第3話

第3話 1


 転校する前、一度だけ桃子ちゃんの暗い表情を見たことがある。

 堪えていたものが限界まで張りつめて、今にも溢れそうな表情。

 その時、物心つく前から桃子ちゃんとお友達だったのに、今まで一度もそんな表情を見たことなかったことに気付いた。

 声をかけたら、いつもの桃子ちゃんの笑顔に戻っていたけど、心がざわざわして仕方なかった。なにがあったのか問い質したいけれど、なにも言えなくて、その時は言葉を飲み込んでしまった。

 後から居ても立ってもいられなくなって、共通の友達に様子を窺ったり、桃之助くんにも聞いたけれど、誰もそれらしい原因を知らない。杞憂なのかな、と思った頃に転校の話がきた。

 一緒に行きたい、と思った。桃之助くんの側を離れることになっても、もう桃子ちゃんがあの暗い表情をしないように、わたしに出来ることをお手伝いしたい。

 それを桃子ちゃんが望んでいるかはわからないし、わたしの勝手だってわかっているけど。


 転入してきた頃咲き誇っていた桜が散って、梅雨が来て、鬼ヶ島は今朝ようやく梅雨明けが宣言された。

 家事は分担していて、基本的にお料理はわたし、他の家事は留衣ちゃんがしている。とはいえ、桃子ちゃんもエンジくんも進んでお手伝いしてくれるから、この共同生活は今のところ全然苦じゃない。

 留衣ちゃんが心持軽やかにお洗濯ものをベランダへと持っていく。お日様に干せるのをすごく楽しみにしていたもんね。

 留衣ちゃんがこうして感情を表すことは滅多になかった。最近の雨が続いてイライラしていたのを、桃子ちゃんもエンジくんも感じ取っていたみたいで、しばらく家の中の空気がピリピリと張り詰めていた。

 それも今日で終わりそうだ。

 ぐっと背伸びをする。

 こうして、一緒に生活するようになってから色々知ったことがある。

 今日の朝食は和食にした。といっても簡単にご飯にわかめのお味噌汁に、目玉焼き。

 目玉焼きの好みもそれぞれ違って、桃子ちゃんは醤油派。エンジくんはソース派で、留衣ちゃんは塩派。ちなみにわたしはケチャップ派。

 テレビは、エンジくんがバラエティ派だから、桃子ちゃんとわたしのドラマ見たい派と毎回ジャンケンしている。勝ったらリビングの大きいテレビで見たい番組を見れるシステムになっている。

 留衣ちゃんは動物のドキュメンタリーが好きみたい。夜中にこっそり見ているのを見かけたことがある。

「もうすぐ歩行祭だね」

 桃子ちゃんは委員長に就任してから、このイベントに心血を注いできたから、三日後の歩行祭をすごくすーっごく楽しみにしている。

 ……わたしと反対に。

「う、うん」

 エンジくんや留衣ちゃんと違って、わたしはそんなに運動は得意じゃない。

 わたしが桃之助くんのお付き役に選ばれたのは、嗅覚と聴覚が優れているから。それ以外は普通の女子高生で、歩行祭で百キロ歩くなんて、ほんと地獄しか想像できない。

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