第25話 始まらぬ旅路の果てにアルケイド・クランキルトは哭く。

 私たちは丘を降りて村への帰り道を進みます。夜道は暗いけど、二人で手を繋げば怖いものなんて少しもありません。道なりに進んでいると、村の方から明かりが近づいて来ます。誰かと思えば、それは例の松明を持ったデュミオスでした。きっと私たちが心配になって迎えに来てしまったに違いありません。

「あっ!デュミオス!」

「先生!」

「……二人とも、決心はついたのかい?」

 デュミオスが微笑みます。まるで今日の出来事を全部知っているかのような顔です。それも当然でしょう。デュミオスはクレスティアさんととても仲が良かったので、きっと私達よりも先にいろんな事を聞いていたに違いありません。 やっぱり大人はずるいです。

「……先生。全部知ってたんだな。」

「もちろん。なにせ僕は元・王室直属の薬師だからね。王室でのいざこざも、誰にどんな毒を与えたのかも。……この頭がしっかりと記憶しているよ。」

「え……?」

 

 デュミオスが平然と言い放った言葉の一つを、私は理解することが出来ませんでした。「毒を与えた」だなんて、そんな恐ろしい言葉をデュミオスの口から聞いたのはこれが初めてです。何もかも初めて知る事だから、何もかもぜんぜん分かりません。

「ちょっと待てよ先生…。王室って……、毒を与えたって何の話だよ……?」

「さあ?何の話だろうね。」

 デュミオスは青く輝く短剣を振りかざし、一瞬の間に泡の魔術を発動します。動揺していた私は成す術もなく泡の中に閉じ込められてしまいました。

「デュミオス…!?どうして…!?」

「……。」

 デュミオスは私の問いに何も答えてくれません。無言のまま短剣の先をアルケイド君に向けます。投げ捨てた松明は足元の草むらを焦がし、立ち上がる炎がお互いの素顔を照らします。

「せ、先生…!いきなり何してんだよ!!」

「……アルケイド。まだ分からないのかい?」

 デュミオスが素早い動きでアルケイド君に接近します。手に握られた短剣は、間違いなくアルケイド君の命を狙っています。


「分かんねえよ!!……分かりたくもねえよ!!」

 アルケイド君は背負っていた王家の剣を引き抜き、デュミオスの短剣を間一髪で受け止めます。けれどアルケイド君の重い剣ではデュミオスの素早い動きについていく事が出来ません。仮に出来たとしても、デュミオスに攻撃なんて出来るはずがありません。していいはずがありません。


「……アルケイド。勘のいい君ならもうとっくに気付いてるはずだよ。…僕たちがこの村で出会ったのは偶然なんかじゃない。全ては予め仕組まれていた事なんだ。」

 デュミオスの短剣が何度も何度もアルケイド君の命を狙います。かわしてもかわしても、はじいてもはじいても。デュミオスは攻撃する手を止めません。時が経つにつれて、二人の周囲はどんどん炎に覆われていきます。


「……僕はある時、魔王の命に逆らって本来殺すはずだった二人の王族を見逃してしまった。…今思えばあれは僕に残されたほんの少しの善意だったのかもしれないし、単なる偽善。あるいはちょっとした興味本位だったのかもしれない。」

 デュミオスの放つ無数の泡がアルケイド君の視界を遮ります。叩き切ろうとしても泡はぶよんぶよんと弾んでしまい、一つたりとも割ることが出来ません。


「……理由がどうであれ失態は失態だ。発覚すれば僕は間違いなく罰せられただろう。けれど偽善者の僕はどうしても二人を始末する事が出来なかった。……だから決めたんだ。君とクレスティアが平凡な村人として生き続ける限り、僕は二人の安寧を影から見守り続けよう。…って。」


「何だよ………。それ。」

 二人は距離を取り合い、互いの武器を正面に構えます。少しの怪我もしていないデュミオスに対して、ずっと守りに徹してきたアルケイド君は全身のあちこちに切り傷とかすり傷が出来ています。私は二人の悲しい戦いが今すぐにでも終わってくれる事を祈りました。…けれど、運命の神は私のちっぽけな祈りを受け入れてはくれませんでした。


「………アルケイド。君が魔王になる決心を抱かなければ。平凡な村人として生きる人生を受け入れさえすれば。僕は君の前に立ちはだかる事も、君の始末を考える事も無かっただろうね。」

 デュミオスは言います。そして目を瞑り、アルケイド君に聞きます。……「旅を諦める気は無いか?」と。……けれどアルケイド君は頷きもせず、武器を収める様子もありません。


「……俺に、母さんの願いを諦めろって言うのかよ。」

「願いではないさ。……叶うはずもない愚かな願い。あれは単なる呪いだよ。」


「………。」

 アルケイド君の武器を握る両手が。腕が。肩が。小刻みに震えています。……怯えではありません。悲しみでもありません。それ以外の感情がアルケイド君の内側で爆発寸前の状態を留めています。

「さあ来たまえアルケイド。僕は不死身だ。」


 そして、最悪の時間は訪れました。


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 攻撃を凌ぐ度に、溢れ出る感情が俺の心を渦巻いた。浮かんで浮かんで、浮かんで潰れて。積もりに積もった行き場の無い感情が俺の心を揺さぶり続ける。

 どうすればいい?

