第16話 どうしようもない男達

 柏木産業社長である柏木雄一郎は、控え目なノックの音に顔を上げ、隣室から現れた無機質な秘書の顔を見やった。


「社長、佐竹様がお見えです」

「通してくれ」

 秘書が一礼して引っ込むと、雄一郎は仕事を迷わず中断し、ゆっくりと椅子から立ち上がった。そうして机を回り込んで応接セットに近付いて行くと、今度は清人が姿を現す。


「失礼します」

 礼儀正しく頭を下げて入室してきた清人は、細いストライプ入りの濃いグレーのスーツを纏い、普段とは違った雰囲気を醸し出していた。雄一郎が1人掛けの椅子に収まり、向かい側の長椅子を手振りで示すと、清人が大人しくそこに腰を下ろし、再度軽く頭を下げる。


「柏木社長、本日は貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございます」

「堅苦しい話は抜きだ。時間を無駄にする気はないから、さっさと用件を言いたまえ」

 雄一郎が如何にも経営者らしい物言いをすると、清人は心得た様に持参した鞄から薄い書類の束を取り出し、無言で相手に差し出した。対する雄一郎も無言で受け取り、それに目を走らせて怪訝な顔をする。


「これが、どうかしたのか?」

「これを柏木で盗って下さい」

「何?」

 何か聞き間違ったかと、清人の顔に視線を向けた雄一郎だったが、相手がすこぶる真剣なのを認め、一気に顔を強張らせた。


「君は、自分が言った事の意味が、本当に分かっているのか?」

「勿論です」

「無関係の一般人が、何の気無しに言った言葉ならいざ知らず、君は我が社の外部取締役に名を連ねている人間だ。その責任と義務位、弁えていないのか?」

「それに伴う損失は、全て私が補填します。必要なら、以前前払いして頂いた役員報酬も全額返却した上で、外部取締役も辞任します」

 少しも揺らぐ事なく言い切った清人と睨み合ってから、雄一郎は匙を投げた様にテーブル上に書類を投げ捨て、ソファーの背もたれに背中を預けた。


「小笠原、か。君の事だ。おそらくこの他にも、手を打っているな?」

「ご明察です」

 にこりともせず冷徹に言い切った清人に対し、雄一郎は再び身を乗り出しながら、探る様な視線を向ける。


「なあ、清人君。どうして今頃になって、そこまで目の敵にするんだね。今までは存在自体を、抹消してきただろう?」

 そこで清人は僅かに怪訝な表情を見せた。

「浩一から聞いていませんか?」

「何をだね?」

 当惑した雄一郎から僅かに視線を逸らしつつ、清人は独り言の様に呟いた。


「最近……、無視できない程の馬鹿が居まして。目障りなんです」

「ふむ……」

 雄一郎が顎を掴み、興味深そうに清人を眺めた所で、再びドアがノックされた。


「社長、柏木課長がお見えになりました」

「通してくれ」

「社長!?」

 今度はその顔にはっきりと驚愕の色を浮かべた清人に、雄一郎は満足そうな笑みを向ける。


「私は時間は有効に使う主義だ。君が私に会いに来るのは厄介な頼み事、かつ仕事関係でしか有り得ない。呼ぶ手間を省いただけだ」

 予想外の展開に清人が絶句している間に、ノックの音と涼やかな女性の声が室内に響いた。


「社長、失礼します」

「ああ、柏木課長、そこに座ってくれ」

 勤務中は役職での立場を貫いている父娘は、型通りの挨拶を交わした。示された長椅子に、既に清人が座っているのを見た真澄は片眉を僅かに上げたが、無言のままその隣に座る。


「それでご用件は?」

「君に、この仕事を盗って貰いたい。万事、上手くやってくれ」

 雄一郎がテーブルの上を滑らせてきた書類を真澄が受け止め、軽く持ち上げて中身を確認し始める。しかしすぐに顔を上げ、先程の雄一郎と同様の反応を示した。


「社長? この仕事は、既に小笠原で取り組んでいる事例の様ですが?」

「だから君にこの仕事を『受けてくれ』とは言わずに、『盗ってくれ』と言った」

「…………」

 微妙なニュアンスの違いを込め、雄一郎が意地悪く笑いつつ再度説明すると、言わんとする事を察した真澄が、横で無言を貫いている清人に一瞬険しい視線を向けた。次いで雄一郎に向き直り、些かきつい口調で指摘する。


