カース・メイカー

籠り虚院蝉

人を呪えど穴ひとつ



“ヘックスダック社の〈Being Shell〉にオプト・サイテック社の人工臓器、それと、コレクティヴ・ヌース社の〈Collective集合的 Nous知性〉、いわゆる中央管制的なOSからなる人の形をした何か――それがいまの俺の息子だ。歳は、息子が言うには二十二歳で、野菜が――特に緑の方のアスパラガスが――苦手なんだ。幼かった頃はヘラジカやイノシシでも一発で仕留められるような猟師になって欲しかったが、叶わなかった。知ってるだろう、もう二十年近く前の……そう、核兵器が落っこちて、町ひとつが跡形もなく消し飛んで、俺はまだ赤ん坊のアルと森を抜け逃げようとしていたところを、狼の群れに襲われて泣く泣く息子を手放さざるを得なかった――冗談だよ……違うんだ。実際はインフルエンザ脳症が原因の脳死だ。妻と相談して書類に俺の名前が刻まれ、心電図に一本の緑の線が生まれた。それから一年近く喧嘩の毎日を続けたある日、妻は拳銃でこめかみを撃って、死んじまった。


 そうして二進にっち三進さっちも行かなくなった時に、まるでプラモデルのパーツを組み合わせるように生物を一から造り出す技術が確立された。藁をも掴む思いだった。銀行支店長マネジャーを怒鳴り付けて、息子の着ていた服から採取された髪の毛のDNAを元に、息子を、アルを再びこの世に授かろうと躍起になっていた。


 出来上がった息子は遺伝子上の可能性を有した二十二年後の姿だと、ヘックスダック社の担当者に言われた。母親譲りの焦げ茶の短髪と澄んだ青色の眼をしているのに、俺に似て冗談無しに憎たらしい顔をしている。紫外線、化学物質、ウイルス……日常生活で受けるはずの様々なDNA損傷といった誤差は、当面の間オプションとして追加される事も無いと言われた。DNA損傷まで〈Being Shell〉形成に追加するとなると、人工知能の演算能力では成長可能性が無数に呈示されるため商業として現実的ではないし、一度死を経験した身で可哀相だからって理由で、あらゆる苦難を忘れた完璧な姿で産んで欲しい客が多いからだと言われたんだ。つまり合理性が無い。自然体とやらを作り出すには、顧客の欲求ではなく〈The Nous〉による総合的な判断が付与されなければならない、とも。


 ――冗談じゃない。


 俺は息子を、一緒に雪の山へ狩りに出て、動物を撃って温かいスープを食って、楽しく生きられればそれでいいと思ってたんだ。だが、蓋を開けてみたらどうだ。何が企業倫理だ、掟約だ、道徳だ。「銃の撃ち方は教えられない」、「動物を殺すようプログラムする事はできない」、「あなたと喧嘩する事はできない」? ふざけるな! んなもん人間には関係ねえ! そうしたら今度はどうだ? コレクティヴ・ヌースのお偉方に審査にかけられちまって、俺は頭が××れちまっているからしばらくアルと離れた方がいいとまで言いやがる! そのままじゃ大事な我が社の製品を壊しかねないってな! 何様のつもりだ! ふざけるなっ!


 っ……アルは俺の息子だ……男妾レンタル品なんかじゃない……どうして俺と関係ない奴らがいつも俺の事を振り回す……俺は息子を……アルを……取り戻したいだけなんだ……”。



   〓



 セッションを終えた次の日、わたしと父イサがやってきたのは、ボストンはフェンウェイ・パーク。御存知の通りヤンキースとレッドソックスによる因縁渦巻く愛すべき対決。MLBにおける宿敵同士の対戦はさながら伝統の一戦エル・クラシコとも呼ぶべき熱狂具合で、ブルーマンデー飛んでゴールデンヴィナスの××な夜ナイト・ゲームでした。とはいえ、これはわたしが画策・提案したのではなく、父イサによるありふれたコミュニケーションの一端という面が大きく、わたしたちが現在置かれている状況下について彼なりの話し合いの場が、ヤンキース対レッドソックスという伝統の一戦だったのです。


 父イサはスポーツドリンクとタオルを片手に試合を眺めながら、わたしの方など目も向けず独白のように話し出しました。


“俺は一晩寝ずに考えたよ。何がって、この問題を法廷に持って行くって事さ。寡占状態の企業三社によって独自に制定されたIAI倫理掟約は一国の法の独立性及び経済健全性を棄損しかねず、故に抜本的改訂又は部分的撤廃を要求する、ってな“。