 心を決めなくてはならない。

 立ち止まるか、進み続けるかを決めるのは。俺自身だから。


「……先生。…いいやデュミオス。」

 俺は剣を構え、目の前の恩人にありったけの決意を手向ける。目は逸らさない。少しでも迷えばそれが命取りになる。


「そう。それでいい。」

 始まりの合図もなく、予備動作のない一撃が俺の眼中を通過する。……見えない。けれども攻撃が来る事だけは分かる。分かるから躱せる。躱せるから攻撃が出来る。

「…いい反応だ。」

 剣を振り、刃を反せば相手は退く。短剣の間合いは短くて、泡の魔術も直接的な攻撃にはならない。有利な間合いから攻め続ければ、それだけこちらが優勢になる。

「……。」

 しかし、いくら優勢に転じてもデュミオスの防御にスキは生じない。それどころか攻めれば攻めるほど、こちらが引くには引けない状況に追いやられていく。

「くそっ……!!」

 手を休める訳にはいかない。この優勢が少しでも覆れば、デュミオスは百通りの方法で一人の俺を殺しに来るだろう。それら全てを防ぐ手段は、きっと今の俺には無い。

 だったら勝負を決めるのは今、この一瞬。


「……違う。」

「なんでっ…!!」

 当たらない。

 どれだけ決意を込めた一撃も、デュミオスの前では空振りに終わる。躱されたのではなく、まるで剣そのものが決意に背くようにして剣筋を違えてしまう。

 迷いは既に切り捨てたはずなのに。


「…アルケイド。戦う決心と、人を殺す決心は違うよ。」

「……!」

 間合いが飛び、俺の心臓に短剣の刃先が向く。ほんの一瞬の出来事だ。振り下ろしたばかりの剣では防御が間に合わない。

 攻勢が翻る。勝ち筋が消えてしまう。


 負ける。

 たった一つの決心の差が、俺を殺す。


 人を殺す決心のない少年は。人を殺せずここで死ぬ。



 ……そんなの嫌だ。


「そんなの嫌だよ!!!デュミオス!!!」

 泡の内側から、私は何度もデュミオスの名前を叫びました。「こんなのもうやめよう」と叫びました。「やめて仲直りしよう」と叫びました。けれども、私の声は泡の外には届きませんでした。

 どうすればいい?どうすればアルケイド君を救える?……私は必死になって考えました。泡は地面から浮いているので、地面に触れて土の槍を生やすことは出来ませんし、剣の雨では二人を無差別に巻き込んでしまいます。

「………。」

 あるいは、何もしないという選択肢もあります。何もしない選択肢も、もしかしたら良い結末につながるかもしれません。たとえば、この戦いが引き分けに終わって、二人が和解する結末だってあるかもしれません。

「…………そうだ。」

 私は自分のちっぽけな手のひらを見て、自分に出来る最後の方法を思いつきました。この方法が絶対に成功するとは限りませんし、他にもっといい方法があるかもしれません。けれど、何も出来ずに後悔するくらいなら、これをやり遂げて後悔した方が何倍もマシです。

 溢れる涙はまだ止まらないけれど、…心はもう、決まりました。



「デュミオス……!!!今度は私が相手だ!!」

 目前に迫るデュミオスの攻撃が、止んだ。声の正体は魔力の泡に包まれていたはずのエリーだった。

「エリー……?」

「……。」

 彼女はデュミオスの背後に立ち、震える手で白銀の剣を握っている。…間違いない。あれは森で見た魔術の剣だ。きっとあれで泡を割ったんだ。でも……!


「……エリー。まさか君が僕と戦う意思を見せてくれるなんてね。驚いたよ。」

「………。」

 デュミオスが微笑む。だがエリーは返事をしない。彼女は震える手を抑え、剣を正面に構えてじっと攻撃の機会を伺っている。……そんなの嫌だ。君に剣は相応しくない。そんな場所に立って、その人に剣先を向けてほしくない。

「……!?ダメだエリー!!君は戦っちゃ…ダメだ!!」

「嫌だ。」

 エリーは俺の言葉を聞き入れようとせず、意地でもデュミオスと戦う姿勢を崩さない。

「どうしてだよ…!!育ての親と戦うなんて…そんなの嫌だろ!!!」

「嫌だよ。嫌だけど……こうするしかないんだよ。」


 エリーは叫んだ。自分がデュミオスを食い止めている間に、出来るだけ遠くへ逃げてほしいと。


 エリーは謝った。一緒に旅をするという約束は、もう叶えられないと。

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