04本目 翁は弟子をみつける
―――洞穴の中に無造作に置かれていたそれは、確かに本だった。
芸術品と見紛うほど精緻な、しかし得体のしれない不気味に過ぎる魔法回路が刻まれた、古びた本。
魔法回路とは、いわば実体を持たせた『魔法式』。それを刻み込んだ道具を『魔法具』という。魔法具を用いれば、ほぼ全ての人属が修練や己の素質に関係なく魔法を使うことができる。
つまりこれは本の形をした魔法具。魔法書、あるいは魔導書とでもいうべきもの。
その装丁には四隅の保護や留め具として、
得体のしれない皮であったが、金具と合わせられたその仕上がりは丁寧で、一見すれば瀟洒で上品な高級さを醸し出している。好事家であれば大金を出してでも手に入れたいと思うだろう。
だが表紙に描かれた、表題と思しき見慣れぬ文字。それが放つ異様な気配が、その本の印象を真逆にひっくり返していた。
その文字は、この王国周辺で普及している
が、違う。
書き方の癖のようなわずかな違いを除けばそっくりなものや、逆に文字かどうかを疑わねばならぬような文字もあった。
それでも不思議と似通って見えるその文字列を、私は無理やりに読みあげてみた。
「
半分以上は無理やりに当てはめることもできなかった。私はその文字列の意味を理解することはできなかった。
なのに私は、それを読んだ、と認識した。
その瞬間、世界が波打った。
洞窟が回転していた。いいや違う、私の視界が回転している。いいや眼球が踊っているのだ。ならばなぜ、私は私を視界に収めている。なぜ私は天井に足を付けて逆さまに立っている。いいや違うさかさまこそが
私の足下の地面が飛沫を上げて溶けていく。また混ざっている、足の上だ。一緒に私の足がどろどろに溶けだしていた。脛が太腿が股が腰が、皮が肉が骨が、血肉も魂も心までも、地面と一緒に溶けていく。否違う包まれている。私を優しく受け入れ抱きとめる世界が溶けていく。
気が付けば、私は〝異形〟によって支えられていた。
完全に意識を失っていたようだ。
〝異形〟は『声?』と問うてきた。記憶がない間、何やら叫び声をあげていたのだろうか。無理もないだろう、己を弁護するわけではないがそう思った。
あれはおぞましき体験だった。人が人であることを、ありのままを望むならば、決して触れてはならない体験だった。
何一つ覚えていないにも関わらず、私はそう確信していた。
私は触手に支えられていた体を自ら起こす。緑の触手はぶよぶよしていた。だがそれを気持ち悪いとは全く思いつかなかった。それ以上の嫌悪感を経験したからだろうか。
だがそれは重要なことではない。理解してはならない
最初にこの本に気を引かれた理由。それはこの魔導書の魔法回路、そこによく知る
改めて確認して、私はそれが気のせいではなかったと確信する。
それは間違いなく『マリオ』の―――我が弟子の魔力の痕跡。それがこの魔法回路に残っている以上間違いなく、彼はこの魔導書を用いて何らかの魔法現象を引き起こした。
それを再現してみようとは思わなかった。
だから私は、おそらく弟子のいた場所へと赴くと決めた。
そのために私は、〝異形〟に案内を頼んだのだ。
- - -
翌日から、〝異形〟に先導されて私は森を歩いた。
塩や香辛料によって処理した肉と果実を弁当代わりに、森を三日続けて進んだ。夜になれば眠ったが、しかしその間も〝異形〟が私を抱えて進んでくれた。
私はそれを喜んだ。五日前には『醜悪の概念に形を与えたもの』とまで称したそれに抱えられることを、私は何の違和感もなく受け容れたのだ。
案内の対価として、いろいろなことを話した。『魔獣』と『モンスター』の定義の話だとか、アラオザル大森林周囲の地形だとか、王国とその周辺国家の地政学的関係だとか―――正直話の選択を誤ったかと思ったが、〝異形〟は触手をぴこぴこ相槌のように動かしながら
もしも全て理解しているのだとすれば、彼の知能は人間と同等以上ということになるだろう。私は何度目かになる認識の変革を体験しながら森を話し歩いた。
そして四日目の朝。私たちはそこへたどり着いた。
そこは、大森林のただなかにぽっかりと空いた空白だった。それまでずっと森の中、頭上の枝の天蓋から透けた木漏れ日を浴びていたのに、そこだけは真っ直ぐな太陽の光が降り注いでいた。
だというのにその一帯は、生命溢れる森の中にも拘わらず、あらゆる繁栄を拒絶していた。木々も草花も鳥も虫も、そこには一切の命が存在していない。
それだけ豊かな太陽の恵みが齎されているというのに、雑草一つ生えていないのだ。
明らかにここでは、何かが起こった。人智を超える何かが。
その結果としてここは生命の生きぬ不毛の大地となったのだと。
「主殿。ここで…………なにがあったのですか?」
私は思わず訊ねていた。それに対して異形は応えてくれた。
『人、本、火、全。火、我、危』
相変わらずの片言。だが意味は推測できる。
人と本と炎と、全てが在った―――いや、火が全てを燃やした、だろうか。そしてその炎は、異形を焼いてしまうほどのものだったと?
