第4話 偽り

静か。

雨の音も、風の音もしない。

ただ、空間に広がる微かな空気の音と、不自然なまでに落ち着いた自らの呼吸の音だけが響く。



私は今日、かばんさんにすべてを打ち明けた。

アライさんのことを好きな気持ちが暴走しかけているということ。

かばんさんの悩みを前から知っていたということ。

それは、重苦しかった心の重荷を少しでも解放するためでもあり、かばんさんの本心を引きずり出す餌でもあった。

そして、私がこの『しっとり』に一人でいる理由でもある。



雨が降ってるからということでロッジで一晩過ごすことになり、寝るための部屋としてアライさんと同じ部屋に案内された。

雨の中を走り回ったことで流石のアライさんも疲れていたのか、ごにょごにょと何か言いながらそのままベッドに突っ伏して寝息を立て始めた。

それと同時に、自分の中の黒い感情のスイッチが入る。

……いつもであれば、そのままアライさんの横で静かに一度果ててから感情が収まっているうちに眠りにつくんだけど、今日はそういうわけにはいかない。

あの時、かばんさんに「待ってる」と伝えてしまったから。

もう後戻りはできないのだ。

これはアライさんのため、かばんさんのため、サーバルのため。

そして、アライさんが起きないことを確認してから私は部屋を後にした。



……この部屋にはあの丸い板は無い。

しかもこの部屋は、部屋というよりかは入口の狭い洞穴なため、外の音もほとんど聞こえない。

したがって、本当にかばんさんがここへ来るかどうかは、この部屋の扉の近くの音か扉を開ける音くらいしか確かめる方法がない。

まあ、もし来なかったとしても、適当な理由をつければこの部屋にいた理由なんて何とでも言える。

でも私はかばんさんに来て欲しかった。

最低な事をしようとしていることに変わりはないけれど、それが私にできる唯一の救いだから。



――――――――――――――――――



しばらく時間が経過した。

廊下の光が消え、ドアの隙間から漏れていた光が姿を消している。

また、この間に、2つのアクシデントが起きていた。


1つは、アリツカゲラの見回り。

扉の前でかばんさんではない誰かが何か喋っている声が微かに聞こえ、慌てて死角に隠れると同時に扉が開いた。

部屋に入ったすぐのところで静かな声で「今日は雨のせいかしっとりし過ぎてる……」とこぼしたのち、部屋が暗かったからか私には気付かずそのまま出て行った。


ロッジは個室があるといった点では優秀だけど、真面目なアリツカゲラが毎晩見回りをしている事を忘れていたのは迂闊だった。

けど、今回は結果オーライだ。


もう1つはかなり予想外だった。

アリツカゲラの見回りが終わったのか廊下の光が消えた頃、私の体に異変が起きた。

いつもはすぐに処理をするから気付かなかったが、この黒い感情は時間とともに身体の疼きを徐々に大きくしていくらしい。

その疼きの限界が来たのだ。

そこで私は一度この部屋でひとり、声を殺し、果てた。

しかしその時、一度だけでは処理できな程の疼きが溜まっていたらしく、スイッチがオフになる気配は無かった。



――――――――――――――――――



そろそろ来てもいいんじゃないか。

それとも、もう寝てしまったのか。

それとも、既に手遅れだったのか……。


さまざまな予想を巡らせるほど、時は経っていた。

それと同時に、二度目の限界が近づく。


……もう一度限界が来たら、一人でできる限り処理して部屋に戻ろう。

そんなことを考えていた、その時だった。


私の耳が、何かの音を捉えた。

……微かだけど、足音のようだ。

それはどんどん近づいてきて、この部屋の前で止まった。

私は見回りの可能性も考え、再び陰に隠れる。

扉が静かに開く。

誰かが部屋に入ってくる。

そして―――


「……待たせてしまってごめんなさい……フェネックさん」


ついにその時が、訪れた。








「……待ちくたびれたよ、かばんさん」

「久しぶりにロッジに来たので、ちょっと道に迷ってしまって」

