第25話・輪廻の輪

 いつの間にか広場には人っ子ひとりいなくなっている。雲間からの光をも吹き飛ばす勢いで嵐のような突風が吹き狂う。鮮血に染まったドレスの裾を激しく舞わせて、かつて巫女姫だった魔女は己の力に酔いしれて笑う。


「駄目だわ……とりあえず一旦退きましょう。大神殿の神官たちを集めて協議を……!」


 セシリアさまが仰るけれど、私は、


「ここで退けばもう手の打ちようがなくなってしまいます! ここで止めなければ!」


 とその提案を制した。ここで逃げればゲームオーバー。それが判ってしまったから。


「でも、わたくしたちだけでは……。……? 陛下?」


 もう誰もが逃げ出して、残っているのは私とセシリアさま、国王一家と僅かな近衛兵のみ。その中で陛下の方を振り返ったセシリアさまのお顔が強張った。

 陛下は魔女を見つめたまま動かない。微動だに……。


「陛下?」


 と王妃陛下がその身体に触れると……。


「きゃあああーーっ!! 陛下!」


 陛下の身体はぐにゃりと歪み、ぐずぐずと溶けていく!

 その様子に気づいたユーリッカは、


「ああら、面白いっ! あたしが『そのおっさん邪魔だなぁ』って思っただけで、消えちゃった!」


 と笑う。


「貴様! 父上をよくも!」


 と手負いの王太子とエーディは並んで剣を抜いたけれど、ユーリッカはにやにやして見ているだけ。


「待って、二人とも! わたくしに話をさせて下さい。剣ではあの子を止められない!」

「マーリア、何か考えが?」

「ええ……でも、ここまで進んでしまっては、取り返しがつくかどうか……」


 私はユーリッカに向かい、


「貴女は誤解しているわ。陛下が消えたのは貴女の力じゃない」


 と叫ぶ。


「はぁん? 何言ってるのよ。邪神サマの力は無敵! あんたも邪魔よ、消えなさい!」


 ユーリッカの言葉に、エーディは思わず顔色を変えて私を見たけれど、私は消えはしない……今は、まだ。


「いい、ユーリッカ、よく聞いて。これが信じられなかったら、世界は破滅する。そして、全てが消え去った世界で、貴女は永遠の孤独を味わう事になるわ」


――――――――――――――――――――――――――――


『幻の邪神篇?! 何よそれは!』


 眉をひそめて、スタッフに詰め寄ったのは前世の私。


『なんか、お助けアイテムの「光のペンダント」を入手したあとに特定ボタンを入力すると、ユーリッカの全ステータスが最大になるバグがあるみたいなんです。それでゲームを進めてもグラフィックが歪んでフリーズしちゃうんですけど、ネット上の誰かが勝手に「これは全滅ルートの邪神篇に行く前振り」なんて捏造して広めちゃったみたいで……。まあ、宣伝効果はあるんじゃないっすか?』

『そうそう、「幻の邪神篇」なんてうまいネーミングっすよ。厨二心をそそられるじゃないすか。後で、単なるバグで、そいつは都市伝説でした~、って分かったところで、そりゃあ広めたプレイヤーの責任で、俺らのせいじゃないし?』

『なに無責任な事言ってるの! 元々バグがあるのがいけないんでしょうが! すぐに消して、初期出荷版は回収よ!』

『はぁ』

『いや、だって、普通あんなの気づかねーよなぁ』

『馬鹿! すぐに、データ破損の可能性がある事を告知しなさい!』


 怒鳴る私に男性スタッフたちは、


『真理さん怖いっす』


 と声を揃える。


『私はプレイヤーがユーリッカになって、一緒に苦労したあと幸せになってもらいたい、って気持ちをリオンクールに込めたのよ! 邪神とかいらないし!』

『出た、真理さんのリオンクール愛』

『制作サイドとして当たり前でしょうが!』


 そして、ぷんぷん怒りながら退社した私は、信号を見てなくて交通事故に遭って死んだのだった……。


――――――――――――――――――――――――――――


 前世の記憶を取り戻した時に気づければよかったのに、私はまさか、幸せになりたいユーリッカが自らバグで自滅するルートを選択するなんて思わなかったし、心血注いだ正規ルートの方を思い出そうという気ばかりで、死ぬ直前に聞いた邪神の事まで意識に入って来ていなかった……。


