006 酔拳、八鹿現る!

「おい、おっさん、大丈夫か!?」


あたし達が道路に飛び出した時には、既に酔っ払いのおじさんは無数の着ぐるみ達に取り押さえられていた。原色塗れのうさぎやくまが笑顔の表情のまま、おじさんの腕を引っ掴んで無理やり立たせた。おじさんはうなだれている。だけど酒瓶はしっかりと握ったままだった。無数の着ぐるみ達は兵隊みたいに二つの列を綺麗に作り、一直線に道を空けて整列した。


「あらァ、どうしてこんな時間にニンゲンが起きているのカシラ」


女王様の登場と言わんばかりに140センチばかりの小柄な女の子がその真ん中を歩いてきた。パレードの先頭を歩いていた女の子だ。赤毛を小さく三つ編みで結っており、頭には小さな王冠、頬にはそばかす、赤い継ぎはぎだらけのマントをまとった奇妙な格好だった。女王様はうなだれるおじさんの頬を掴みか細い指で持ち上げた。まぬけなその泥酔顔を確認して鼻で笑った。


「しかも一人だけじゃないノネ。神様の魔法も落ちぶれたモノネ」


そう言い捨てて、ぎろりとあたしとお兄さんを睨みつけた。その殺気に、あたし達は思わずたじろいだ。女王様は私の相手じゃないとでも言うように、継ぎはぎだらけのマントをひるがえして、再び先頭へと歩み始めた。後ろを振り返らずに小さな右手をかかげたのは、着ぐるみ達へのゴーサインだった。一斉に着ぐるみ達はおじさんに襲いかかる。一瞬にしておじさんは着ぐるみの中に埋もれた。もう駄目だと目を伏せたその時、あろうことか、おじさんの周りを囲んでいた着ぐるみ達が飛び散った。


「なぁんばすっとか! 危なかろうがちゃ!」


着ぐるみ達の真ん中で、意識を失っていたはずのおじさんが覚醒した。やれ背負い投げ、やれ肘打ちを繰り出し、あり得ないスピードであれよあれよという間に踊るように敵を蹴散らしているではないか。足元はやはりおぼつかず、ふらりふらりと体が揺れている。だけどそれが幸いにも着ぐるみ達の攻撃をかわすタイミングとなっていた。敵の間を縫うようにすり抜け、ひとり、またひとりと確実に拳を入れ、敵をなぎ倒してゆく。


「す、酔拳だ!」


興奮のあまりあたしは叫んだ。あっという間におじさんの周りは嵐の去った稲のように、倒れた着ぐるみの山が出来ていた。ジャッキー・チェンさながらのその身のこなしに、ただ動けないままであたしは見惚れていたが、お兄さんはあたしの叫び声で我に返ったようにハッとして道路にに飛び出した。おじさんの腕を掴んで着ぐるみの波からさらい出したのだ。周囲のうさぎやくま達はひるんで動けないようだったが、いつ息を吹き返すか分からない。


「とりあえず今のうちに逃げるぞ! おいおっさん、その瓶俺が持っててやるからこのバイク運転しろ!」


道路の傍らにあった郵便屋さんの赤いバイクにはキーが刺さったままだった。お兄さんはバイクの後ろの荷台に跨り、あたしにも前のシートに座るよう手招きした。この際、飲酒運転だなんて言ってられない。あたしは急いでスクールバックと傘を抱きかかえてシートに跨った。おじさんは戦いでずり落ちた眼鏡をぐいっと上げてから、仕方なしにハンドルを握った。握ったはいいものの、ひとつ納得がいかなかったようで、後ろを向いてあたしの後ろのお兄さんに説教を始めた。


「ただの瓶やなかぞ! こらぁな、大分の銘酒、八鹿やつしかたい! なんね金髪の兄ちゃん、日本酒も飲んらことのなかとやぁ?」

「ああもう、おれこういう酔っ払いが一番嫌い!」


おじさんがのんびり説教をかましている間に、事態に異変を感じた女王様が飛ぶような勢いでこちらに向かってきた。その傍らを走っていたねずみの着ぐるみが、我先に先頭へと躍り出て酔っ払いのおじさんの背後に飛びかかった。


「おじちゃん危ない!」


あたしの声に反応するより早く、お兄さんのほうを向いたまま、おじさんは拳を突き出した。顔面に拳をくらったねずみの着ぐるみが大の字でばたんと倒れこんだその時、被っていたねずみの頭がごろんと転がって、あたしは思わず「ひゃっ」とまぬけな声をあげた。あろうことか、着ぐるみの中には誰も入ってなどいなかったのだ。空っぽの着ぐるみ達が楽器をかき鳴らして踊りながらパレードを繰り広げていたのか。本当の本当に、おばけの大名行列だった。あたしの後ろのでお兄さんも同じように声をあげてから叫んだ。


「嘘だろ、さっきからなんなんだよもう! 頼むから急いでくれ、八鹿のおっさん!」


おじさんは八鹿という単語ににんまりと笑って前に向き直った。お酒に興味を持ってくれたと理解したのか、はたまた好きな酒名と一緒に呼ばれて嬉しくなったのか、とにかく満足したようだった。陽気な声でおじさんが尋ねる。


「ほいで兄ちゃん、どこまれお届けしやしょうかあ? 切手ばちゃんと貼っとろぉねぇ?」

「ああ、あとでいくらでも貼ってやる! とりあえずしおかぜ駅前のコンビニまで頼む!急げ!」

「あいあいよぉ、二人ともしっかり掴まっときんしゃい。転げ落ちんごとねぇ!」


右足でキックしてエンジンをかける。深緑色のジャケットから白い手袋を取り出して装着し、おじさんは右ハンドルを力一杯握りしめた、瞬間フルスロットル。あまりの急発進にあたしは仰け反ったが、お兄さんが後ろから支えてくれた。ぎゅうぎゅう乗りの赤いバイクが、着ぐるみの群れを蹴散らして進んでゆく。何体かうさぎやくまを踏みつけてその体の上に乗り上げたが、バイクが血に染まることはなかった。だって着ぐるみの中は空っぽなんだもの。後方で女王様が何か叫んだように聞こえたが、それは負荷をかけたバイクの苦しそうなエンジン音にかき消された。


あたしたち3人を乗せた郵便屋さんのバイクは、風を切るようにパレードの海をぬけていった。

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