3-7 着地した先は

 着地した先は、さきほど鍵を渡されたおれたちの新たなアジトとなるビルの屋上だ。内部を探知しても、人間その他の生体反応はなかった。

「おまえさんがおれたちをだまして売る気だったなら、ここにうじゃうじゃ待ちうけていただろうから安心したぜ」

 おれはボルバに軽口をたたきながら、ほんとうに安堵してぐったりと地面にへたりこんだ。Qの偽装魔法を拡大したことでふたたび消耗したこともある。

「ふん。それならノックしないでいきなりお邪魔していたろうな」

「ごもっとも……」

 念のため逃げたときに追跡の魔法を貼られていないかの確認もしたが、3人とも反応なしだ。

「きれーなからだ」

「しからば、これで当面は心配ごとがなくなったということになるか」

「いや……気になってることがふたつある」

 ひとつは追っ手がなにものかわからないまま逃げたこと。

 もうひとつは、脱出のためとはいえ――Qの翼を見せた。

 あの場で捕まるのは論外だったとはいえ、かのじょを天使だと認識する人間はこれで増えることになった。ますます狙われるのではないか。

 だが、そんな先のことを気にしているばあいではなくなった。


「その姿を消す術、いやはや人間相手には便利すぎますなあ」


 屋上に、いつの間にかそいつは姿を現していた。

 生体反応はなかった。それはまちがいない。

 ということは、声をかけてきたのは生命ある存在ではない、ということだ。

 はでな白い衣装に包まれた褐色の肌と、夕闇になお赤く輝く橙色の長髪。

「……天使」

「さいでございます」

 ロードシップとちがい、頭上の輪と背の翼を隠してもいない。両手をこちらに向けて広げ、敵意のないようなそぶりで歩いてくる。いきなり現れた時点でまったくなんの油断もできない。

