第3話 2

 朝食を平らげて、身支度を整えると、留衣ちゃんに見送られて、揃って家を出た。

 桃子ちゃんの、普通の学生として過ごしたいという案を、留衣ちゃんも最初こそは渋っていたけれど承諾した。車での送迎は無くなった代わりに、わたしとエンジくんが登下校は必ず一緒に居ることになった。

 ふいに桃子ちゃんのスマホが鳴った。

「お兄ちゃんかぁ」

「桃之助、なんだって?」

「いつもの。元気にしてる?って」

「一週間じゃ調子変わらないよな」

 エンジくんは呆れた様子。

 そういえば、最近桃之助くんから連絡来ないな。桃子ちゃんのスマホには一日一回電話がかかってきてたのに、メールが一週間に一度くらいだ。

 わたしとエンジくんにも、毎日来てたメールは毎週に変わりつつある。

 あれだけ桃子ちゃんを溺愛している桃之助くんが、こんなに時間を空けるのにすこし違和感を覚える。

 桃子ちゃんは返事は後にするようで、スマホをポケットへと仕舞った。

「今日なんの授業があったっけ」

「生物に現国に――」

「そっか」

 桃子ちゃんの顔が、ふにゃりと弛む。

 生物の担当は、担任の木藤先生だ。

 桃子ちゃんのこと、長い付き合いだからわかってしまう。

 きっと桃子ちゃんは、木藤先生が好きなんだと思う。

 桃子ちゃんに好きな人ができるのは、すごく嬉しいんだけど……。

「おはよう!」

 校門を過ぎると、鏡花ちゃんから声をかけられた。

「おはよう」

「おはよ、鏡花ちゃん」

 エンジくんの鼻の下がすこし伸びてるのは、気付かなかったことにしといてあげよう。

 下駄箱に並んで入っていくと、今度は鬼藤くんが居た。

「おはよう、鬼藤くん」

 桃子ちゃんが鬼藤くんに駆け寄ると、彼の眉間が寄った。

 鬼藤くんは最初こそすぐ睨むし、険悪な空気だったけど、最近は穏やかになってきている気がする。

「……はよ」

 そっぽ向いてはいるけどお返事が返ってきて、桃子ちゃんは嬉しそうに笑った。

「ちょっとーオレにも挨拶しようよ、鬼藤ちゃん!」

「うっせぇ」

 ……この二人も仲良くなってきた、かな?

 いつまでも、こんな風に過ごしていけたらなぁ。

 みんなの楽しそうな様子を見つめていると、甘い香りが風に乗ってきた。わたしの心臓が早鐘のように鳴り出す。

「やあ、一組の諸君。相変わらず騒がしいね」

 お花の匂いに、すこしだけバニラの匂いが合わさって鼻腔をくすぐる。脳の奥が麻痺して、ふわふわ夢心地になる。

「おはよう、九鬼くきくん」

 隣のクラスの九鬼くん。彼も委員長をしているから、桃子ちゃんに用事があってうちのクラスにもたまに来る。その度に、華やかな香りに包まれる。

「おはよう、桃子さん」

 今日は大きな花弁の赤い薔薇を一輪、桃子ちゃんに捧げている。桃子ちゃんは毎回受け取らないけど、彼は懲りずにお花をくれる。一昨日はピンクのガーベラだったっけ。

 今日も桃子ちゃんは、「要らない」の一言で片してしまった。

「それでは、振られてしまった可哀想な薔薇を受け取っていただけませんか、お嬢さん」

 口付けをひとつ落として、真っ赤な薔薇がわたしの方へ。

「あ、ありがとう」

「いいえ、お嬢さんに受け取っていただけて、この薔薇もさぞ喜んでいることでしょう。それでは」

 去っていく彼の背を目で追ってると、エンジくんの冷ややかな視線に気付いた。

「千和、ああいうの好きなわけ? あっくしゅみー」

「エンジくんに言われたくない」

「エンジはちゃらいもんね」

 桃子ちゃんの賛同に、エンジくんはちょっと慌てた。

「あれよりはマシだって!」

 全然違うよ!エンジくんはただのタラシだけど、九鬼くんは絵本の王子様だもん!

 すこし垂れ目で、風に柔らかくなびく少しくせのある髪。甘い香り。まっすぐな背筋。声は低くて落ち着くし――あ、ちょっとだけ、桃之助くんに似てるかも。

 桃子ちゃん、九鬼くんを好きになったらいいのになってすこし思う。それか、鬼藤くん。最近の桃子ちゃんと鬼藤くんの感じいいなーって。そう思ってしまうのは、木藤先生がダメなんじゃなくて、先生と生徒って関係で桃子ちゃんが苦しむのが嫌だから。

 ――っていうのがわたしの都合なのは、全部わかってるけどね。

 桃之助くんのお付き役だからじゃなくて、わたしは桃子ちゃんのことを大切なお友達だと思っている。小さい頃から知ってて、同じ年で、一緒に過ごす時間が多かった。

 初恋の相手も知ってるし、歴代の好きな人も全員知ってる。

 だからこそ、最初の彼氏さんとの恋愛は素直に応援できたらいい。

 そして桃子ちゃんが幸せになってくれたら、わたしも嬉しい。

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