ジャック・オー・ランタンと赤い瞳の悪魔と神聖なる夜

きっと烈火のごとく怒るだろうと予想していた彼女は、何故か何ともいえない表情で言葉を発することを辞め、驚異的なスピードでジャックのもとを去って行った。


アバルと名づけた赤い瞳の悪魔。

ジャックの演技にころりと騙される悪魔。体裁を保つためにつんと澄ましていたが、ジャックとおしゃべりするのが楽しいと思っていたことも、名づけられたことが嬉しかったことも、ダニエルの話題で気まずそうにしていたことも全てわかっていた。

悪魔と思えないほど素直でわかりやすい悪魔。

そのはずだったのに最後の最後でジャックが理解できない表情を浮かべていた。

もう彼女と会うことはないのだから気にしても無駄だろうが、何を考えていたのか魚の小骨が喉につっかかるようなもどかしさを残していった。


ジャックは、アバルがとってきた一部欠けた林檎をくるりと手でまわして観察する。

つやつやした林檎はジャックが齧っていた子供の頃の味と変わらず、甘かった。

昔は、ダニエルと一緒にどちらの林檎が甘いか食べ比べをしていたものだった。


ジャックはダニエルの十字架をきゅっと握った。

アバルによると、天国は本当に存在するようだ。

清く正しいダニエルなら絶対そこにいるだろう。自身は普通に考えたら、怠け者で人々を騙す天国に行けない存在だ。けれども、約束を破ることのできない悪魔と契約したのだ。ジャックの魂を地獄へ連れて行くなと。だからきっと、ジャックも死後天国へ行くことができるだろう。


「そうしたら、ダニエル、君と再会できるだろうか」


生前のジャックの行いを知ると叱ってくるだろうが、きっと彼ならば許し更生の機会を与え傍で支えてくれるだろう。

サボっているジャックを探しにきた、あの怒っているという下手な表情作りを思い出して、鼻の奥がつんと熱くなった。

ごまかす様にすんと鼻を鳴らしたジャックは、突如心臓が絞られるような痛みを感じ倒れこんだ。痛みで声を発することもできず、はっはっと犬のような息を漏らす。体を動かすこともできず、がんがんと頭を殴りつけられるような痛みまで発してきた。ジャックはぼんやりと自身の命が尽きることを悟った。

手からころがった赤い林檎を最後に、視界が暗転する。


「…ここは…?」


ふと気が付くと、ジャックは荘厳な雰囲気をかもし出す大きな門の前に立っていた。辺り一体白い世界の中でその門だけが強烈な存在感を与えている。

黄金に眩く門の扉は、一面ただ光り輝いているだけではないようで、左右の扉には5つずつ黄金のパネルがはめ込まれていた。

その10のパネルそれぞれに聖書の一場面が装飾されている。

よく眺めて見ると1つのパネルにつき複数の場面が表現されているようだ。左の一番上はおそらく創世記のシーンだろう。神がアダムを作り、アダムの肋骨からイブを作り、彼らがある日蛇にそそのかされて禁じられていた知恵の実を食べてしまい、楽園から追い出されてしまうといった4つのシーンが描かれている。

