4-6
街を出て、モンティック川を上流に向けて進んだ。ならずの王の言うとおり、森があり、その中に小さな池と滝を見つけた。卵か何かの腐った匂い。気味の悪い霧が漂う。池というよりも滝から流れ落ちる水の溜まり場のようだった。魚、生き物の影はない。水辺に草も茂らず、森の中にあってその池の周りだけ禿げた土地になっている。
「まだ昼間なのに陰気な場所だな」
エリオットは言った。
「あの滝の裏だろ?」とアンナ。
二人は池の周りを歩く。
「話だとそうなる」
「お前――」
アンナが言った。「あの女、ニーナは、本当にペトラサの魔道大学にいたのか?」
「あぁ。らしい。別に裏は取ったことないが、子供の頃、魔導の才能があったんで、役人にペトラサに連れて行かれて、そこで教育を受けたってさ」
「ふぅん。わからないもんだな」
「何かあるのか?」
「お前はミッドガルドの出身だからわからないかもしれないが、あそこは特別だ。サウスタークに幾つかある魔導大学の中でも別格。あそこで作られるのは純粋な兵士としての魔導士だ。教育なんて言葉じゃなく、訓練なんだよ。あそこで行われてるのは」
「そんなことは話してなかったな」
「だからペトラサの魔導大学出身は、サウスタークの軍部じゃ、それだけで畏怖の対象だ。もちろん才能のない奴は、お前が話したとおり、強制的に辞めさせられる」
「何が言いたいんだ?」
エリオットが言った。
「それにしては、明るい奴ってことだよ。あの大学を出た奴、居た奴は、大体暗くて、殺し屋の目をしてる。大学関係者でニーナのような奴は初めてだ」
「貴重ってことが言いたいのか?」
「そういうことだな」
「人を褒めるときは、もっと簡単でいいと思うけどな」とエリオット。
「褒めたわけじゃない」
「じゃあなんだよ」
「事実を言った」
アンナはそれから「そこの岩を伝って、滝の裏にいけるぞ」と言った。
「飛び移るのか?」
二人のいる足場から、少しだけ距離がある。大股にもう半歩くらいの距離だろうか。
「そうだ」
「ヌメヌメしてたら転ぶ」
この気味の悪い池には落ちたくない。
「いいから行け。お前が先だ」
背中を叩かれた。
■
転んだ。
「なんであんたは大丈夫なんだよ」
転倒し池に落ちたエリオットの上を、アンナは華麗に飛び越えて岩場に移り、滝の裏へ入った。
エリオットは必死にしがみつくようにして、滝の裏へ登ってから言った。
「日頃の行い」とアンナ。
「おかしい。世の中、間違ってる」
エリオットは髪をかき上げた。「クソ。俺、臭くないか?」
「髪を上げると、不細工が目立つな」
「匂いの話をしてる」
「もちろん臭い」
「あ、そう」
滝の裏には洞窟があった。下に向かって緩やかな角度の穴が続いている。
「どこまで続いてるんだろうな」
「無駄な疑問だ。行くぞ」
「確かに行けばわかるな」
歩き出した。
■
角度がなくなり、平坦になった。洞穴が左右に開ける。壁の窪みに蝋燭。火が灯っている。人工物だ。だがそれよりも大きなものが、この空間にはあった。懺悔室だ。洞窟の開けた空間に佇む木造の箱。突然現れた宗教的人工物にニベス会の存在を感じる。
懺悔室の向こうにはまた穴が続いている。
「中を見るか?」とエリオット。
「確認だな」
近づく。懺悔室の二つの扉の前に立った。告白する者と、それを聞く者の扉。
「いいぞ」とエリオット。
ノブに手をかけた。エリオットは懺悔する側に立つ。アンナは聞く側。
「開け」とアンナ。
同時に開けた。
何もない。
「からだ」とエリオット。
「こっちは当たりだ」
アンナが言った。
エリオットがアンナの側を覗く。
黄色い司祭服を着た男がいた。履いている靴のつま先が開いていた。
「ニベス会の者か?」とアンナ。
「そうです」
男は言った。静かで抑揚のない声だった。変な靴を履いているのはニベス会の正装だからなのか。
「無礼を済まない」
アンナは続けた。
「どんでもないです。ここは聖域です。私はハデス様のために使える身。私は誰を判断することも出来ません。ところであなたたちはどちらから?」
「向こうです」
「あぁ、門から来たんですね」
「あれが門か」とアンナは呟く。
「ここは懺悔室ですよね?」
エリオットが好奇心から尋ねていた。「赦しを頂ける場がこんなところにあるなんて」
「ニベス会に懺悔の習慣はありません。私たちはただ聞くだけなのです。だから我々はこの部屋を、懺悔室とは呼ばず。耳、と呼びます」
「耳?」
「そうです。耳、です」と司祭。
「誰も来ないでしょ、こんなとこ」
「耳は閉じることはできません。目とは違うのです」
司祭は言った。
「わかった。もういい」
アンナが司祭の胸倉を掴んで、その『耳』と呼ばれる部屋から引っ張り出した。
「な、なにを――」
取り乱し、声をあげる。
「お前らの流儀なんてどうでもいいんだよ」
「おい、司祭様だぞ」とエリオット。
「黙ってろ、余計な質問しやがって。友達でも作りに来たのか?」
「ちょっと聞いただけだろ」
「仕事しろ。そして仕事はこうだ」
アンナは司祭を床に押し当てる。「私たちはお前らニベス会に奪われた惑星の書を取り戻しに来た。それを手に入れて何を企んでいるかは知らないが、さっさと返せ、クソ野郎」
襟を締め上げた。司祭の顔、首から上が赤くなっていく。
「死ぬぞ」とエリオット。
「わかってる」
緩めてやる。
むせ返り、激しい呼吸を繰り返す司祭。
「あんた名前は?」
エリオットが聞いた。
「アントーニオです」
「アントーニオ。惑星の書を返せ。保管されている場所に連れて行け」とアンナ。
「わかりません。知らない。私は何も――」
「じゃ知ってる奴のところへ連れて行け」
喉輪を掴んで無理やり立たせる。「もっと偉い奴に会わせるんだよ」
「わ、わかりました」とアントーニオ。「それじゃ、案内します。ただ乱暴はしないで下さい。周りの者に怪しまれる」
「後ろを歩く。妙な動きをしたら刺す。それでいいな?」
アンナが言った。
「はい。はい。それで結構です」
アントーニオは司祭服を正してから、エリオットとアンナに背を向け歩き始めた。
「こちらです」と言う。「大司教のもとへご案内します」
「いいぞ。物分りがいい奴は長生きする」
アントーニオの後ろについて洞窟の先へ進む。
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