「社長。お言葉ですが、そんな事を強行した場合、下手をしたら同業者からの失笑を買うばかりか、他社からの信頼も失いかねません。有形無形の損害も」

「だから『上手くやってくれ』とも言った。金銭的な損失については、柏木家で埋める」

「社長!」

 流石に声を荒げた真澄に、雄一郎が冷たく言い捨てた。


「真澄。お前が承服できないなら、浩一にやらせるまでだ。こんな公私混同な事を、他の社員に命じる訳にはいかんのでな」

 それを聞いた真澄は歯軋りせんばかりの表情で父親と清人を交互に睨み付けた後、その書類を手に勢い良く立ち上がった。


「これは、浩一向きではありません。分かりました、早速取り掛かります。年内中には目処をつけますので」

 そう言って挨拶も無しにドアに向かって歩き出した真澄に、雄一郎はからかう様な声をかけた。


「ほう? もう二ヶ月切っているが? 何もそこまで急がなくても良いと思うのが。どうかな? 佐竹君」

「いえ、俺は……」

 いきなり話を振ってきた雄一郎に清人が口ごもると、真澄がドアを開けながら腹立たしげに告げる。


「こんな馬鹿馬鹿しい仕事、さっさとけりをつけて、本来の業務に集中したいからです! 時間外勤務手当は、割増しで頂きますので。それでは失礼します!」

 バタンと乱暴に閉められたドアを見やって、雄一郎は苦笑いしながら肩を竦めた。


「これは、完璧に怒らせたな」

「それでは、お仕事の邪魔をしては申し訳ありませんので、私も失礼させて頂きます」

 若干気まずい思いをしながら清人も腰を上げると、雄一郎が上機嫌に声をかけてきた。


「なあ、清人君。昔の罪滅ぼしになるならこれ位の頼まれ事は容易い事だが、変なプライドとこだわりは、早く捨てた方が君の為だぞ?」

「ご忠告、感謝します」

「それから、今からでも我が社に入る事は」

「お邪魔しました」

 まるで聞く耳を持たず、清人はその場をあっさりと辞去した。


「やれやれ……、相変わらず頑固だな。そんな所も結構気に入っているんだが」

 そんな清人を見送った雄一郎は、ただ苦笑を深めるのみだった。



 そんな不穏な動きが柏木産業内であったものの、表面的には何も変わらない日常が過ぎ、清香の大学の学祭期間に突入した。

 予定を摺り合わせ、二日目の午後に清香と待ち合わせた聡は、指定された中央棟一階の売店の前に着いて、時間を確認する。


「充分、余裕を持って来れたな」

 腕時計を見ながら満足そうに呟き、聡は門を入ってからここに来るまでに貰ったパンフレットに目を走らせた。

 ここは聡の出身大学とは異なるが、やはりキャンパス内にはどことなく共通する空気があり、最近思い出しもしなかった、今よりのびのびと過ごしていた学生時代の懐かしい記憶を呼び起こされる。そんな感慨に浸っていると、パタパタと走り寄ってくる気配を察した。


