6本目 〝mater〟

【前書き】

胸糞グロ注意であります。

次話の冒頭に粗筋を書くので飛ばしてもらっても構いません。

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『大森林にはね、神様がいるんじゃよ。儂は幼い頃、一度だけ会ったおうたことがある』

『神様は、一言ではいえないようなお姿で、私の前に現れたんじゃ。その場には私以外も居たんじゃがね。けど神様に、みーんな、しまった。神様に驚いて騒いだり、害したりしようとしたからじゃろうなぁ』

『けんどな、儂は残された。正直に言えば、驚いて腰ぬかしとっただけじゃけどな、それが良かったんかもしれん。無心に、ただ神様をみとったんじゃ』

『で、じーっと神様を見とったんじゃがな? 気づけばその神様がじーっと、私を覗き込んで来るんじゃ。黄色と赤の真ん中みたいな、透き通った瞳でな』

『ようやく動けた私は、とにかく家族のところに帰りたかった。儂のおっ母も居ったし、弟も幼かったからな。儂が戻らにゃどーにもならんと思った。だから神様にな、お願いしたんじゃ。どーか帰してくんろ。私をあの村に、あの家に、母と弟のところへ。どーか帰してくんなまし』

『そして儂は、ちょうど持っとった木の実を捧げたんじゃ。儂の昼ご飯になるはずじゃった。くいっぱぐれたがな』

『それを受け取った神様は、儂を抱きかかえてくれた。小っちゃい儂をひょいと抱えてな。んで、気が付いた時には村の傍に居った。神様は居らんなっとった』

『やからな、あの大森林には神様がおるんじゃ。神様と会ったときは、決して騒いじゃいかん。心を鎮めて、ありのままを受け入れるんじゃ』

『そして神様にお願いするための木の実を持っていくこと。それが神様にお願いする対価なんじゃ』


そう、母は言っていた。

繰り返し、繰り返し。言い聞かせるように、思い出すように。

その物語は村に伝わっているという〝緑の守り神〟。

『自分が会った』とまで言うのは母だけだったが。


アラオザル大森林の近くにある私たちの村は、伐採した木を木材に加工して出荷することで生計を立てている樵たちの村だ。来訪者は定期的に訪れる商人や鍛冶師、何かの依頼で訪れる探索者イグルスたちとごく僅かだ。外の血が入り込みにくいこの村は細々と、しかし脈々と存在し続けてきた村だった。

だからだろうか、その守り神の話を伝えるように、村の老人たちが話しているのは。

言い伝えによれば、最初に出会った人は五百年も前の村人らしい。その頃からこの村があったのかどうかは知らない。

村の名産に、林檎アバルと呼ばれる果実がある。暑さが和らぎ涼しさを感じ始めた頃、樹になり始める赤い実だ。干したものでもいいから、あればそれを。なければ他の木の実を。大森林に入るときはそれを携えていくように、というのがこの村で守られてきただ。


私は女の子だったが、村の男たちに混ざって樵に行っていた。木を伐った後森を出てから、村に帰り着く迄の間に食べる果実はおいしかった。

そうして私は成長した。依頼だとかで村にやってきた探索者イグルスの青年と恋仲になり、結婚した。母は村の人口が増えたことを喜んで、やがて逝った。母に見せることはできなかったが、可愛い娘も生まれた。

娘はすくすくと成長して、6歳になった。茶色の瞳に父親譲りの黒い髪。私の子どもの頃よりおしとやかでかわいらしい。きっと将来は頭のいい美人になるだろう―――そう思ってしまうのは親ばか故か。大丈夫。結婚相手に叩きつける試練の内容を考える夫よりはマシなはず。


けれどその年、村が襲われた。

畑の収穫作業も落ち着き、あとひと月もすれば寒さが来る頃。

盗賊? それにしてはおかしかった。彼らは真っ先に、殺戮を始めた。

ともかく私は逃げた。夫に促されるまま、泣きじゃくる娘の手を引いて森へと逃げた。夫は私を見送った後、村の男たちと一緒に剣を取った。


森へと逃げ込んだ村人は私たち以外にも居た。けれど襲撃者から身を隠し、森の奥へ奥へと逃げるに従って、私は手を繋いだ娘と二人ぼっちになっていた。

そこから私は、町を目指した。方角は太陽で確認した。日が落ちてからは、道具で火を起こした。娘と二人で寄り添い、娘を寝かせた。私は焚火の光で手紙を書いた。下地は私のシャツで、インクは私の血だ。村の名前と、村が襲われていることを。襲撃者の規模と、襲撃の日時を。