私の視線から促しを読み取ったのか、異形は更に言葉を紡ぐ。
『火、無。命、無。本、有』
続いた言葉は解りやすかった。
炎が消えた後、全ての命あるものは消え失せてただ本だけが残っていた―――と。
〝本〟とはおそらく、この奇妙な魔導書。
そしてその〝人〟こそがおそらくは―――
そのことを確信したアッシェは、しばし佇んだ。
§
アッシェにとって、弟子と呼べるのはたった二人だった。
最初の弟子を取ったのは今から26年前。
当時のサンドウィン伯爵家当主によって紹介された、同伯爵家四女、5歳のマルグリッテ・リモニウム。
彼女はとても優秀だった。親に隠れて剣を振る程度にはお転婆だったがそれ以上に才能があったし、それに見合うだけの努力家だった。
だからこそ彼女は第二王女の近侍騎士としてあの騒動を生き延び、勝者として〝紅蓮〟の名を継ぐことを許された。先の内乱で確かめたその実力は、出産と育児を経た今も衰えていなかった。
だからこそ残念だったとも言える。
様々な思惑が混ざり合い、最終的にマルグリッテは近侍騎士を辞めざるを得なかった。
結果としてダーレス・リモニウム伯爵当主と巡り合い結婚に至り、更にはリリアーナを授かったことは間違いなく幸運で幸福だったといえる。人生の先輩として祝福もしよう。
だがもしもマルグリッテが近侍騎士を続けていたのであれば。彼女が
自分以上の才能に溢れた彼女ならば〝
最高の素質とそれを扱うだけの意志を備えながら、しかし周囲によって歪められたこと。それがアッシェには口惜しかった。
だからだろうか。次に同じ輝きを放つ結晶を見つけたとき、それが巣立つまで育てると決めた。彼と相談してみれば身寄りのない孤児であると解ったから即座に連れて帰った。
その二番目の弟子には、マリオという名前を与えた。
彼の才能もまた、マルグリッテに劣っては居なかった。読み書きなど世間の常識には疎かったが教えたことはすぐに理解したし、応用もできるなど頭の回転も速かった。
魔法の発想力など実際たいしたものだった。着弾や衝撃で破裂し、小さな炎を撒き散らす〈
もう三年もすれば修行も一段落して、一人前の魔法使いとして世に出でただろう。
しかしそんな未来の蕾も手折られた。
出奔した弟子の死亡の報せ―――それが三年前に遡って誤りである僅かな可能性に賭けてここまで来た。
だがこの死に満ちた一帯に来て、私は深い確信と納得を得た。
この
ならば間違いようもなく、私の弟子は、ここで死んだ。
私が教え込んだ二人目の弟子は、何者かに成る前に死んでしまった。
それがひどく、とても寂しかった。
§
ぽんと。何かが右肩に触れたことで私は、私自身が森の空白の中で膝をつき呆然と竦んでいたことに気づいた。そこには緑色の触手が触れていた。
柔らかく蠢く深緑色のその向こうには、翡翠の瞳がじっと私を見つめていた。
『人、大切、死、別………………疑、
響いたその声に、私は咄嗟に反応できなかった。それは発音こそおかしかったものの、確かに『葬式』という単語で―――私が〝異形〟に教えたことのない言葉だった。
そしてそれ以上に、大切な人の死との別れを
それはきっと〝異形〟が非凡な理解力を見せたときよりも、魔法式魔法を使いこなしたときよりも、人には到底不可能なほど完成された風魔法を使いこなしたときよりも、ずっと大きな衝撃をもって私を打ち据えた。
そして私がその衝撃から立ち直るまで、〝異形〟は翡翠の瞳を揺らしながらただ待っていた。
そして私は膝についた砂のように乾いた土を払い、立ち上がった。
「そうですね。…………それでは
