1-8 閃光と銃声を背に

 閃光と銃声を背に、おれたちは窓から脱出した。眠ったままのQを割れたガラスで傷つけないよう、女医はゆっくりと押しだして、おれに渡してくれた。

 Qの背中の翼は、ふたたびかすかな光に包まれて、ふつうの人間の背に戻っている。どうやら光学偽装魔法は自動発動のようだ。

「わたしは残るっす。ここめちゃめちゃにされても困るし。あんたらのことも黙っとくんでー」

 窓から女医はやる気なさそうに手をふった。

「いいのか」

「モグリ同士のよしみっすわ」

 ひひひ、と弛緩した笑みで見送られる。

 あそこまでフラットに、楽観も悲観もなくこの世を捉えられるというのはうらやましいな、と思いながら、おれは眠ったままのQをおぶって、目立たない裏道を通る。

 はでな爆発もなにも聴こえてこなかった。あのロードシップがそうあっさりと捕らわれるわけもない。なにせ第4位だ。

「また会うことになるんだろうな……」

 まだこの場の難局も乗りこえていないのに、おれは憂鬱だった。


 ――おまえさんに預けておいたほうがいいらしい。勝手がちがうようだ。


 この世が物語だとすれば、おれはせいぜい名もない悪者のはずで、そしてすでに打倒されてしまって、役目を終えている。

 ここがおれの、あげくの果てのはずだった。

「『はず』で人生、回らないか……」

 ため息をつくと、おれは足を止めた。

 裏路地に斜めに光がさしこみ、それに照らされて、見知った姿が待ちうけていたからだ。

 黒い髪に黒い瞳の若者。すっくと背筋を伸ばし、ひたすらまっすぐな目で、おれを見ている。

 この世のなかが物語なら、主人公になるのは、ああいうやつ。

 やたら強そうな、カタナだかユウキだか、ちゃんと思いだせない名前をした、おれたちを倒した『英雄さん』だ。

「よう」

 おれは軽く手を挙げた。まるで街角で旧友とばったり会ったぐらいのノリ。

「やあ」

 やつも、そう答えてゆっくり手をこちらへ向ける。その手には、拳銃が握られていた。

 その銃口がなにを狙っているのかは、明白だ――1週間まえにしとめそこねた強敵が、おれに背負われて眠っているんだから。

 ずっと、行方を追っていたのか?

「う……」

 Qが、おれの肩でうめいた。

「いいから寝てろ」

 おれは言った。ロードシップの光がどのていどの深手を負わせたのか見た目ではわからないが、天使どうしで受けたダメージがそうたやすく回復するとも思えない。

「やさしいね。あなたにそんなところがあるなんてな――」

『英雄さん』は軽く言った。

「アルファバート・阿井さん」

「おれのくそおおげさな名前をおぼえてるのかよ」

 団員Aと呼んだ張本人なのにな……。

 おれは内心の動揺を隠すように、訊ねた。

「こいつがなにものか、知ってるのか」

「知ってる。そしてそれは、ぼくたちの手に負えない」

「正義の味方らしくない言いようだな」

「ぼくはそんなものじゃない」

 やつはそう言って首を振ると、ゆっくりとトリガーを絞った。

「『一介の』なんて役割なんかに身を落としたあなたには、わからないよ」

 言ってくれるぜ。

「おれだってなあ……困ってんだよ」

 おれは背負っていた魔法少女をおろすと、挙げたままだった手に、すでに刻んでいた魔法を発動させた。

「なかなか役割どおりにいかないからな!」

 発動に一瞬で反応し、『英雄さん』もトリガーを引ききる。

 乾いた音を立てて、銃弾がおれに向かって飛来する。人間にかわせるスピードではなかった。

 おれは強力な攻撃魔法も、奇跡的な回復魔法も、はでな支援魔法も使えない。専門分野は他者の強化であって、自己の身体能力を高めることも得意ではない。できることといえば、魔法を帯びたものに、魔法をかけることで効果を上書きすること。

 上書きすることによって魔法後遺症を和らげるのは、いわば裏技、副次効果だ。発動している魔法に対しては、当然、強化・増幅の本来の作用があらわれる。

 すなわち。

「なに――」

 やつは銃をおろし、周囲を見回した。

 おれたちが、忽然と姿を消したからだ。


 Qを連れてアパートに帰りつくなり、だん、と怒りにまかせて部屋の畳を殴りつけた。

 魔法少女の背中に働いている光学偽装効果を拡大したことで、おれたちは一時的に完全に姿を消し、逃げおおせた。

 だが、おれの胸には重い敗北感がのしかかっていた。

『英雄さん』の銃弾が威嚇でなく、おれの眉間に届いていたら、姿なんて消えてもまったく意味はなかった。

 おれは、あいつが1発めを外して撃つことに期待した。

 あいつの甘さに、甘えたんだ。

「ちくしょうが……」

 すべてが屈辱だった。

 やつがおれの名をおぼえていたのに、おれはやつの名をおぼえていなかった。

 じぶんは脇役で、相手は英雄と決めてかかって、しかも相手の情けにすがる。

 おれは預けられた小娘ひとり、護れまい。

「いまに……いまに、おまえらに、追いつく」

 ぎりり、と畳に爪をつき立てていた指を、そっと握る小さな手があった。

「おう」

 いつの間に目を覚ましたのか。

 Qが、おれの顔を覗きこんでいた。さぞみっともない顔をしていたことだろうが、かのじょはまんじりともせずおれの目を見つめて、うなずいた。

「まってる」


 閃光からも銃声からも背を向けて、おれの戦争は、こういうふうに開始された。

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