第4話 初バトルは轢き逃げで


 高い城壁に囲まれた王都、リオンデルグ。

 朝日に白く照らし出されるその城壁には、東西南北に各1つづつ門が設けられていて、訪れる者を迎え、旅立つ者を見送っていた。



 門の周辺には、街の内外に毎日長い行列ができている。


 門の下で、検問が行われているのだ。



 街の出入りには、門の下で行われている検問を抜けなくてはならない。

 門の周りにできる長蛇の列は、それを待つ人の群れである。



 その中に、異色の男女2人組がいた。


 男の方は、なんて事はないこの世界ではよくある旅装だ。

 動きやすい服に、銅を守る為の革のジャケット、肩と腕をガードする計量なアーマー、腰には短剣。


 女の方も、珍しい装いではあるが、この世界ではよく目にする魔法使いの装いだ。

 やたらと大きな杖と、腰に提げたメチャクチャでかい魔導書を除けば、実に普通な魔法使いである。



 そんな2人が異色である理由、それは、2人が跨乗する乗り物によるものだ。


 目を引く鮮烈な赤に、ピカピカに磨き上げられたメッキ。

 どんなに気にしないようにしようとしても、視界に入れば意識せざるを得ないその姿、それは正しく郵便バイク。



 正式名称、MD110────


 それはこの世界にあるはずの無い、まさに異色の存在といえよう。

 


「はぁ……」

 男の口から、ため息が漏れる。


「どうかなさいましたか? 草史さま」

 バイクのタンデムシート────

 ではなく、草史の後ろに載せられた大きな赤い箱の中から顔を出した女が不思議そうに首を傾げた。



「ねぇ、フラウちゃん。これってもう少し目立たないようにはならんのかね?」


 さっきから道行く人の視線が痛くて仕方ない。

 門前の広場に立つ露店の人達もこちらをガン見である。




「……そう仰られましても、これが神器として正しい姿ですし、神器を置いて旅に出る訳にもいきませんし」


 困ったようなフラウの声に、草史は再びため息をつきたくなる。


 なにを隠そう、草史は元々カブを置いて旅に出るつもりだったのだ。

 如何に丈夫なカブといえど、故障しないとは断言できないし、荷物もフラウのアイテムポーチがあれば持ち運びに困らない。


 それに、まともに舗装されていないこの世界の道は、日本の整備されたアスファルトの道を前提に作られたカブで走破できるとも思えない。



 しかし、カブを置いて旅に出る事は、許されなかったのだ。




 その理由は、時を少し遡る────






 草史とフラウは、武器屋を後にした後すぐに王宮へと戻っていた。


 結局、その日は時間が遅くなってしまった事もあり、そのまま王宮で二泊目の夜を過ごした。


 そしてその翌朝、問題の出来事が起こったのである。




「旅の支度は万全か? 勇者よ」


 初めて会った時のように玉座に深く腰を下ろしたノルディアート王国の国王が、草史に尋ねる。


 草史の隣には、フラウも一緒だ。



「えぇ、いつでも……」

 この世界に来て三日目、早くも自らの置かれた境遇に対応してきた草史は、静かにそう答えた。



「ふむ、では勇者よ。旅立ちに際しこれを受け取って欲しい」


 そんな国王の言葉と共に家臣達が運んできたのは、草史がこの世界に乗り付けた郵便バイクだった。


 しかし、その姿は草史の記憶の中のそれよりも随分と変わっていて、一瞬それが自分のカブだとは理解できなかった。



 正に真紅という言葉がピッタリな赤い車体、眩しいくらいに光を跳ね返すピカピカのメッキパーツ、ハンドルやフェンダーだけでなく、前のかごや、ホイールのスポーク一本に至るまで、すべてが輝いていた。


