019 なんとなく僕たちは大人になるんだ

命からがら、なんとかバイト先のコンビニまでの生還を果たしたおれ達は、人を小馬鹿にしたようなまぬけな入店音と共に、クラッカーで出迎えられた。安っぽい火薬のにおいがコンビニ中に充満する。ロクネンが悪戯っぽく「おかえりぃ」と笑った。こいつの笑顔を見るのがもう随分と久しぶりな事のように感じた。


顔に貼り付いた紙吹雪を払いながらレジ横のラウンジを見る。窓にはパーティリングが等間隔に美しく飾られていた。横断幕まである。何が「スターゲイザー祝★生還」だ。こいつ人が死ぬ気でレグルスとやり合っていた時にパーティの準備をしてたのかよ。しかも今回は季節外れのおでんパーティだった。うちのコンビニでは店長の意向によりなぜか7月でもおでんを販売しているのだ。ロクネンが「あ、おでんは僕が店長に無理言って…」と語り出したのは聞こえないふりをした。こいつ店長の弱みでも握ってるのだろうか。みずたまは大喜びでジャンプしてはしゃいでいる。おれはレジの向こう側で、泣きながら抵抗する最年長者八鹿の財布から万札をむしり取った。


コンビニは便利だ。食品だけでなく最近では野菜も売ってるし、日用品の数も豊富だ。ここを拠点としたのは正解だったとつくづく思う。おれは消毒液と絆創膏も追加でレジに通し、みずたまにそれを手渡した。


「ほれ、もう二度とあんな無茶すんなよ」

「わーい、木津くんありがと!」


さっそく絆創膏を頬に貼り付けて「どう!?」と見せつけたみずたまだったが、その顔があまりにも滑稽で思わずおれは噴き出した。レグルスに真っ直ぐ向き合っていたのは全くの別人なんじゃないかと思うぐらいに、その姿はぽむぽむゼリーさながらの緩キャラっぷりだった。


「それでは、第一回ステラ討伐・スターゲイザー御一行様の生還を祝しましてぇ」

「かんぱーい!」


アルミ缶のぶつかり合う音が響く。炭酸が乾いた喉を冷やした。こんな流暢な事をしてていいのかとも思ったが、ともあれ汗をかいた後に飲むサイダーは最高だった。しかし、あんなことがあった直後だと言うのに、こいつらは三歩あるけば総て忘れる鶏のようにやんややんやとおでんの具を取り合っている。


八鹿が武勇伝を交えながら誇張表現でこれまでの流れを説明し、みずたまがケラケラと笑い、おれが突っ込みを入れながらそれを訂正していく。ロクネンは、なにやら小難しい顔をしてキーボードを打ちながら、頷きながらそれを聞いていた。


「……今の話をまとめると、つまり君たちはスピカの魂の共鳴する方へ行き、そこでゴミ屋敷でレグルスに再会した。皆はレグルスの心の中に入って、彼女の悲しみを汲んだ。みずたまの言葉に感化され、レグルスの魂は浄化された。最期にレグルスは神様について言及した。“もう一人の神様が、七年前の今日にこの世界の終焉を願った”と」


うーん、見たかったなぁ、ガラクタのゴーレムに、人の心に入る魔法!と、ロクネンは恍惚とした顔を浮かべてみせたが、おれ達は話を振り返る中でレグルスの事を思い出して、箸を止めた。その雰囲気を察したのか、ロクネンは少しトーンを落としておれ達に言った。


「食べながらでいいから聞いてね。今の話を聞いて、僕はこう思ったんだぁ。つまり神様ってのは、僕達と同じ、人間なんじゃないかなあって」

「……神様が、人間?」


 八鹿も、おれも、スピカも、みずたまも、怪訝そうな顔でロクネンを見た。どういう事だ?ロクネンは当たり前の事を言うみたいな顔で割り箸をペン回しみたく回してみせた。


「そう。だって、神様が元から神様だったらわざわざお願い事なんかしない筈だよぉ。それに、思いだしてもみてよぉ。異星人や宇宙人だと思ってたステラだって、元はと言えば人間だったんだ。こんな状況だよ、人間が神様になっちゃったって、もうちっとも驚く事じゃないんじゃないかなぁ?」

