第95話 愛嬌のかけらもない獣耳姉妹。

 当たり前の事だが、魔術を行使するにも法律上の縛りがある。それが魔法だ。

魔術師たちは魔法を厳守して正しく魔術を扱わなくてはならない。


 魔法の代表的な例に、【アスカロンの戒め】と呼ばれる三大原則がある。


 一つ。魔道具を用いない魔術の禁止。

これはあらかじめ形式化された魔術のみを詠唱させる事で、自身の魔力を超過した無茶な詠唱や、術式の間違いによる魔力の暴走。そして一番重要な軍事転用を抑止するという目的がある。ちなみにエミリア教授の用意した円陣も魔道具の一つだ。


 二つ。第五次魔術フィフスフィア以外の魔術の禁止。

これは第五次魔術によって6つに分類された魔力属性をこれ以上細分化させない為の決まりだ。魔力属性が増えればその分だけ専用魔道具の種類も増え、いろいろと無駄な部分が出てしまう。せっかく大きな分類があるのだからそれに従えという事だ。ちなみに第四次魔術フォースフィアにおける魔力属性は8種類。時代が経つにつれ徐々に統合されている。


 三つ。所持資格外の魔道具利用の禁止。

これも当然の決まりだ。上級魔術が扱えるのは上級魔術師だけ。俺のような素人が火炎放射の魔術を詠唱したらどうなる。今度は実験室半焼どころじゃ済まないぞ。


「あー、うん。という訳で私の話は以上だ。」

 と、魔術師たる者の心得と、魔法の大三原則を聞かされたあたりで学部長からの話は終わる。続いて他の教職員から履修登録や学生寮などの説明を受けるが、こちらは配布された資料にも書かれている内容だ。

「あ~終わった終わった…。」

「昼飯食いに行こうぜー。」

 ガイダンスが終わり、新入生一同が学科ごと順番に退出していく。

 『総合魔術学科』。

 『魔道具デザイン学科』。

 そして俺たちの入った『実践魔術研究学科』。

 実践魔術。実際に使う魔術を研究する学科なだけあって、周りを見るといかにも魔術が出来そうな奴らがちらほらいる。


「おい。」

「ん…?」

 突然知らない奴に話しかけられた。茶色いショートウルフヘアの犬耳亜人の少年だ。亜人なんてテオスじゃ滅多にお目にかかれないので、やはり耳や尻尾が気になってしまう。

「お前だろ。オープンキャンパスの時に実験室を半焼させた奴。」

「……!?」

 彼の言葉に俺は動揺した。なぜ初対面のはずのコイツがそんな事を知ってるんだ?教授はあの一件を公にしないと言っていたのに…。

「オイオイオイ。」

「まじかよアイツ。」

「ほう、半焼ですか。大したものですね。」

 辺りがざわつき始める。周囲の目線が俺に集中する。……なんだか逆に清々しい。俺は目立ちたくて演劇部に入った中学の頃を思い出した。


「はっ…?な、何でその事知ってんだ?」

「フオッターで知り合いからこの写真をもらった。」

 と、犬耳亜人が俺にスマホの画面を見せつける。写真には天井の焦げた実験室と…教授に謝る俺の背中が鮮明に写されている。


 おい。誰だよこの写真撮ったの。お前の知り合いって誰だよ。……ハチスかよ。


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「ぶっはははっ!それ俺の撮った写真じゃんかよ!!」

 ざわつく観衆を押しのけ、横に割って入るハチス。…こいつあっさりと認めやがった。

「何だと…?まさかお前、セロリなのか?」

 それを聞いた犬耳が尻尾をピンと立てて反応する。セロリってのはハチスが普段使うハンドルネームだ。何故セロリなのかは本人すらも知らない謎だ。

「ほうほう……そういうオマエは銀狼だな!?」

 ハチスも犬耳をハンドルネームらしき名前で呼ぶ。お前ら知り合いだったのかよ。


「いやー悪い悪い。半年前の事だからすっかり忘れてたぜ。」

「お前なぁ……。」

 どうにか騒ぎを鎮め、人影の少ない場所へ移動した俺たち。ハチスの言い分をまとめると今から半年前、なんとなく盗撮したあの写真をなんとなく同じ大学を目指す知り合いに送ったのが事の原因らしい。しかも送った本人は今日までその事を完全に忘れていた。……なんかもう、怒る気にもなれない。むしろ怒るだけ無駄だ。どうせ何言ってもこいつは反省しないだろう。


「すまん。僕はただ、お前の実力を確かめたくて…。」

 一方、尻尾を下げて正直に反省する犬耳。勘違いされているようだが、半焼事件は俺の才能や実力とはあまり関係がない。何十年も使わずにいた魔力が一気に放出された結果、ああいう暴走が起きただけだ。


「気にするなよ。おかげで入学早々目立てたし。」

 落ち込む犬耳を宥め、俺はポジティブに振る舞う。そもそもの元凶はハチスだ。おかげで入学早々かなり目立ってしまった。他の血気盛んな新入生達に目を付けられていないといいが……。