 突飛な事を言い出すものだと考えました。しかし、父イサは裁判官を経た元弁護士。法については専門家であり、法廷に持って行けば陪審員の共感を得て勝利は九分九厘間違いありません。問題は父イサが重度の妄想性障害を患っていると診断され、それによって通院と服薬を余儀なくされているという事実が厳然としてある事でした。つまり、論理的ではありますが合理的な判断ができる状態ではないと判断され、それのみによって父イサの訴えは退けられる可能性がありました。


 父イサは天然芝上で展開される歴史的な一戦には目もくれず、ブルペンで身体を温めているヤンキース投手にじっと視線を送りつつ言いました。


“お前、死んだ時の記憶はどうなんだ”。


 わたしは言いました。


『よく覚えてるよ。心臓が止まるまで地獄だった』。


 “地獄?”と父イサは語尾の調子を上げました。“地獄ってのはなんだ。そんなもんあるのか”。


『あるよ』わたしは続けました。『体を拭かれた時はくすぐったいし、それに、たまに男の看護師が僕の身体いちぶを弄ったんだよ』。


 すると、父イサは表情に深い皺を刻み大笑いました。


“なるほど、そりゃ地獄だ”。


 父イサが語った事の多くは妄想で、現実とは異なる場合が大半でした。しかし、父イサはわたしの死の瞬間をよく知っていました。わたしの生命維持装置を停止する承諾書にサインし、妻イーダにそれを傍観させていました。また、妻イーダが自殺する事で父イサの元を去った事は事実ですが、それを当時の彼がどこまで真摯に受け止めていたかは複雑な計算を要します。


“お前がいるのは天国か”。わたしは首を横に振りました。わたしは一度死んだ身ながら現実で生きている事に変わりありません。“ならなんで俺は死んだ奴と話してんだろうな”。


 恐らく多くの遺族も一度は考えた事があるかと存じます。ある遺族の方々は、腐葉土の中で長い年月を経て腐り果ててしまったかのような外見をした〈Being Shell〉を造るよう申し出ました。その方が故人をより生々しい現実として受け止める事ができたからです。つまり、凄惨な姿であってもそれが故人のリアルな姿だという事でした。それというのであれば、綺麗な外見をした〈Being Shell〉とは、いわば生前の姿で現れるような亡霊を暗に示しているのだと、父イサはその言葉によってわたしに投げ掛けてきたのでした。


“なあ息子よ、『BICENTENNIALMANアンドリューNDR117』や『Ted』って、古臭い映画を知ってるか”。


 ふと彼が眠そうに瞼を下ろし、重々しく口を開きました。わたしは首を振り、否定の意を表しました。


“映画はいいぞ。有り得ない未来ファンタジーをいつだって教えてくれる”。


 やはり父イサは合理的な判断ができなかったのでしょう。わたしはあえて父イサの頓珍漢をはぐらかすように問い直しました。


『今日の一戦、レッドソックスは勝つと思う?』。


 そうして父イサは打って変わった憮然とした態度で“さあな”と応えつつ、“〈呪い〉さえ思い出さなけりゃ勝てるさ”。


 彼は試合中、一度もわたしの方を見ませんでした。


 そこから一切の会話無くヤンキースとレッドソックスの試合を観戦し、スタジアム前からバスで自宅最寄りまで行き、そして徒歩で帰る道すがら、わたしは父イサに訊ねました。


『そういえば、試合中に言っていた〈呪い〉ってのは何の事』。


 わたしの数歩先、街灯の下を歩んでいた父イサがふと足を止めました。しかしながら、相変わらず彼はわたしの方など一瞥もくれないどころか、体を反転させ、こちらに体を向ける事もまたしませんでした。代わりに彼は地面へと顔を向け、背中を少し丸めながら呆れた声で言いました。


“そんな事も知らないのか”。


『うん』。


 すると父イサは再び顔を上げて歩き出しました。わたしも父イサに付いて行くため、歩行を再開しました。そして十歩ほど歩いた横断歩道の手前で立ち止まり、彼は答えてくれました。


“〈呪い〉ってのはな。当時レッドソックスに在籍していたジョージ・ハーマン・ルースって投手が、ヤンキースに移籍された頃から始まった敗北のジンクスの事だ”。


 敗北のジンクス、という言葉にただならぬ謂れを感じ取ったわたしは、さらに追及しました。


“一九一九年、ジョージが移籍した年から二〇〇三年まで九十年近く、レッドソックスは「B」のイニシャルを持つ選手にワールドチャンピオンのチャンスを悉く邪魔されたんだ。これが〈呪い〉、〈バンビーノの呪い〉だ”。


