第2話 異世界カルチャーショック



 草史は、窓から射し込む光で目が覚めた。


 いつもは空が明るくなるかどうかの時間、けたたましい目覚まし時計の音に叩き起こされていた彼にとって、それはとても心地よい目覚めだった。


 自然に目が覚めるというのは、こうも心地よいものなのかと思いながら、草史はふかふかのベッドから体を起こす。



「いい朝だなぁ……」

 草史の口から、思わずそんな呟きが漏れた。

 整頓の行き届いた部屋は細かなチリすら見当たらないほど清潔に保たれていて、控えめな色調の家具やカーペットはデザインが統一されていて見ているだけで清々しい気持ちになる。



 窓の外に目を向ければ、そこにはまるで絵画のように美しい青空が広がる。

 まるで異世界に居るような、夢の中にいるような、そんな気分だ。




 実際、異世界にいるのだが……。






「────けど、朝からこんなの見ちゃったら、なんか複雑な気持ちになるねぇ……」

 そう独りごちた草史の目の前には、窓辺で囀ずる小鳥が1羽。


 空と同じ色の綺麗な青い羽根に、可愛らしい黄色の小さなくちばし。

 活字にすれば「ちゅんっ!」と表現されるような元気な鳴き声。


 そして、その愛らしい小さな身体の下には、なんとも雄々しいゴリゴリな健脚が4本。



 ミニドラゴンと言うにはドラゴン感が薄いし、小鳥と呼ぶにはあまりにも逞しい……。

 

 どんな生物なんだ、コイツは?



 草史が異世界特有の謎生物をしみじみと観察し、そのアンバランスさにもはや気持ち悪いなと思い始めた頃、部屋のドアが何者かにノックされた。




「勇者さま、起きていらっしゃいますか? フラウでございます」


 フラウは、昨日出会ったばかりの魔法使いだ。

 魔法があって魔法使いが居るなんて、本当に異世界らしすぎて夢の中にいるような気持ちになる。



「ん? あぁ、起きてるよ」


 寝起きで少しふわふわした頭で答えながら草史はうーんっと背伸びをする。

 すると少しの間をあけて、廊下へと通じる白い観音開きの扉がゆっくりと開いた。



「失礼します」


 そんな言葉と共にフラウは丁寧な仕草で部屋に入ってくると、深々と頭を下げた。 

 

 彼女はこうして見ると、とてもおしとやかな少女にしか見えないが、その真相は生身で時速90kmで走れるトンデモ魔法使いだ。


 この世界の常識ってホントわからねぇ。





「勇者さま。早速ですが、本日は旅の支度を致しましょう!」


 元気ハツラツと可愛い仕草にプライスレスな笑顔まで付けてそう言ってのけるフラウ。

 本当に早速すぎて、寝起きで鈍い草史の思考は完全においてけぼりだ。



「まずはお着替えですね! こちらなどいかがでしょうか?」


 元気ハツラツな笑顔は崩さず、フラウは彼女の身の丈程もある大きく杖を振る。

 一瞬、ブンッ! というなんとも漢らしい風切り音が聞こえたが、そこは突っ込まないのが紳士の務めだろう。



 なんて思っていると────



「ん?」


 なんとなく身体に違和感、その正体を確認しようと腕を上げてみると、そこには分厚い革のグローブが……。


「んん?!」


 そこで気が付いた。

 いつの間にか、服が変わっている!


 さっきまで着ていた着心地満点なシルクの寝間着はどこへやら、碧を基調としたシャツにいかにも職人の手が入ってそうな革のジャケット、そして、鮮烈に目に映る赤いマント姿に早変わりしていた。


 足元もいつの間にかやたらと頑丈そうなブーツになっていて、紺色の伸縮性にすぐれたズボンの腰には剣を挿すであろうぶっといベルト、剣はない。



「お気に召されましたか?」

 可愛い笑顔と共に小首を傾げながらそう訊ねてくるフラウ。





 お気に召すもなにも、この格好────



「まんま勇者じゃねぇかっ!!」


 剣があれば尚更な!

