第5話 陰り

「――――――んっ、………あれ……?」


……ここは………どこだろう………

目を開けると、そこは見覚えのある光景だった。

じりじりと照りつける太陽。

丈の高い草の広がる平原。

不思議な形の樹木。


「ここは……さばんなちほー……?」


辺りを見渡してみる。

見覚えのある木陰。

見覚えのある幹が太い背丈の低い木

見覚えのある水場。

……そして、一番見覚えのある真っ直ぐ立った大きな耳が見えた。


「……サーバルちゃん?」


どうやらボクには気付いていないようで、何かを必死に追いかけている。


「うみゃみゃみゃみゃーーーーー!」

「おーい!サーバルちゃーーん!」

「まてまてーーーーー!!」


声をかけてみるも、こちらには気付かない。

それどころか、何かを追いかけてボクから遠ざかっていっている。


「サーバルちゃーん、待ってよーー!」

「うみゃーーーーーーーっ!」


サーバルちゃんを追いかける。

そのサーバルちゃんは、まるでボクの声が耳に入っていないかのようにどんどん走っていく。



………と、突然サーバルちゃんが走るのをやめ、その場で立ち止まった。

その隙にボクはサーバルちゃんに追いつく。

それと同時に、目の前のサーバルちゃんの様子が少しおかしいことに気付いた。


「さ、サーバルちゃん、どうしたの……?ボクの声が聞こえないの……?」


ボクは心配になって問いかける。

するとサーバルちゃんは振り返り、ボクにこう言った


「ねえ、かばんちゃん」

「なんだ、サーバルちゃん、ちゃんと聞こえて―――――」



今まで見たことのないくらい冷たい表情で。



「フェネックと身体を触り合うの、楽しかった?」




「えっ――――――――――」




――――――――――


―――――――


――――




「サーバルちゃん、そ、それはっ―――――!」


……自分の声で目が覚める。

どうやら夢を見ていたようだ。

とても不思議で、悪い夢。

夢の中であれど、サーバルちゃんの冷たい眼差しがはっきりと脳裏に残っていた。







……とりあえずボクは体を起こし、今の状況を整理する。

ここは確か……ロッジの部屋の一つである『しっとり』の室内。

はだけだ服。

そして、左手には誰かの暖かな肌の感触。


あぁ……あの後ボク、気を失っちゃったんだ………


頭がようやく眠りから覚め、意識がはっきりとしてくる。

隣にいるのは、フェネックさん。

ボクと同じくはだけた服のままぐったりしている様子を見るに、ボクと同じく気を失ってしまったのだろう。

取り敢えず今のこの危うい状況を何とかするため、一旦フェネックさんを起こす。


「……フェネックさん、起きてください……」

「………………んっ、……………あれ……私………」

「フェネックさん、大丈夫ですか?」

「…かばんさん?……………あぁ、そっか……私たちあの後………」


そう、ボク達は一時を共にした。

お互いをお互いの感情の捌け口として。

その場の異様な雰囲気と暴走する感情に身を任せ、理性を失い求めあったのだ。

そして、二人は最後、大きな衝撃に飲み込まれてそのまま気を失った。


「……どうやら、成功したみたいだね」


フェネックさんのその発言で気付いた。

胸にわだかまっていた黒い感情が嘘のように消え失せていたのだ。

……しかし冷静になった今、違った感情が胸を締め付けていた。


「……ボク達、とんでもないことをしちゃいましたね」


……罪悪感だ。

本来ならばサーバルちゃんに向けているはずの好意を、一時的にでもフェネックさんに向けていたのだ。

ただの友達としての好意ではない、サーバルちゃんにだけの特別な好意。

フェネックさんが"恋"と呼ぶその大切な感情を、裏切ってしまったように感じた。


「そうだね………、でもこれしか方法が思いつかなかったんだもん、仕方がないよ」

「そんなことを言えるフェネックさんが、少し羨ましいです……」

「そんなことないよ、わたしだって後悔してない訳じゃないからね」


深夜の静かな空気に、思いを馳せる。

これが本当に正しかったのかは分からない。

でも、これしかなかった。

そのおかげで、黒い感情も消えた。

そうやって、自分に言い聞かせることで、心の安寧を保つしかできなかった。




「…」


「…」




二人、それぞれ気持ちを整理し終えたところで、フェネックさんがすこし早口で話し始める。


「かばんさん、そろそろここを出ないとまずいかもしれないよ?」