「そうそう、あなたの名前は?……えーと、銀狼?」

 ネギシが犬耳に冗談半分に尋ねる。

「銀狼…ではない。本名はフウタロウ。…ミヤモトフウタロウだ。」

 犬耳が答える。

「フウタロウ…!やばい!すごい…!」

 ネギシが喜ぶ。妙にテンションが上がっている。何がやばいのか、何がすごいのかは考えなくてもなんとなく分かる。なんせネギシは無類の犬好きだから。

「…すごくはない。少しばかり風術に適正があるだけだ。」

 ほら、本人も凄くないと言っている。というか反応が真面目すぎる。そこは無難に突っ込みを入れるトコだろ。


「フーカぁーーーッ!!」

「……!」

 誰かが誰かの名前を呼ぶ声が聞こえる。その声に気付いたフウタロウは一目散にこの場から走り去る。

「どうしたんだいきなり!?」

「…すまん。また後で。」

 俺たちは走り去るフウタロウを呼び止めようとする。が、フウタロウは両足に魔力の疾風を纏い、あっという間に姿を消してしまった。

「……アイツどっか行っちまったなぁ。」

「ネギシもな。」

 ぼそりとつぶやくハチス。何も言わず全力疾走でフウタロウを追いかけるネギシ。そしてネギシの全力疾走フォームを見送る俺。少し遠くを見上げると、イービストルムの大きな正面門がここからでもよく見える。

 きっと、これから毎日あの門を見上げる事になるんだろうな。


「おいそこのテメエラぁ!!」

 ぼーっと正面門を眺めていると、フウタロウと入れ違うようにして今度は黄色い毛色のボサボサ長髪ヘアの犬耳亜人が駆けつけてきた。荒い口調だが女性だ。着崩した制服は俺達と同じ色なので、彼女もまた新入生なのだろう。

 まためんどくさい事に巻き込まれるんだろうな。と、俺は察した。


 ……ハチスはまんざらでもないようだが。



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 入り組んだ学部棟の群れをひたすら走る。走る。走る。どこまで走ろうなんて考えちゃいない。そもそも考える暇がない。分岐路があればとにかく曲がり。また曲がり。ひたすら走り続ける。走らないと最悪死ぬ。良くて半殺しだ。


「おうおうおう逃げんじゃねえ!!」

 いや、無理。そんな気迫で迫られたら誰だって逃げる。あのハチスだって逃げてるし。

 …今更だが、俺は逃げ出した事をかなり後悔している。いくら逃げても彼女は依然変わらぬスピードで追いかけてくるし、貧弱な俺のスタミナはもうじき限界だ。逃げきれないのなら最初から逃げなければ良かった。


「……ハチス!お前…何か…!恨まれるような、事…!してないか!?」

 俺は荒い呼吸の合間にハチスに尋ねる。厄介ごとの原因はいつもコイツだからだ。

「ねーよそんなもん!そーゆーお前はどうなんだよ!!お前の第一印象は実験室炎上させたやべーやつだろ!!!」

「またアレ関連の因縁かよ…!!あれはただの事故だ!!」

 そうこう話しているうちにT字の分かれ道にたどり着く。この際だから俺たちはどっちが追われる原因なのかを確かめる為に二手に分かれる事にした。

「いいかハチス…!俺は右へ行く!お前は左へ走れ!!」

「いや逆だ!!俺が右!!!」

「はぁ…!!?お前いま左側に居んだろ!!右曲がったら俺にぶつかるだろアホ!!!」

「違うんだよアルクぅ…!!右にはなぁ…!!右に行けばなぁ……!!!」


「エミリア教授の実験室が近いだろうが……!!!!」


 いや、会えるとは限らないよね。


 結局、ハチスと一緒に右折したせいで二手に分かれる作戦は失敗してしまった。それだけで済むならまだ良かったものの、あてもなく走り続けた俺たちはとうとう廊下の突き当たりまで追い詰められてしまった。


「……おい!よくも散々逃げ回ってくれたじゃねえか…。」

 腕を組み、堂々とした態度で俺たちとの距離を詰めてくる犬耳の女。電気を帯びた長髪と両腕はバチバチと音を発している。あれは雷術だ。魔道具はおそらく腕のブレスレットだろう。

「そんじゃ俺帰るから。じゃあなお二人さん。」

 いかにも無関係のふりをして彼女の横を素通りしようとするハチス。

「逃げんな!!テメエラ二人に用があんの!!」

 黄色犬耳は組んだ腕を解き、ハチスの目の前の壁にバン!と稲妻を放つ。

「ヒッ…。そ、そりゃ追われたら逃げるだろ普通……。」

「逃げるから追うんだろが!アホ!!」

 黒焦げの壁にビビりながら後退するハチス。犬耳は向き直り、脅し半分に尋ねる。

「んなことよりテメエラ…!!うちのフーカに何しやがった!!答えによっちゃあ……!」

「待て待て!!フーカって誰だよ!?」

「は…?」

 フーカなんて奴は知らない。俺がそう答えると、彼女はため息をついて教えてくれた。

「……テメエラと一緒に話してた茶色の犬耳だよ。フウタロウって名乗るけどな、オレの大事な姉妹さ。」

「姉妹って……。」


 俺は考えた。俺の記憶が正しければフウタロウ……もといフーカは男子の制服を着ていたはず。…男装なのか?男装女子なのかフーカは?

「チッ……!フーカのかわいさに気付けねえとかテメエラは男失格だな。」

 俺たちがフーカの男装に気付けなかったと知るや否や、哀れみと傲慢に満ちた顔で唐突にフーカのかわいさを自慢し始める黄色の犬耳。語りは尻尾のふさふさ感から始まり、頼んでもいないのに足の先から耳の先の仕草まで丁寧にかわいさポイントを解説していく。そして最後を締めくくる問題発言。


「いいかよく聞け!!フーカをフカフカしていいのはオレだけだ!!」

 あの時フーカが一目散に逃げ出した理由が分かった。

 間違いない。コイツのせいだ。

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