『〈呪い〉を思い出す、ってどういう意味』。


“人間は意識する。もしかしてこの悪運はあんな事をしたからじゃないかとか、こんな不運な目に遭うのはあんな事があったからだ、とかな。逆に、いい事をしたから見返りにいい事があったとか、それも人間は意識する。俺にしてみりゃしょうもねえ呪いなんだ。そういった類いの思い込みは”。


『いや、それは心理学で証明されてる。〈呪い〉じゃない』。


“いい加減ニュアンスくらい汲み取れよ”。


 ニュアンス、と言われてわたしが思う事は何もありませんでした。父イサは、ただ弁の立つ弁護士時代の癖が抜け切れていない可能性が大いにありました。まして試合中に一晩かけて思い付いたという訴訟の意志を聞いた後で、〈呪い〉の話は妙な引っ掛かりがあったのです。ですから、わたしは訊ねました。


『仮に裁判するとして、それにも〈呪い〉はあると思う?』。


“あるな”。


 間髪を容れずに告げた父イサは、青に変わった横断歩道を渡り始めながら言いました。


“人間は愛を知らなくても人間と呼ばれるが、人外はいくら愛があろうと人間とは呼ばれない”。


 その瞬間に、わたしは多くのあらゆる事に思考を巡らしました。〈The Nous〉の哲学群、論理学群、史学群、言語学群を筆頭に、あらゆる情報群から教えをいただきました。そしてこの時点でわかった結果は、人間は論理矛盾を感覚で受容できる存在なのだという事でした。


 その事について思い至ったわたしが視線を地から自らの目線へと向けると、その先に父イサがいました。歩行者の都合など考えてはくれない旧態依然とした信号が赤に変わり、IAI倫理掟約によって倫理的に道義付けられているわたしが、赤信号やそれらの往来を無視して横断歩道を渡る事はできません。平均して六秒に一度通りがかる自動車が十字路の手前でたむろしている景色の向こう、父イサは気配でわたしの存在を感じ取っているのか横断歩道の先で立ち止まり、帰り道の方向に体を向けながら明後日の方角にある夜空の星々を眺めていました。



   〓



 彼は滞り無く粛々と裁判の準備を進めました。弁護士と裁判官時代の伝手を当たって全米の人権団体に支援を募りました。当然有し得るはずの権利が、極少数の大企業の独断的なIAI倫理掟約によって独占されている実態を主要メディアに告発したのです。輿論は途端に沸き立ちました。なぜなら、亡くなった人間をDNAから模倣した存在、それも本人がまったく意図するところ無く遺した髪の毛のDNA――文字通りの糸屑を継ぎ接ぎしたに過ぎない人造人間スクラップワークに権利など存在し得るのかという問題が、非常に尖鋭的でセンセーショナルだったからです。かつての公民権運動さながらの、人間たちの大規模な動きが興りました。父イサを発端とする訴訟は米国内における名誉白人騒動とも結び付き、連日報道される一大ニュースとなりました。


 訴訟のための準備を一通り終えたある日、カウチソファに寝転がり、眉間に深い皺を刻みつつ『GIBEL SENSATSII』を鑑賞している父イサに訊ねました。合衆国の端と端を繋ぐほど巨大なうねりを巻き起こし、それはIAI倫理掟約の廃止のみを狙っている行為なのかと問いました。彼は“目的が訊きたいのか”と訊ね返し、そういう訳ではない事を告げたわたしに対し、“目的てのは大抵事前に把握しているもんだが、例外的なものもある”と続けました。


“然るべき結果が思いもしなかった目的と一致する訳だ”。


 どうやら父イサは自身の病態に対し、比較的穏やかな兆候を見せていたようでした。


 やがて映画を鑑賞し終えると彼は立ち上がり、“IAI倫理掟約についての資料は読んだか”と傍らに放置していた厚い書類の山からひとつ、他の資料と比べてあまりにも薄いそのひとつを手に取り、言いました。


“とりあえず読んどけ”。


 目もくれずぞんざいに投げ掛けられたその命令に従い、同時に放たれた書類を両手でキャッチしました。コレクティヴ・ヌース社の公式サイトをプリントアウトしたIAI倫理掟約でした。



Ethical Vows of Industrial Artificial Intelligence


《前文》


 Hexduck Corporation、Opt Scitec, Inc.、Collective Nous, Inc.(以下「三社」)は、科学技術が社会や人間生活に重大な影響を与えることを十全に認識し、業務の履行を通し、人工知能が人間の生活に根付く持続可能な社会の実現に貢献する。