もう、冷たさは感じなかった。
枝の隙間から木漏れ日が降り注ぐ、暖かな夏の森だった。
- - -
埋める場所は、不毛の一帯を避けた。掘り返すのに時間がかかることを覚悟したが、全て〝異形〟が為してくれた。実に素晴らしい土魔法だった。よほど
けれどその空洞に埋めるべき遺体は無い。
なので代わりとなるものを埋めることとした。弟子の出身地域の葬式の礼にちなみ、花を代わりとする。
幸い夏であるため、花は草木を問わず豊富に見つかった。種類や色に拘らず、色とりどりの花で飾るのが南国流。
本来であれば遺体に添えるところではあるが、今回は花を
「形を似せることで魂を寄り付きやすくする、と言われています。〝
手元にある本を埋めることも考えたが、この得体のしれない魔導書を目の届かぬとこに置くことが躊躇われた。確信はないが何かをしでかすのではないか
、そんな疑いが首をもたげた。
そこから先は通常の葬式と同じだった。
遺体――の形に敷いた花の形代へ少しずつ土を掛けていく。
しゃらり、しゃらり。
土が降りそそぎ、白や赤、黄色と鮮やかな色の花びらを隠していく。
そして私は片膝をついて組んだ掌を掲げ、瞼を閉じて祈りを捧げる。
そして
全ての
万物の揺り籠にして墓場で眠る
世界を支え統べる
やがて来る目覚めのときまで―――
祈りを唱えながら、私は願う。
私の弟子の静かな安寧を。安らかな眠りを。
そして偉大なる大地の加護を。
やがて私は瞼を開き、立ち上がった。
振り返れば、翡翠の瞳がこちらをじっと見つめていた。いいの? とでも言いたげな眼差しに苦笑する。祈りの時間が短いとでも文句を付けられているのだろうか。
頷いて見せれば、そう、とでも言いたげに〝異形〟は翡翠の瞳を私から逸らし、体を反転させた。つまり瞳が私と反対方向を向き、背――といえるのかは疑問だが――を向け、ゆっくりと歩き始めた。
私は少し、迷った。
サンドウィン領地を飛び出した目的は、これで果たしたといえる。
弟子の死に場所で自分も死ぬことが、私の目的だったはずだ。
ならば私はこのままここで朽ちることを選ぶべきだろう
けれど私は結局、足を踏み出した。
どのみち私の命は長くはない。肉から取り込んだエネルギーを元手に、魔法を使って無理やり体を維持しているだけだ。
弟子が、私が注いだ全ての心血が無駄になったと思った時、私は生きる理由を見失った。無意味に野垂れ死んでも構わないと、アラオザルに赴いた。
けれど、アッシェは思う。
目の前の彼ならば、私が朽ち果てるまでに、私がもてる全ての技術を受け継いでくれるかもしれない、と。
人間ではないけれど。
口も無くて言葉もしゃべれないけれど。
やさしさのような奇妙な感情を見せるそのバケモノならば。
だからどうせ死ぬ命ならば、ほんのもう少しだけ醜く生きることをアッシェは選んだのだった。
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【添え書き】
この葬式の手伝いの対価は『葬式の知識』です。
また、作中の『依代』『形代』に関しては浅い知識で書いているので間違い等があれば指摘していただければ幸いです。
*注意事項:
この作品は『異世界ファンタジー』を舞台とした『異種間恋愛物語』です。ノーマルです。ノーマル?…………P.N.
50代初老×触手とかそんな倒錯嗜好作品は始まりません。
…………幼女?
…………………………子供は尊いものですよね。
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