第23話:We Are

 もう2月も初旬に入った頃、僕を含むメンバーの皆は、個人練習に集中していた。


 とりあえずシバさんの提案で、2月の中旬までには概ね個人のパートは完成させること、そしてそれ以降は努めて時間を合わせて、バンド練習に集中させることを言われていた。


 サン・ハウスでの何回目かのミーディングの時、シバさんが僕に質問をしてきた。


「皆の個人練習の進行はスムーズに進んでいると聞いているけれど、今回ボーカルを担当するムー、この曲の発声と英語の歌詞、大丈夫か?」


「はい、発声の方は奈津子さんのもとで、しっかり基礎から学んでいます。それ以外の平日は、放課後を使って基礎練習を積み上げています」


 ボーカルとしての発声練習は、奈津子さんが音楽大学出身ということもあり、声楽の授業もあったので、週に一度はサンハウスで見てもらっていた。

 毎日、教わった発声練習を、必ず放課後の音楽室か、近くの川原で練習していた。


『外で練習するなんて恥ずかしい』


 なんて言ってられなかった。


 その甲斐があってか、奈津子さんから上達が早いと言ってくれた。

 今回の曲は、ボーカルの音域が高いため、しっかりとした腹式呼吸による発声が必要だった。


「しっかりと基礎作りから始めないと、練習の間で喉を傷め、最悪声が出せない状態になるよ」


 と奈津子さんに、かなりきつく言われてた。

 時間はないけれど、基本を地道にひとつづつ、これしかなかった。



「あと、英語の歌詞の発音なんですが、前回のミーティングにも話しました英語の先生に頼み込んで、お昼休みに少しずつ見てもらっています。合同練習時期には間に合うと思います」


「分かった。もう練習期間も後半に入って行くから、皆もそのつもりで。頑張ろう」


 もう気が知れているシバさんだけど、しっかり仕切ってもらってるので、僕もきちっとした対応をしている。

 そうじゃなきゃ失礼だ。



♪・♪・♪



「こんにちは、岡部先生。今日もよろしくお願いします」


「いいわよ。それじゃ、いつもの所に行こうかしら」


 岡部先生はそう言うと、職員室のキーボックスから『化学準備室』のドアのカギを取ると、足早に職員室から出てきた。


「今日も頑張るよ!」


 そう言いながら、職員室がある2階から更に上の4階、その西側端にある化学準備室に向かい、スタスタと歩き始めた。


 僕は岡部先生の後ろをついて行った。


 英語の一年担当の岡部おかべゆい先生。昨年大学を卒業し、新卒で教員試験を合格しこの高校に赴任してきた先生。

 身長が150センチ位の背の低い先生で、ショートカットにちょっと狐顔をしたその顔つきと、くりっとした瞳がとても印象的で可愛らしく見えた。いつも細渕のメガネをしていて、それが一層キュートに見えてしまう。