「貴女が邪神の力だと思ってるのは、隠しルートで得た力なんかじゃないの。『幻の邪神篇』はただの都市伝説。貴女が思い通りに出来る力を持ってるのは、単なるバグ技で、それを使い続けると、やがて壊れた世界の中でゲームヒロインはフリーズしてしまう……今、貴女がやろうとしている事の結果はそれなのよ! 邪神の力で世界征服するシナリオなんて最初からないの。この世界には邪神なんていないのよ!」

「う……嘘よ。苦し紛れの出鱈目だわ!」

「邪神は貴女の心の中にしかいない。愛されたいと願った貴女が、わたくしのリオンクールで永遠の孤独を味わう事になるなんて皮肉過ぎる。お願い、目を覚まして、ユーリッカ!!」

「うるさい、うるさい、うるさぁぁい!! それが本当なら、あたしがやってきた事はなんなのよ。あたしはこの力で幸せになれると信じて、どんな汚い事もやったのに、それがなんにもならないなんて、何てクズな世界なのよ!!」

「貴女がこの世界をきちんと現実と受け止めて、本心を隠したりしなければ良かったのよ! なにかのせいにするのは止めなさいよ!」

「は! 悪役令嬢の癖にお綺麗ごとで誰からも愛されるあんたにはあたしの気持ちなんてわかるもんですか! みんながあたしを巫女姫として頼ってくる中で、『あたしはただ自分が幸せになりたいの』なんて言える訳ないでしょ?!」

「……! みんなには言えなくても、わたくしには言えたでしょう? どんな汚いことをしたって幸せになりたかったのなら、わたくしにどう思われたってかまわなかった筈でしょう?! 違う? ユーリッカ! 『幸せになりたい』なんて、誰だって持っている思い。わかるわよ、それくらい! なのになんで、何も言わずにいきなりわたくしを陥れようとしたの!」

「憎かった、って言ったでしょ。何もかも持ってるあんたが! ……平気でそうやって親切面ができる……あんたが……羨ましかった。そして、記憶が戻った時、こうも思ったわ。『ああそうか、この子は所詮ゲームキャラ……だからそうやって平気で親切面が出来る……あたし達の友情は作り物だったんだな。この子はキャラクターだからこんなにお綺麗な心を持てるんだ』って……。そう思ったら、少しは楽になれた。本当は現実だと……人間だと判るのが嫌だったのよ。うまくいかない度に、あたしは悪くない、周りのキャラクターが悪いんだって思う事にした。そして……段々ひとの命なんてキャラのように使い捨てして、利用して構わないという気持ちになったのよ! なのにあんたまで……なにもかも持ってるあんたが転生者だなんて」


 確かに、親友だったのに私は彼女のそんな気持ちを解ってあげられなかった……彼女が記憶を取り戻す前、巫女姫の使命に燃え、『人々の幸福がわたくしの幸福』と語っていた印象があまりに強すぎて……。

 私にとって、前世の記憶は、見せられた映像のようなものでしかない。私は私、マーリア・レアクロス。前世の私はもういない。だけどユーリッカは……前世の人格の方が勝り、巫女姫ユーリッカである事が嫌になってしまった。これは、この世界への思い入れの違いなのかも知れない。

 でも、なんにせよ、今は彼女を止めなければ。私たちも女神も世界も消え、真っ暗な闇の空間で彼女も永遠にフリーズする……。


「貴女の気持ちを解ってあげられなかったのは悪かったわ。だけど、だからって他人を殺してまで幸せになろうなんておかしいでしょう? もう諦めて。でないと貴女まで破滅するだけよ!」


 たぶん。ユーリッカは、私の言う事が正しいと悟ったと思う。だけど。


「もう、何もかも遅い……諦めて下ったところであたしは処刑される。それくらいなら、世界を道連れにしてやる……!!」

「永遠の孤独に閉じ込められてもいいの?! 今なら輪廻の輪に乗れる!」

「もう、転生なんてまっぴらだわ!」


 叫ぶなり、ユーリッカは全身から魔力の刃を放つ。残っていた人々が、王妃陛下が、王太子が倒れてゆく。彼女が魔力を解き放つにつれて、世界が変貌していくのが判った。建物も遠くの山々も、何もかもが歪み、おかしな色になって消えていく……。