「それはそうだけど……」

「例えばだけどぉ、どっかの誰かが短冊に“俺がこの世界の神になる!”って描いたら本当に叶っちゃったとかぁ!」

「それはあんたのやりそうな事だな」


ロクネンは相変わらずの厨二病ぶりを発揮してみせた。だがそれはない。本当に七夕の短冊に書いた願いが何でも叶うってなら、今頃この世界には中学二年生男子の神様が溢れている事だろうし、億万長者だらけで日本の経済は破綻するだろうし、恋人がいない人など世の中に存在しなくなるはずだ。世界の均衡とは、悲しいかなそれなりに幸せな人とそれなりに不幸な人がいるからこそ保てるものだ。そんなおとぎ話のような話があるわけがない。

なかなか噛みちぎる事が出来ないのか、静かにしらたきと格闘しているスピカをおれは向いた。


「スピカは、どう思う?」

「……おもひのふよは」

「なんて?」


ようやくしらたきを噛みちぎったスピカは、何事もなかったかのような無表情を貫いておれ達に言った。


「失礼。全く根拠も確証もないのですが、それは、想いの強さによるのではないでしょうか。レグルスはどのステラよりもずっと想いが強かった。だから、彼女の魂はあそこまでリアルに形を成したのだと思うのです」


想いの強さ。そうだ、確かにレグルスはどの着ぐるみ姿のステラとも明らかに違った。それは姿形もそうだが、彼女がむき出しにした感情の渦のようなもの、強い意志、想いをおれ達は確かにあの時感じ取っていた。


「レグルスは、想いの具現化と言っても過言ではないでしょう。もしこの仮説が正しければ、どこかの誰かが、この世界の終焉を心の底から願い、それが具現化して今の状況があるのではないかと思うのです。おそらく七夕飾りの短冊は単なるきっかけだったのでしょう。人が何かを願うきっかけの日、それが七夕だと思うのです」


うーん、とおれは腕組をして唸った。予測話ばかりしていても埒が明かないな。やはりレグルスのような強い感情を持ったステラを探し出して、真相を聞き出すしかないのか。そしてもちろん緊張感は5分と持たないのがスターゲイザーのメンバーの特徴だった。


「おい寝るな八鹿! スピカも何とか言ってやってくれよ!」

「では、先程そこに置いてあったワインをどうぞ」

「それは店のだ、レジを通せ、レジを!」


紙コップに注がれる赤ワインの匂いでうつらうつらしていた八鹿は飛び起きた。「危なか!永遠の眠りにつく所やったばい!」と冗談にならない冗談を叫びながらトイレに駆け込むと、あろうことか掃除道具入れからデッキブラシを取り出しておれ達の下に血眼で戻ってきた。頭の鉢巻きネクタイが似合い過ぎている。


「酒飲みが会合の途中で寝るたぁ一生の恥! お詫びに聞いてくれ! 銀杏BOYZでなんとなく僕たちは大人になるんだ!」


そういうとデッキブラシを掻き鳴らしながら八鹿はサケやけ声で歌い始めた。エアギターをするには曲のチョイスがどいつもこいつもロック過ぎる。シラフの筈のみずたま、ロクネンも、スピカを挟んで肩を組んで揺れながら「あぁ~僕は~僕はぁ~!」とハーモニーを奏でている。無茶苦茶だ。ていうか本当にこいつらの集中力5分も持たねぇな。


「……ちょっと煙草吸ってくるわ」


ステラにうっかりやられないようにねぇと後ろで陽気なブラックジョークと手拍子、歌声が聞こえた。


***


今は午前3時頃だろうか。そういえば携帯の時計も店の掛け時計も、午前零時でぴったりと止まっていておれ達は感覚でしか時間の把握が出来なかった。


喫煙スペースで壁に寄り掛かって星の無い夜空を見上げる。煙草のけむりが闇に溶けていく。こんなものを吸い始めて、もうどれぐらいの月日が経っただろう。ライターの火を付けるのも、人差し指と中指のあいだで細い煙草を挟むのも、フィルターを噛むのも、煙を吐くのも、未だにおれはちっとも慣れちゃいない。胸ポケットから、あいつと同じ銘柄の煙草のケースを取り出して眺めている時だった。まぬけな入店音が鳴り、みずたまがコンビニから出てきた。


「……木津くん」

「どうした。八鹿リサイタルはもう終わったのか?」

「ううん、今八鹿のおじちゃんが号泣しながら援助交際を歌ってるとこ」


ああ、タイトルで敬遠されがちだけどこれは銀杏BOYZの名曲だよなとしみじみ思いながら夜空を見上げる。みずたまが隣で壁に寄り掛かった。おれは煙草のけむりを反対方向にふかした。静かな時間が流れる。


