ヤクルト1000

 年末に年初の話をするのもなんだが、今年に入りヤクルト1000を毎夜飲むようになった。最近は品薄状態が改善したようで、仕事帰りのスーパーでも余裕で買えるようになったものの、今年の初め頃はまだまだ入手困難な状況が続いていた。

 そんな時期のある日、ふらりとスーパーに寄ると、ヤクルト1000が奇跡的に売り場に残っていた。はやりものに対するスタンスは、右を見て左を見てまた右を見て左を見てそうしているうちに盛り上がりが若干下火になり供給がガチ勢以外にも行き渡るころ、概要を知りなおかつ手に入りやすくなってから、遅ればせのタイミングで買うことが多い。そんな感じの振る舞いをしているうちに、いつしかはやりの盛りには買わない、というよくわからない指針が生まれていた。

 だがその日のわたしは違った。まだまだ人気は続いているのに、のんでみたい、と思ってしまった。魔がさしたように佇む。わたしは少し迷って手を伸ばし、それをカゴに入れた。


 ヤクルト1000に対してはおおよそ2種類の意見を見かける。ひとつは、「よく眠れた」というもの。もう一つは、「悪夢を見る」というもの。


 1本150円の投資で、その日の夜は特別な夜となった。姿勢を正し、胸を高鳴らせ、両手で謹んで傾けて、いただく。スーパーで買えるヤクルト1000の流線型の容器は、一般的なヤクルトの容器よりも若干量が多いようで、得した気分になる。飲み終わるとわくわくして、もう一刻も早く寝たい。普段よりも早い時間に、きちんと掛け布団や毛布を重ね直し、スマホも開かずまっすぐの形で布団の間に身体をすべりこませる。さあどんな夜になるだろう。覚えがないほど深い眠りを潜り、かつてない爽やかな朝を迎えるか。日中疎かにしている感情が魑魅魍魎として夢に続々現れるのか。

 穴にすとんと落ちるような寝入りだった。深かったのか、夢は見なかったように思う。早朝、濡れたような衣類の感触で目が覚めると、身体中が滝の汗だった。不快ではない。それどころか、まるで運動を終えて汗とともにデトックスしたようなスッキリ感が心地よい。シャワーに入って着替え、乾いた衣類の感触に包まれる。こんなすばらしい目覚めがあったのかと、わたしはカフェオレとともに余韻を味わった。その日から、わたしはヤクルト1000のユーザーの仲間入りをした。


 わたしはもう一度あの目覚めを体験したくて、何度もスーパーやコンビニを覗くが、いつもヤクルト1000は品切れだった。

 勇気を出して、職場に出入りしているヤクルト販売員の女性に声をかけてみた。購入できるかどうかおそるおそる確認すると、7本パックで手に入ることになった。

 やっとヤクルト1000を迎えられる。喜びがじわじわと胸に満ちる。念願かなって再度購入できた日は、寝るために生きる人のように、かえってがむしゃらに働き夜を待った。


 結果から言うと、今日まで飲み続けているのだが、最初に飲んだあの衝撃の目覚めはそれから一度も訪れていない。あれはなんだったのだろう、と、ふと考える。細菌どうしが腸内で運命の出会いを喜んだのかもしれない。初頭効果、もしくは単なるプラセボだったとまとめることもできる。飲み続けて効果があるのかどうかも今となってはよくわからないが、出会いの直感は本質を捉えているという信念に照らすならば、なんとなく続けたほうがいいような気がして続けている。「買ってよかった2023」アワードは、ほかがなかなか思いつかないので、ヤクルト1000に進呈することにしたい。


 良いお年をお迎えください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る