第6話 水面下での動き

「もしもし、兄さん? 今日寮の方に荷物が届いたんだけど、あれは何?」

「おぅ、幸恵。と言う事は、今日から研究所泊まりなんだな」

 その台詞を聞いた幸恵は、無意識に眉を寄せて問いを重ねた。


「なんだなって……、それならどうして初日にあんな荷物を寮に送りつけたのよ。それにどうして寮の住所まで知っていたわけ?」

「ああ、それ送ったの、俺じゃないから」

「は? じゃあ誰よ」

「和臣。『いきなり無関係そうな男の名前で送ったら、施設の関係者に受け取り拒否されるかもしれないから、名前を借ります』って、俺に律儀に断りを入れてきた」

 淡々とそんな説明をされた幸恵は、反射的に正敏を叱りつけた。


「『入れてきた』じゃあ無いでしょう!! 断固として拒否しなさいよ、馬鹿兄貴!」

「だってなぁ……、あいつの性格からして、わざわざ俺に断りを入れてまで、変な物を送りつけたりはしない筈だし。それにそこの研究所って、宿泊施設が敷地内の独身寮で結構気詰まりだし、町の中心部に出るアクセスもイマイチで、気軽にちょっと買い物に出るって真似もできないんだろ?」

 しみじみと言われた内容に、ふと幸恵が疑問を覚える。


「確かにそうだけど……。それをどうして兄さんが知ってるわけ?」

「和臣から聞いた。和臣は遠藤さんから聞いたそうだが」

(係長……、あんた何をペラペラと、部外者に社内事情を話してるんですか? やっぱりあんたはバカボンだわ!)

 研究所の面々の前ではわざと悪口雑言を吐いた幸恵だったが、心の中では最近密かに評価を上げていた弘樹を、幸恵は頭の中で容赦なくこき下ろした。その間も正敏の話は続く。


「それで『ただでさえ昇進したばかりで、職場で気苦労が絶えない幸恵さんが、宿泊先で気分転換できる類の物を送ってあげたいんです』なんて言われちゃなぁ……。反論できないだろ」

 そう言い諭された幸恵は、言いたい言葉をひとまず飲み込み、質問を続けた。


「……じゃあ、兄さんの名前をかたった事に関してはもう良いわ。でも兄さん、あいつに私の購読してる雑誌とか、好んで食べてるお菓子の銘柄とか教えたんでしょう? 良く知ってたわね。最近実家で読んだり食べたりしてたかしら?」

「俺は知らないから教えて無いぞ? 大方和臣が綾乃ちゃんに頼んで、お前の周りの人間に聞いて貰ったんじゃないのか?」

「……え?」

 そこで幸恵は自分の顔が引き攣るのを自覚したが、正敏はあっさりと話をまとめにかかった。


「直接和臣、綾乃ちゃんに聞いてみたらどうだ? 俺からは以上だ。仕事頑張れよ。それじゃあな!」

「ちょっと、兄さん!」

 慌てて声をかけたが、正敏が通話を終わらせたのが無機質な信号音で分かった幸恵は、苛立たしげにボタンを押して通話を終わらせた。


「何易々と懐柔されてるのよ!」

 そう一言叫んでから、未だ腹の虫が治まらない幸恵は、携帯を睨み付けながらブツブツと呟く。

「あいつに直接電話するなんて、真っ平御免だし……」

 結局幸恵は、よりマシな話し相手を選択し、早速電話をかけた。そして相手が出るやいなや、挨拶もそこそこに用件を切り出す。


「もしもし? 幸恵だけど、綾乃さん。聞きたい事があるんだけど」

「幸恵さん、こんばんは。荷物は届きましたか?」

「やっぱりあなたが私の周囲を探ってたわけね」

 無意識に若干声のトーンが下がってしまった幸恵だったが、敏感にそれを察したらしい綾乃が、おどおどしながら弁解らしき事を口にした。


「さ、探ったと言うか……、お尋ねしたら皆さん色々親切に、率先して教えて下さいましたけど……。あの、すみません……」

(そりゃあ、社長の初恋の女性の娘、かつ有力代議士の娘と社内に知れ渡ってるこの子に聞かれたら、聞かれない事までホイホイ喋るわよね。上から睨まれたくは無いでしょうし)