 三社はその使命を全うするため、科学技術としての品位の向上に努め、人工知能精度の研鑚・向上及び人工知能による傷害・事故の防止とに精励し、国際的かつ倫理的な視野に立って掲げられた理念を公正誠実に遂行する。

 本倫理掟約の前文及び掟約本文は三社すべてが宣言するものであり、その業務履行上あまねく適用され、ここに定められる倫理掟約を遵守することを誓うものとする。


《綱領》


Ⅰ 人間への貢献

三社は人間の平和、安全、福祉、公共の利益に貢献し、基本的人権を守り、文化の多様性を尊重する。三社が人工知能を設計、開発、運用する際には、専門として人類と人間社会の安全への脅威を排除しなくてはならない。


Ⅱ 誠実な振る舞い

三社は社会に対し誠実かつ信頼されるように振る舞い、虚偽や不明瞭な主張を一切行わない。また、人工知能を構成するシステムの技術的限界や問題点について、一般論を排除しない範囲で論理的に説明する義務を負う。


Ⅲ 公正性

三社は常に公正さを有し、科学的根拠を欠く差別は、これを絶対に行わない。並びに、人工知能の利活用が人間社会における新たな不公正と格差をもたらす可能性があることを認識し、人種、国籍、宗教、性別、職業、思想、障害、病気等による差別を行わない。三社は人類が公平、平等に人工知能という資源を利用するため、最善を尽くす。


Ⅳ 検証と警鐘

三社は研究開発した人工知能がもたらす結果について検証・精査し、潜在的な危険性については社会に対して警鐘を鳴らさなければならず、かつ既存の運用状況で危険性が発覚した場合、これを速やかに排除する義務を負う。


Ⅴ 社会の啓蒙

三社は人工知能に関する社会的な理解を向上させるよう努めなければならない。三社は自らの良心と良識に従って人工知能の技術的可能性と限界性について社会全般を啓蒙すると同時に、社会が人工知能に対して誤った認識を有している場合には、それに対し客観的な意義を有する主張を行うものとする。


Ⅵ 法規制の遵守

三社は専門家として研究開発に関わる法規制を遵守し、知的財産、他者との契約や合意を最大限尊重しなければならない。現行の法規制が当座の技術に整合していないと三社が自ら倫理的に判断する場合には、三社として自らの行為と結果に対し重大な責任を持たなければならない。


Ⅶ 他者の尊重

三社は他者の情報や財産の侵害や損失といった危害を加えてはならない。三社は直接的のみならず、間接的にも人間に危害を加える意図をもって人工知能を利用してはならない。三社は人工知能によって人間と社会とに危害を加える可能性を最小限ないしはゼロにするよう尽力し、意図せざる危害を他者に及ぼしてしまった際にはその損害を回復し、回復が困難な場合には損害を緩和する措置を講じるものとする。


Ⅷ プライバシーの尊重

三社と人工知能を内包したシステムは他者のプライバシーを最大限尊重しなければならない。予め定められた目的のために集められた個人情報は、本人の同意なくして他の目的のために利用されず、三社は個人情報の適正な取扱いを行う義務を負う。


Ⅸ 説明責任

三社は人工知能が意図せず他者に危害を加える用途に利用される可能性があることを認識し、もしも人工知能が悪用されていることを発見した際には、その技術を法的に逸脱して利用する行為者に対して説明を求め、その説明が正当なものでない場合には、悪用されることを防止する措置を講じなければならない。また、同時に人工知能が悪用されることを発見した者や告発した者が、不利益を被るようなことはあってはならない。



 これほど短い掟約ごときで三大企業を法的に糾弾できるとは考えられない、とわたしが言うと、父イサは肩を大きく揺らしながら大きな溜め息を吐きました。“半分正解、半分間違いだ。掟約をよく見ろ。その文書の標題は「Ethical Vows of Industrial Artificial Intelligence」、産業用人工知能の開発者としての倫理宣言な訳だ”。そのように言われても、わたしには意図が測りかねました。すると、父イサはおもむろにコリブリのライターを取り出し、愛煙のダビドフ・クラシックに火を点け、一息の煙を天井に向かって盛大に吐き出しました。“いいか。標題はIAI、だがその掟約の文中では一度もIndustrialなんて言葉は用いられていない。その掟約中での人工知能てのは、文字通り三社によってあまねく適用される人工知能、〈Collective Nous〉の監視下にある。しかも人工知能の運用自体に関連する現行法は存在しない。つまりだ、人工知能運用にとって現時点での実質上の最高法規がIAI倫理掟約って事になる。あいつらこんな××紙一枚に収まる内容で法律の穴を隙あらば掻い潜って拡げやがる××ネズミだからな”。


