第2話 みんな他人にそこまで、注目していない。

「ただいま……」

全てを投げ出すように、居間へと転がり込んだ。満足行くまで、ジタバタと脚をばたつかせる。しかし、誰も何も言わない。居間のローテーブルに、書置きがあった。

『お姉ちゃんへ おじいちゃんと、おばあちゃんとお母さんのお店に行ってます。メロンパン買ってくるね 桜より』

桜は、妹だ。

母の拘りで、娘が生まれたら必ず花の名前をつけることにしていたらしい。息子の場合は?と、聞いたら「無難な名前」と、具体例のない回答をされてしまったことははっきりと覚えている。

母の店なら、あと半時もすれば帰って来るだろう。

お母さんと、おじいちゃんと、おばあちゃんに確認したいことがあったのに。

今日で、何回目かさえも分からない溜息を私は吐くしかないのであった。






「それはそうと、新しい先生どんな人やろね」

「あっ……」

「忘れてたん?」

「うん」

清水先生が、産休に入って二週間。新任の先生が来るまでは、宮本先生がホームルームとかを進めていたけどどうなる事やら。

清水先生は人が良くて、若い先生だった。

28歳だから、私たちの2倍は経験を積んでいることになる。私が、清水先生と同い年になったら彼女みたいになれるのか?なんて、安い問いかけは、しない。清水先生と私では、歩幅も、綺麗だと感じるものも、許せないと感じるものも。全てが違うことを、知っているから。そして、こんなにも違うからこそ私が先生という人間に憧れていたことも、分かっている。

宮本先生自体は、いい人なんだけど……ちょっと、不潔感があるのだ。中年男性にありがちな、顔の吹き出物とか、弛んだお腹が寺尾さんはとても気に食わないらしい。何かにつけて、宮本先生に文句を言う。見ていてとても可哀想だけど、私にはどうも出来ない。

「あんさ~。新任の先生、嫌な奴なら授業潰そうや」

また、か。下らないことを提案させたら、寺尾さんは天下一品だ。神田さんは、安易に便乗し始めた。相沢さんは、首を傾げた。

「なんで?授業を潰すより、先生の悪いところを言った方が先生の為なるで」

「あ~!も~!そっちの方が、いいやろ?みんな、授業なんか、したくないよな?」

「でも、それは問題の解決にならんて」

「は?」

相沢さんは、心からそう思っている様子だった。だからこそ、引き下がらない。彼女が言っていることは、的を射ていることが多い。その為、寺尾さん的には反論しにくいのだ。

ただ、私からしたら相沢さん節は理想論過ぎるのだ。ドリーマーとも、言えるだろう。誰もが憧れる「幸せな結末」をひたすら求めて、実行しようとする。その時の、周りの反応なんてお構いなしだ。

「葵ちゃん。私日直やから、あの、職員室に日誌取りに行かな」

「うん。行こ」

どうして、ちょっと職員室に行くだけなのに付き添い人が必要なのか?とか、思うだけ野暮だ。私はもう考えないことにしている。

付き添いついでに、新任の先生の顔も拝んでおこう。









「失礼しま~す」

とても重い職員室の扉を、引いた。神忘中学校は、今時珍しい横一文字の木造建築だ。建物自体が古いので、立て付けが悪い。少し、引き戸を持ち上げるように上に力を働かせないと開かない扉だ。結構な力が要るので、校長先生は扉を開けられない(ちなみに言うと、タマちゃんも開けられない)