ダニエルからそんな話を聞いたなと思い返しながら、ジャックはこれが天国へ通じる門だと核心した。

そして、自身の死をようやく自覚したのだった。


悪魔が去って直ぐに死んでしまうとは、なんとも皮肉な話だ。

約束を守ろうと破ろうと、結局10月31日にジャックは死んでしまったのだから。

しかし、ジャックが提示した約束のおかげでこうして天国の門までたどり着くことができたのだと考えれば、まるきり無駄骨を折ったわけでもなさそうだ。


門の向こう側へ行こうと、ジャックが扉に触れようとした瞬間静止の声がかかった。


「あなたはその門の向こうへは行けません」


厳かな声の持ち主を見やると、鍵と三重の横木をもつ司教杖、書物を持ち、逆さの十字架を背負って雄鶏を連れた方が静かな瞳でジャックを見下ろしている。

聖ペテロ…と意図せず漏れ出た声はジャック自身驚くほどにか細く掠れていた。


「あなたはその門の向こうへは行けません。理由はわかりますね?」


繰り返し告げられた内容に、生前あれほどぺらぺらと捲くし立てていたジャックの口からは、ただ一言「はい」と飾り気のない言葉が飛び出した。

地獄へ行かない約束を悪魔とした、という屁理屈は頭の中から消え失せ、生前あれだけ悪さをした自分が天国へいけるはずもないのだという悟りがごく自然に受け止められた。


「よろしい。ではあなたの行くべき場所へお行きなさい」


そう告げられ、門から離れようとしたジャックは、歩き出そうとして持ち上げた足を再び下ろした。

何もかも見透かすような聖ペテロに向き合い「あの」と切りだした。


「12年前、ここにダニエルという者が来たと思います。私と同じ出身地で、生前は神父を勤めていた心優しき人間です。彼は…彼は門の向こうへと行ったのでしょうか」

「正しく生きたものはこの門を通り、あちらへと迎えられています」

「…そうですか。ご返答いただきありがとうございます」


やはり彼は天国へきちんと行くことができたのだな、と安堵したジャックはゆるぎない歩みで門を後にした。


しばらく歩くと、先ほどまでとは景色が一変し気が付くと暗闇が支配していた。かろうじて道の両端にマグマのように燃え盛る炎があるおかげで道が判断できる。

ぱちぱちと飛んでくる石炭に当たらないよう気をつけながら進み、やがて先ほどと同様に大きな門の前へたどり着いた。

天国の門と打って変わって、暗闇にぼうっと浮かび上がる赤黒い門の扉は左右4つずつのパネルに分けられて装飾が施されているようだった。

氷詰めにされて頭だけが地表に出ている人間。男が、恐ろしい形相で目の前の男の後頭部に喰らいついたまま固まる様。男女が抱き合いながら非業の表情を浮かべている様。

そこまで確認して気分が悪くなったジャックはなるべく門の装飾を視界にいれないようにしながら、扉へ触れようとした。


「おい、お前は門のむこうへは行けないだろうが。離れろ離れろ!」


雷のような声が頭上から降り注ぎ、ジャックは慌てて手を引っ込めた。声のほうを見上げると、三つの頭を持った犬がうなり声をあげている。

ケルベロス、と声にださなかった自分を褒め称えたい。

ジャックはすでに機嫌の悪そうなケルベロスを刺激しないように、恐る恐る尋ねた。


「あの…なぜ俺はこの門の向こうへ行けないのでしょうか…」

「何を言ってんだ!」

「その理由はお前が一番わかっているんじゃねぇのか!」

「赤目の悪魔と約束しただろ!」


交互にジャックに顔を近づけ、ケルベロスはがなりたてた。

恐怖に身を縮こませるジャックをせせら笑ってケルベロスは口々に続けた。


「魂を刈ることを禁じる」

「寿命で死ぬのを待ち構えて魂を地獄へ持っていくことを禁じる」

「そう約束を交わしただろ」

「だからお前をこの門の向こうへ通すわけにはいかない」

「さぁ帰った帰った!」

「お前の居場所は地獄にない!」


がうがうと威嚇で済まないような声音で吼えられ、ジャックは足をもつれさせながら門から離れ、元着た道へ戻っていった。


行きは一本道だったはずなのに、気付けば違う道を歩いているようだった。

あれだけ赤々と燃えていた道の両端の炎は消えうせ、代わりに音もなく冷たい風が吹いている。明かりのない暗闇の中1人取り残されたジャックは、今どこを歩いているのか、どこを目指せばいいのか、そもそも闇に身体が溶けこみ自分が歩いているのかすらわからなくなっていった。目をこらしても道の先はもちろん自身の指先さえ認識できない。