 と、草史は心の中でつっこみを入れる。





 いや、確かに憧れた時期もあったよ?


 ユニク□とか├"ンキでRPGの初期装備みたいな服見付けて意味もなく買ったりもしてたよ?

 大体は寝間着になるか作業着として活躍していたけれども……。


 そんな事もしてたけど、勇者装備カッケーッ! とか思ってた時期もあったけど、ていうか今でも中二くさいとか思いながらもかっこいいと思ってるけれども!!



 だけども、だけどもっ────!!








 ────30手前のおにぃさんに、この格好はきちぃよ……。







「モウ少し、フツウのフクはナイデスカ?」









 ……あ、今の575になってた。





 それからフラウに着せ替え人形の如くいろいろな服を試され────というか、勇者的な装いをさせたいフラウと、勇者的装備郡を何とか回避したい草史とで互いの妥協点を探り合い、草史の旅立つ服装が決まった。


「むう、草史さまは謙虚すぎです! だいたい、勇者にはもっと由緒正しい格好というものが……」


 そう言って不満そうに膨れるフラウの前には、山吹色のシャツに、軽そうな鞣し革のジャケットに身を包んだ草史の姿があった。

 下は足首までしっかり隠れる茶色の麻のズボンと少し底の厚い革の靴で固めている。


 勇者らしい装備といえば、肘から前腕を守るプロテクターと、胸と肩だけの簡素な鎧、そして、ベルトに提げた気持ち程度の短剣だけだ。



 ええんや、こんなもんで。RPGの勇者だって、最初から最強装備てんこ盛りで旅に出る訳じゃないんだから……。

 ただ、彼らと違って草史の場合、勇者の剣なんかを手に入れる日は永遠に訪れないだろうけれど。




 あとついでに、呼び方も変えてもらった。

 勇者様なんて呼ばれ方は、あまりにも歯がゆいというか、なんか恥ずかしいから……。


 本当は呼び捨てで構わないと言ったのだが、結局「さま」を付けるのは最後まで諦めてはくれなかった。


 別に呼び捨てにして貰えた方がより親しくなれた気がするとか、フッとした瞬間にプチ恋人気分を味わえるかもしれないとか、そんな疚しいことを考えいた訳ではないし、呼び捨てにしてくれなくて残念だなんて事は微塵も思っていない。



 断じてっ!!





「さてそれじゃあ、服も決まった事だし、街へ行きますか!」


 相変わらず不満そうなフラウを半ば強制的に連れ出すようにして、草史は部屋の外へと向かった。


 昨日から思っていた事だが、流石は一国の主が住む城とあって、城の中はものすごく広い。

 フラウの案内がなければ、あっという間に迷子のお知らせ待った無しだ。



「あ、そうだ。草史さま、あの"神器"の事ですが────」

 城のエントランスに差し掛かった辺りで、フラウが不意に立ち止まり、草史を振り向いた。


「ん、あぁ、カブか。あれがどうかしたのか?」


 草史は、カブが神器として扱われている事に違和感を覚えながらフラウの言葉を待つ。


「はい! その、かぶ? なのですが、城の者達が、ぜひ手入れをしたいと、どこかへ持っていってしまったのですよね……」


「え、そうなの? まぁ、ありがたいけれど……」


 あのカブは、草史が入社した頃からかれこれ10年近く置いてある一番年季の入った車体だ。

 その分、各部位が砂ぼこりやら汚れのストックヤードになっている訳で、その整備を任せきりにしてしまうのは、なんだか申し訳無い気がする。





 ……。




 古いカブだけに古株!


 なんちゃって!





