第6-3話:ピザと熱中症の話

「カナちゃんさー」

 土曜のお昼頃、リビングの床であぐらをかきながらスマホをいじってたら、二日酔いの顔で昼過ぎに起き出してきてダメ人間のタイミングで朝ご飯を食ってる兄貴が話しかけて来た。ちなみに食ってるのは冷凍のピザトーストを電子レンジで温めたものだ。

 金曜の夜に飲み会があって深夜に帰ってきた兄貴が朝起きられるはずはない、と考えた母さんは兄さんの分の朝ご飯を用意してなかったのだ。

 兄貴が起き出してきたときにはすでに朝食の後片付けを始めていた母さんを見た兄貴は自分で冷凍庫からピザトーストを取り出して電子レンジに放り込み、母さんはそれを見ても何も言わずに朝食の片付けと台所の掃除を黙々と続けていた。

 静かなリビングのそんな貴重な平和を兄貴のバカ面とバカ声が破ったというわけだ。

「イタリアン好き?」

 無視しようか一瞬だけ迷ったが、とりあえず相手の質問の不備を指摘しておくことにする。

「イタリアンって『イタリアの何か』ってことでしょ。何かが分からないから答えようがないよ」

 私の中で話はこれで終わったはずだったが兄貴にはそれが通じなかったらしい。

「あー、ごめんごめん、カナちゃん、まだ中学生だし、あまり外食する機会ないからなあ」

 あるわ。友人とマックくらい行くわ。子ども扱いすな。つーか、妹のことをカナちゃんって呼ぶの寒いからやめてくれとあれほど言ってるのに、まだ治らないお前のが子供だ。

 声に出すといらん言葉といらん行動も火を吹きそうだったので、スマホの画面から目を外さずに脳内で返答する。そんな私の好意は伝わらず、ピザトーストを食い終えたらしい兄貴が皿を台所の母さんに手渡しながら話を続ける。

「というわけでイタリア料理好き?」

 何が「というわけで」なのかさっぱり分からないが、もう面倒だったのでとりあえず答えておく。

「好き」

「じゃあピザって10回言ってみて」

「は?」

 ぶっ殺すぞ?

「ピザって10回言ってみて」

 さっきの目線では言いたいことが通じなかったらしく、同じ言葉を繰り返す兄貴。思わず拳で分からせようと腰を浮かしかけたところで母さんと目が合った。

 ヤバい。

 さっきの表情を見られてたらしい。実の娘に向けてはいけない目つきをしている。

 あー、もうめんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさい!

「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ!」

 兄貴がひょいと腕を曲げてその曲げた部分を指差す。

「ここは?」

「え? ひざ?」

「ブッブゥ~! これはひじですぅ~!」

「オラァッ!」

「グギャッ!!?」

「カナァッ!」

 兄貴が両肘を曲げてポーズを取りながらクッソ間抜けな面を突き出してきたのと、私が両ひざのバネを利かせて弾かれたように飛び上がり兄貴の顔面に右ひじをぶちこんだのと、母さんが洗っていた皿を叩き割りながら叫んだのはほぼ同時だった。

 説教は2時間に及んだ。

 いや。待て。

 おかしいだろ。


 太陽がすでに南中時刻を過ぎてそこそこ傾き始めている空の下、私は罰として言いつけられた数ある用事のうちの1つとして、駅前の酒屋まで足を向けていた。

 逆らうこともできたが、どうせ誰かが買い物に行かなければ夕食は出来上がらないのだ。意地を張って母さんに逆らうメリットはない。その程度には私も大人だ。母さんが怖いからではない。断じてない。恐怖には屈しない。