「あたし、あれで良かったのかな」

「レグルスのことか」


みずたまは俯きがちに頷いた。


「……あのね、あたし、レグルスの心の中に入り込んだ時、初めての感覚じゃなかったの。どこか深い海のようなところに静かに沈んでいくような感覚だった。よく、思い出せないんだけど、いつかあたしも、ああやって誰かの記憶の奥底に潜り込んだ事があった気がする。忘れちゃいけない、とても大事な事がある気がするの」


おれは何にも言わないで、みずたまの言葉の続きを待った。


「あたし、レグルスに、おじいさんはきっと幸せだったって言おうとした。でもね。それってすごく無責任な言葉なんじゃないかなって思ったの。あんまり覚えていないけど、あたしもいつか誰かにそう言われて、酷く傷付いたことがある気がする。だから、あの時、あたし言葉に詰まったの」


みずたまは涙をこらえるように俯いた。飼育小屋での彼女もそうだった。何がそんなに彼女を真っ直ぐに仕向けているんだろう。なぜそんなにも繊細で、緻密で、全てを受け止めて傷付いているんだろう。どうしていつか言われたその言葉を、彼女はいつまでも心の見えない所に仕舞っているんだろう。


「“きっと幸せだった”か。でも、同じ言葉でも、それを理解して言うのと、ただの慰めで言うのとじゃ全然違うんじゃないかな。あんたは、おじいさんの心をあんたなりに理解してレグルスに伝えようとした。自分の目で見て、肌で感じた事をだ。それは絶対にただの慰めなんかじゃなかった。無責任じゃないと思う。……おれには到底できなかった事だよ」


みずたまは鼻を赤くしておれを見た。今にも泣き出しそうな、だけど、真っ直ぐな目。


「うん。あんた、かっこ良かった」


 本心だった。みずたまは少し安心したような表情を浮かべて、寂しそうに笑った。すぅ、はぁ、とわざとらしく深呼吸をしてみせて、目に浮かんだ涙を誤魔化してみせる。おれは気付かないふりをして夜空を見上げて煙草をふかした。


「……悲しんだり苦しんだりしてまで、生きて行く事は正しいのかって、レグルスからの問い。あれ、あたし、まだ自信を持って答えられないなぁ」


「そんなのおれもだよ。その答えはさ、きっと、そんな簡単に見つかるもんじゃないだろ」


星のない夜の空を二人で見上げる。本当に神様なんてもんがどこかにいるんだとしたら、どうして人間をこんなに不器用に創ってしまったのか、正座させて小一時間ほど問い詰めたいもんだ。そう、もしも神様なんてもんがどこかにいるとしたら。


「もしかしたら神様だって、その問いに答えらんなくって、もがいて、あがいて、苦しんで、世界の終焉なんて面倒なもんを願っちゃたのかもな」


隣でみずたまが神様も不器用なひとだねえと笑う。


「木津くん、ありがとね」

「おう」

「あたし、先戻ってるね。冷えないうちに木津くんも戻ってきてね」


おかっぱ頭を揺らしながら、手を振りながらみずたまが背中を向ける。自動ドアの前で立ち止まって、みずたまはもう一度おれをふり返った。


「ねえ、あの魔法!」


そんなに大きい声で言わなくたって、ちゃんと聞こえるのに。


「木津君が付けてくれた、みずたまって名前にも愛着が湧いちゃったら、あたしもあの魔法にかかっちゃっうのかもね!」


 それでも彼女は叫びたくなるんだろう。嬉しいことがあった時、小さな子どもがそうするように。まぬけな入店音の後で、喫煙所は再び静寂に包まれた。


「――名前を呼んだらその人の心に入れる魔法、か」


不思議な感覚だった。手も、足も、髪も無くなって、まるで自分が自分じゃなくなるような感覚。あれは、三人称になる魔法だった。人の心に入り込んで、人の感情を受け止めて、それで何かが変わるのなら。


おれは駄目もとで、そっと、大事な名前を呟いた。


「木津 碧」


目を閉じる。静かな風が流れる。静寂があたりを包んだ。恐る恐る、目を開ける。


そこは先ほどと同じコンビニエンスストアの喫煙所だった。もたれる壁の冷たさが背中から伝わってくる。おれは、がっかりしたような、安堵に包まれたような気持ちになった。


「……なんてな」


誤魔化すように、ひとりで笑って、煙草の火を灰皿に押し付けた。潮風が髪を揺らし、緑色のピアスが月光を浴びてきらりと輝いた。

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