティスのとなりに立った。

「ジル。だいじようかい」

「ええ。行ってきます」

 しっかりとうなずき、ジルは芸術棟を出た。近衛このえ兵にぎよしやと馬車を用意してもらい、四日ぶりに銀王宮の門をくぐった。



 北東のかいどうを馬車は走る。しがかたむきはじめたとき、田舎町のセラックに着いた。

 住所をたどって生地屋を見つけ、馬車から降りて看板をたしかめる。窓からなかをうかがうと、婦人服としん服をまとったトルソーが並んでいる奥に、種類別、色別に重ねられた生地が見えた。ここだ。

 ガラス戸を開けると、ベルがれる。こぢんまりとした店内の奥から、やさしそうなそうねんの紳士が現れた。

「いらっしゃいませ」

 ジルはさっそく見本を見せて、アンドリューに言われたことを伝えた。はっとした店主らしき紳士は、深々と頭を下げる。前にして重ねた両手が、大きくふるえ出した。

「……これは……なんということを! 大変申し訳ありませんでした。店主である私が不在の間に、見習いが勝手に送り間違えてしまったのでしょう。とはいえ、言い訳にはなりません。どうか、どうぞ罪に問われるようなことだけはなにとぞ……!」

「そんなことはありませんから、どうか頭を上げてください」

 だが、店主は深くうなだれたままだ。

「いかがなさいましたか」

「……ベイフォードこうしやく様からのお手紙だというのに、私が親族のけつこん式でハーレイにおもむいていたばかりに……かくにんすることができず、どのように謝罪しても足りません。本当に申し訳ありません」

 息をついた店主は、震え声で言った。

「イルタニア産、クロムイエローのシルクシャンタンは、先日アッカーソン準男爵夫人が、すべて買い取ってしまわれました。すでに仕立て屋へまわし終え、その作業が進んでおります」

(──えっ!?)

 謝罪する店主を、奥にいる夫人らしき女性が心配そうに見ていた。

 デイランド産のものはあると、店主は言う。だが、それではダメなのだ。

「ほかにあつかっていそうなお店を、知りませんか」

 とうとう夫人が姿を見せた。

「……たしかではありませんが、ハーレイに。結婚式のついでに、顔なじみの生地屋に寄ったとき、見たおくがあります。シルクシャンタンは好きな生地ですから」

「デイランド産のものでは?」

「光沢があきらかに違うので、イルタニア産のものだと思います。ただ、売れてしまっているかもしれません」

(それでも、ここであきらめるわけにはいかないわ。なんとしてでも手に入れなくては)

 ハーレイにある生地屋の店名と住所を聞いてから、ジルは礼を告げてあとにした。そこまでは、ここからさらに二時間かかる。なにも言わずに戻りがおくれたら、アンドリューは気をむだろう。

 もう一度店に戻ったジルは、電報局の場所を教えてもらい、すぐに向かった。遅れるむねの電報を芸術棟とうてに打ってから、御者に事情を伝えて謝り、ハーレイを目指した。



 銀王宮にゆうやみが落ちても、ジルは戻らない。せわしなく広間を行き来するアンドリューは、とうとう声をあららげた。

「……戻りがおそい! あいつはなにをしているんだ」

「アンドリュー、まあ落ち着け」

 ながに座るカーティスがなだめても、アンドリューのいらちはおさまらない。一方、大階段にこしを下ろし、ほおづえをついてロビーを見下ろすライナスも不安にかられていた。

「……彼らしくないな」

 ぽつりとつぶやくと、階上からレイモンドの声がした。

がわからなくてげたのでしょう。ボビーの服を預けたとたんに、このていたらくですよ。まったく、腹立たしい!」

「ボビーの服?」

 レイモンドは大階段を下りながら、今朝のことを説明した。それを聞いたライナスは、ますますこんわくする。りよ深い助手が、レイモンドの大切なものを預かっておきながら逃げるだろうか。トランクだって、部屋に置きっぱなしのはずなのだ。おそらく、なにかあったのだろう。

(……しかたがない。馬で追いかけるか)

 そう思って腰を上げた直後、とびらぐちに使用人が立った。ライナスは大階段をけ下りた。

「セラックから電報です」

 それを受け取ったライナスは、文面を見てどうもくし、微笑ほほえんだ。やっぱり機転のく子だ。

「アンドリュー、彼は逃げてない」

 広間へ行き、電報をアンドリューにわたす。彼も目を見張った。やがて、レイモンドが広間に入って来る。電報に目を通すと、あんしたように息をつく。カーティスはごうかいんだ。

「いままでの助手なら、あっさりと帰って来たはずだ。しかしジルは諦めないらしい。待ってやれ、アンドリュー」

 カーティスから電報を受け取ったアンドリューは、くやしげに目をせた。

「……どうせ、なにも手にできずにもどって来る」

「そうであっても、せめてねぎらってやることくらいは、すべきじゃないか?」

 かみをかき上げたアンドリューは、意に反すると言いたげな顔つきで、しぶしぶうなずいた。同時にレイモンドは、心底ホッとしたようにささやいた。

「ボビーの服が無事のようで、安心しました」

 心配だったのはボビーの服かと、ライナスは内心笑う。それから広間を出て、ふたたび大階段に座った。

 コーラル・レッドの色をした髪には、四つ葉のしゆう入りのハンカチとともに、切ない記憶がどうしても重なる。去りぎわひそかに目にしたはずの少女の顔を、ちかごろときおり思い出したくなる。けれど思い出せるわけもなく、もどかしくなっていつもやめる。