「聡さん! お待たせしました!」

「いや、そんなに待って無いから。館内案内の係もやっていて、忙しかったんだろう? ちゃんとお昼は食べられた?」

「はい、隙を見て」

 慌て気味にやって来た清香を見て、聡は心配して尋ねたが、彼女が笑って答えた為、安心して歩き出した。


「さっき貰ったパンフレットを見てたけど、結構色々な展示や発表があるんだね」

「例のサークルの展示の他に、聡さんがどこか見たい所は有りますか? 一緒に回りますよ?」

「そうだな、それじゃあ……」

 二人でパンフレットを覗き込んで相談していると、いきなり清香の背後から、誰かが腕を回して抱き付いてきた。


「さ~や~か~ちゃん!」

「きゃあっ!」

「おい! 何だお前っ!」

「こらこら、乱暴は止めようか」

 驚いた清香は悲鳴を上げ、聡が慌ててその男を清香から引き剥がす。しかし相手はのんびりと言い返し、その声を聞いた清香は振り向いて戸惑いの声を上げた。


「玲二さん?」

「今日は、清香ちゃん。びっくりした?」

「びっくりしましたよ、もう! 聡さん、紹介しますね、柏木玲二さんです。真澄さんと浩一さんを試写会の時に紹介しましたけど、あの二人の弟さんです」

 胡乱気な顔付の聡に、清香が紹介すると、玲二が付け加えた。


「そして清香ちゃんの、専属美容師。君がやたら気に入ってるらしいこの髪は、俺の作品」

「え?」

 玲二が清香の肩を抱き寄せつつ、もう片方の手を清香のポニーテールに伸ばし、それを手で梳きながら意味ありげに小さく笑う。それを見た聡が、僅かに顔を引き攣らせた。


「角谷聡君だよね。清香ちゃんから聞いてるよ、宜しく。しっかし本当は野郎にベタベタ触らせる為に、秘伝のヘアケア法を伝授したんじゃ無いのにな。清香ちゃん、お兄さんは本当に悲しいよ」

「玲二さんったら、こんな所で泣き真似なんか止して下さい」

 わざとらしく清香に抱き付いて、泣き真似をする玲二に、笑いながらそれを諫める清香。そのやり取りを聡が無表情で眺めると、その顔をチラリと見た玲二が言い出した。


「本当に泣きたい気分なんだよ? こっちの優男は放っておいて、今日は俺に付き合ってくれない?」

「なっ!?」

 ここで聡が声を荒げかけたが、流石に清香が窘めた。


「玲二さん、悪ふざけは止して。でないと怒るわよ?」

「分かった。清香ちゃんに本気で嫌われたくないから、今日はここら辺にしておくよ。それじゃあ聡君、またね?」

「……はあ」

 一方的にまくし立てた玲二が、機嫌良く立ち去るのを見送ってから、聡は困惑気味に清香に尋ねた。


「彼は一体、何をしに来たのかな?」

「ナンパでしょうか?」

「清香さんを?」

「いえ、他の女の人を」

「……取り敢えず移動しようか」

「そうですね」

(何か、噛み合っていない気がする)

 密かにそう事を思ったものの、聡は口に出さずに清香とその場を後にした。

 それから清香と聡は研究棟に移動し、そこで研究中の新素材のポリマーや合金の展示、実験等を興味深げに眺めていた。


「門外漢ですけど、画期的な素材の開発過程を見ると、そこに至るまでが凄いのが分かりますね」

「うん、やはり日本は技術立国なんだから、こういう最先端の技術をどんどん官民協力して開発活用していかないと」

「やあ、清香ちゃん。こんにちは」

「友之さん、どうして?」

 突然背後から肩を叩かれた清香は話を止めて振り向き、聡もそれに倣った。すると聡に向かって一瞬薄笑いを浮かべた三十前後の男が、清香に対して爽やかな笑顔を向ける。


「どうしてって…、酷いな。学部は違うけど、俺がここの工学部卒だって忘れた?」

「そうでした! すみません先輩」

「許せないな。どう落とし前つけて貰おうか」

「お手柔らかにお願いします」

 くすくすと仲良さ気に笑っている二人に、聡の胸中がざわついたが、それを知ってか知らずか、友之が清香を促した。


「清香ちゃん。そちらは?」

「あ、ごめんなさい。聡さん、こちらは松原工業にお勤めの松原友之さんです。玲二さん達と同じく昔からの知り合いなんです。友之さん、こちらは小笠原物産にお勤めの、角谷聡さんです」

「初めまして」

「こちらこそ」

(松原……。この人も柏木さんや倉田さんと同じく、彼女の隠れ従兄弟の一人だな。どう考えても、ちょっかいを出しに来たとしか思えない)