夫から教えられたように、探索者が依頼を受けやすくなるように、なるべく詳細に。

夜が去って森を歩けるようになってから、私は娘を起こした。書き上げた手紙を娘に持たせる。少し迷ってから、腕に巻き付けた。血文字は見えないように。

その手紙のことを言い含めてから森の中を歩き始めた。幸い森の中には落ちた果実があった。虫食いしていたものは避けて、いくつか拾って食べた。

林檎アバルもあった。年老いた母を思い出して、私は一つを懐にしまった。娘は食べたそうにしていたが、止めて娘にも持たせた。

どうして? と娘は聴いた。だから話した。私の母が聞かせてくれた物語を。


それ話し声がいけなかったのだろうか。


それは一匹だけだった。80cmほどで小さいし、見た目だけなら熊の方が怖い。二脚で高速で駆ける小型の亜竜。前足は小さい。

視界の端を通ったそれを、私は知っていた。『啄竜オルカニバス』。夫が話したことを思い出す。

一匹だけなら一人前の探索者なら簡単に狩れる。けれど群れるから怖いと言っていた。

小さな前足と後足には大きな鉤爪がある。そして嘴のように尖った口には鋭い牙が並んでいる。ここ噛まれたんだぜ、と傷口を見せようとした結婚前の夫を張り倒したこともある。

だから知っている。


彼らは集団で、人の肉を啄む喰らうのだと。


私は娘を抱えて走り出した。


コカカカカ、と奇妙な音が耳に届く。森の中でもよく響く。

啄竜が上げた音だと理解した。

私は周りを見ながら森を走る。娘は私にしがみつきながら震えていた。きっと私の恐怖が彼女に伝わってしまったのだろう。説明もできず走り出した私の顔は、どんな形相になっていただろうか。それでも娘は必死に声を堪えている。

本当に賢くて、素晴らしい。自慢の愛しい我が娘。

だから私は走る。木の根に足がとられそうになっても、足首を捻りそうになっても私は走り続ける。どれだけ痛もうと構わない。あと十数分後には立ち上がることさえ出来ないだろう。それでも構わない。

そうして私はそれを見つけた。よかった、近くに在って。

捻った足首が痛み出す。おそらく真っ赤に腫れあがっているのだろう。けれどそれさえ誇らしい。


大森林の木々の中でもひと際大きく、古い木。駆け寄って見れば、その根元には巨大な穴が開いていた。木が腐り落ちてできた、樹洞。大きさは、娘が一人入るくらい。

私はそこに娘を押し込んだ。出てこないようにと言い含めて。

いつも私の言うことを聞いてくれる愛しき娘。

どうか今だけは、気まぐれをおこさないで。


そしてどうか、幸せになって。


私は娘の名前を呼んで、額に口づけを落とした。

そして再び走り出す。けれど遠巻きに私を見る啄竜は増えていた。4、いや5。


―――ああ、終わりが近い。


けれど私の役目は、娘を隠した樹洞から少しでも離れること。

そして終わりが来るその瞬間まで、歯を食い縛って耐えることだ。

私の声を、娘が聴いてしまわないように。

私の声が、娘をんでしまわないように。


啄竜に激突されて倒れ伏しても。

背中に鉤爪を突き立てられても。

転がされても、啄むように抉られたとしても。


だから、お願いします、神様。

私はこのまま死んでもいい。亜竜たちに食べられて死んでいい。

だからどうか、お願いします。神様。

私とあの人の、大切な娘を。

どうか、たすけてくださ


§


の懐から、赤い林檎がコロコロと転げ落ちた。

5頭の小さな啄竜の群、その中でも一番小さな個体の前に。

彼は群の中で年若く、したがって一番序列が低い。仮の間は一番走り回り、しかし獲物にありつくのは一番最後に回される。お預け状態だった。

だからそれに興味が湧いた。血の匂いがしたからだろうか。啄竜は肉食で、胃は基本的に植物を受け付けない。線維を消化できなければ腹を下すだけなのに。

他の個体も気づいてはいるが、目の前の肉に興味を惹かれている。それを咎める啄竜はいなかった。

ともかく林檎に喰らいつこうとした。嘴に並んだ鋭い牙がその赤い皮を突き破ろうとした瞬間、


その啄竜は潰れた。


それはもう完璧に。無残に。

まるで真上から、巨大な無色透明な鉄槌に叩き潰されたかのように。

鱗ごと骨格は砕け散り、尖った骨が内側から肉を貫く。その肉自体がミンチ以上のこねくり回し具合となる。

他の啄竜が吼えた。突然潰された仲間下っ端の死に驚き、警戒心を露にして。

そしては、探すまでもなくそこに居た。


まるですべてを呑み込もうとするかのように巨大な瞳。あらゆるものを映すその瞳は翡翠に染まり、その向こうの深淵を計ることはいかなる存在にもできはしない。

その周囲で蠢く夥しい数の触手は捻じれ、混ざり、何かを求めるかのように虚空を彷徨う。醜悪と嫌悪を詰め込んだような緑色をしたそれ。あらゆる道徳と生命を冒涜するような存在が、そこ存在していた。


それを見た4頭の啄竜は―――足下から突き出した巨大な岩によって突き上げられた。

3頭はそれによって貫かれた。即死には至っていないが、いずれ出血で死ぬだろう。夥しい赤い血が、岩を伝って地面へと流れていく。

残りの1匹、幸いにも岩に貫かれずに済んだ啄竜は、なんとか体勢を立て直し着地した。

だが次の瞬間、潰れて死んだ。

それを為したのは緑の触手の塊。触手を編んで作り上げた槌は、容易く啄竜を磨り潰した。


やがて4頭全ての啄竜が動かなくなる。全ての啄竜が息絶えるところを映していた翡翠の瞳は、今度はそこに横たわっていたを見つめる。


それは間違いなく、息絶えていた。



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