 その上で、リアボックスに白く輝く「〒」のマークがなんだか神々しい。



 信じられないくらい綺麗になり、10年も前から使い倒されていた車体だなんて微塵も感じさせないカブの姿が、そこにあった。




「え、え~とですね……?」


 あのお世辞にも綺麗とは言えない、むしろ控えめに言っても小汚ないカブをここまで仕上げるのは、相当の苦労と努力があったのだろう。


 しかし、如何に綺麗になれどカブはカブ。


 エンジンから動力を得ているコイツは、ガソリンがなくては走らないのだ。

 カブはサラダ油で走る。なんて話もあったりするが、あれはあくまで潤滑油として使った場合であって、ガソリンの代わりにサラダ油を入れて走る訳ではない。




「非常に申し上げ難いのですが、その、カブは、お城で預かっててもらおうかな? なんて思うんですが────」


 そこまで言った瞬間、寒気のようなものを感じた。

 その正体を探してチラリと辺りを見回すと、まぁなんとも恨めしそうな目をした家臣達と目があった。


 目が合えばどちらからともなく視線を逸らすのが人間という生き物だと思っていたが、あら不思議!


 視線がバチバチに交差したまま離れないではないですか!



 しかもその視線は、こちらから視線を逸らす事も躊躇われるような、とてつもない何かを訴えかけてきているような、そんな視線だった。


 そう、彼らは訴えかけてきているのだ。



 持っていけ。


 ────と。





 その静かな威圧の視線に後ずさりし、冷や汗を流しながら、草史は言葉を紡いだ。



「……や、やっぱり、持っていきます。ありがたく、はい……」




  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  ̄ ̄ ̄ ̄

  ̄ ̄



 斯くして、真っ赤なカブは草史の手元に舞い戻った。


 石畳の街で異彩を放つカブは、草史の下でストトトトッと小気味よいリズムを刻む。



 そのリズムにそっと混ぜるように、草史は小さくため息を吐いた。


 列の長さからして、草史達が検問を受けれるまで、あと数時間は掛かるだろう。



 それまで地域住民の奇異の視線に晒され続けなくてはならないのかと天を仰いだ。


 その瞬間。

 二人の並ぶ列の先で大きな土煙があがった。

 次いで大気を震わせるドンッ! という地響き。



 草史が驚き前を見るのとフラウが叫ぶのが同時だった。

「草史さま! あれ!」


 肩越しに伸びるフラウの手が指し示す方向へと草史が視線を向けると、その先に何かが蠢いているのが見えた。


 土煙のせいでシルエットしか見えないが、間違いなく良いモノではなさそうだ。




「フラウちゃん、あれって……?」


「はい。恐らく、魔物が街へ入り込んだものかと……」


 草史の問いに対し、いつになく冷静に、緊張した面持ちでそう答えるフラウ。

 彼女の緊張が背後から伝わり、草史は固い唾を飲み込んだ。



「助けに行きましょう! 私が先行します!」

 そう告げるが早いか、フラウはカブのリアボックスから飛び出し、駆け出した。





 しかし、草史は迷っていた。



 ────果たして自分は戦えるのか、と。


 この世界に来て、何も知らされない内に勇者になって、世界を守るだなんていうとんどもない使命を背負わされた。


 しかし言ってしまえば、いま草史がいるこの世界は、故郷も家族も友人も何も関係ない、赤の他人よりも更に外側にあるような存在で、それを守れだなんて言われたって簡単には動けない。




 人間だれだって自分が大切で、自分の周りの存在が大切だ。

 逆に言ってしまえば、関わりの無い他人にはえらく無関心で、どうしようもないくらい無責任なのである。



 例えば、ニュースで人が死んだと報道されても、それに涙を流す者はいないだろう。



 草史にとって、この世界は無関係だ。

 この世界に暮らす人々の生活も、文化も、食べ物も、どんな人種がいるのかだって、彼は殆ど何も知らないのだ。


 それなのに、自らの意思とは関係なく突然呼び出されて、守れなんて言われたって、そんなの、無理な話だ。




 前を見れば、フラウが走る背中が遠ざかっていく。


 本気を出せば時速90kmで走れるトンデモ魔法使いな彼女の背中は、迷いなく魔物のいる方へと向かっていた。


 土煙の奥には、何がいるのか解らない。

 今見えているシルエットだって、実は敵の身体の一部で、本体はとんでもなく巨大かもしれない。



 だというのに、フラウは迷いなく走っていく。

 逃げ惑う人の群れに逆らい、たった1人で、立ち向かっていく……。




「えぇい、ちくしょうっ!!」


 関係ないからなんだ。

 知らないからなんだっていうんだ。


 そんなの守らなくていい理由にはならないだろう?



