プロローグ


 五年前の春、父親とともに王都へおもむいたことがある。

 暗いどんてんから雨が降るなか、用事を終えた父親を連れて、ジルはその場所をおとずれた。

 遠い昔、国王の建国に助力したとされる、四大天使をたたえたエルシャム聖堂。

 三百年前に建ったとされる石造りの聖堂は、修復作業が行われていた。それが終わったという新聞記事を知っていたため、どうしても見ておきたかったのだ。

 周囲の景観をそこなわない、そうごんかつひかえめなそうしよく。両開きとびらの周囲や柱、アーチ状のまどわくにまで、優美な曲線のつたと花々のり物がほどこされていた。目にした者をなぐさめてくれる、おだやかなやさしさに満ちた聖堂に足をみ入れたしゆんかん、ジルはその美しさに言葉を失った。

(きれいな聖堂……!)

 ベンチの間に立つ柱の頭部には、つめほどの小さな花々がせんさいに彫り込まれ、ドーム形の高いてんじよう──クーポラを支えるかのように、その蔦がびていく。そのクーポラには、花紋もんように囲まれた大きな天窓があった。ジルはぼうのつばを上げて、ひとみをきらめかせた。

「お天気がよかったら、あそこから光が降りそそぐのね。てきだわ……!」

「雨で残念だが、らしい聖堂だな」

「本当ね。ここの修復には、建築家のラングレーはくしやく様がたずさわったんですって。細部にわたって手が加えられてあるわ。なんて美しいの」

 さらにジルをおどろかせたのは、さいだんの左右にかがやく四枚のステンドグラスだ。絵画のごとく繊細にえがかれた、等身大の天使。いろあざやかなしきさいと細やかな紋様が、その姿をいきいきときわたせていた。ステンドグラスに吸い込まれるように、ジルは父親からはなれてしんろうを歩いた。

(もしもいま手をれたら、天使たちが空へ飛び去ってしまいそう……)

 ステンドグラスを手がけたのは、ロンウィザーこうしやくと記事にあった。だが、いま目にしているそれがつうの人間の手から生まれたものだなんて、ジルにはとうてい信じられない。

(そうよ、これは──)

 ──じゆつが生み出したものよ。

 父親にそう言おうとしてり返った瞬間、最前列のテーブルのかたすみひとかげを見つけた。

 ベンチに座って深くうつむき、片手で顔をおおっている。そのため顔は見えないが、すらりとした姿体から青年であることが察せられた。

 テーブルにはミモザの花束。泣いているのか小刻みにかたふるわせており、雨にれたくろかみや上着から、すいてきがしたたり落ちていた。その服装は、黒一色。ジルははっとした。

 ──不幸が、あったのだ。

 きっとかなしみを慰めてほしくて、かさもささずにここへ来たのだろう。

 出過ぎた真似まねかもしれないと迷ったがほうっておけず、ジルはイニシャルがしゆうされたハンカチをスカートから取り出す。装飾文字に四つ葉がえられたその刺繡は、王都までの道のりが無事であるようにと、母親が愛情を込めて青い糸で針をしてくれたものだ。お守りにしていたが、ほんの少しでも青年の慰めになればと思い、そっと彼に近づきテーブルに置いた。

「あの……風邪かぜをひいてしまいます。差し上げますから、どうぞ使ってください」

 彼の息づかいが一瞬止まり、ゆっくりと顔から手を離していく。と、父親がジルを呼んだ。おせっかいにずかしさを感じたジルは、青年の顔をたしかめることなく、小さくおしてその場を離れた。

 身廊を渡り、父親と並んでベンチにこしけ、四大天使にいのりをささげる。時間をかけて祈り終えると、父親が優しくんだ。

「お前のおかげで素晴らしいものが見られた。なにがあっても家族仲良く支え合って生きていけたら、なんとかなる。あのステンドグラスを見ていたら、そう思えてきた」

「ええ、私もそう思うわ。あれは魔術師が生み出した魔術よ、お父様。私たちに生きていく力をさずけてくれるの」

「善き魔術師の生み出した、慰めの魔術か。母さんやソフィにも見せてやりたかったな」

 田舎いなかで待つ母親と妹を思い出し、ジルは父親と顔を見合わせて微笑ほほえんだ。そうしてから、ふと青年のいたベンチを視界に入れる。いつの間にか、姿は消えていた。

 去りぎわ、もう一度ステンドグラスを近くでかんしようしてから、青年が座っていたテーブルを見ると、ジルのハンカチもなくなっている。使ってくれたようだ。

 小さく笑んだジルは、哀しみをいだく人々に寄り添うこの場所を、名残なごりがないようすみずみまでわたした。同時に、心の底から思った。

 芸術は、現実の世界から夢の世界へと連れ出し、心を優しくしてくれる。どんなにつらいことがあっても寄り添って慰め、ときに乗りえる力を授けてくれるのだ。

 ──こんな芸術のそばにいられたら、どんなに幸せだろう。

 そう思ったとき、雨音がんだことに気づく。やがて、天窓からあわい光が降りそそいだ。

「四大天使様が祝福してくれたな。きっといいことがあるぞ」

 父親の言葉に、十三歳のジルは満面の笑みでうなずいた。


 ジルがこのとき目にした、聖堂やステンドグラスを生み出した芸術家たちは、のちに二名の芸術家とともに、銀王宮にアトリエをもつことになる。

 芸術のげんを広め、守護するという意味を込めて、国王陛下は彼らをこう名付けた。

 ──銀王宮のマスターズ・オブ・アーツ

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