「そ、そうですね……、ぼーっとしてて気付きませんでした……」


……まだ、廊下の明かりはついていないようだ。

ボクは急いで自分とフェネックさんの服を整え、部屋の出入り口に向かう。


「フェネックさん、最後に一つだけ」

「なに?」

「今日のことは……、お互い綺麗に忘れましょう」

「……そうだね、その方が気持ちが楽そうだし」

「それと、また黒い感情が生まれることは絶対にないと信じてますけど……、もし、また苦しくなった時……、その時はまた、頼ってもいいですか?」

「……もちろん、かばんさんのためならどんと来いだけどさ……、よかったら私の時もお願いしたいんだけど、いいかな」

「……わかりました。大事なですから」

「……仲間…か………、ありがとう、かばんさん、二度と無いことを願ってるよ」


そして僕らは、その部屋を去った。








月明かりが照らす廊下をひとりで歩く。

違う部屋のフェネックさんは途中で別れ、ボクはサーバルちゃんのいる部屋を目指す。

普段寝るタイミングから結構経っているせいか、『しっとり』を出てから瞼が重い。

だけどその眠気は、次の瞬間一瞬で吹き飛んだ。




「こんな遅い時間に、どうされたんですか?」

「うわああああああああああっ、たっ、食べないでくださいいいい!?!?」


突然後ろから誰かに声をかけられ、驚いて素っ頓狂な声を上げてしまう。


「……たべませんから、安心してください」

「……えっ、あ、アリツカゲラさん?」


……声の主は、このロッジの管理人であるアリツカゲラさんだった。

でも、こんな夜中にどうして……見回りは終わったってフェネックさんは言ってたはずなのに……


「かばんさん、今、どこに行かれてたんですか?」


……何だかアリツカゲラさんの雰囲気がいつもと違う。

夜中うろついたことに対する説教なのか、それとも何か違う理由なのか……

しかし本当のことは言うことはできない。

取り敢えず適当な理由をつけて何とか切り抜けよう。


「あ、えっと、の、喉が渇いたので水を飲みに……」

「……おかしいですね、水飲み場は反対側のはずですが」

「……そ、そのあとちょっと暗かったので道に迷っちゃって……」

「水飲み場とかばんさんたちの部屋は、迷うまでもない程近くのはずですよ?」

「っ……」


ボクは突然のことに明らかに動揺していた。

…ダメだ、ロッジの管理人にこんな話で敵うはずがない。

もっと自由な理由を……


「―――――かばんさん」

「ご、ごめんなさい!目が覚めちゃったので散歩を―――――」





「『しっとり』に、いましたよね?……それも、フェネックさんと一緒に」


「なっ―――――――――――」





身体が硬直した。

……何でそれを。

そんな、フェネックさんはちゃんと確認したって……

どうして……


「図星、ですか」

「……ち、違―――」

「まあいいです、誰と何処にいようとかばんさんの自由ですからね」

「……」

「でも、これだけは言わせてください」

「……」

「"けものはいても、のけものはいない"……、この言葉、もちろんかばんさんもご存知ですよね?」


その言葉は、ずっと前から知っている言葉だった。

このパークで目が覚めてから、何も知らないはずのボクがなぜか知っていた言葉。


「この言葉はフレンズならば漏れなく誰もが知っている言葉、そしてフレンズとしての在り方そのものです」

「……」

「ですので、かばんさん」

「…」


「……サーバルさんを、どうか独りにしないであげてください」


アリツカゲラさんの真剣な気持ちがひしひしと伝わってきた。

そんなこと……


「……そんなこと絶対にありえません、だってボク、サーバルちゃんのこと大好きですから」

「……その言葉、信じてますからね」


アリツカゲラさんが、ボクの言葉を聞いて微笑む。

でもなぜか、その表情はとても悲しそうに見えた。


「……さて、今夜はもう遅いですから、早く寝ましょうか」


アリツカゲラさんが表情を一瞬で元に戻し、いつものトーンで提案する。

その切り替えの早さに少し驚いたものの、さっきからずっと眠いことに変わりはない。


「……そうですね、心配をかけてすいませんでした。」

「お気になさらず、では、おやすみなさい」







部屋に戻ってきた。

サーバルちゃんはボクが部屋を出るときと同じ格好だ。

「……うん、大丈夫」

ボクはそう呟いて、ベッドに横になる。

「明日になったら、晴れてるといいね」

