予期せぬエラーが発生しました

今神栗八

★★★

――ああ、やはり……。


 私は顏をしかめて天を仰いだ。


「Oh……Ah……」


 裸の白人男性二人の、エロい絡みの動画がデスクトップ上で自動的に再生され、官能に満ちた音声が、誰もいない秘書室に響き渡る。


 傍らにもう一つ開いたウインドウには、「shiorin様、ご入会ありがとうございます。十六万八千円で一年間見放題となっております。ご入金が確認でき次第、解除キーをメールいたします」とある。


 始末の悪いことに、OS上の私のログオンIDを読みとって、私に呼びかけていた。


 どちらのウインドウにも、閉じるボタンも最小化ボタンもなかった。音声をミュートにしても、五分ごとに自動でミュート解除され、かなりの音量を伴って、おぞましい動画が最前面に現れる。三回再起動して、三回とも同じだった。もちろん、二回目の再起動の後、ネット上で解決へのヒントを一時間以上も必死にあさった。


――どこで間違ってこんなことに……。


 四回目の強制再起動を試みる間、私はじっと目を閉じて反芻する。


「中野さん、いつものように、いい仕事を期待してるよ」と社長直々に手渡された、明後日、全社員大会での社長挨拶の草稿だった。


「詩織ちゃんは才色兼備だから、みんなが誘いあぐねている高嶺の花なんだよ」


 そう言ってくれた女子社員のあこがれの的、営業トップの稲森くんが、明日の夜、私を青山のフレンチに連れて行ってくれる約束だったから、私は今夜のうちに、ひとり残業してでも、この飛び込み仕事を仕上げておきたかったのだ。


 織り込んでくれと頼まれていたポイントは全て織り込んだ。全体の構成も調整した。「てにおは」もチェックした。文章の品格も申し分ない。私は椅子を引いて大きく伸びをした。


 最後に気を利かせて、明後日の天気を調べておこう。「お天気にも恵まれて、」のままにしておくか、「あいにくのお天気ですが、」と切り出すか、冒頭の文言をそれで決めたら終わり。そしたら家に帰ろう……と、オフィスの隅の電気ポットでインスタントコーヒーを淹れながら考えた。


 マグカップを片手にインターネットに接続した。気の緩みは確かにあった。お天気サイトの下にあった小さなバナー、「カレを喜ばせるマル秘テク」を、ほんの興味本位でクリックして、それから、おかしなリンクをつい、ずるずるとたどってしまったのだった。


 目を開けると、再起動のためいったん電源が落ちたパソコンの黒い画面に、私のバカ面がぼんやりと映りこんでいる。私はにわかに席を立ち、新聞ラックから朝刊を持って来て広げた。


――あった。


 社長秘書という仕事柄、毎朝チェックする新聞の、私からもっとも縁遠い部類の三面記事。


――ふん、記憶の片隅に残す価値もないわ……


 と、今朝ちらりと思ったことを記憶していた、その見出しが目に飛び込んできた。


「職場のパソコンでアダルト画像を閲覧していた公務員を処分へ――」


 私はこの公務員とその職場を想像した。彼は訓戒を受けてなお、その職場に留まったのだろうか。配置転換? 辞職? いや、懲戒免職? 嘲笑と侮蔑と、あるいは驚愕と同情の視線にさらされ、自分のノートパソコンの画面以外、どの方向にも目を向け得ない明日の自分を、私は疑似体験していた。胃袋を掴まれてぐりぐりと引き回されるような感覚に襲われ、私は、えづいた。コーヒーが逆流してくるのではないかと思った。両目尻にうっすらと涙が浮く。


 その時、四回目の「Oh……Ah……」が鳴り響いた。本来、人生の線が交わるはずのない、この白人ホモ野郎の悦楽の音声・動画データが、太平洋を渡って私を凌辱し続けていた。


――リセット……?


 いや、正規の手順でパソコンを初期化すれば、その合理的理由を必ず上司に聞かれるだろう。それはまずい。頬杖をつき、えげつない光景から目を逸らせた私の視野に入ったのは、砂糖とミルクでとろみのついた、冷めたコーヒーだった。


 十五分後、私は会社の電話から情報システム管理部の同僚、大迫くんの携帯に電話した。


「わっ、詩織ちゃん、まだ残業してるの?」


「うん、それでね、相談なんだけど、うっかりパソコンの上にコーヒーこぼしちゃったの」


「ええっ、マジ? 壊れた?」


「うん。たぶん完全に。ショックだけど、念のために確認しておきたくて。これってもう復旧不可能だよね?」


 大迫は、電話の向こうで自慢げに言った。


「詩織ちゃん、安心しなよ。パソコン本体はダメかもしれないけど、データはリアルタイム、自動的に、サーバーにバックアップされてる。全部、壊れる直前の状態に復旧できるよ。詩織ちゃんのためなら、明日の朝イチで予備のパソコン持って行って復旧してあげる。だから今日はもう安心して帰りなよ」


 電話を切った私は、自分のスマホを取り出すと、ネットバンキングサービスにログインした。スマホは、十六万八千円を送金し終えるまでに二回、私の汗ばんだ手のひらから滑り落ちた。


(了)

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