 私が酒屋の自動ドアをくぐるとレジで店番している中学生くらいの……というか中学生男子が私を見て声をかけてきた。

「いらっしゃいま……あ、カナだ。あのさー」

「見誤るよ」

 どうせまた兄貴から偏った話を聞かされて私の正当防衛が歪んだ形で伝わったのだろう、と推測して相手の言葉を一刀両断しておく。

 しかし。

「なんの話だ、なんの」

 酒屋の一人息子にして私の幼馴染であるタカシが困惑した顔を浮かべる。

 考えてみたら二日酔い(と私の肘打ち)で今も家で倒れている兄貴が、今朝の話をタカシに伝えているわけがない。

「ごめん、勘違い」

 ピッと手を上げて謝る。

 いや、私だって自分の非を認めたときはきちんと謝る。単に、身に覚えのない冤罪には断固として戦うというだけの話だ。そこんところは勘違いしないで欲しい。

 そもそもあんな対応をするのは兄貴に対してだけで、学校ではちゃんと母の厳しい躾けどおりに礼儀正しく生きている。

 閑話休題。

「いや、別にいいけど、それよりカナ、学校でみんなに何か言った? 最近、みんながここに買い物に来る回数増えた気がすんだけど」

 売上的にはありがたいんだけどさー、となぜか困った顔でこっちを見る。

 え? 私、なんか言ったっけな……あっ。

「言った」

「やっぱりカナか」

 レジで無駄話しているといつまで経っても帰れないので、店内を回りながら母さんに頼まれた品々をカゴに放り込み始めつつ、タカシに答える。

「でもそんな変なこと言ってないはずなんだけどな。私がここでよくタカシと会うってことは話した」


 こないだから中学校でタカシと校内でも普通に会話するようになった。

 別に私からすると小学校時代に戻っただけなのだが、なぜか一部の女子や男子が興味津々な顔で私とタカシが知り合いなのかどうか聞いてきた。

 とりあえず、小学校時代から良く行ってる酒屋さんのレジで良く話す相手だから、とだけ説明した。私たちが幼馴染なことまで伝える必要は無いだろう、と思ったからだ。

 別に隠したつもりはない。どうせ同じ小学校からの同級生たちが知ってることだし、と思って手短な説明で済ませたんだけど、それがまずかったのかな。


「それだね。誰に話した?」

 えーと、誰に話したっけか。

「うちのクラスメートの女子何人か……綾里とか高田とか? あとはタカシのクラスの男子の、えーと、名前なんだっけ。ほら、あのいつもメモ帳持ってる子」

「うげ。よりによってダッヒーかよ……そりゃ広まるわ」

「あ、そうそう、ダッヒー。佐藤くんだっけ」

 みりんのビンをカゴに放り込みながら答える。

 ちなみにフルネームは佐藤さとう忠人ただひとくん。最初にあだ名を聞いたときは名前が飛田ひだくんなのかな、と思ったら「ただひと」の中の2文字をとったらしい。どういう経緯でそこに辿り着いたんだろ。不思議。

「ダッヒーの通称は1人新聞部だよ。ニュースを探して、それを広めるのを生きがいにしてる」

「それで何か問題あったの?」

 大した意図もなく聞いた私の言葉に、タカシが思い切り悩みだす。なぜか顔が赤い。知恵熱か? しばらく沈黙したあと、絞り出すように返事をしてくる。

「ないっちゃないし……あるっちゃある」

「ぶはっ。なんじゃそりゃ」

 思わず吹き出してしまう。そんなこと言われたら私としてはどうしたらいいのか分からない。

「いや、だってぶっちゃけ俺って大した取り柄もないし、学校でそんな目立つキャラじゃないだよ」

 いきなり何を言い出すんだ、こいつは。

「は? 知ってるって、そんなこと」

 実のところ、そうは言いつつもタカシはそこそこ頭がいいということは長い経験で良く知ってる。ただそれは学校の成績に反映されるようなものでないため、学校のみんなはそのことを知らない、ということも良く知ってる。

 ただそれが今の話とどう関係があるのかは知らない。

「カナは、ほら、結構、学校でも有名人じゃない」

「うん、顔は広いかもね。あと大学生の兄貴がいるってんで友達には羨ましがられるけど」

 まあ、実際はアレだが。

「そんな人気者のカナに、なんで地味な俺が親し気なのか気になるらしいよ」

「なんだ、人気者って」

 あまり褒められてる気がしない、という思いが声に出てしまったらしい。タカシがちょっと慌てた様子で付け加える。

「いや、ほら、自分がなんで顔が広いのか……って言うか、みんながカナと話したがるのか、とか考えたことない?」

 なんかタカシにしては随分と婉曲的えんきょくてきだな。

 えー、なんだろ。

 首をぐぐぐっとかしげる。90度近く曲がったあたりでようやっと1つ思いつく。

「じ、人望?」

 自分でこれを言うのはかなり抵抗感があったが、他に思いつかないからしょうがない。

「うーん、それは否定しないよ。でも多分そういう内面的なもんじゃなくて、もっとこう外見そとみっていうかさ」

 なんだ。マジで分からん。

 つーか、分かってるならハッキリ言えよ。

 ようやっと母さんに頼まれた品を入れ終えたカゴをちょっと勢いをつけてレジに上げる。

 思いのほか、重い音がした。

「何が言いたいの」

 ちょっと険のある私の口調と眼差しに少しだけひるむ様子を見せつつも、手は慣れた様子で品物のバーコードを読んでいく。

「タケルさんがカナに妙に構うのも同じ理由だと思うんだよね。要はさ、カナってかなり美人……」

 そのとき、話の途中に兄貴の名前を挙げられて今朝のことが思い出された。

「あ、バカ兄貴と言えばさ」

 兄貴にやられたアレを、ちょっと試してみるだけ試してみたくなった。

 タカシは何か話してたようだが、どうせ大した話じゃない。

「ピザって10回言ってみて」

「え? なんで?」

「なんでも」

 怪訝な顔をしつつも一旦バーコードリーダーを置くと、指を折って数えだす。

「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、ピザ」

 間髪入れずに腕を曲げて肘を指差す私。

「ここは?」

「エルボー」

 んん!?