恐怖からジャックは荒く息を吐き出したが、それさえも闇に飲み込まれてしまう。

果てのない闇にジャックは正気を失い、残り僅かな理性を手放そうとした。その時、暗闇から不気味な橙色の光を発しながら、ぬぅっと化け物が現れた。


「やっと追いついた」


悲鳴を上げることすらできずに、硬直したジャックに声をかけてきたのは、赤い瞳を持った悪魔のアバルだった。

彼女は手に不気味な光を放つ化け物の顔をしたランタンを持っていた。


「アバル…それは…」


聞きたいことは他にもあったが、あまりのインパクトにジャックはランタンを指差した。


「ここは地獄のように灯がないしランタンを持ってないとね。中の炎は地獄の業火から写し取ってきたものだから風で消えることもないし、暖かいでしょう」

「中はともかく…外はなんだ…」

「カブだけど…。ただ灯を照らすためにカブに穴を開けるのも芸がないから、こうして顔の形にしたの。かわいいでしょう」


化け物にしか見えなかったが、地獄ではかわいいと表現されるのかもしれないなとジャックは引きり笑いをした。どんな形にせよ、灯があるのはありがたいのだ。

すまし顔の中に得意げな表情が見え隠れするアバルからランタンを受け取りお礼を述べたジャックは、今度こそ正しい疑問を口にした。


「どうしてここに来たんだい。何度も君を騙した俺は憎い人間だろうに」

「…わからないわ」


ジャックの問いに、アバルは首を振った。

自分でも答えが出ていないのだ。


ジャックの言うとおり、彼は二度もだまし討ちをした卑劣で極悪な人間だ。負の感情は持てども、ランタンを渡す等彼を手助けするような行動をする理由等ないはずだ。


確かに悔しいと思った。

しかし彼に対して抱いた感情はそんな単調なものではない。


殺そうとする相手である自分と胡散臭い紳士面を被りながら楽しげに会話をする人間。

名もない存在にアバルと名付ける奇特な男。

アバルを嵌めた時はにたりと意地悪い顔をするのに、時折、特にダニエルとかいう友の話をする時はあの紳士的な顔とも違う、穏やかでそれでいて泣きそうなほど切ない顔をする。そうかと思えば、天国にいる友のもとへ行きたいのだと純朴なただの田舎の青年のように謝ったり、どこへでも行けと告げたアバルに対してあどけない子供のような様子でお礼を告げるペテン師。

万華鏡のように次々と変化するジャックは、どこからがペテンの演技でどこから素なのか、アバルにはとうてい見分けることはできない。

本人に聞くときっと全てが嘘だと三日月のような目で答えられるのだろうが、その返答こそ嘘に違いない。

願わくばアバルと名付けた笑顔や、自分と会話して楽しかったと述べた感想が偽りでなければいいな、と考えたアバルは再び首を捻った。

どうして偽りでなければいいと思ったのだろうか。


「わからない…。だから、私は理由がわかるまであなたと行動を共にすることにする」

「行動を共にって、俺は一体この先どこへ向かえばいいんだ?天国にも地獄にも行けない俺は何を目指せばいい?」

「わからない。だけど私もあなたも時間はある。わかるまで歩けばいい。ランタンの炎が消えることはないから、もう暗闇に呑まれることはない」

「…そうだな」


それに、君がいれば俺は1人じゃない。


そう呟いたジャックにアバルはぱちぱちと目を瞬かせた。一瞬、彼について行こうとした理由がわかりそうな気がしたのだ。しかし、その答えの欠片はチカリと流れ星のように一瞬の光と共にまたしても思考の渦へ呑まれていった。

もどかしく感じたが、すぐにまあ今はわからなくてもそのうちわかればいいか、とアバルは思い直した。


「そう言えば、天国にも地獄にも行けないあなたは普段この道を歩くしかないけれど、明日に限っては人間界に向かうことができると思う」

「明日一日?なぜ?」

「明日は10月31日だから。あなたが死んで明日でちょうど一年」


1年の終わりの日。

神聖な(hallows)前夜(eve)。

人間も、死霊も、魔女も、悪魔も、入り乱れるお祭り騒ぎの日だ。


確かにハロウィーンであれば、ジャックも人間界へ行くことができるだろう。

行ったところで死者のジャックがそこで暮らすことはできないが、一時であれど暗闇の中よりもよほどいい。

それにしても、既に一年が経っていたとは驚きである。

これでは悪魔にとっての10年等短いと感じるはずだとジャックは納得した。


「じゃあ明日はあの林檎の木にでも向かおうかな…」

「林檎は自分でとって」

「もう君を騙すことなんてないよ」


ジャックはくすりと笑い、左手で憮然とした表情のアバルの手を握った。

アバルはそれに顔を赤くしたり首をかしげたりと百面相したが、後で考えようと先ほどの思考に落ち着き大人しくジャックに手をひかれることにした。


「今度はアバルも林檎を食べるといい。あそこのは甘くて美味しいんだ」

「甘くて美味しい林檎…」

「林檎といえば、シードルもいいな。たまには甘い酒もいい」

「甘いお酒…」


ジャックのランタンJack-o'-Lanternはゆらゆらと炎を揺らめかせながら、暗闇の中他愛もない会話をする二人の道を、ぼんやりと照らしていた。






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ジャック・オー・ランタンと悪魔と神聖なる夜 相田 渚 @orange0202

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