第6話 込み上げる怒り

「じゃあ、お兄ちゃん。ちょっと駅前のカフェまで出かけてくるから」

 その声に、朝食後リビングのソファーに座って寛いでいた清人は、読んでいた新聞から顔を上げて、ドアの方を見やった。


「ああ、例の角谷さんから、お母さんの本を受け取って来るんだな」

「うん。お兄ちゃんがサインしてくれるって伝えたら、とても喜んでくれたわ」

「そうか。しかしわざわざこの近くまで足を運んで貰って申し訳無かったな。先方に住所を教えても良かったか……」

 僅かに表情を曇らせた清人に、清香が宥める様に明るく言葉を継ぐ。


「何でも今日は、もともとこの近くに用事があったんですって。本を渡したら、その足でそこに向かうって言ってたから」

 それを聞いた清人は、どこか安堵した顔付きになった。

「そうか。それはお互いに、都合が合って良かったな」

「うん。帰りにケーキでも買って来るね。行ってきます!」

「ああ、気をつけて」

 そんなやり取りをして清香を見送った後、再び新聞を読み始めた清人だったが、電話の着信音に不快気に顔を上げた。


「誰だ? 土曜日の朝っぱらから」

 小さく悪態を吐きながら新聞を横に置いた清人は、壁際の電話に真っ直ぐ向かった。そして受話器を取り上げて応答する。


「はい、佐竹ですが」

「お久しぶりです、清人さん。友之です」

「……何の用だ?」

 妙に嬉しそうに聞こえてきた男の声に、清人の機嫌は確実に悪くなった。

 浩一を初めとする、清香に纏わりついてくる彼女の従兄弟達の一人で、清人の一歳年下の友之は、一見人当たりが良く穏和な気質を持っている好青年と思われがちだが、実際は松原工業次期後継者と見込まれるだけの人物であり、その内側に鋭敏な観察眼と胆力を兼ね備えた、早く言えば一癖も二癖もある人物だった。

 しかしそれは清人も同様であり、同族嫌悪と言う言葉がぴったりなこの二人の関係は、浩一に対するそれとは異なり、以前からあまり友好的とは言えなかった。


「そんな露骨に、嫌な声を出さなくても良いじゃないですか。一つ悪い事を教えてあげようと思ったのに」

「“良い事”ではなくて“悪い事”と言うあたり、相変わらずだな」

 清人は思わず皮肉ったが、相手は平然と切り返してくる。


「あなたには負けますよ。ところで清香ちゃんはそこに居ますか?」

「たった今、外に出たところだ」

 てっきり清香に電話をかけてきたと思った清人は、言外に「目的を果たせなくて残念だな」という意味合いを含ませたが、友之は全く気にせずに用件を口にした。


「それは好都合。実は彼女が今、会いに行ってる人物は男です。それを教えてあげようかと思いまして」

「は?」

 いきなり思考停止する内容に清人が絶句すると、友之がどこか思わせぶりに伝える。

「もっと詳しく言えば……、あなたの異父弟だったりするんですよ」

 その台詞を聞いた清人はたっぷり数秒は固まった後、電話の向こうに怒声を浴びせかけた。


「何だと!? そんな馬鹿な!! お前、いい加減な事をぬかすな!!」

「五月蠅いです。彼女、その人物をどう言ってたか、思い出してみたらどうですか?」

 迷惑そうに指摘してくる友之に、清人は取り敢えず怒りを抑えて考え込む。


「そう言えば……、『角谷』って言う苗字は、あの小笠原社長の旧姓だったか? 迂闊だった……。おい、ちょっと待て! 大体どうしてお前がそれを知ってる!?」

 矢継ぎ早の言葉に、清人の動揺ぶりが容易に推察できるらしく、友之が笑いを堪える様な口調で説明してくる。


「最初の情報源は玲二です。しかし色々平静さを欠く事があったかもしれませんが、清人さんらしくないですね。清香ちゃんに近付く男の影に気がつかないなんて」

「勝手に言ってろ!」

 忌々しげに吐き捨てた清人に、友之が口調を改めて問い質してきた。


「それで、どうするつもりですか?」

「どう、とは?」

 衝撃の事実を告げられた為、些か失調気味の清人が言われた意味を掴み損ねて眉を寄せると、友之が淡々と畳み掛けてきた。


「清香ちゃんに小笠原との一部始終を話した上で、彼らに金輪際近付くなと厳命しますか?」

「それは……」

 思わず口ごもった清人に、友之が追い討ちをかける。


「そうもいきませんよね? 実の母親を死んだ事にし、実の祖父に対して仕出かした非常識な行為の数々を聞いたら、あの素直で純粋な子が『お兄ちゃん酷い、あんまりだわ! 人として最低よ! 軽蔑するわ、大っ嫌い!』とかなんとか言いそうだ。そんな事を面と向かって言われたら、妹命のあなたにはダメージが大でしょうし」

「……五月蠅い、黙れ」

 律儀にも清香の口調を真似て言われたそれに対して、清人が静かに恫喝し、そのこめかみに青筋が浮かんだ。それがまるで見えているかの様に、友之がクスクスと笑いを漏らしてから、いつもの口調に戻って確定事項を告げる。