 いま目の前に困ってる人達がいて、その現場に自分という存在がある。

 誰かを助ける理由なんて、それだけで充分じゃないか!




 草史は、チェンジペダルを蹴り下ろし、ギアを一速に入れる。


 その瞬間、ガシャンッという音と共に、武者震いのようにカブの車体が揺れた。

 そして、草史の右手がスロットルを捻った瞬間、カブは勢いよく走り出す。



「どいてくれー! 通るぞー!」

 街の中央へ向け避難する市民達をかわしながら草史はフラウを追いかけた。


 石畳の凹凸で跳ねる車体を抑え込み、両側を囲む人々にぶつからないように注意しながら、草史はカブのアクセルを煽る。



 唸るエンジンが車体を前へ前へと押し出し、揺れるスピードメーターの針はぐんぐん押し上げられていった。




 やがてカブは街へと逃げる人の群れを抜け、視界が開ける。


 広場の先に上がる土煙が、やけに大きく感じられた。




 草史はギアを一段上げ、更にスピードを上げる。


 変速のショックに揺れた車体がサスペンションを軋ませ、石畳の上で暴れるタイヤが力強く地面を蹴った。





 前を走るフラウの背中が、少しづつ近付いてくる。


 そして、あと10メートル程でその背中に追い付こうかという時、彼女は────











 ────コケた。



「えっ?」


 それは一瞬の出来事だった。

 フラウは足元の段差にでも躓いたのか、速度をまったく落とさないまま、片脚をぴんっと伸ばした不格好な跳躍姿勢で宙を舞ったのだ。


 そして、地面に着地する瞬間に身体を丸め込んで受け身────と、いうよりもでんぐり返しのような体勢になって勢いよく地面を転がっていった。



 状況が上手く飲み込めない草史を乗せたカブは、やがて高速でんぐり返しをするフラウを追い抜く。




「ァぁぁぁアァああぁぁぁぁぁァァァァ...」


 そして、叫びとも悲鳴とも形容しがたいフラウのその声は、ドップラー効果で珍妙な音程を伴って後方へと遠ざかっていった。





 さて、どうしたものか?


 草史は、一度考えてみる。



 目の前の土煙の中、すなわち草史が向かっている方向には魔物がいるらしい。

 でも安心! こっちには王様お墨付きの凄腕魔法使いフラウちゃんがいる。


 しかし、その凄腕魔法使いたる彼女は先程大でんぐり返しをしながら後方へ遠ざかってしまった。

 と、いうか置き去りにしてしまった。



 つまり、先陣切って飛び出したフラウちゃんよりも前にいる草史自身が、今は最前線という事に……。





「……やばない?」


 しかし気がつけば右手はスロットル全開、スピードメーターにちらりっと視線を落とすと、その針は60と80の間を示していた。


 時速70km



 乙女とバイクは急には止まれない。





 草史は、改めて前を見る。


 さっきよりもずっと近くに来たせいか、砂煙の向こう側で蠢く敵の姿をシルエットだけではなく、しっかりとした実体のあるモノとして、視界に捉える事ができた。


 青くて透き通った身体、明確な形を持たず流動的に変化する姿、滑らかでどこかぷるっとした質感をもつその正体、それは正しくスライム。


 そう、スライムだ。


 よくRPGなんかでは最初期の敵として登場するアイツだ。




 もしかしたら、倒せるかもしれない。


 そんな浅はかな考えが草史の頭をよぎる。

 しかしその考えを、草史は頭をぶんぶんと振って思考から追い出した。



 たしかに、できなくもないかもしれない。

 でも、それは目の前のスライムがゲームのキャラのように雑魚ポジションで「Lv.1村人」程度でも倒せるような相手だった場合に限る。



 もし、とんでもなく強かったらどうする?