 怒るのを通り越して脱力感を覚えて黙り込んだ幸恵に、綾乃が恐る恐る声をかけてきた。


「あの……、何か不都合でも有りましたか?」

 全面的に悪いのは和臣であり、綾乃は単に良い様に丸め込まれただけだと分かっていた幸恵は、諦めて溜め息を吐いた。


「言いたい事は幾つか有るけど、もう良いわ。どうせあなたも、お兄さんに頼まれたんでしょうし」

「はい。『研究所が結構周囲と隔絶までいかないまでも、結構気軽に出歩く雰囲気でないと聞いたから、気分転換になる物を送りたいけど、俺は幸恵さんに着信拒否されてるから、お前が調べてくれないか』と、ちぃ兄ちゃんが言うもので……」

(全く、殊勝なふりをして、何を企んでるんだか)

 段々小さくなっていく声を聞きながら、幸恵は舌打ちしたい気持ちを懸命に堪えた。そして一応、いつもの口調で礼を述べる。


「取り敢えずありがとう。お菓子は夜に小腹が空いた時にでも、食べさせて貰うわね。それから雑誌の類は、ついつい仕事にかまけて買い忘れて、気が付くと次の号になってる事がしょっちゅうなの。今月号もまだ買って無かったから、買う手間が省けて助かったわ」

「そうですか。それなら良かったです」

「それで、ジグソーパズルの事も誰かから聞いたのね」

「ジグソーパズルって、何の事ですか?」

 そこで心底不思議そうに問い返されて、幸恵は当惑した。


「え? この荷物、あなたが揃えたんじゃ無いの?」

「はい。私はちぃ兄ちゃんに、雑誌とお菓子の銘柄を伝えただけですけど……」

 電話の向こうでも不審そうな顔つきになっていると分かる声音に、取り敢えず追及しても無駄だと悟った幸恵は、話を終わらせる事にした。


「ふぅん? それならそれで良いわ。1ヶ月で戻るんだから、これ以上大げさな事はしないでと伝えて貰える?」

「分かりました。この電話が終わったら、早速言いますので」

「宜しく。それじゃあ失礼するわね」

「はい、お疲れ様でした」

 そうして話を終わらせて携帯を充電機にセットした幸恵は、改めてジグソーパズルの箱を取り上げ、しげしげと眺めた。


「じゃあこのジグソーパズルって、あいつが入れたわけよね?」

(兄さんから聞いた? 違うわよね。この類にはまったのは、実家を出て一人暮らしを始めてからだし。部屋に兄さんが来た事は無いし。職場でも特に話題に出した事は無いと思うんだけど……)

 少しの間考え込んだ幸恵だったが、すぐに意識を切り替えた。


「どうでも良いか、そんな事。どうせなら帰るまでに、完成させてやろうじゃないの」

 そして部屋の片隅に設置してあるミニキッチンでお湯を沸かし、持参したティーバッグでお茶を淹れて気分転換がてら始めようとしたところで、充電中の幸恵の携帯電話が着信を知らせてきた。慌ててそれを取り上げて発信者名を確認した幸恵は、先程話したばかりの相手からの電話に怪訝な顔をする。しかしすぐに通話ボタンを押して応答した。


「もしもし、どうしたの?」

「すみません、幸恵さん。今、ちぃ兄ちゃんに電話して幸恵さんの言葉を伝えたら、伝言を頼まれまして……」

「何て言ってたの?」

「あの……、怒りませんか?」

 先程の会話の時以上に、恐縮気味の綾乃の口調に、幸恵の顔が僅かに強張った。そしてそのまま宥める様に、言葉を返す。


「……さぁ、どうかしらね。でもグズグズしてると、それだけで私が怒るのが確実になるけど? この際試しに、一時間位じらしてみる?」

「すっ、すみません、言いますっ! 『幸恵さんの好みに合いそうだからジグソーパズルを入れたけど、色々忙しいと思うし1ヶ月の間に完成出来なかったら、俺が手取り足取り手伝ってあげるから安心して』とか言いまして」