「取り敢えず今日は2人の待ち合わせ場所に、体の空いていた正彦を出向かせています。さり気なく邪魔しますから、そう心配しなくて良いですよ」

 その台詞で、清人はおおよその事情を把握した。


「全く……、俺が知らないところで、皆で集まったのか?」

「ええ、意思統一しました。それで清人さん、今日は病人になって下さい」

「はあ?」

 唐突な申し出に流石に清人が戸惑った声を上げたが、友之はそれに構わず話を続ける。

「携帯の電源を切って、固定電話も出なければ完璧です」

 そこで元々聡い清人は、友之の思惑を瞬時に理解した。


「なるほどな。清香に心配をかけるのは不本意だが仕方がない」

「どこまでも清香ちゃん本位の人ですね。それじゃあ連絡はしましたから、失礼します」

「ああ、手間かけさせたな」

 最後は互いに苦笑しあって通話を終わらせ、清人は静かに受話器を元の位置に戻した。しかし(くだらない小細工を弄しやがって)と聡に対する清人の怒りは、それから暫く燻り続けた。



 清香が目指す店に入ると、入り口近くのテーブルに着いていた聡が軽く手を上げて自分の位置を知らせてきた。それに微笑みながら、清香が歩み寄る。

「すみません、遅くなりました」

「清香さん、こちらこそわざわざお呼び立てしてすみません。しかも先に自分の分だけ注文してしまいましたし」

 聡の前に置いてあるコーヒーカップを見ながら、清香は向かい側の席に座った。


「いえ、自宅のすぐ近くですし、角谷さんの方がご自宅から距離がありますよね。あの、ところで今の『清香さん』と言うのは……」

 前回とは違う呼び方でサラリと呼び掛けられた清香は戸惑いながら尋ねたが、対する聡は事も無げに言い切った。


「ああ、この前は佐竹さんってお呼びしてましたけど、よくよく考えてみたらお兄さんである先生も同じ佐竹さんですから、自分の中で何となくお二人の呼び方を変えてたんです」

「はぁ」

「清香さんが嫌なら止めますが、どうしても駄目ですか? 『さやか』と言う名前が素敵だから、できればそちらでお呼びしたいと思っていたのですが」

「……えっと、そういうことなら」

「良かった。ありがとうございます、清香さん」

 にこやかに微笑みながら微妙に押しの強さを発揮する聡に、清香は何故か既視感を覚えた。


(あれ? 何か、前に似た様な事が無かったっけ?)

 何かにつけ、顔に貼り付けた聖人ぶった笑顔とソフトな物言いで、清人に知らず知らずのうちに舌先三寸で丸め込まれている清香だったが、あまりの頻繁さの為に逆にはっきりと意識出来なくなっていた。何となくモヤモヤした気持ちを抱えながら、近寄ってきたウエイトレスにカフェオレを注文すると、彼女が落ち着いたのを見計らって、聡が小さめの手提げ袋を差し出す。


「それで……、早速ですが、この本に先生のサインを貰えますか? ハードカバーの物を持ってきてしまったので、かさばるし重くて申し訳ありませんが」

「構いませんよ? 本一冊位。角谷さんったら、そんなに恐縮しなくても」

 クスクスと笑い出してしまった清香に、聡も自然と目元を緩める。そしてここで唐突に清香は気がついた。


(あ、そうか! 角谷さんって、何となくお兄ちゃんに似てるんだわ!)

 そうと気付いた清香の頭の中で、目の前の人物の徹底観察が始まった。


(パッと見は似てないのよね。強いて言えばお兄ちゃんはキラキラ王子系で、さしずめアレクシス様だし、角谷さんは精悍な騎士様って感じで、例えればジュノーだし……)

 密かに愛読しているライトノベルの登場人物に清人と聡を置き換え、清香が軽く妄想世界に突入していると、ここでウエイトレスがカフェオレを運んできた。軽く会釈して目の前に置かれたカップを取り上げた清香は、それに軽く口を付ける間も注意深く聡に視線を向ける。


(瞼もくっきりとした二重だし、目つきが鋭いけど怖くは無いのよね。笑った時に目を細める感じが似てるかな? それに……、そうか! 髪質が同じなんだ!)

 自分の顔を真正面から見ながら難しい顔で考え込み、次いでニコニコと微笑みだした清香に、聡は幾分怖じ気づきながら声をかけた。


「……あの、清香さん。俺の顔に何か付いてますか?」

 その問い掛けに、清香は瞬時に我に返った。

「え!? えっと……、ジロジロお顔を見てすみません。ちょっと考え事をしていまして」

「いえ、大した事でなけれは良いんですが」

「あの! 今、お兄ちゃんと角谷さんの事を考えてまして。二人がちょっと似てるかな~と」

 弁解する様に清香が口にした台詞に、聡がピクリと反応した。そして若干言葉を選ぶ様に確認を入れる。


「先生と俺が、ですか? 因みにどの辺りがでしょうか」

「はい、髪質とか笑った時の感じが」

「そうですか……」

 公表されている写真で顔は知っているものの、未だ直接対面した事の無い兄に似ていると言われた聡は面映ゆい感じがしたが、素直に喜んで良いか分からずに微妙な顔になった。しかし何とか無難な言葉を返す。