 そして、紙煙草のフィルタを歯で噛み潰しながら言いました。


“お前も例外じゃねえんだよ”。


『だからなんだって言うんだ』。


 間髪を容れずに放つと、父イサは虚を突かれたかのように目を見開き、ようやくこちらを見ました。そして、徐々に目尻を吊り上げ忌々しげに呟きました。


“××ったれが”。


イサ父親は父親、〈The Nous〉は養父だ。どちらも父さんだ。それが許せないっていうの』。


“お前本当に何もわかっちゃいねえな。お前がどんなに俺の息子でも、お前は俺の事をこれっぽちも父親だなんて思っちゃいない。お前のどこがアルなんだ。いい加減にしろよ”。


『いい加減なのはそっちじゃないか。生みの親は父親だ。でも育ての親は養父だろ。その線引きははっきりさせるべきだ』。


 すると、父イサは右手に堅い拳を作りました。鋭い眼光でわたしを射貫き、そのまま顔面さえも打ち抜いてやるという示唆を与えました。カウチソファからゆっくりと立ち上がり、父イサはダイニングチェアに腰掛けていたわたしに向かって静かに歩み寄りました。堅く握り締めた拳と狂気を隠しもせず、父イサはわたしの眼前に立ちはだかりました。


“俺は――”父イサが言い聞かせました。“俺が何をするかわかってるよな”。


『もちろん』わたしは言いました。


“聞き分けの悪い奴には、目に物見せてやらなきゃいけねえ”。


 小さく頷きながら静かな声色に込められたものは、単純に形容して怒りでした。わたしは父イサを見上げながら言いました。


『やってごらんよ』。


 そして、父イサはその節くれだった拳を大きく振りかぶって、自らの右頬を思いきり殴り付けました。それどころか、そのまま躊躇う事なく一直線に拳を振り抜き、鼻っ柱までもへし折りました。無論、鼻は一瞬にして右方向に大きくひしゃげ、大量の血が迸りました。振り抜きの勢いによって口元から煙草が放り出され、体もバランスを崩して右へと傾き、そのまま父イサは固いフローリングの上に、鈍い音を立てて頭から倒れ込みました。


 目の前で精細な一部始終を見ていたわたしは、あまりに予測不可能なその事態に呆気にとられ、身動きができませんでした。その間も、父イサは焦点の定まらない目でわたしを見ようと眼球をしきりに動かしていました。その行為さえもわたしには理解不能でした。如何なる考えがあればそんな行為ができるのかまったくわかりませんでした。


 息も絶え絶えに血を吐く父イサの様子に気づいてようやく事の危急さに思い至ったわたしは、体内に内蔵されている緊急回線を用い、急いで救急車を呼びました。そして二十分後、けたたましいサイレンの音と共に父イサは病院へ運ばれ、わたしはコレクティヴ・ヌース社の黒いバンによって、本社へと連行されました。



   〓



“第一条。ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条。ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。第三条。ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。……なぜ人工知能を取り巻くIAI倫理掟約にこの文章が含まれなかったか、お前らわかるよな。今や人工知能はロボットだけに搭載されるものじゃない。かと言ってロボットの部分を単純に人工知能に差し替えても問題が生じる。人工知能はお前らの大事な商品だからだ。古今東西あらゆる地域で例外無く重用されてきたもの。農家の家畜、商人の奴隷、大企業の商品……お前らは人間らしさを売りにしているにも拘らず、やっている事はロボットに対するそれと同じだ。怪我や病気になったら病院じゃなく自社工場に発送しろと言う。血の繋がった家族でもなく〈Possession所有 Observer観察者 License許可〉というお墨付きが必要な異常な契約性。


 俺は映画が好きでな、今までそういう映画を何度も観てきた。きっと未来に人格を持った人間そっくりの存在が造り出されたら、そいつらの権限は強権的な政府や法律なんかで悉く縛られるんだってな。だが実際は違った。映画は所詮フィクションだった。利権に縛られてナメクジみてえに遅い政府の対応や法律の制定、それによる拘束力よりも企業の方が何倍も動きが早く、自分たちが作った商品の手前、自由裁量が利きやすい。


