第7章

7-1

「おかしい」

 エリオットの身体は濡れていた。「どうして俺だけ」

「私とニーナは足の使い方を知ってる」

 アンナとニーナは岩に華麗なステップで飛び移って滝の裏へ飛び込んだ。

 エリオットは転んで池に落ちた。

「俺が飛んだときだけ、あの岩はヌメヌメになってるとしか思えない」

「お前の足の裏、腐ってんだろ」とアンナ。「な、ニーナ?」

「うん。腐ってるよ。そう思うでしょ? デイジー」

 ニーナが言った。

「腐ってるね、絶対に」

 エリオットが持つ釜の中でデイジーが続く。

「俺たち仲間じゃなかったんだな」

「お前は臭いからな」とアンナ。

 池に落ちると、腐った匂いが移る。

 ニーナを見ると鼻を押さえて、もう一方の手で匂いを飛ばしている。

 洞窟の奥を見た。

 相変わらずだった。地下に向かって緩やかな角度の穴が続いている。

 そのまま下り、角度がなくなるところまで来る。

 洞穴が左右に開けて、壁には蝋燭。火が灯っているのは、人が来た証拠だ。

「あったな」とエリオット。

 懺悔室だ。

 周りには血痕と盗賊団員の死体があった。蛆が沸いているもの、蝙蝠が群がっているものがある。

「戻ってくるなら片付けときゃよかったな」

 エリオットが言った。

「掃除は嫌いだ」とアンナ。

「あんたはそんな感じだな。家事って柄じゃない」

「ねぇ、あれが言ってた奴なの?」

 ニーナが言った。

「あぁ、初めてアントーニオに会ったとき、あいつはあの中にいた。奴は、この懺悔室を『耳』と呼んでたよ」

 司祭側の扉が半開きになっている。

「これ箱でしょ?」とニーナ。「耳じゃないよ」

「なんだっけな、耳はよく聞こえる、とか意味わかんない由来を言ってたよ」

 エリオットが言った。

「アントーニオがそんな間抜けなことを言ったのかい?」とデイジー。

「目は閉じられるが、耳は閉じられない、だろ」

 アンナが中を覗く。

「全然違うじゃない」

 ニーナがエリオットに言った。

「ここ数日忙しいからさ。で、どうだ?」

 エリオットもアンナの肩越しに中を確認する。

 床が開いていた。梯子が下に続いている。

「この扉を開く鍵だったのか?」とエリオット。

「アントーニオはこの下なのかい?」

 デイジーが続ける。

「上にも右にも左にもいない。あとはここだろ」

 アンナが言った。

「やっぱり陰気だね。地下にいくなんて。死体とかそういう関係の人ってほんとやだ」

 ニーナが言う。

「うちの弟を悪くいうんじゃないよ」

「弟なんて柄じゃないでしょ。もう立派なおっさんなんでしょ」

「親だってジジイ、ババアになっても親だろ。弟も一緒だろ」

「エリオット、うるさいから下に放り投げろ」

「そうだな。索敵しよう」

 エリオットがデイジーの入った釜を梯子の下に落とした。

 金物が地面に当たる。甲高い音が響く。

「てめぇら、全員くたばりなぁ」

 下からデイジーの叫び声がした。「絶対に完全復活してぶっ殺してやるからねぇ」

「大丈夫そうだな」

 アンナが呟いた。

「さっきより元気になったみたい」とニーナ。

「さてここで問題です。誰が先に下りのでしょうか?」

 エリオットが言った。

「貴様だ」

 アンナに背中を蹴られた。

 落ちた。


   ■


 目を開く。横を向くと、釜の口があった。中には怒り狂ったデイジーがいる。

「はは、いいザマだね」

 デイジーが吼えた。

「ごめん。今、信じられるのはあんただけだ」

「調子がいい男だねぇ」

「さっきあんたを落としたのは手が滑っただけなんだ。上の奴らは本当の悪魔だ。俺が人生の中で見た中で最高に悪い人間だ。手を組もう。アンナとニーナを倒すんだ」

 梯子を降りてくる足音がした。

「私に手はないよ」とデイジー。「この頭だけさ」

「気が利かなくて悪い」

 打ち付けた背中を労わりながら立ち上がり、釜を持った。

 宙には、柔らかな輝きを放つ球体が浮かんでいた。震えるように揺れながら、それぞれが間隔を保ち、衝突し合わないようにしている。まるで生きているようにも見える。何かの魔術的な代物だろう。

 光る球体のおかげで、視野は確保できていた。

 床も壁も四角い石が並んでいて、継ぎ目には雑草が茂っている。まるで生き物の気配がない、上のニベス会聖域とは正反対の場所だった。

「奴らが来る。気をつけろよ」

 アンナとニーナが梯子から降りてきた。

「元気そうだな」とアンナ。

「悪魔め」

「けど誰かが先に行かなきゃいかなかったわけだし」

 ニーナが言った。

「なるほど。そっちはそっちで同盟を結んだんだな」とエリオット。

「訳の分からんことを言うな。お前のような落伍者こそ最初に落ちるに相応しい」

 アンナが言う。

「ねぇ、それよりこれなに? 光って浮いてる奴」

 ニーナが、光る球体を指でつんと弾く。球体は弾力があるらしく、ぽんと移動する。

「エレメンタルだ。どこかに発生装置があってこの空間に浮遊させてる。昔はこういうものを発生させる専門の魔術師もいた」

 アンナが解説した。

「嫌だねぇ、魔術とか魔法とか魔力とか、そういうもんは。盗賊みたいに単純じゃない」とデイジー。

 多くの人間はデイジーと同じような意見だ。魔術の知識に触れられる人間は一握りで、市井の人々は一度も魔導を見ずに死んでいく。

「先があるみたいだ」とエリオット。「一本道だ。行くだろ?」

「当然」

 アンナが言った。

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