「ふーん…」

「……この部屋、夜はこんなに真っ暗なんですね」

「まあ、私は元々夜行性だからある程度は見えるけどね」


今、この部屋の光源は扉の向こうの廊下に差し込む月明かりのみ。

その中で、かばんさんは不安そうな顔で辺りを見渡している。


「取り敢えずかばんさん、こっち」

「あ、はい」


私はかばんさんの手を引き、壁際に腰を下ろした。


「……夜って、こんなに静かなんですね」

「……そうだね、あの二人がいると夜でもワイワイしてるからね」

「…」

「…そういえば、ボスはどうしたの?」

「部屋に置いてきました、こんな所をラッキーさんにも見せたくはないですから……」


かばんさんの表情がすぐれない。


「…どうしたの、かばんさん」

「……さっき、サーバルちゃんと一緒のお部屋に案内されて、サーバルちゃんすぐ寝ちゃったんです」

「だいぶ走ったみたいだからね」

「サーバルちゃんが気持ちよさそうに寝てる姿を見て……その瞬間、ボクの中で何かが弾けたんです」

「…」

「そこからはあんまり覚えてなくて……気付いたらボクは、無防備なサーバルちゃんに手を伸ばしてました」

「…」

「身体と心の制御が効かなくて、このままだとサーバルちゃんを壊してしまう―――」

「…」

「そう思ったその時、サーバルちゃんが寝言を言ったんです…、『かばんちゃん、大好き』って……」


かばんさんが、今までにないくらい見える。

パークの危機を共に救ったかばんさんの心が、一つの悩みによって壊れようとしている。


「その言葉で正気を取り戻せたからよかったものの、それが無かったら、ボクは今頃サーバルちゃんをめちゃくちゃに壊してたはずです」

「…」

「次、また同じような状況になったら……、もう自分を制御できる自信がありません」

「……」

「ですから……フェネックさん……お願いです―――





―――たすけて……ください………………」





大粒の涙があふれ出す。

自分の心の弱さに溺れてしまう。

そんなかばんさんからの、SOS。


そしてその時、自らの中で蠢く感情がついに限界に達した。









一気に

抑えていたものの

枷が外れた









「かばん…さん………っ!」


「―――――――――――っ!?」




夕べのように、私は一方的にかばんさんの唇を奪った。


でも、今回は夕べとは違う。

かばんさんが、私を受け入れてくれている。


私は純粋に、そのことが嬉しかった。




「―――――――――っはぁ………はぁ………」




一旦、その唇を離す。



「……いきなりはやめてくださいよ、フェネックさん……」


かばんさんは突然のことに少し不機嫌そうだ。


「ご、ごめんなさい…抑えきれなくて―――」

「じゃあ、今度はボクからいきますね――――――」

「――――――んむぅっ!?」



今度はかばんさんのほうから唇を重ねてきた。

……それだけではない。

そのまま舌をねじ込んできたのだ。


私の口の中がかき回される。

舌と舌が触れる。

その度、頭に電流が走った。




「――――――っぷはぁっ……はぁ……っはぁ……」


かばんさんの唇が離れる。

私とかばんさんの間に唾液のアーチができる。



「かばんさん……どこで…そんな………」

「……図書館で読んだんです、キスのことを知った時に」



かばんさんは色んなことを知っている。

紙飛行機の折り方、文字、料理………さらにキスの仕方まで。

…………やっぱり、私はやっぱりかばんさんには敵わないみたいだ。




「かばんさんって、やっぱりすごいや」

「そんなことないですよ、それよりフェネックさん、これで終わりじゃあないですよね?」

「もちろんだよかばんさん、せっかくだもん……――――








――――――楽しまなきゃ損、だよ」



こうして、私とかばんさんの、偽りの関係は始まった。

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