 破錠した草史の思考は放置して、話を進めよう。



「任せちゃっていいんだよね?」


 表面上まじめそうに振る舞っているが、草史の頭の中には「古いカブで古株」という灼熱の砂漠を永久凍土に変えてしまえるくらいの寒いギャグがぐるぐると回っている。



「はい、問題ないかと……」


 そんな事は露知らず、フラウは真剣な面持ちでそう答えた。




 カブ自体は、ガソリンがなくては走らないし、この世界でガソリンが手に入るとも思えないから、旅に出る時は城に置いていこうかと思っていた。

 だから、置いていく事自体は何ら問題ない。


 しかし、手入れを任せっきりにしてしまうというのは、如何せん申し訳ない気がしてならない……。





「……ま、いっか」


 ────が、いろいろ考えた末、草史の行き着いた答えはそれだった。




 城の前庭を抜け、見上げる程の城壁にぽっかりと口を空けた城門を抜けると、その先には長い階段が街を見下ろしている。

 その階段を下り切れば、いよいよ王都リオンデルグの街の中だ。


「へー、けっこう栄えてるんだな」


 街へ降りて一番に目に入るのは、その大通りの両脇に並んだ露店だ。

 様々な食べ物を扱っているようで、なんとも魅惑的な薫りが2人の鼻をくすぐる。


 更に、人が20人以上横並びになれそうな広い道を囲むように聳える建物には看板が掲げられ、なんとも賑やかだ。



 綺麗な白い石畳を叩く無数の足音に満ちたその景色は、正に王都と呼ぶに相応しい。

 そんな誰もが思い描くような都の姿に、草史が関心していると、フラウが得意気に街の説明を始めた。


「どうです? 草史さま。ここ、リオンデルグはノルディアード王国最大の街で、1日で10万人以上の行商人や旅人が通行していると言われています」


「へぇー、それは凄いな!」



 現代社会────草史が元々いた世界の文明になれていると、街の通行が日に10万人と聞くと少なく感じてしまう。


 しかし、こちらの世界には公共交通機関はおろか、乗り物といえる物が殆どないのだ。

 こういったファンタジーな世界ではお馴染みの馬車は、もちろん在る事にはあるのだが、殆どは行商人達が使う荷馬車か、貴族や金持ち達が使っているものになる。


 街から街へ定期的に出ている馬車もあるようだが、1度に運べる人数はそれほど多くない。



 そんな環境において1日に10万もの人が往来するというのは、けっこう凄いことだと思う。



 ────たぶんね!!




 でもそんな事より、草史には先程から気になっている事が1つあった。



「そういえば、フラウちゃん? オレ、お金もってないんだけど……」


 そう、こちらの世界に来て間もない草史はこちらの通貨を持っていない。

 それどころか、こちらの通貨の名称すら知らない。


 旅装を整えるにも、無一文ではどうしようもない。

 かといってフラウちゃんからお金を借りるなんて、そんな情けない事、絶対にできない。



「あ、その事なら、心配無用です!」

 そう言って、フラウは「思い出した!」とでも言いたげに手のひらをポンッと叩いた。



「"信託の壺"が各所に置かれているはずなので、それを"ブッ壊し"にいきましょう!!」


 そして、うきうきと心底楽しそうにそう言った。




 ……。


 今この子、なんか凄いこと言わなかった?!



 ブッ壊すってなんだ!?

 一体なにをするつもりなんだ、この魔女ッ子は!




 あと、この人混みの中で凶器的に鈍器な形状をしたその杖で素振りをしないでほしい。


 あぶないから!






 草史はただフラウの進むまま、軽くスキップなどしながら実に楽しそうに歩いて行く彼女に着いていく。


 するとどうだろう、いつの間にか大通りを外れ、少し細い道へと入り込んでいるではないか。

 道を囲む建物は先ほどまでの市場のような商店的な造りではなく、レンガ造りのお洒落な住宅のそれになっている。


 市場の喧騒もすっかり遠くなり、辺りの景色は閑静な住宅街といった感じだった。



 相変わらず楽しそうに前を行くフラウは行き先を教えてくれないし、「信託の壺」という物が何なのかも教えてくれない。


 いいかげんこっちから何かアクションを起こそうかと、彼女を呼び止めようと草史が息を吸い込んだ。



 その時────






 ガッシャァアアアアアアンッ!!!