 笑顔で挨拶を交わしながら様子を窺う聡の前で、友之がにこやかに話し出した。


「そう言えば清香ちゃん。あの後、大丈夫だった?」

「お兄ちゃんに、盛大に雷を落とされました」

「いや、本当に悪かった。清人さんがザルだから、清香ちゃんも少しはいける口なのかと」

「お兄ちゃんレベルで判断しないで……」

 がっくりと項垂れた清香を見て、友之が苦笑いしつつ額に落ちていた前髪をかき上げる。そこで会話の中身に不穏な物を感じた聡は、思わず問いかけた。


「清香さん。松原さんと最近お酒でも飲んだの?」

「はい。プールバーに連れて行って貰った時、ビリヤードを教えて貰う合間に少し。でも友之さんったら、結構強いカクテルを勧めるんだもの」

 些か恨みがましい目で見上げてくる清香に、友之は苦笑を深める。


「本当にごめん。あれ位で立てなくなる位酔っぱらうなんて、想像できなくて。ちゃんとお姫様抱っこして送り届けたから、勘弁して欲しいな」

「それで余計にお兄ちゃんが酷かったんですよ。『酔っぱらって帰って来るのはともかく、抱かれて帰って来るとは何事だ!』って。次の日たっぷり一時間、床の上に正座でお説教でした」

「泥酔した状態で帰したら、清人さんに説教されるのが目に見えてたから、近くにホテルを取って清香ちゃんの酔いが醒めるまで朝まで面倒みようかなと、一瞬思ったんだけど」

「そんな事したら友之さん、お兄ちゃんに殺されます」

「そう思って踏みとどまった。俺はまだまだこの世に未練があるから」

 そこで二人で「あははは」と能天気に笑っているのを見て、聡は激しく脱力した。


(清香さん、男と二人で飲みに行って、それは危機感無さ過ぎだろう! それにこの男、本当は兄さんの事が無ければ、彼女をどうにかしてたんじゃ……)

 一人頭痛を覚えていた聡を満足そうに見やった友彦は、ここで清香に別れを告げた。


「じゃあ、俺はここで。恩師の所に顔を出すついでに声をかけたから」

「はい、じゃあまた誘って下さい」

「勿論だよ。角谷さんも失礼します」

「はい」

 そうして表面的には友好的な笑みを振りまきつつ、友之は研究室の一つに入って行った。


「清香さん。お酒を飲む時は、相手を選んだ方が良いね」

「まだお兄ちゃんと友之さんとしか、飲んだ事ありませんし、大丈夫です」

(だから、それが問題だから!)

 その聡の心中の叫びは、声にされる事は無かった。


「清香ちゃん偶然だね。そっちの彼もどうも」

 二人で移動中、唐突に通路の向こう側から現れた正彦を見かけた清香は笑顔を向け、聡は顔を引き攣らせながらも挨拶を返した。


「今日は、正彦さん」

「またお会いしましたね」

「正彦、知り合いなの?」

 大柄な正彦の後ろに隠れる様にして歩いていた小柄な女性が、彼の背後からひょっこりと顔を出し、今までその存在に気がつかなかった二人は僅かに驚いた。そんな二人を指差しながら、正彦が事も無げに説明する。


「ああ、知り合いの子とその彼氏だよ」

「あのっ! 正彦さん? そういう言い方は語弊があって!」

 慌てまくる清香には構わず、正彦は大人と子供程の体格差がある女性を促してあっさり二人に背を向けた。


「それじゃあ清香ちゃん、俺達デートの最中だからまたね」

「え?」

「……どうも」

 呆然とその背中を見送りながら、小さく呟く清香と聡。


「デートって、この前会った女性とは別人……」

「あれから三週間、経って無い筈……」

 そこで二人は、何とも言い難い顔を見合わせた。

「見なかった事にしようか?」

「そうですね」

 全く意味不明の声掛けをされ、精神的疲労が徐々に蓄積して行く聡だった。


 それから写真同好会の作品展示会場に足を向けた二人は、飾られているパネルの一つ一つを眺めながら感想を述べ合っていたが、半分ほどを見終わった所で、清香が聡の顔を見ながら言い出した。