ぐるり、と一周職員室を見渡すまでもなく。新任の先生は、すぐ目に付いた。

糸を引いたような、流し目。程よい、肉付きの体躯。眩いほど艶がある、髪の毛。男性で、色っぽい人は初めて見たかもしれない。

周りが良くも悪くも、癖がなく普通な中年男性ばかりだから余計目に付くのだろう。

「あの人、新任の先生やんな」

「そうだろうね」

「格好ええなあ。スーパーモデルみたいやわあ!」

「た、タマちゃん……!声、大きいって」

聞こえたのか、新任の先生はくつくつと笑っている。

「お~。玉井。日誌け?ほれ」

「ありがとうございます。宮本先生」

「いえいえ。青柳先生、そろそろ」

「あ、ハイ。了解っす」

語尾が「っす」って、なんだかチャラくない?見た感じ、この青柳先生は20代半ばくらい。そして、宮本先生は確か43歳。かなり年が離れているけど、別に問題ではないのだろうか?私が先輩にそんな口を利いたら、怒られるだけではなく無視まで発展するだろうに……宮本先生は、気にしていない様子だ。大人の世界は、よく分からない。子供だから、ちょっとした言葉に敏感になるのだろうか?大人は、ちっともそんな針の穴みたいなことを気にしないのか。さっぱり、想像がつかなかった。







朝のホームルームが、やって来た。さして特別なことがない、その時間は退屈でしかなかったけれど今日はちょっとだけ楽しみだった。理由は、言うまでもない。

青柳先生が、教卓に手を付き腰を引いて教室内を見渡した。

「新しく君たちの担任をすることになりましたぁ。青柳 孝祐です~。二年生のクラス担任と、国語担当するからヨロシク~。あ。数学とか英語とか他教科の相談されても、分からないから」

たちまち、教室内で目配せが始まる。視線の先は、寺尾さん一点に集結していた。

「先生は、中学校時代なんの教科が得意やったん?」

「ん~。国語、体育、音楽かなあ。他は、全然興味なかったし」

「体育の先生になろうとは、思わなかったん?」

「体育の先生って、体育大行かなきゃいけないし。脳みそまで筋肉で出来てるような、熱血掛け算できなくても足し算でなんとかします!集団に混ざりたくなかったしねえ」

寺尾さんの先生に、ずっと気怠そうに答える青柳先生。

なんとなく、想像ついていたけど……この先生は、思いついたことを「そのまんま」言っている。ありのままを晒し過ぎだ。個人的には例えが分かる部分もあり、面白いが……この場では、擁護出来ない。

対高校生なら、この態度でも良いだろう。ある程度は、流してくれるに違いない。しかし、相手は中学生でしかも寺尾さんだ。

「さっきから、なんやねん!アレか!体育の先生は、みんなアホって言いたいんか!」

「えっ?風刺を混じえた例え、だよ。悪口じゃないって」

「何処が!」

「寺尾、だっけ?君、国語力ないねえ」

「…………」

教室内が、凍りついた。まずい、まずい!まずい!!しかし、私には場を持たせる言葉が思い浮かばない。

さっと、間髪入れずに挙手する相沢さん。また、厄介な人が発言権を取りに行ったもんだ。青柳先生は、案の定相沢さんを当てた。

「青柳先生。大人たちの間では、先生のジョークは通用するのかもしれません。けど、私たちは中学生で多感な年頃です。みんな、先生みたいに成熟仕切ってません。体育の先生を目指している生徒が居るかもしれないのに、先ほどの発言は如何かと思います」

よくもまあ、こんな長台詞を一息で言えるもんだ。女優向きかもしれないな……彼女。

「あ、うん。そうだね。謝るよ。ごめんね?でもさ、寺尾って。俺の揚げ足取りたいだけっしょ?」

「…………」

寺尾さんは、机を拳で叩きつけた。しかし、青柳先生は怯まない。どころか、笑顔も崩さない。

駄目だ、これ。寺尾さん、完敗だ。そして、今日の国語の授業は崩壊で、決まり。ってところ、かな?







私の想定通り、国語の授業は崩壊した。

先生が本読みを寺尾さんに当てると、彼女は読まない。そして、寺尾さんとつるんでいる別所君が音を鳴らしながらスマホゲームをしだす。先生が注意をしたら、逆切れだ。神田さんは、流行りのドラマの主題歌を歌いだす。別所君と仲がいい中山くんは、アルトリコーダーを吹き出す。言葉にもなってない叫び声を上げる別所君の姿を見て、青柳先生はこう言った。

