第4話 荒療治

「変に思い詰めて自殺されても困るし、取り敢えずその日は話を聞くだけ聞いて何とか落ち着かせて、次の日に浩一を呼び出して、そこに清香を連れて出向いたんだ。その日に俺も家に帰ったから、親父と香澄さんには、随分不審がられたがな」

「清香ちゃん? どうして?」

「今思えば、浩一のあんな状態を目の当たりにして、俺も普通の精神状態じゃなかったんだな。成人女性が無理なら子供はどうか試してやろうって事でな。それで浩一が幼女趣味に走ったら、それはそれでかなり問題だったんだが」

 それを聞いた真澄は無言で頭を上げ、手で涙を拭ってから真顔で清人に問いかけた。


「……ひょっとして、今、笑うところだったの?」

 困惑を露わにしたその表情に、清人は些か気まずそうに真澄から視線を逸らした。


「いや……、別に笑わなくてもいい。それだけ俺も当時、切羽詰まってたって事だけ、分かって貰えれば。それで駅で浩一と合流して遊びに出掛けようとしたら、清香が不思議そうに浩一を見上げて『どうして手を繋がないの?』と言ったんだ」

 それを聞いた真澄は、納得して頷く。


「そうね、清香ちゃんにしてみれば不思議だったでしょうね。皆で集まると誰が清香ちゃんと手を繋ぐかで毎回揉めていて、浩一も例に漏れず、皆と張り合ってたし」

「やっぱり浩一は、清香でも触れるのはきつかったらしくてな。『ごめんね、清香ちゃん。俺、ちょっと今手を繋げないんだ』と泣きそうな笑顔で説明したんだ。そうしたら清香の奴、勘違いして……」

 そこで額を押さえて深い溜め息を吐いた清人を見て、真澄は怪訝そうに尋ねた。


「どうしたの?」

「それが……、『うん、分かった。手が痛くて握れないのね? じゃあ清香が掴んであげる!』って、満面の笑みで浩一の右手を、両手でがっちり握り込みやがったんだ」

「え? まさか浩一が反射的に、子供の清香ちゃんを殴ったなんて事は無かったでしょうね!?」

 瞬時に顔色を変えた真澄を落ち着かせるように、清人は事の次第を説明した。


「握られた瞬間真っ青になって、浩一は反射的に左手を清香の肩にかけて、右手を強引に引き抜きざま殴る体勢になった。もう俺も反射的に『浩一! 清香に傷を付けたらボコるぞ!!』と叫んだら不自然に固まってバランスを崩した挙げ句、腕を引っ張られて前のめりになった清香を抱き止める形で、仰向けに倒れ込んだんだ」

「……それで、どうなったの?」

 そこで再び溜め息を吐いた清人に、真澄が恐る恐るといった感じでその結末を尋ねると、清人は苦笑いの表情でそれを告げた。


「浩一の上になった清香が、馬乗り状態のまま驚いた顔で浩一の顔をペチペチ叩いて、『浩一お兄ちゃん、どうしたの? 大丈夫?』って声をかけた。もうフォローのしようも無くて生きた心地がしないまま黙って見てたら、浩一が手を伸ばして清香の頭を撫でながら『ああ、やっぱり清香ちゃんには、嫌われたくないな』って泣き笑いの表情で言って、何事も無かったかのように立ち上がった。それから一日中、顔色が相当悪かったが、ずっと清香と手を繋いで過ごしたんだ」

「平気だったの?」

「もう本当にギリギリで踏みとどまっている感じで、見ているこっちは終始冷や汗ものだったがな。その時の事もあって、あいつは清香に恩義を感じていて、あれからそれまで以上に清香を可愛がるようになったんだ」

「そうだったの……」

 これまで知らなかった弟と従妹の交流を知った真澄は、清香に感謝しつつ泣きそうになるのを再び必死に堪えた。そんな中、清人の説明が続く。


「それで多少の自信は付いたみたいで、翌日から先輩と入れ替わって大学に戻ったんだが、すり替わりの日がどちらも土日を挟んでた事もあって、周囲に怪しまれずに済んだ。そして浩一の精神安定の為に、眼鏡もそのままかける事にしたんだ」

「どういう意味?」

「一年のうちに、五月蝿くアプローチしてくる女どもの一掃の為に、俺と浩一が恋人同士って言うしょうもない噂を流していたが、それにもかかわらず、二年になってもしつこく秋波を送ってくる雌犬がポロポロ居てな。浩一は当初そんな視線を意識するだけで吐き気すら覚えてたから、眼鏡のレンズで意図的に視界に制限をかけて、視線が遮断されてるって自己暗示をかけたんだ。だから今でも伊達眼鏡のあれを、外していない」