「え?」

「エルボー」

 なんだっけ、それ。えーと、あ、肘……

「ずるい!」

「ごめんごめん、でもなんかそういうの懐かしいね」

 あらためてバーコードを読み終えて、精算を終えると、私の手にお釣りを渡しながらタカシが笑った。

「懐かしい?」

「いや、小学校の頃、よくあったよ、そういうの。ほら、手袋を逆に言ってみて、とかさ」

「手袋を逆に? えーと……ろ……ろくぶて?」

「って答えた相手を6回ぶつの」

 そういうと手を振り上げて私をぶつ真似をした。

「なんで」

「ろくぶて、って言われたから」

「え? ……あ……く、くっだらねえー!」

 気づいた瞬間、あまりのくだらなさに腰が抜けるかと思ったわ。

 私の顔を見て、ちょっと恥ずかしくなったらしいタカシがちょっと弁解じみた様子で首をひねる。

「えー、みんなやってたけどなあ」

「男子だけでしょ」

「そうかも」

 品物は全部レジ袋に詰めてもらったし、お釣りももらったのでもういつでも帰れるけど、なぜか、もう少し話をしたい気分だった。

 兄貴と会いたくなかったからかもしれないし、母さんの顔を見るのが億劫だったのかもしれない。

「他にもなんかそういうのあるの?」

「あるけど……面白くはないよ」

 なんかメチャクチャ言いたくなさそうにしてる。えー、そんな顔されたら意地でも聞き出すしかないじゃん。

「最近も兄貴から色々借りてんの? 最近はDVDが主みたいだけど」

「……ずるいぞ」

「いいから教えてよ」

 マジでくだらないからな、と前置きした上で、若干顔を赤らめつつも意を決したように口を開いた。

近藤こんどう武蔵むさしを差し引きすると何になる?」

「は?」

 マジで意味が分からず困惑する私に、あたふたするタカシ。

「いや、ほら、要は……近藤こんどう武蔵むさしって文字列から『さし』って文字を引くと何が得られるってことだよ!」

 何を怒ってるんだ、お前は。

「えーと、『さし』の2文字を取り除けばいいんでしょ……こんど……今度生む? 何を?」

「……分からないならいいよ。次いくよ、次」

「えー、ちょっと」

「口をこうやって開いてみて?」

 人差し指を口の両端に引っ掛けて横に引っ張る仕草をする。

「え、その時点で間抜けじゃん?」

「いいから」

 はいはい。

「ほれで?」

「そのまま学級がっきゅう文庫ぶんこって言ってみて」

「はっひゅーウンコ」

 っておい。

「何を言わせるっっっ!?!?」

 レジ台の上に身を乗り出して相手の頭を思い切りはたく。

「いてっ!」

「……まあ、うん。はい。分かった」

 自分の顔がまだ赤いのが分かるが、あえて普通を装う。装えてるはず。うん。

「もう次が最後ね」

「あ、はい、それでお願いします」

 なぜか敬語の私。

「熱中症ってゆっくり言ってみて」

 ゆっくり? なんだ? ねっちゅーしょー? 中傷? 抽象? まさかの焼酎? いや、関係ないか。いくら酒屋だからって……って、うわ! そうだ、買い物の最中だった! ああ、もういいや、とっとと終わらせて帰るか。

 そのとき酒屋の自動ドアが開き、外の喧騒が流れ込んできた。

 一度で終わらせたかったので、さっき頭をはたいたときのように身を乗り出し、ちゃんと相手に聞こえるようにと顔を近づける。


「ねっ、チュウ、しよう」


 その直前、自動ドアがしまり、静かになった店内に私の囁き声が満ち、店の出入り口に近いほうからドサッと何かが落ちる音が聞こえた。

 レジの上に身を乗り出した姿勢のままそっちを見る。

 床に尻もちをついたまま、目を思い切り見開き、こっちをわなわなと見つめている男子がいた。すぐ横にはメモ帳とシャープペンが落ちてる。

「あ、佐藤くん」

 パクパクと口を動かしてる佐藤くんが右手が上がり、その人差し指がゆっくりとタカシを指す。

「おま、おま、おま」

「あ、やべ」

 私の顔のすぐ横にあるタカシの口から呟きが漏れたかと思いきや、そのまま慌てた様子でタカシがレジから走り出てきた。

「おいぃ、ダッヒー!? 違うぞ、断じて違うからな!?」

「お、お前らやっぱり付き合ってんじゃねーかあああああああああ!」

 傍らのメモ帳とペンを拾い上げると、ものすごい勢いでメモ帳に何かをバリバリと書きつけながら佐藤くんは店を出て行った。

 いや、おい。何しに来たんだよ。

 そう言いたげな私の顔を見たタカシが両手で顔を覆った。

「月曜、学校行きたくない」

 なんのこっちゃ。

 とりあえず私に実害がなければ別にいい。

「じゃ、急いで帰らないと母さんに怒られるから、行くね」

 顔を覆ったままのタカシに手を振って、私は店を後にした。月曜に待ってるあれこれを知ってたら、きっと私も同じポーズでしばらく固まっていただろう。


 「近藤武蔵」ネタと「熱中症」ネタが何を意味していたのかに気づいたのは夜寝る直前だった。大声で「うわああああああ!」って叫びたくなったけど、さすがに夜中だったので布団をかぶったまま身悶えするしかなかった。

 ……月曜、学校行きたくない!

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