「ゴリラが、なんで中学校に来てるの?動物園に帰りなよ」

青柳先生も青柳先生で、負けん気が強く懲りない人だ。この言葉が決定打となったのだろう、別所君が青柳先生の胸ぐらを掴んだ時タマちゃんが泣き始めたのだ。

騒ぎにかけつけた宮本先生は、顔を青ざめ国語の時間をすぐ学級会へと変えた。

「で、お前から見てどうやった?深見」

「えっと、確かに青柳先生の言葉はアレ?ってなりました。けど、私らもやり過ぎだったと思います」

あくまで、角を立てないよう中立意見を言う私。寺尾さんのグループ以外は、うんうん。と、頷き始めた。

「そうやな。確かに、青柳先生は未だ教師歴が浅いから、言葉選びが上手うないと思う。そこは、俺たちも指導していくつもりや。だから、お前たちもちょっと大人になってくれへんか。なっ?」

大人になれ、か。さらっと、酷なことを言うなあ……。

宮本先生は、私の顔をじっと見た。

「え、えっと?」

「いや、ありがとうな。深見。みんな、反省しとるし」

「そんな」

私からしたら、寺尾さんたちは反省の色が見られない。

それもそうだ。みんな、という言葉は結構大雑把だ。過半数が占めていたら、無理矢理にでも「みんな」という全体へと昇華することが出来てしまう。

これは、また一波乱あるだろうなあ。

学級会が落ち着いて、しばらくしてから青柳先生が帰ってきた。相変わらずの寺尾さんたちの、視線だ。獣のように険しく、ナイフのように鋭い視線。先生は別段気にする様子もなく、宿題のプリントを配った。

馬鹿だなあ。そんな真似したって、先生からしたら膝の痛みにすらならないのに。

「どうしたの?深見?」

「な、なんでもないです」

「……別に、大丈夫だよ」

なんだ。今の思わせぶりな間は。聞いて欲しいのだろうか?それとも、何か言って欲しいのか?

「そうは見えないんですけど」

「ハハ。引っかかった」

「……へ?」

実に得意満面な笑顔を見せる、意地の悪い人だ。

参ったなあ。ペースが、狂ってばかりだ。

「葵ちゃん、なんか楽しそうやねえ」

「どこが!?」







桜たちが帰ってくるまでの間、私はお隣さんの家にお邪魔することにした。

テレビでも観れば良いのに。という意見もあるかもしれないが、神忘村はNHKを含めて3局しか映らない(挙句、ニュースか再放送ばかり。砂嵐の時間も多い)のだ。宿題は終わらせたし、大して趣味がない私にとって「暇」が一番の敵だ。

お隣さんは、おじいちゃんが一人暮らしをしている。

昔は「一日文学館」という名の資料館を経営していた。奥さんが亡くなってしばらくしてから、閉館してしまったそうだ。奥さんは、結構若くで亡くなったらしい。でも図鑑とか映画のDVDはそのままにしてあるので、ご近所のよしみで何時でも見せて貰えるのだ。

細い砂利道を進む途中で、様々な木や花で出会う。すっかり錆びてしまった鉄製プレートに、植物の名称と解説が書いてある。

ピンポーン。と、インターフォンを鳴らした。

「こんにちは~。葵です~。おじいちゃん、上がっても良いかな?前言ってた、映画のDVD観たくなって」

可笑しい。おじいちゃんからの返事がない。でも通話ボタンは、押されている。風邪でも引いてしまって、声が出ないのだろうか?

「……やっぱし、深見か」

「あ、あ、あお、青柳先生!!!?」

姿を見せたのは、今日で一番印象に残っている張本人だった。

「てか、気づけよ。うちのじいちゃんも、青柳じゃんかよ~」

「……すみません。一日文学館のおじいちゃん、って覚えてました」

「まあ。表札出してないしねえ。出しとくか。ネット通販で安くであるかねえ」

「ちょ、ちょ!待って下さい!先生、おじいちゃんのお孫さんなの!?」

「超今更じゃね?俺、深見って聞いた瞬間気づいてたけど」

「言ってくださいよ!!」

こうして、青柳 孝祐先生と私深見 葵の波乱の日々は始まったのだった。

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青い素足たち。 麻田麻実 @mami_asd

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