浅見くんと九鬼くん


 鬼ヶ島高校の二年生のビッグイベントと言えば、歩行祭が挙げられる。去年の先輩の様子を見ていると、体力のある者とない者にはっきりと明暗が分かれていた。

 楽しかったと話す猛者たちの影で、死体のように血の気の引いた先輩がごろりと横たわっていたのを僕は見逃さなかった。

 しかし、僕が一人、やりたくないという思いを抱えていたところで、今年も開催は順行されてしまった。

 何が楽しくて、百キロを歩かねばならないのか。

 たまに学校の行事というものは、伝統を名の下に学生に無茶を強いる。

 全く僕には全く理解が――「全く、理解に苦しむよ」

 通路を挟んだ横の席で、眉根にくっきりと皺を寄せて溜息を吐いたのは、九鬼くんだ。

 去年僕と同じクラスだった鬼藤くんとは違った、少し中性的なイケメンで、女子に黄色い声を上げさせている。そんな九鬼くんが、ふぅっと髪をかき上げると、早速女子達の視線は彼へと注がれる。

 ――でもまあ、何をしていても絵になるからすごいよな。

 ここまでイケメンだと、嫉妬する気も沸かない。土俵が違うというんだろう。

「くっきーどうしたの?」

 九鬼くんの反対側、僕の隣の席の木崎さんが、九鬼くんへ問いかける。僕は挟まれる形になって、思わず背筋を正した。

 九鬼くんが木崎さんの方を向くと、憂いを帯びた目をそっと逸らしてまた溜息を一つ溢した。

 そして、僕を挟んで木崎さんが「だいじょーぶ?」と返す。

 ……挟まれている僕の身になってくれないだろうか。いっそ席を外そうか迷っていると、九鬼くんが吐息混じりに事情を語り始めた。

「せっかく歩行祭で鬼藤より早く到着してやろうと思ったら、アイツ桃太郎の子孫にくびったけらしくてね。……気に食わないなぁ」

 ああ、構ってもらえなくて悔しいのかな。

 九鬼くんと言えば、鬼藤くんと並ぶ名家の生まれ。容姿に成績にカリスマ性、どこを取っても二人は優秀らしく、周囲は比べるばかりで結論が出せない。

 九鬼くんはそれが気に入らないらしく、何かしらと鬼藤くんにちょっかいをかけている様子。――鬼藤くんは何とも思っていないっぽいけど。

 今年は鬼藤くんが委員長ではないということもあって、九鬼くんは張り合いがないのか意気消沈していた。

「……たしか、転校してきた桃太郎の子孫は女子、だったはず」

 九鬼くんの眼がきらりと光る。

 ――うわ、嫌な予感。

「鬼藤と恋人になる前に、僕に惚れさせれば……」

「なんかくっきーゲスいねー」

 木崎さんのその一言を、華麗にスルーして、九鬼くんは髪をさらりと掻き揚げた。

 桃太郎の子孫、と言えば桃子さんのことだろうか。エンジくんの友人として、なんとかせねば。


 と、終始考えてはいるものの、名案なんてそんな簡単には浮かばない。

「うーん」

 おつかいを頼まれて、商店街までの道中、僕は九鬼くんの企みを阻止する方法を考えていた。

 九鬼くんは普通にしていればかっこいい男だし、ちょっとしたデマなんかじゃいいイメージにかき消されてしまうだろう。

 せめて、桃子さんが彼の毒牙に引っかからないようにしたいけれど、僕には恋愛経験値が全然無いから手の貸しようがない。

 大きい九鬼くんの家を通りかかったとき、高い弾けるような音がして、僕は周囲を見回した。

「最ッ低!!」

 九鬼くんの家から、ヒールにも関わらず大股で、女性が駆けていく。

 え? なにこれ? 痴情の縺れ?

 思わずお家の角まで戻って、死角だと思われる場所から様子を窺う。

 九鬼くんがゾンビ役にでもやっているかのように、のろのろと顔を覗かせた。左頬を押さえていることから、さっきの弾けたような音は頬を叩かれた音なのだと察した。

 ――九鬼くんでも、そんな風に女性に振られることがあるんだなぁ。

 そう世知辛さを感じていると、後からもう一人女性が現れた。

「……わたしも帰る。わたしのこと、本命って言ってたのに」

 ふんっと鼻を鳴らして、足を踏み鳴らして帰る女性の言葉で、僕は絶句した。

 ――あれ、九鬼くんって女性問題抱えてるの? 僕たち、同じ年だよね?

 僕はあまりにもその光景のパンチにやられて、おつかいを果たさず家へと戻った。

 母のお怒りの声も今はどこ吹く風だ。

 お小遣いが削減されるのも致し方ない。

 しかし、放心状態だったおかげか、まっさらになっていた脳にふっと名案が降りてきた。

 この情報は使える。桃子さんを毒牙から守れる。

 エンジくんに友人として、力になれる。

 早速翌日に、僕は鬼藤くんに「九鬼くんが二股している」と告げ口をすると、色事に興味の無さそうな鬼藤くんが、眼を白黒させながら聞いてくれた。

「オレの知ってる話と少し違うな。浅見の見たその女たちじゃないし……」

「そうなの?」

「ああ……まあ、でも、九鬼ってそういうヤツなのかもな」

 鬼藤くんは少し残念そうに顔を歪ませた。きっと僕も似たような顔をしているだろう。



 歩行祭の後、見事死体然とした僕の耳に噂が入ってきた。

「二十人の婚約者がいて、中には小学生がいて、光源氏計画を進めている」

 とまあ、あること無いことが絡まりつつ、結構な人数に広まってしまい、九鬼くんは暫く女子に白い眼で見られる羽目になった。

 これに懲りて、少しは改めてくれたらいいと僕は思う。











 

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