 それを聞いた途端、幸恵のこめかみに青筋が浮かんだ。


「……へぇ? それはそれは、お気遣い頂いた様で」

「それで『出張終了までに運良く完成できたら、それにぴったりのサイズのパネルケースも贈るから』とも……」

 幸恵が静かに怒っているのが電話越しにでも容易に分かってしまったらしい綾乃が黙り込んだ為、幸恵は続きを促してみる。

「……ほざいたのはそれだけ?」

 すると、恐る恐ると言った感じで、綾乃が話を続けた。


「その……、『帰る時に荷物になるだろうから、車で迎えに行ってあげるから。お礼は幸恵さんにキスの一つも貰えれば、俺は満足だから』とか何とか言っていまして……」

 そして再び黙り込んだ綾乃に、幸恵が冷たく声をかける。


「それで?」

「以上です」

「そう……」

 言いたい事は色々有ったが、綾乃を怒鳴りつけても仕方がないと自分自身を何とか納得させ、幸恵はなるべく穏やかな声を絞り出した。


「あのね、正直なのは普通長所だと思うけど、馬鹿正直って言うのは短所じゃないかと思うの。これまで周りから、その類の事を言われた事って無い?」

「……色々な人に、言われています」

 電話の向こうで項垂れているのが分かる口調に、幸恵は流石に可哀想になり、これ以上文句を言うのを諦めた。


「じゃあこれ以上は言わないわ。おやすみなさい」

「おやすみなさい、失礼します」

 そして再び携帯を閉じて充電を開始した幸恵は、忌々しそうにそれを睨み付けて呻いた。


「全く、ろくでもないわね」

(でも……、これ位、時間を見ながら一月かければできるわよ。やってやろうじゃない!)

 そして俄然戦闘意欲をかき立てられた幸恵は、改めてジグソーパズルの箱を取り上げ、中身の袋を取り出した。

 その一方で幸恵との会話を終わらせた綾乃は、そのまま和臣の番号を選択して電話をかけた。


「やあ、綾乃。一晩に何回もかけてくるとは珍しいな。どうかしたのか?」

 その脳天気過ぎる口調に、綾乃の口から盛大に恨み言が漏れる。

「『どうかしたのか?』じゃなくて! さっきの言葉をそのまま伝えたら、やっぱり幸恵さん怒っちゃったんだけど?」

「お前が怒られたのか?」

「私は怒られなかったけど……、あの声は絶対怒ってたもの! やっぱり正直に、言うんじゃ無かった……」

 涙目でがっくりと項垂れた綾乃を慰める様に、和臣が優しい声をかける。


「悪かったな、綾乃」

「だから、幸恵さんへの伝言はこれっきりだからねっ!」

 力強く宣言した綾乃だったが、それを聞いた和臣は、些か傷付いた様な声を出した。

「それは酷いな……。綾乃はたった一人の兄のささやかな願いも聞いてくれない程、冷たい人間だったのか?」

 その訴えに、綾乃は長兄の存在を持ち出す。


「……お兄ちゃんもいるけど?」

「兄貴はプチ親父だ。兄弟の枠には入らん」

「否定はしないけど……。本人が聞いたら拗ねまくって後が面倒だから、本人の前で口にするのは止めてね」

 思わず溜め息を吐いた綾乃に、和臣は情けないとでも言いたげに応じた。


「全く、それ位で県会議員の三十路男が拗ねるなよ。議員の肩書きが泣くぞ?」

「そうじゃなくて! 今はお兄ちゃんの話じゃなくて、ちぃ兄ちゃんの行いについての話をしているの!」

 危うく誤魔化されそうになって次兄を叱りつけた綾乃に、和臣は感慨深げに呟いた。


「綾乃……、お前就職してから、随分しっかりしてきたよな。あっさり誤魔化されなくなったのは残念だが、お前の成長は嬉しいぞ」

「……あのね、ちぃ兄ちゃん」

 流石にイラっとしてきた綾乃だが、それを察したらしい和臣が一方的に話を終わらせた。


「そういう訳だから、これからも伝言頼むな。おやすみ」

「ちょっと! 話はまだ終わって無いから!」

 しかし既に通話を終え、かけ直しても電源を落としてしまったらしい和臣に、綾乃はこれ以上話をするのを諦めた。そして深い溜め息を吐く。


「ちぃ兄ちゃんって、昔から今一つ考えている事が分からなかったけど……、幸恵さんを怒らせる事ばかりして、本当に何を考えてるのよ……」

 疲れた表情で綾乃はそんな事を呟いたが、それに対する答えは容易に見つかりそうに無かった。

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