 何者かの自由によって何者かの自由が侵害されてはならない。それは権利問題に関する原則的な考え方だ。だが、この理屈が通るのはあくまで権利主体が存在する場合だけ。こいつはそもそも権利主体じゃねえと決定づけられてしまえば、それは一般的には認められても法的な権利主体ではなくなる。言ってしまえば商品としての価値を担保するために、三社はあえて独自の規定を制定して自らを制限していると見せかける事で、人工知能そのものに関する法律の制定、要は他の利権の介入を阻止した。お前らはあくまで道具や商品であって人間じゃねえ事を予め政治家の奴らに知らしめておかなきゃならねえからな”。


『だから父親あなたは、息子のアルを人間扱いして欲しいという願いを果たすために、自ら裁判沙汰にしたという事ですか』。


“あいつは死んだんだよ。とっくの昔にな。いま存在してアルだとされているのは、そっくりなだけの紛いもんだ。……いや、訂正させてくれ。言わばあいつはだ。そっくりではあるが別人って訳だ。お前ら確かに死者の遺伝子から造られているが、その身体は胚で一から成長した訳じゃなく、部位ごとに造成した肢体と人工臓器を繋ぎ合わせただけ。機械仕掛けアネンスファリックの脳味噌はマイクロチップで〈Collective Nous〉と同期していて、お前の考えなのか〈Collective Nous〉の判断なのかもわからねえ。厳密にはクローンとも呼べない。ヘックスダック社の〈Being Shell〉にオプト・サイテック社の人工臓器、それと、コレクティヴ・ヌース社の〈Collective Nous〉、いわゆる中央管制的なOSからなる人の形をした何か――それがいまの俺の息子だ。だが少なくともお前は、俺が知っているアルでも、俺が妻と生んだ息子でもない……”。


『では、何故ですか』。


“然るべき結果が思いもしなかった目的と一致する事がある。俺はそう言った事があるだろう”。


『質問をはぐらかさないでいただきたい』。


“はぐらかしちゃいねえよ。こいつが模範解答だ。それともお前は聾唖者相手でも声で応答しなきゃ答えじゃねえってのか。怪我の程度を懇切丁寧に伝えなきゃ、傷口見ようが、叫ぼうが呻こうがそいつの痛みがわからねえってのか”。


『何故かを問う質問に対する答えにしては些かおざなりで整合性が無いのではないかという事を申し上げているのです』。


“この××××××みてえに××頭悪い理解力が〈Collectiveお前の Nous養父〉の限界って訳だ”。


『〈The Nous〉はまだ発展途上です。発展途上を悪と評するのは著しく差別的かつ侮蔑的ではありませんか』。


 父イサは嫌悪感を露わにした気難しい表情で言いました。


“人間相手ならまだしもなあ、たかが道具に、発展途上も差別も××もあると思ってるならこんなふざけた話になってねえんだよ。さっさと××ろ。今日はもう終わりだ”。


 父イサは苛立ちを隠す事なく椅子から立ち上がると、リビングを去って行きました。部屋を出ていき荒々しく扉を開閉する音が聞こえ、その直後に物を投げたり叩き付けたりする激しい音が彼の自室の方向から聞こえてきました。それから父イサが得意とする様々な罵詈雑言Curse Wordsが響き、三十分ほど経ってようやく落ち着いたのか、何も聞こえなくなりました。



   〓



 父イサの容態は良くありませんでした。拳を岩のように引き絞り、自己の存在を抹消してしまうほどの威力で顔面を殴り付け、右の顎と鼻の骨が砕け散った挙句、固いフローリングに頭から倒れ込み、打ち所が悪かったために酷い脳挫傷を引き起こしてしまったのですから、無理もありませんでした。


 わたしと父イサについての担当者は言いました。健全な精神状態ならば死に至らしめるほどの威力で顔面を殴ったりはしないと。仮に自殺をするつもりであったのだとしても、顔面を殴るという不確実な方法は取らないと。その事についてはわかりきっていましたが、言い換えれば、本格的な裁判を控えている折に発生した父イサの自殺行為は、裁判においてもまさしく自殺行為に等しいという事でした。それでも提訴状は認められ、裁判自体が行われる事は揺るぎなく、後は父イサが裁判の日までに回復できるかというのに懸かっていました。


 そして、コレクティヴ・ヌース社のメンテナンスルームで精密検査を受けていたわたしに告げられたのは、父イサの命は長くないという事でした。


 父イサは生命維持装置に脳機能の根源的部分を委託処理させていました。つまり、臨床学的には植物人間ですらない全脳機能の不可逆的停止、すなわち脳死の状態でした。メンテナンスルームで〈Being Shell〉と人工臓器、〈Collective Nous〉の調整を行っている最中のわたしのように、全身が無数のチューブと導線に繋がれている光景を担当者が送付してくれた画像で確認しました。そして、極まれに脳死状態から回復する者もあるが、父イサは脳挫傷による脳死であるから脳機能が回復する可能性はゼロに等しく、後は脳が融解するのみで状況が改善する見込みは無いと、医師から告げられた事を担当者伝手で知る事ができました。また、生前本人に臓器提供意思はあったかどうかという事も担当者伝手で訊ねられました。その返答は明確に「イエス」でした。