 それを聞いて、真澄は再び心配顔になった。


「じゃあ今でも、女性と接する事は苦痛なの?」

「いや、普通に接する分には大丈夫だ。職場でも取引先でも、女性に普通に対応しているだろう?」

「それはそうね」

 仕事中の浩一の姿を思い浮かべつつ真澄は素直に頷いたが、ここで清人は苦々しい顔つきになった。


「ただ……、あの一件以来、女性を見る目が厳しくなってな。仕事に徹して恋愛感情なんて挟まない女性に対して、友好的な態度を示すが、自分に媚びを売ってくる女性は精神的に切り捨てている。傍目には分からないようにしているが」

「そうなの?」

「ああ。あれ以降、それまで以上に女性に対して丁重な態度を取る様になったのは、その裏返しだ。嫌悪してるのがバレないようにな」

「あの……、それじゃあ、その他の事は……」

 控え目に真澄が言葉を濁しながら尋ねると、清人は益々顔を顰めながら問い返した。


「周囲から色々言われても、お義父さんが浩一に、これまで見合いの一つもさせなかったのはどうしてだと思う?」

「それじゃあ……」

「正直なところ、俺にも分からん。男同士でも気軽に踏み込んで良い所とそうでない所があるだろう。主治医も信頼は置ける分、口は固いしな」

「……そう」

 そこで黙り込んでしまった真澄を見ながら、清人はつい愚痴を零した。


「あれから、だいぶ落ち着いた頃を見計らって、浩一にあれこれ女性を見繕って近付けさせてみたんだが、相手が浩一に好意を持った途端アウトでな。ほとほと困ってたんだ。そうして六年も過ぎて、自分から惚れた女ができたと思ったら『あれ』だろう? その時の俺の、絶望的な気持ちが分かるか?」

 その状況の清人の心境を推し量った真澄は、盛大な溜め息を吐いた。


「……分かり過ぎる位、分かるわ。どう考えてもお父様やお祖父様が結婚相手に認める筈はないし、今でも怪しいなら当時結婚しても、普通に夫婦生活が営めるかどうか分からないし。何より相手が、どう考えるか分からないもの」

「お前でも、そう思うだろう? おまけに知り合いに同伴して貰って、店に出向いて件の女を実際に見てみたら、頭は切れるみたいで会話にそつは無かったが、綺麗に笑っていながら目が全然笑って無い人形みたいな薄気味悪い女で。こんなのに浩一を任せられるかと、憤慨して帰って来たんだ」

「薄気味悪いって……、清人」

 流石に真澄は顔を顰めて窘めたが、清人は憮然として続けた。


「それが初対面での印象だったんだから、仕方ないだろう。そして浩一に色々彼女の欠点をあげつらった後に最後にそう言ったら、『それは分かってる。彼女は笑ってるんじゃなくて、笑ってみせているだけだ。だから本当に笑ったら、きっともっと素敵だと思う』と真顔でぬかしやがった。それで、もうこいつには何を言っても駄目だと、完全に諦めた」

 そう言って深い溜め息を吐いた清人の左手の上に、真澄は自分の右手を重ねながら囁く。


「全然知らなかったわ。浩一の我が儘で、清人には随分苦労かけたみたいね」

「ああ、全くだ」

「だから……、結婚してすぐに子供を作ろうって言い出したの?」

 真澄が静かに問い掛けてきた、一見脈絡のなさそうな内容を、清人は床を見下ろしながら、軽く笑って否定した。


「もともと真澄との子供だったらすぐにでも欲しかったし、初産で真澄に高齢出産をさせたくなかったからだが?」

 うそぶく様な口調で清人がそう述べると、真澄は重ねていた清人の手を軽く握り締めながら、幾分低めの声で問い掛ける。


「……少しは、気が楽になってるかしら?」

「さあ、どうかな?」

 主語を抜かしても十分伝わった内容に、清人は曖昧に言葉を濁してから顔付きを改め、居住まいを正してから真澄に申し出た。


「それで真澄。今回洗いざらい事情を説明したのは、さっきも言ったがお前に全面的に協力して欲しいからだ。色々あってあの二人の事はこれまで殆ど放置状態だったが、いい加減傍観してるのも飽き飽きしたから、この際強制手段を取ろうと思う。早速、今日から始めるつもりだ」

「協力って……、それは構わないけど、強制手段ってどんな事? お願いだから、あまり無茶な事はしないで頂戴」

 今までの話の内容が内容だけに、どんな無茶な事を言い出すのかと真澄は内心戦々恐々としながら尋ねたが、清人はいつも通りの、どこか面白がっている風情の笑みを浮かべながら、話を続けた。


「大丈夫だ、安心しろ真澄。ここは先達のやり方を倣う事にする」

 それを聞いた真澄が、不思議そうに首を捻る。

「先達って……、誰の?」

「お義父さんだ」

「お父様? どういう事?」

「熱海」

「…………」

 端的に清人が口にした地名に、心当たりがあり過ぎた真澄の顔が僅かに引き攣る。その反応を目の当たりにした清人は苦笑いしながら、自分の頭の中に思い描いていた計画のあらましを彼女に語って聞かせた。

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