 何かが砕ける派手な音、閑静な住宅街を凍りつかせるその破壊音に、草史の思考は完全に停止した。



 なにを隠そう、その音の正体はフラウが道端に置いてあった陶器の壺を破壊した音なのだ。


 しかも明らかに、当たっちゃったとか、偶然倒しちゃったとか、そんなレベルではなかったのだ。




 ────見事なフルスイングだった。


 魔法の杖が物理攻撃武器として使われているその決定的瞬間を、草史はその目でしっかりと捉えてしまったのだ。



 まずいと思ったのもつかの間、すぐ目の前の扉が勢いよく開き、中から破壊された陶器の持ち主であろうゴッツイおじさんが出てきた。


 オワッタ……。




 こんな、こちらの倍近いガタイのおっさんの壺を破壊してごめんなさいで済むはずがない!


 よくてミンチ、わるけりゃ骨も残らず空に舞う塵になるだろう。



 あぁ、なんとも短い異世界人生だった。


 この世に生を受けて(こちらの世界に転移して)から1日と少し、蝉よりも短い。


 カゲロウのように儚い人生だったなぁ……。




 草史は覚悟を決め、そっと目を閉じた。







「勇者さまだ……」


 しかし、いつまで経っても怒号と拳は飛んでこず、代わりに、どっかで聞いたような単語が聞こえてきた。



「へ?」


 思わず目を開け、目の前の大男の顔を見ると、その顔はどこか嬉しそうに見えた。

 両手をわなわなと震わせながら、ゴッツイ口元が喜びに綻んでいる。



「信託の壺が割れたっ!! みんな、勇者さまがおいでになったぞぉーー!!!!」


 大男が大気を割るような声で叫ぶと、ここから見える窓という窓、扉という扉から人々が一斉に顔を覗かせた。


 そして、一斉にワッと声を上げると各々の家から、先ほど破壊した物と同じ形の壺を抱えてこちらへ走って来た。




「勇者様! これを受け取ってくだせぇ!」


「いいや、こっちが先だ! 勇者様、この壺を!!」


「なにを! 勇者さま、こっちの方が良いもの入ってますぜ!!」



 先程までの静けさが嘘のよう。

 草史達に向かって駆け寄って来る壺を携えた住民達の声で大気が満たされ、我先にと壺を置いてゆく音が喧しく響き渡った。


 かなり乱雑に扱われて割れてしまってもおかしくない気がするが、不思議と割れる壺は1つもない。




 それもその筈だ。


 ────信託の壺とは、特別な魔力を込めて焼き上げられた特殊な壺なのだ。


 壺には食料を始め、薬草、薬、服、道具、便利アイテム、武器、果ては現金までなんでも入れられる。

 一度入れた物は取り出せず、勇者が現れた時、その者に平和への願いと共に贈る物を貯える為に使うのだ。


 ちなみに、壺に入れられた物は時間が止まり、腐ったり劣化する事が無いため、料理を入れたらホカホカのまま出来立てで食べられる。



 その壺を割れるのは勇者か、勇者が同伴者と認めた者のみで、壺の中から出てきた物は、勇者一行が自由に使って良い決まりになっている。

 壺は各家庭にだいたい1つは置かれていて、勇者が現れる日まで、人々は様々な物を日々投入するのだ。


 誰が言い始めたのか知らないが、「壺が割られた家庭には末代まで渡って幸福が訪れるる」なんていう言い伝えもある。



 故に、大男の声を聞いた者が皆、草史の元に壺をもってどんどん集まり、草史とフラウの周りに、何の比喩でもなく足の踏み場がない程に壺が並んでしまった訳である。




「────さぁ、草史さま! ドカンッと1発かましちゃってください!」


 壺の詳細など微塵も知らず、ただただパニックな草史を置き去りに、実に楽しそうなフラウと、壺をおいて遠巻きに────と、いうか狭い道に壺が並びすぎて30メートルくらい先まで追いやられてこちらを見守る住民たち。





「えぇ……」


 しかし、彼の知っている常識とあまりにも違いすぎる異世界の常識に、草史の思考は完全に止まっていた。


 壺を割るどころの騒ぎではない。

 彼の頭のキャパシティーは、完全にオーバーして、思考回路がショートしていた。






「ナニをスレバいいノカ、ワカラナイよ?」


 草史の思考が回復するまでは、かなり時間が掛かりそうだ。

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