「光栄です。先生の様な高名な方に似ていると言われて、嬉しいですね」

「高名だなんて、ちょっと大袈裟ですよ?」

 クスクスと笑った清香に、聡は慎重に話題を逸らした。


「ところで…、この前お会いした時、清香さんは先生と十一歳違いだとか伺いましたが、随分年が離れているんですね。二人の間に他のご兄弟はいらっしゃらない様ですし」

「ええ、実は兄とは母親が違うんです」

 そこで聡が(よし、かかった!)と話題を誘導するのに成功したと喜んだのも束の間、続けて聡の耳にとんでもない内容が飛び込んできた。


「兄の実母に当たる人は、兄が一歳の時に亡くなったそうです。その後父が再婚して、私が生まれました」

「……お亡くなり、に、なった?」

 顔面を蒼白にした聡が呆然と呟くと、清香が小さく頷いて続ける。


「はい。亡くなった後に、位牌とかは実家の方で引き取ったとかでありませんし、写真も皆無なので、どんな人だったのか私は知らないんです。兄も私の母に気兼ねしていたのか、そんな話は一切しませんでしたし」

 それを聞いた聡は少しの間黙り込んでから、常より幾分低めの声で謝罪の言葉を口にした。


「そうですか。すみませんでした清香さん。好奇心からつまらない事を聞いて」

「大丈夫です、気にしないで下さい! 半分しか血が繋がってない異母兄妹でも、お兄ちゃんと私は並の兄妹より仲が良いって自覚と自信がありますから!」

「確かにそんな感じがしますね」

 ドンと自分の胸を叩く真似をして明るく保証してくる清香に、聡は辛うじて笑顔らしきものを顔に浮かべながら言葉を返したが、内心は怒りで煮えくり返っていた。


(母さんを死んだ事にしているだと? 幾ら行き来が無いとは言え、あんまりじゃないのか!? 妹に向ける愛情の百分の一でも、母さんに向けられないのかよ!? 母さんが可哀想だとは思わないのか?)

 そんな事を考えながら必死に激情を抑えていた聡の頭上から、唐突に男の声が降ってきた。


「あれ? 清香ちゃん。どうしてここに居るの?」

「あ、正彦さん。こんにちは。どうしてって……、何がですか?」

 かけられた言葉の意味が分からず、清香は不思議そうにテーブルの横に立つ男女二人組を見上げたが、対する正彦は怪訝そうな顔付きで口を開いた。


「実はさっき、清人さんに電話したんだ。今度一緒に飲みに行く約束をしてたから、それについて。そしたら何だか急に具合が悪くなってきた様な事を言い出して」

「え? それ、いつの話ですか?」

 途端に顔色を変えた清香に内心ほくそ笑んだ正彦が、連れの女性を軽く指差しながら続ける。


「こいつと待ち合わせしてる最中だから十分位前かな? 何かキツそうな口調だったから救急車は呼ばないのか聞いたら、清香に付き添って貰って病院に行くから大丈夫って言われて。……何だよ清人さん、まさか俺に心配させない為に、清香ちゃんが側に居るって嘘をついたのか?」

 わざとらしく顔を顰めた正彦の前で、すっかり狼狽した清香が立ち上がる。


「本当ですか? やだ、どうしよう? 家で倒れてたりしていたら!」

「落ち着いて清香ちゃん。取り敢えず電話してみたら?」

「そ、そうですね!」

 慌てまくって携帯を取り出した清香は、立ったまま電話をかけ始める。その側に佇んだままの正彦達と共に店中の注目を浴びてしまったが、清香にはそんな事に構っていられる精神状態では無かった。


「正彦さん、どうしよう? お兄ちゃんの携帯も家の電話も繋がらないの!」

 すっかり涙ぐんでしまった清香に、正彦は宥める様に言い聞かせた。


「たまたま電源を切って、病院に行ってるだけかもしれないよ? 家はここから近いんだから、取り敢えず戻ってみたら? 清人さんなら出かけるにしても行き先位、書き置きしてると思うし」

「それもそうですね。ありがとう正彦さん。それじゃあ角谷さん、慌ただしくて申し訳ありませんけど、これで失礼します!! お兄ちゃんにサインをして貰ったら、また改めてご連絡しますねっ!!」

 そう叫ぶやいなや清香は持参したバッグと先ほど聡から預かった紙袋を引っ掴み、もの凄い勢いで店を飛び出した。


「清香さん! 何かあったらまずいですから、俺が送りま」

「引っ込んでなボーヤ」

 すっかり傍観していた聡もここで慌てて立ち上がり、清香の後を追おうとしたが、その腕を正彦が素早く捕らえる。そしてその耳元に口を寄せて囁いた。


「俺は、ちょっとばかりお前に話があるんだ。……小笠原聡」

 その一言で、聡は瞬時に全身の動きを止めた。

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