「でも意外でした。聡さんがカメラに興味を持ってるなんて。私の知り合いに、聡さんと気が合いそうな人が一人居て」

「あれ? 清香ちゃん?」

 何か言いかけた清香の声を遮って、背後から男の声がかけられた為、二人が背後を振り返った。するとそこに佇んでいた人物を見て、清香が目を輝かせる。


「明良さん! 噂をすれば影ね。聡さん、こちらは倉田明良さん。フリーのカメラマンなの。明良さん、こちらは角谷聡さんです」

「ああ、兄さんから聞いてるよ。宜しく」

 如才なく右手を差し出してきた健康的に日焼けした男に、聡も内心はどうあれ大人しく握手する。


「初めまして、角谷です。倉田さんは、正彦さんの?」

「ああ、弟でね。ところで清香ちゃん、例の奴、良い感じに仕上がったよ?」

「本当ですか?」

 途端に何かの話に食い付いた清香に、聡は(何事?)と怪訝な表情を浮かべた。


「俺としても自信作。急遽今度の個展に、出す事にしたから」

「えぇっ!? 良いんですか、本当に」

「勿論。それで本人の許可を取ろうと思っていたんだ。どうかな?」

「構いません。でも周りの作品の質を下げないか心配ですけど」

「大丈夫だって」

 そのやり取りを聞いた聡は、控え目に清香に尋ねてみた。


「清香さん、倉田さんの作品のモデルになったとか?」

「はい、実は」

「あ、悪いけどそれは俺と清香ちゃんの秘密って事で。一応、公表する前だしね」

 清香が何かを言いかけたのを遮り、明良がわざとらしく声を潜める。それに清香が真顔で頷き、聡に笑って手を振った。


「えっと……、そうですね。聡さん、大したことじゃありませんから、気にしないで下さい」

「そうそう、俺達だけの話だから」

 そうして五分程、顔を突き合わせて話し込んでいた彼女達を見て、聡の不機嫌度は更に増していった。それから明良と別れた二人は、本来の目的であった場所に辿りついた。


「聡さん。この教室が、サークルの発表の場所で」

「あら、清香ちゃんじゃない!」

 その教室に入った直後、入口付近でいきなり声をかけられた二人は面食らった。しかしすぐに相手を認めた清香が、笑顔でその女性と手を取り合う。


「奈津美さん! どうしたんですか? こんな所で」

「子供が産まれたら気軽に出歩けないもの。最近休みの日は、専ら修さんとデートなの」

 すると教室の隅から二十代後半の、髪を短く切り揃えた男がやって来て、人の良さそうな笑顔を見せた。


「今日は清香ちゃん。俺達どちらも大学には進学しなかったから、前々からどんな感じなのか興味があってね。ここなら、家から地下鉄一本で来れるし」

 それを聞いた清香は納得して頷き、続いて聡を紹介した。


「そうだったんですか。聡さん、こちらは倉田修さんと奈津美さん。夫婦で小料理屋を経営しているの」

「初めまして。角谷聡です」

 すると奈津美の目がキラキラと輝く。


「あら、あなたが正彦さん達が噂していた、“あの”聡さんね? 思ったより格好良くて、目の保養だわ」

「はは……、一体、どんな噂を耳にされたのか……」

 思わず顔を引き攣らせた聡だが、それを無視した夫婦の会話が始まった。


「こら、亭主の前で言う台詞か?」

「あら、修さんは勿論別格よ。比較にならないわ」

「まあ、それはそうだろうな」

(何だ? 今回はひたすら惚気られるだけか?)

 そんな事を考えてうんざりしかけたところで、奈津美が清香の手を取って話し出す。


「清香ちゃん、この前は手伝いに来てくれてありがとう。助かったわ」

「大したことありませんよ。それより悪阻はもう大丈夫ですか?」

「もう五ヶ月だし平気平気」

「まだお腹は目立ってませんね」

「でも以前より、お腹回りは大きい物を着てるのよ」

「そうですか? 全然分からないです」

 女同士で和気あいあいと話し始めた為、半ば放置された聡は苦笑いしながら彼女達を眺めていたが、ここで修が側に立ちながら気安げに声をかけてきた。


「流石に、女同士の会話に割り込もうとは思わないだろう」

「想定外でしたね。彼女が隠し玉でしたか?」

 それほど気を悪くしたりもせず聡は笑顔で応じたが、ここで修は真顔でボソッと呟いた。


「真打ちは最後に登場と、相場が決まってる」

「何か?」

「何でも無い。気にしないでくれ。まあ、色々大変だろうが頑張れ。不憫過ぎるから、心の中では応援してやる」

「それはどうも」

 何故か不自然に視線を逸らした修を、聡は憮然とした顔で見やった。ここで室内の奥の方から聞き覚えのある声が響いてくる。


「あら角谷さん、いらっしゃい」

 その声の方に向き直った聡は、瞬時に愛想笑いを顔に貼り付けた。

「やあ、緒方さん。ここは君が所属してるサークルなんだよね」

(兄さんと繋がってるのが明白な彼女の前で、油断は出来ないな)