 こっちの世界でのスライムが、草史の知っているゲームの世界で言う地獄の番犬的ポジションだったらとてもじゃないが消し炭にされる自信しかない。



 真っ向から戦うのはやめた方がいいだろう……。




 ならばどうするか?


 いくら魔物と言えど、思考のある生物(?)であれば恐怖や恐れといったものを感じるはずだ。

 それを利用する。



 やり方は至ってシンプル。


 このままカブでスロットル全開のまま突っ込んでやればいい。

 ヘッドライトのパッシングやクラクション、或いは己の声で威嚇してやると尚よいだろう。



 それは向こうからすれば、得体の知れない物が光やら音やら出しながら猛スピードで迫ってくる事になる。


 それに恐怖を感じれば、逃げ出すに違いない。

 熊だってライオンだって恐怖を感じる物に自ら近づいたりはしないのだ。


 スライムだって生き物であるならば同じはず!!





「しゃおらぁーーっ!! どけどけどっけぇーい!! 郵便屋さんが通過しまぁーーす!! 黄色い線の内側までお下がりくださぁーーーーいっ!!」


 作戦がまとまるや否や、草史はよく解らない奇声を上げながらカブを更に加速させた。

 パッシングスイッチとクラクションボタンを連打、連打、連打!!


 そのあまりの奇行に、検問所から飛び出してきた兵士達の視線が集まり、今まさに兵士達に飛びかかろうとしていたスライムが動きを止めた。


 心なしか、こちらを警戒しているように見える。




 よっしゃ! 効いてる!!

 草史は心の中でガッツポーズを決めながら、更にカブを加速させた。


「キエェェェェェェエエエエエェイッ!!!!」


 ついでに、更なる奇声も上げた。




 そして、────











 ────ぷぐちゃぁ!


 嫌な音がした。

 その元は視界の端でスプラッシュする青いスライム。


 高速で走るバイクに轢かれた憐れなスライムは、その衝撃で爆発四散し、その青い身体を飛び散らせた。





 それだけなら、まだよかった。


 スライムとて、生き物である。

 魔物というカテゴリーにおいて、生き物という言葉を当てはめるのが適切かは定かではないが、確かに、生きているのだ。


 つまるところ、生きる為の器官がその体内には備わっているのである。




 四散する青いスライムと共に、草史の目の前に飛んできたもの。


 それすなわち、モツ。




 赤かったり血濡れていたりするわけじゃないが、明らかにそれがモツであるとわかる代物が草史の目の前を舞っていた。


 身体と同じような半透明で、しかしこちらは青ではなく白く濁ったような色で、太陽の光に照らされて、キラキラと輝いていた。


 光に照らされ、何やら液体を撒き散らしながら輝くモツ。

 それはまるで、暗い海を自由自在に泳ぐクリオネのように、美しい光景だった……。





 ……なんて感じられる程、草史はサイコパスではない。




「いぃーやぁあああああああああっ!!」


 寧ろ、草史はそういったグロテスクな物が大嫌いだった。

 血が出る系の映画とか絶対見るのムリ系男子だった。


 そんな彼の顔面に、まるで狙ったかのように張り付いたスライムのモツ。



 頭の中は大パニックッ!

 焦ってしがみついたものだから、バイクのスロットルは全開固定!!


 更に暴れた足がチェンジペダルを蹴り、ギアはめでたくトップギアに入った。




 ギャギャギャギャッ! と、石畳の上で暴れるタイヤが悲鳴をあげ、カブは更にその速度を上げる。


 そして、モツに視界を塞がれたまま、草史は城壁の門をトップスピードで駆け抜け、その外に広がる大草原を貫く一本道を、そのまま走り去っていったのであった。

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