沈黙の大多数

 2024年元日、今年は良い年にとの願いが積もる中、令和6年能登半島地震が起こった。

 被害に遭われた方々は、今もこの寒さの中で不自由な生活を余儀なくされているだろう。一日も早く、健康かつあたりまえの毎日を取り戻してほしいと願う。


 わたしは大きな被災の経験を持たない。平成30年の胆振東部地震の折には2日ほど停電し、スマートフォンの充電で難儀したが、家の水道もガスも無事だった。ほかに不自由といえば、地下鉄通勤が歩きになったことと、食物が手に入りづらくなったことぐらいだろうか。ただこのときは地下鉄は数日で復旧してくれたし、流通も2週間後には戻り基調になっていた。あくまで結果的なものだが、生活基盤を長らく失うほどの大事には至らなかったように思う。


 被災、ということを考える時、東日本大震災時に丁度東北に帰省していた知人のことをまっさきに思い出す。

 帰省していたことを知らなかったわたしが念のために送ったメールの返信で、その知人が被災したと知った。わたしたちは何度も短いメールのやり取りをした。返信を怠らないきちんとした人であるので、わたしが送った念のためのメールのために限られたバッテリー容量をわたしに割かせてしまっていることを申し訳なく思ったりもした。


 お見舞いを送ったりしたのち、一年後、その知人と一緒に食事をする機会があった。ご家族は落ち着いたと聞き、一安心する。実家は半壊だったから住もうと思えば住めた、家族の誰も失っていない、自分が他県に家があったから一時家族を避難させることができた——報道される、ひどく辛い思いをした被災者と比べれば、こんなにも恵まれていた、皆にもよかったね、よかったね、と言われる、不幸中の幸いだったと本当にそう思う、という話をしながら、知人は、付け加えた。つらかったのは。つらかったこと、それは、自分たちの被害は他と比べて大したことがないと、誰にもつらいと言えなかったこと。大多数のひとがそうであったと思う、と知人は言った。

 黙々と、日々の生活を取り戻す営みの中で、受けていないはずのない傷を、それと認められる環境がないまま、外側が復興してゆく。沈黙する大多数は、私なんてまだまだ、と、あるはずの痛みや理不尽に触れない。ずっと封をして、そのまま生きていく人も数多くいるのだろう。

 たいへんだったね、と、それは他人行儀かもしれないけれど、そのことばをかけられるのはそのことがらについて他者であれるものだけだ。被災していない我々だからかけられる言葉もあるのかもしれないと、そのときは思った。


 沈黙している、私なんてまだまだ恵まれているほうだと思っている、被災している方に伝えたい。今は精一杯と思う。渦中の今はすすめないけれど、いつか状況が落ち着いたら、つらさをつらさとしてそのままきいてもらえる他者に、ひなたに束の間日干しするように、話すのも良いと思う。もし、話したいと思えるならば、だけど。

 氷が水になると、地にしみてゆく。かわりに思ってもみない何かが芽吹くことは、結構よくある。

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