 いまさら思い出してどうするんだ? そう思って一人笑う。記憶になくて、当然だ。

 ──あまりにも、かなしかったのだから。



 深夜。馬車は銀王宮の門をくぐった。

 馬車でずいぶんねむることができた。どんな出来事にも、喜ばしい部分はあるものだ。すっきりと目覚めたジルは、馬車のなかで大きくびをした。

(どうなることかと思ったけれど、なんとかなってよかったわ)

 セラックからハーレイへ。しかし結局ハーレイの生地屋にもなく、しようかいにつぐ紹介をたどって着いたのは、ここから六時間先の田舎いなかまちだった。そこでやっと見つけたときは興奮してしまい、壮年の御者と飛びねてかんの声を上げたほどだ。

 れんらくをするまでは売らないよう、店主に伝えてある。手落ちはない。

 月明かりに照らされた銀王宮のしき内に入り、ジルは馬車から降りた。がっしりとしたたいの御者は、礼を告げるジルをねぎらった。

「無事に戻れましたな。さっさと眠ったほうがよろしいでしょう。明日も早いでしょうから」

「おつきあいいただいて、本当に申し訳ありませんでした。たくさん馬を走らせてくださった、あなたのおかげです」

「たかが生地、されど生地ですな。貴君のがんばりに、心から敬意を表します」

「あなたにも敬意を表します。本当にありがとうございました」

 あくしゆわして別れてから、芸術棟とうに向かう。逆算して考えれば、深夜の一時は過ぎているころだ。あるじたちは眠っているはず。静かに入らなければ。

 ざされた芸術棟の両開き扉に手をかけて、ゆっくりと押し開ける。とたんにおどろいたジルは、立ちすくんでしまった。大階段に座った四人が、こちらを見下ろしていたからだ。

「おお、やっと戻ったな! おつかれ、ジル少年!」

 カーティスが立ち上がる。もしかして、待っていてくれたのか。まさか、そんな。

「あの……?」

 大階段を下りたアンドリューが、ジルの目前に立つ。ジルは紙包みを彼に渡した。

「遅くなって申し訳ありません。なかなか見つからなかったのですが、レディントンの生地屋にありました」

「レディントンだと!? お前はそんな遠くまで行ったのか」

「え? ええ。でも、そこの店主さんはとても喜んで、電報をいただけたらいつでも生地を持ってせ参じますとのことでした」

「……もしも見つからなかったら、どうするつもりだったんだ」

「それは僕も考えました。レディントンにもなければいったんここへ戻り、あなたに相談するしかないだろうと……」

 ねぎらうべきかいなか、迷うように苦々しげに、アンドリューは顔をしかめる。

「なぜ、諦めなかった」

「あなたが王女殿でんに作る〝最後のドレス〟です。こうかいのないドレスを作っていただきたかったので、僕もできるかぎりのことをしようと思いました。それが僕の仕事ですから」

 ジルは正直な思いを伝えた。苦々しげに目を細めたアンドリューは、けれど観念したようにたんそくし、ゆっくりと紙包みを解いた。

「ああ、ちがいない。イルタニア産、クロムイエローのシルクシャンタンだ」

 ありがとう、などとは言わない。その代わりに彼は、ジルのアスコットタイを指さした。

「その色はやめろ。俺なら明るめのブルーを選ぶ」

(えっ!……アドバイスははじめてだわ。もしかして、少しは認めてもらえたのかしら)

 アンドリューはにこりともせずに、さつそうときびすを返した。大階段を上りながら三人の横を過ぎ、アトリエに戻った。

「あの……もしかして、僕を待っていてくださったのですか」

「そうだ。もっとも、レイモンドは違うようだがな」

 カーティスが苦笑いすると、レイモンドは気まずげに口をすぼめ、眼鏡めがねを押し上げた。

「ボビーの服ですよ。いけませんか」

 はっとしたジルは、思わず微笑んでしまった。

「お預かりしたままで、申し訳ありませんでした。僕が大切に保管しておりますから、ご安心ください」

 胸ポケットをたたいてみせると、レイモンドはフンッとそっぽを向いた。事情はどうあれ、それでも、こんな時間まで待っていてくれたのだ。

「ご心配をおかけいたしました。みなさん、こんな時間まで待っていてくださって、ありがとうございます」

 ジルが頭を下げ終えると、ライナスと目が合う。すると彼は、やわらかく笑んだ。

「おかえり」

 その言葉を耳にしたしゆんかん、ここにいてもいいのだと、言ってもらえた気がした。そして、それまで感じたことのない強い喜びが、ジルの胸の奥にき上がった。

 楽しい。そう──その感覚だ。

(このお仕事、おもしろいかもしれないわ。あきらめないで探し続けて、よかった……!)

 家族にしか見せたことのない笑顔が、自然に顔に広がっていく。ジルは三人の立つ階上を見上げ、満面の笑みで言った。

「はい。ただいま戻りました」

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