「はにまる……」

「その名で呼ばわりめさるな」

 Qが呼んだ名前が好評だったところを見たことがなかった。

「自己紹介をしなくてはなりませぬな。小生は栄光の天使。本日はそのかたの気配を追ってはせ参じました。名多き身ゆえ、どうぞアルとでもお呼びくださいませ」

 またすげえ濃いのが出てきたね。

「おまえと微妙にかぶっているな、アルファバート・阿井」

「うるさいボルバ」

 Qのまえでおれのフルネームを呼ぶな。

 会話の最中も、おれは懐にゆっくり手を入れて、先ほどの脱出時に用意していた『切り札』の準備をしておく。

「そのアルさんとやらがなんの用だ。平和的に話しあおうってことなら、やぶさかじゃないが」

「残念ながらその時間の余裕はないのですよ」

 金属がはじきとばされた音がした。ボルバがかまえようとした瞬間、拳銃を手から撃ちおとされたらしい。なにをしたか、まるで見えなかった。

「貴君らは小生にとり、いささかも脅威たりえませんが、あとうかぎり人間には手荒い所業を働きとうなく存じます。どうか穏便に、その少女をお渡しいただきたい」

「あのな」

 天使のあいだでどんなとり決めがかわされ、どういったパワーゲームがくり広げられているかは知らない。知らないが、

「いいかげんにしろよ。こっちのつごうも考えずさらいに来たり預けてみたり、また渡せと言ってきたり、人間は平日昼間のATMかなんかじゃないんだぞ」

「はて。小生、人類社会について浅学寡聞の身ではございますが、おおよそ似たようなものでは」

「そういう上の立場から現代批判みたいなこと言うのもやめろ」

 ボルバは本格的に役に立たず、Qもまだ矢を使えない以上、おれがどうにかするしかないが、相手が強力すぎる。

 だが、どんなに強力だとしても。

「そっちの結論が決まってるように、こっちももう決めちまったんだよ。説明も折衝もいらん。おまえの選択肢はふたつ。このまま回れ右して帰るか、ここでおれと戦うかだ」

 なにせ天使は人間と関係ないから、あとくされがない。かつての仲間や公的機関を相手にするよりは、ましだ。

「おやまあ。あにはからんや、戦いになるとおっしゃ――」

 なにより、こいつを黙らせたい。

 おれは懐から『切り札』を出し、やつへ向けて起動処理をかけた。残り少ないおれの精神力でも、文字どおりの札――呪符を発動させるのに支障はない。

 こいつは人間相手に使うつもりで用意した眩惑効果の呪符であって、天使相手にはとても役に立たないものだ。だが、アルと名乗った天使はさすがのスピードでこちらに反応し、呪符を持っているおれの腕をつかんだ。そんな必要はなかったのに、つかんだ。

 天使対策の呪いがかかったおれの、腕を。


(要は勝てればいいのじゃろ? 天使を倒すのに力は要らぬ)

 師匠は言ってくれたもんだった。

(魔法は悪魔の力を借りる術じゃ。悪魔は天使にはかなわんが、人間が悪魔の力を借りることは、すなわち神をなみすることにほかならんじゃろ。それが天使の力を弱める攻撃力となる。そもそもひとが悪魔の力で強くなれるのは、本来涜神の要素を持っておるからじゃ。

 なんと呼ぶかは、よーく知っとるじゃろ。『原罪』じゃ)

「貴君、いったいなにをあそばした……」

 おれの服の要所に縫いこまれた呪符は、おれの身体を流れる魔法の循環を強制的に早め、消耗させる。これは長期的には魔力の超回復効果を強いるもので、魔法の増強を狙った気の長いものだ。

 同時に、消耗時の肉体はかぎりなく魔法の枯渇した状態となる。いま呪符を起動させ、さいごの残りかすのような魔力を消耗した、おれのように。

 人間が生来持っている微弱な魔法さえも、吐きださせる。

 人間がありえないほどの無原罪に、一時的に近づく。

「なにを……」

 天使は霊体に近い状態で天界に偏在し、それが下界に物理干渉するためには、実体化のための偶像を必要とする。

 師匠がおれにかけた呪いは、天使からその偶像の権利を強制的に奪うものであり、通常はとても天使の依代たりえない人間に効果を発揮するものではない。

 対象が無原罪か、かぎりなくそれに近づいた瞬間でもないかぎりは。

「……」

 わずかな出番で天使の姿は消滅し、そこにはちいさな陶器の天使の像が落ちていた。

 完全に精神を使いきった状態で天使に乗り移られたおれは、当然のようにまた倒れる。きょうはこんなのばっかりだと思った。

「1号!」

「がってん」

 少女の足は、まったく躊躇なくその像を踏み壊した。ばちが当たるとかいう価値観はまったくないようだ。

「それで……阿井よ……おまえなのか」

 飛ばされた銃を拾ったボルバは、警戒もあらわにその銃口をこちらへ向ける。

「心配せんでも……おれだよ」

 力の入らない唇で、おれは回答した。とりつかれたふりでもしてみようかと思ったが、あのうっとうしいボキャブラリーを再現できる自信はなかったので、やめた。

「天使がこんな肉体に入ったままでいたら、数分と待たずに堕天して天界に帰れなくなる。この屋上にはほかに乗り移れる媒体もないし、現世にいばしょがなくなった以上、帰るしかない」

 いまごろ天界で地団駄でも踏んでくれていることだろう。しかし、これでやつがまた来たり、ロードシップあたりが気分を変えて襲ってきたばあい、おそらくこの策はもう使えないわけだ。

 悪いことに天使はQ本人を察知してどこまでも追ってくるらしい。

 団員Cの問題も、アパートを囲んでいたのがほんとうにあいつの手のものかもわからない。

 死ぬような思いをして、なにも解決していない。


 だが、おれの力ない口許は、


「おう、だんいん、なんてやすらかなかおしてやがる」

「死んでねえ」


 ようやくわずかな勝利の美酒に酔い、ゆるんでいた。

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