 そんな聡の心境とは裏腹に、朋美は上機嫌に笑いかけた。


「ええ、清香に色々協力して貰って助かりました。清香、聡さんとのデートの時間を割かせちゃってごめんね?」

「ちょっと朋美! いきなり変な事言わないで!」

「どこが変な事なのよ。……ところで聡さんは、清香がチャリティーオークションに出品した物を知ってます?」

「清香さんからは、頼まれて何かを作って出したとしか聞いていないけど。何を出したの?」

「いえ、たいした物じゃ……」

 途端に口ごもって視線を彷徨わせた清香を、聡は不思議そうに眺めた。その聡に朋美が真剣な顔で訴える。


「清香はプリザーブドフラワーの、アレンジを作ってくれたんです。ケースのまま飾っても、とっても素敵なんですよ?」

「へえ、どんな物?」

「午前中はここに飾っておいたんですが、あとニ十分位でオークションが始めるので、会場にもう運び込んでいて。でも写真を撮ってあるので見て下さい」

「朋美、良いってば!」

「何言ってるのよ」

 何やら女2人で揉めながら朋美が携帯を操作し、データフォルダ内の画像を表示させた。聡がそれを覗き込むと、長方形の枠の中に右下から左上に向かって流水の様に配置された青系の花の両側に、それぞれ違った系統のグラデーションになっている花々が、バランス良く配置されている物を認めて表情を和らげる。


「素敵な作品だね、清香さん」

「でしょう!? それなのにこの子ったら、『最低落札価格は百円からで良いから』なんて言い出して」

「どうして? もっと高く値が付くと思うよ?」

 本気で驚いた聡が尋ねると、清香はボソボソと弁解した。


「だって、朋美が『お祭り騒ぎがしたいだけなんだから、手作りでもご愛敬よ』って言うから安心して出したのに、他の品物がどこでもすぐ売れる様な、ゴージャスなものばっかりで……」

「確かに金が有り余ってる所からは、良い物も出てたけど、手作りの物もあったでしょう? それにあれ、どうみても力作じゃない。材料費だってかかってると思うし。その点では清香に悪かったって、思ってる位なのに」

「だけど、ああいうのって好みがあるでしょう? 気に入らなければ見向きもされないし、売れ残ったら恥ずかしいもの」

「そんな事は無いったら!」

「そうだよ、清香さん。自信持って良いよ? 少なくとも俺は気に入ったし。ああいうのだったら、母の退院祝いにしても良いな」

「じゃあ角谷さん。清香の作った物を、会場で競り落として頂けません?」

「え?」

 唐突に言われた内容に清香と聡が揃って戸惑いの声を上げたが、朋美は当然の如く話を続けた。


「それなら一石二鳥じゃないですか? 清香は売れ残らなくて安心するし、角谷さんはお母さんの退院祝いを首尾良く手に入れられます。どうです?」

 そう言って意見を求めて来た朋美に、聡は笑顔になって応じる。


「そうだね、そうしようか」

「あのっ、でも、聡さん!?」

 慌てて何か言いかけた清香を、聡は笑って制した。


「別に、支障は無いだろう? ちょうど良い物が見つかって嬉しいよ」

「そうですか? ありがとうございます」

「どういたしまして」

 そんなやり取りをしてから聡は一通り朋美から活動内容の説明をして貰い、それからオークション会場になっている講堂へ、清香と倉田夫妻と共に向かった。それを見送った朋美は、携帯を取り出してどこかへと電話をかけ始める。そして大して待たされず、応答があった。


「緒方さん、首尾は?」

「上々です。上手く誘導して、焚きつけておきました」

「御苦労様。あいつに清香の前で、赤っ恥かかせてやる」

 そこで携帯越しに薄笑いの声が伝わり、朋美は僅かに眉を顰めた。


「……本っ当に、容赦無いですね」

「清香にちょっかい出す男限定だ。バイト料は後で支払う」

「楽しみにしてます。それじゃあ」

 最後は猫撫で声で告げて、朋美は携帯を閉じた。

「さて、私も見に行かなくちゃ!」

 そう力強く宣言した彼女は、携帯をバッグにしまい込み、いそいそとその場を後にした。

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