 今日はホワイトの大きめのタートルネックのニットに紺色のひざ下丈のスカートを穿いていた。

 岡部先生はまだ若いことと、身長が低く可愛らしい所から、新年度が始まった時から、特に男子から色々とアプローチがあった先生だった。

 でも、授業も淡々に進めて、僕たち男子の質問もノーコメント、とても愛想が悪かった。

 また、休憩時間やお昼休みなどで、勉強以外のことを話しかけると、ほとんど無視されてしまうため、だんだんと岡部先生に声をかける男子は減り、今ではほとんどいない。

 そんな先生だったので、英語の歌詞の発音を教えてもらうなんて、本当にしてくれるのか不安だった。

 一度授業がすべて終わった後、放課後に先生を職員室の外に呼び出して、すべてを告白した。

 そして、僕に協力してくださいと頼みこんだ。

 岡部先生は少し考えた後、意外にも、


「そういう事なら任せて! しっかり教えるからついてきなさいよ!!」


 と意気揚々だった。

 あんなニコニコして、楽しそうな岡部先生の表情を見るのは、初めてだった。


 放課後は、自分が歌の発声練習をしなければならないことを告げると、岡部先生から、


「じゃあ、化学の先生に話しておくから、お昼休み、化学準備室で練習しましょうよ」

「『ホワイトスネイク』の『ヒア・アイ・ゴー・アゲイン』でしょ。大丈夫、分かるから。安心して」


 そう言うと僕にピースサインをして、ワクワクした感じで化学の先生の方に行ってしまった。


「岡部先生が、ホワイトスネイク?」


 コロコロして可愛い岡部先生とハードロック、ロックブルーズのホワイトスネイク。とても接点が見つからなかった。


 それから毎日、お昼休みは化学準備室で発音練習をしていると、いつの間にか生徒間で変な噂が立ってしまった。

 それは、


『化学準備室で先生と生徒が淫らな行為を毎日している』


 という噂だった。

 もちろん根も葉もない噂で、岡部先生に相手にもされなかった生徒が流したデマだってことは、明白だった。

 しかし、話も大きくなってしまい、職員室の先生たちの中でも取り出されしまった。

 でも岡部先生はとても芯が通っている人で、


「生徒の自主的な向学心を尊重し、そんないい加減な猥褻わいせつな噂や嘲笑ちょうしょうを私は気にしませんし、これからも生徒が来てくれたなら教えます」


 と言ってくれた。とてもうれしかった。

 そんなことを思い出していると、岡部先生から、


「今日はどこからかな」


 と言われ、すぐ返事をした。


「この2番目の歌詞のこの行です」


「はい、それじゃ今までの分を、まずは復習とチェックのために発音して」


「はい」

「I don’t know where I’m going……」


「ほらほら、ここの部分がちょっと違うよ。前も言ったでしょ、この発音の時の舌の使い方は……」


 昼休みという限定した時間だからこそ、とても濃密で、周りが言う様な破廉恥な噂など気にしている暇さえなかった。


「もうそろそろベルが鳴るわね」


「いつもすいません。自宅でも練習してるんですけど」


「大丈夫よ、私は」

「逆に私が燃えちゃってるみたいで うふふ」


 岡部先生が手を口に当てて笑うと、コロコロとした雰囲気でとても暖かく感じた。先生のホントの顔はここにあるんだと感じてしまった。


「そんなことないです」


 でも、僕にとっては、正直ハードな毎日だった。

 お昼に英語、放課後発声練習、自宅でもう一度英語の練習とギターの練習。勉強などしている暇は全くなかった。


「ねえ北条君」


 岡部先生が、先生という雰囲気ではなく一女性と見えた瞬間だった。


「もしよかったら、その、彼女さんのための曲の披露の時、私も聴きに行っちゃダメ?」


「え! たぶん大丈夫だと思いますけれど、なんでですか?」


「私も高校、大学とバンドを組んでいてボーカル兼ギターだったのよ」

「こんな私でもね、Ana Johnsson(アナ・ジョンスン)をメインで歌ってたのよ」

「特にWe Are(ウィー・アー)が好きだったわ。結構古いけれどね」


「え、そうなんですか。でも身長が……」


「こら、北条君。それは言っちゃダメな約束よ!」

「とりあえず化粧と衣装でカバーしてたかなあ、あとはブーツで。 うふふ」


「全然想像つかないですよ、先生」


「今度、当時のライブハウスでの映像があるから、見てみる?」


「まさか、沼〇駅の前のクロスロードですか?」


「あら、北条君、よく知ってるね。もう昔だけど数回出場させていただいたわよ」 


「そこでやるんです、曲の披露……」


「そうなんだあ、懐かしいなあ」


 岡部先生は“ほわぁ”とした表情で昔のことを思い出しているみたいだった。

 そして、改めて僕の方を見ると、


「今までの話、ほかの生徒や先生には内緒よ!」

「それじゃ、聴きに行っちゃってもいいかな?」


「分かりました、皆にいてみますよ。たぶん皆さんいい人だから断る理由なんてないと思いますし、逆にお礼してくれるんじゃないですか」


 そう言うと、岡部先生は150センチという小柄な体を、元気いっぱいにガッツポーズして、


「やったー!!」


 と叫んでいた。


 授業の時は淡々と進めて、愛想がないなあなんて他の生徒に言われているけれど、実際は全然違っていた。



♪・♪・♪



 学校帰りの電車の中、珍しく楓と一緒になった。


「おす」


 そう言うと


「うん」


 と静かに楓は頷いた。

 電車の中の男子の視線が、一斉に僕の方に集中するのも、もう慣れてしまった。


「今日も学校で発声練習?」


「うん、地道に毎日やらないとね」


「でもなんかアユム、顔疲れてる。大丈夫?」


 僕は楓にあれだけ酷い事をしたのに、幼馴染として心配してくれているんだ。そう思うと、自分の申し訳なさと不甲斐なさに霹靂へきれきとする所だった。


 楓とは時々電車が一緒になるため、今の状況をすべて隠さず話している。それが楓の気持ちへの、せめてもの誠意だと思っている。


「私も音大行ったら声楽するのかあ、大変だなあ」


 楓は窓の外を見ながら独り言のように言った。


「まだ、シェリーさんの帰ってくる日が解らないの?」


「うん、マディさんの連絡はまだ。でも、信頼できる人だから大丈夫だよ」


「そう、それならいいね」


 少しの間を経て、楓が口を開く。


「アユムさ。」


「なに?」


「もし帰ってくる日が分かって、クロスロードってお店で演奏する日が決まったらさ、私も聴きに言っていいいかな?」


「まあ、いいと思うけれど、なんで?」


「こんな一所懸命なアユムの姿って、今まで見たことないからさ。その成果っていうの? 見てみたいじゃん。」

「あと、恋敵こいがたきのおばさんの顔も!」


 楓はそう言うと、ケラケラ笑っていた。


「うん分かった。必ず連絡するし、招待するよ」


「絶対だからね!!」


 楓はそう言うと、右こぶしを軽く歩夢の胸に当てた。




♪・♪・♪ To be continued ♪・♪・♪

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