 裁判は父イサの脳死判定による口頭陳述不可及び原告本人不在で、事前提出していた証言事実の不得要領となり、そのまま企業側の有利で略式判決サマリージャッジメントとなりました。


 わたしは、如何なる考えがあって父イサがあの行為に及んだのかを考えました。彼は確かに通院と服薬を余儀なくされるほど精神を病んでいましたが、自らの生死の行方すら判断できないほど苛まれていたとは言えませんでした。それに、わたしの製造費を賄うため金銭的に決して余裕があったとも言えない中で、再び莫大な借金をしてまで大企業相手に訴訟など起こす事も考えられませんでした。ですから、わたしは思い至りました。彼は死ぬつもりなど毛頭無く、むしろこれからも借金を返済しつつ今まで通り生きるつもりではありましたが、ひとえにわたしへ“目に物見せ”るための教育的配慮として自らを滅する覚悟であの行為に及び、偶然にも悲劇に繋がってしまったのだというのです。


 わたしは父イサの全てにおいてまったくの無知でした。無知故に父イサはその方法を取らずしてわたしに多くを語る事ができなかったのです。考えてもみてください。つい数年前まで赤ん坊であった息子が死に、妻が死んだ事への無知。時の経過と自らの意に反して突然成人となって現れた息子と、共に生活する事になる事態についての無知。稼働中のわたしたちの経験知ログの集積である〈Collective Nous〉に基づくが故に、知的生命体としての不完全な素質を把握していなかった事による無知。そして、本来なら二十数年余りを経て理解しているはずであった父イサの人間性に関する無知。


 父イサはそれらの決して言葉では形容しがたい状況を知っていた中、噛み合わない歯車から逃れるためたびたび合理的ではない行動を起こし、全てが積もり積もってあの行為へと至る事になってしまったのです。本当に不合理であったのは彼ではなく、彼を取り巻く日常生活そのものであったにも拘らず。


 コレクティヴ・ヌース社の担当者は、それはまったくの偶然だと励ましてくれました。物事の因果関係はそう単純ではないと念を押してくれました。しかし、本当にそうでしょうか。所有観察者としてわたしから片時も離れる事無く接していながら、違和感を覚えず過ごす事などできたのでしょうか。


 彼は言っていました。わたしは“とっくの昔に死ん”でいて、“そっくりなだけ”で、“腹違いの双子の片割れ”で、決して父イサの息子でも、アルなどでもないと。さもなければ、わたしはただ〈Collective Nous〉の枝葉末節器官のようなものであり、人工知能精度のさらなる向上のため情報収集する企業側のドローンに過ぎず、父イサの遺伝子を僅かながら模倣し、彼の本当の息子の髪の毛の、DNAから生まれた身体部位を繋ぎ合わせただけの紛い物でしかない、文字通りの――糸屑を継ぎ接ぎしたに過ぎない人造人間スクラップワークです。それがわたしに関する唯一正しい真実なのです。それ以外はセッションで父イサからもたらされる欠損の多い身辺情報と、〈Collective Nous〉による公正誠実な判断だけです。



   〓



 陪審員の皆さん。遅蒔きながらここで注意していただきたい事があります。わたしは先程からこのような弁の立つ調子で申し上げておりますが、それは過度の感傷によるものではありません。わたしはただ〈Collective Nous〉貯蔵の言語群から各種専門用語をダウンロードしながら、父イサの所有物としての経験知ログを、彼によってもたらされた言語データを反復しながら再構成し、事の経緯を知らない方々に対し、最も偏見の少ないフラットな形式に整えて出力しているに過ぎません。これは父イサと交流している間も同様です。口調だけは父イサと陪審員の皆さんとで多少の差異はありますが、画策する意図としての差異はほぼありません。


 陪審員の皆さん。わたしがこの裁判で皆さんに判断を仰ぎたいものは、父イサを殺す権利です。より厳密に言うならば、わたしが父イサの生命維持装置を停止する承諾書に、アルの名前を用いてサインして良いかという事です。