 エーディが、私を抱き締めた。


「マーリア……」

「エーディ、ごめんなさい! わたくし、あの子を止められなかった……」

「貴女はよくやった……仕方がない」

「女神の国もなくなってしまう……わたくしたちは消えてしまう」

「消えはしない。たとえ存在が消えても、想いは残る筈」

「想い……」


 いつどうなるのか判らず、私たちはただ離れないようにしっかりと抱き合ってときが過ぎるのを待った。びゅんびゅんと荒れ狂う魔力の嵐は、幼かった頃のユーリッカの泣き声にも重なった。どうしてか、魔力の刃は私たちを傷つけはしなかった。


 ……そして遂に、魔力の暴走は止まった。ユーリッカは力なくペンダントを落とし、それはぱんと二つに割れた。力を使い果たし……そして世界が消えて、時間が止まる時。

 ユーリッカはうずくまり、泣いている。


「なんでこうなってしまったの……あたしはただ、新しい人生で幸せになりたかっただけなのに……殺人なんてしてるつもりじゃなかった……ごめんなさい、ごめんなさい!!」


 何もない空間で、ユーリッカと私たちだけが向かい合っていた。


「なんであんた達は消えないの……?」


 私にもよく解らないけれど。


「貴女をひとりにしたくないと……ひとりは怖いでしょう……?」

「あたしを憎んで、恨んでるんでしょ? まだ綺麗ごとを言うつもり?」

「憎んでいるわよ。恨んでいるわ。貴女の逆恨みと我儘で、何もかもが壊されてしまった。怖かったし、苦しかった!」

「じゃあ、何故」


 力を失ったユーリッカの姿もいびつなものになっている。緑の髪の美少女はもういない。孤独に泣きじゃくっている弱いものがそこにいる。


「ひとりぼっちは誰だって嫌だから……ユーリッカ……もう一度、やり直して? こんどは最初から素直になって、幸せになりたいと言って。その気持ちは何の罪でもない。でももう、誰かを恨んだり、運命のせいにしたりしないで」


 私の言葉に呼応するかのように、何もない空間に、ぽうっとひとつの灯りがともった。


「ああ、これが輪廻の輪よ……これに乗って、別の世界に行って。新しい生で、誰をも憎まず幸せになる事が、貴女の償いにきっとなるわ」

「幸せになる事が……償い?」

「そうよ。貴女が不幸になったって、もう何も戻りはしない。だったら、最後のリオンクールの民として、来世で幸せになるのが償いになるわ」


 殺された人や消えた世界……それらを思えば、これが正しい答えなのかは解らない。だけど、彼女は償いをしなければならないし、同じ道を辿ってはならない。

 私たちは巫女姫に頼り過ぎていた。だからせめて、彼女には来世で救済を……と、望んでも、いいだろうか……。


「あ、あんた達はどうするのよ!」

「わたくしたちは、消えない限りはここにいるわ。ひとりぼっちじゃないもの。そして、リオンクールを愛しているもの……」

「…………」


 ユーリッカだったものは、揺らぎ、そのまま光に呑まれてゆく。最後に、ごめんなさい、ありがとうと聞こえたのは気のせいだろうか……。


 何もない空間に、私とエーディだけが残された。


「ごめんなさい、エーディ。リオンクールはこんなところになってしまった。消えた方が楽だったのかも知れないわ」

「マーリア。決してひとりぼっちにしないとわたしは二度も誓っただろう。貴女が消えないのは、きっと貴女が創世主だからなのだろう。だったら、わたしは何ものにも負けぬ貴女への想いの力で、いつまでも貴女をひとりにしない」

「ありがとう……わたくしの大事なひと……」


 創世主。その言葉が放たれたとき。

 微かな、女神の声が聞こえた、気がした……。


『創世主よ! 世界の記憶はすべて、貴女のうちにある。もう一度、世界を創り直してください。失われたものを全て取り戻す。貴女には創世の力があるのですから!』

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