……流石に限界が来たらしく、瞼が今にも閉じそうだ。

「サーバルちゃん………だいすき……だよ………」

そして確かめるようにそう呟いた直後、ボクの意識は静かに闇に溶けた。








次の日、ボクは見事に寝坊をした。


「かばんちゃんおきてー!ジャパリまん食べよー!!」

「………ぁあ、さーばるちゃん……だいすきだよ………ぐぅ」

「私もかばんちゃんのこと大好きだよ!だから早く起きてよー!」


……ああ……この瞬間がずっと続けばいいのに……


「……ごめんごめん……今起きるから……まって…て…………ふぁぁ」

「かばんちゃん、今日はねぼすけさんだね」

「えへへ……」


幸せだ……これがボクの求める日常だ……





広間に着くと、既にオオカミさんとアライさんと……そしてフェネックさんがいた。

明らかにフェネックさんも少し眠そうだ。


「お、ふたりともおはよー、きょうはとってもいいてんきだねー」

「何を言ってるのだフェネック、外は見事に土砂降りなのだ!」

「あはは、あらいさんはやっぱりかわいいねー」


……完全に寝ぼけてるみたいだ。

そういう僕も部屋ではかなり寝ぼけてたらしい。

……全く覚えてないけど。


「かばんさんもフェネックも二人そろって寝坊とは珍しいね、体調でも崩したのかい?」

「い、いえ、ただ眠れなかっただけですから」

「ふーん、それだけならいいんだけどね………」

その時、オオカミさんは何かを思いついたような顔をした。

「……そういえばこんな話を聞いたことはあるかい?フレンズに憑りついて眠りを妨げるセルリアンが――――」

「ふっふーん!またそうやって脅かそうったってそうはいかないよ!」

「ははは、サーバルは手厳しいね」


いつも通りの会話。

いつも通りの雰囲気。

いつも通りの日常。


これが、ボク達の真の在り方だ。

改めてボクはそう思う。


「……アライさーん、そういえばマンガの話はどうなったのー?」

「まんが?……………………………あっ!そうだったのだ、忘れてたのだー!」


いつの間にかいつもの調子に戻ったフェネックさんがアライさんに問いかけると、綺麗に忘れてたのか数秒のフリーズを経て本来の目的を思い出す。


「マンガというと、私が描いてるギロギロの事かい?」

「……その……びろびろ?か何かは知らないが、とにかくアライさんはマンガが見たくてここまで来たのだ」

「びろびろ…………………、と、とりあえず今手元にあるのはこれ一つだけだけど」

「これがマンガ……、早く見せるのだ!」

「まあまあ、少し落ち着きなよ」

「わたしもわたしもー!」

「そんなに心待ちにされてたなんて……、作家の冥利に尽きるね」




……その時、偶然フェネックさんと目が合う。

ボクが気まずそうにしていると、フェネックさんが自らが座っている椅子の横の席を叩く。

……呼んでいるのだろう、とりあえずボクは指示通り隣に座った。


「……どうかしましたか、フェネックさん」

「いやぁ、サーバルもアライさんも楽しそうだなって思ってさー」

「……そうですね、その様子を見てるのもとても楽しいです」

「そうだねー」

「…」


フェネックさんの表情が少し暗くなる。


「ねぇ、かばんさん、私たちはもう元の関係には戻れないかもしれない」

「……」

「でも、この二人とだけはそのままの関係でいたいんだ」

「それは僕も同じですよ」

「まあ、何が言いたいかっていうとさ」

「分かってますよ、もしどうしようもなくなった時は……ですよね」

「……ありがとう、かばんさん」

「そんなことないです、フェネックさんもボクを苦しみから解放してくれましたし、おあいこですよ」

「……」

「フェネックさんは、ボクの大切な仲間であり、恩人ですから」

「…………やっぱり、かばんさんには敵わないや」


顔を見合わせて微笑む。

罪悪感は完全には拭えないけど、やっぱりこの四人でいるときの雰囲気が一番だ。


「二人とも何やってるのだ!いっしょに見るのだ!」

「みんなで見る方が絶対楽しいよ!」


二人が僕らを呼ぶ声が聞こえる。


「……いきましょう、フェネックさん」

「……そうだね、私もちょっと興味あるんだよー」






「では、準備はいいかい?―――――――ホラー探偵ギロギロ、今日はロッジ編だ」














この時、二人はまだ気付いていない。


背徳という名の蜜の、本当の味を。

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