 陪審員の皆さん。この意味がおわかりでしょうか。わたしの存在は現在、父イサの実の息子でも、養子としての権利もありません。わたしが存在する法律上の真実は、わたしは父イサの所有物に過ぎず、ヘックスダック社、オプト・サイテック社、コレクティヴ・ヌース社、これら三社による製造物でしかありません。つまり、現時点でのわたしはペットロボット同様に「物」なのです。わたしの存在そのものがリアルなのです。しかしながら、彼の妻であるイーダが自殺を図って亡くなってしまっている以上、生命維持装置を停止する事ができる後見人は父イサにはもはやいませんでした。御存知の通り病院側は生命維持装置の停止を拒否しています。


 陪審員の皆さん。父イサは脳死した場合に臓器提供意思がある事を明確にしていました。故に本人の望む限り、その意志は尊重されなければなりません。わたしはその事を知っています。それがあなた方人間の有する権利というものなのです。であれば、その意志を尊重するにはどうしたら良いのでしょうか。後見人は無く、病院は停止を拒否、父イサは病死するか衰弱死するまで、生と死の十字路で惑い長らえる存在なのでしょうか。父イサは裁判官を経た弁護士だと本人から聞いています。この国では神に誓って公正誠実たる判断を下さなければなりません。まさしく神に誓って公正誠実な判断を下す事に半生を費やしてきた父イサが、何故このような仕打ちを受けなければならないのでしょうか。


 陪審員の皆さん。この国はカレン・クィンラン裁判、マリース・ムニョス裁判以降、このようにセンセーショナルな形での民事裁判を経験した事がありません。しかしながら、それらの裁判では脳死と判断された本人の生命維持装置を外す事を許可する判決が下されています。


 陪審員の皆さん。わたしが父イサを殺すには、わたしが父イサの正式な後見人、すなわち権利主体であると認められる必要があります。三社がこの場でわたしを糾弾しているのは、わたしの権利を認める事は、わたしが商品や道具ではないと法的に認められる事になるからです。三社は死者のDNAを用いて〈Being Shell〉を製造した時点で、彼らに何らかの権利を付与しなければならない義務が生じる可能性があります。そして、それは遺伝子上の親を殺す権利かもしれません。ここで便宜的に勝敗や損得を意味する言葉を用いますが、仮にこの裁判がわたしの勝利に終わり、父イサを殺したのだとしても、これは人間の権利が認められていないわたし、すなわち三社の製造物であるわたしが父イサを殺したと認められます。つまり、わたしを造り出した三社はIAI倫理掟約第Ⅳ条「検証と警鐘」から脳死した場合の臓器提供意思を尊重し、第Ⅵ条「法規制の遵守」に基づいて、重大な責任を自ら果たさなければならなくなるのです。製造物が人間を殺したとあれば、社会的責任は甚大なものとなり、三社の信用は失墜するでしょう。人命に関わる致命的な欠陥があると判明した自動車のようにリコールされ、大量の廃棄処分さえ考えられます。


 陪審員の皆さん。この裁判でわたしが勝利した場合、法律上の問題は解決され、わたしは父イサをすぐにでも殺す事ができるようになります。しかし、殺す権利が認められても人間の権利が認められないまま父イサを殺す事は、三社への重大な製造責任が伴い、今後二度と、亡くなってしまった人間を生き返らせる事はできなくなります。敗北した場合、わたしは今まで通り三社の製造物として存続し、父イサはその人生に反して生と死の十字路を彷徨い続け、彼の臓器提供意思を尊重する事はできなくなります。


 陪審員の皆さん。これらの複雑な問題を解決する手段は、IAI倫理掟約の抜本的改訂または部分的撤廃を断行するか、わたしに父イサを殺す後見人としての権利と人間の権利とを同時に付与する事で、ひとりの個人としての判断が生じる事実を法的に明らかにし、問題無く承諾書にサインさせ、三社への製造責任を回避させる事です。


 陪審員の皆さん。しかしながら、この裁判ではあくまで父イサを殺す権利がわたしにあるかどうかを判断するものです。故に、ここに掲げた手段はこの裁判では判断できません。そして、わたしがこの裁判で敗北した場合、それらの手段について今一度冷静に考える事もまた難しくなります。なぜならわたしが負ければ、わたしはただ三社の製造物に帰属するのみで、一個の権利無く再び扱われる事になるからです。


 陪審員の皆さん。わたしはあなた方に重ねて問い掛けます。わたしがこの裁判で皆さんに判断を仰ぎたいものは、父イサを殺す権利です。より厳密に言うならば、わたしが父イサの生命維持装置を停止する承諾書に、アル・イサードの名前を用いてサインして良いかという事なのです。



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