夜の帳のねこがたり

緑茶

夜の帳のねこがたり

 仕事から帰って部屋の電気をつけると、ねこがそこに居る。


 部屋に滑り込むと、その子を抱きかかえる。ぐにょーん。液体みたいに伸びるあたたかいいきもの。ふてぶてしい顔で、私のほっぺたをぺちぺちしたりする。痛いけどあったかい。これが生きてるってことなんだ。

 夕食とか色々あるけど、その時も常に近くにいる。まるで私の一部みたいに、そのもふもふはそばにある。手を触れたら、たとえ外が嵐でも、私はひだまりの真っ只中に居るみたいになる。そうして、さわって、めでて、1日が終わる。

 私は、すごく名残惜しいけど、ねこと数時間お別れしなきゃいけない。よく聞く「布団の中に入る」は、この子に関してはやってくれない。私のねこは、いつだってクールなんだ。そこがまたいいんだけど。


「じゃあ。おやすみね」


 私はねこをもう一度ぐにょーんと抱きかかえると、最後に手をにぎにぎして、その先の肉球に触った。

 それを合図にして、私は電気を消して、布団の中に入った。


 意識が落ちる数秒前に、私は「にゃあ」というぶっきらぼうな声を聞いた気がするけど、さだかではない。




 愚鈍な飼い主――いや、もっと対象を広げてもよかろう。

 おろかな人間には分からぬことがある。世界には奴らの哲学では思いもよらぬものがあるのだ。そう、それこそは我らがネコ族の真実である。

 あの人間どもが寝入ってからは我らの世界が始まるのだ。


 実を言えば――世界には、特に人類の生活圏には明確な敵というものがいる。奴らは夜にしか活動しないのだ。そこで我らの出番だ。我らの真の姿を人間に晒したことなど一度だってありはしない。

 もし間抜けなものが居てそんなことをしたならば――ただちに我々による粛清の牙が飛んでいる。要は我らは人間が「かわいい」などという存在では到底ないし、むしろ我々により人類は理性を溶かされ、冷静な思考力を失うのであるから、我々が奴らを飼い慣らしているようなものなのだ。


 やつらはそれを知らない――呑気なものだ。


 「飼い主」の女が寝ると、窓を開けて異形の姿に変身。そのまま夜の街を跋扈する敵との熾烈な戦いが始まる。……夜な夜な出歩く、取るに足らない人間どもには幻覚を見せているから大丈夫だ。連中は見掛け倒しというものに弱い。あっさりとひっかかってくれる。

 そうして戦い、我々は勝利する――そして戦いの時間が終わり、それぞれの敢闘をたたえながら、ねぐらへと帰還するのだ。そこでは呆けた顔をしている「飼い主」が居る。相変わらず間抜けな顔だ。私は奴の顔を何度か踏んでやる。すると呻く。これだ、これだから面白い。


 ――これでわかっただろう。何故我ら高貴なネコ族がわざわざこの劣等種族たちを守ってやっているかということを。

 面白いのだ。人間というものは。


 我々の行動に一喜一憂する。身勝手に喜び、身勝手に泣く。言動のすべてに一貫性がなく、一見理不尽の権化のように思える。

 だが我々は我々の高度な知能ゆえ、生活の起伏というものをまるで持っていなかったゆえに、奴らのような次に何をしでかすか分からない者達を見るということは、見ていて飽きないのだ。

 これほどまでに馬鹿で間抜けで、かつそれが愛らしい生き物が存在するだろうか。我々の見立てではイルカやイヌもそれに該当するが、人間ほどではない。

 

 ――ゆえに我らは人間を愛でるのだ。かような面白い存在を、そう簡単に殺させてはたまらない。人生を豊かにするのは、決まって羽目をはずした存在なのだから……。

 ゆえに飼い主よ。間抜け面した飼い主よ。これからも私はお前を管理し続けてやる。せいぜい私を楽しませ、この生活に彩りをもたらしてくれ。




 朝、目が覚めると――布団の上にあたたかい感触がある。

 私はそれを知っている。ふわふわでまんまるくて、たまに茶色がまじる不思議な生き物。色んな意味で液体みたいでとらえどころがなくって。でも、そんな理不尽さがかわいくって……。

 私は布団の上で丸くなって目を瞑るその子を抱っこして床に下ろして、身支度や朝食を済ませる。

 それから何もかもを準備して、玄関に向かう。

 ……と、その前に。その合図を忘れない。

 私はお腹をふにゃりと広げた状態で、くの字に曲がっているその子のふにふにした手をやわらかく掴んで、ピンク色の肉球に触れる。

 あたたかい。いのちがそこにある。


 私はそれで、1日に必要な何もかもを補充された気分になる。

 玄関に行き、振り返って言った。


「じゃあね」


 するとその子は――私の大好きなねこは、小さく片目を開けて、ちょっとふてぶてしい声で、「にゃあ」と鳴いたのだった。

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