第20話 見守る瞳、焦る仮面、怒る男

 昨日の夕方、部屋を予約したいと赤毛の青年が訊ねてきた。

 一目見て生粋のエレバス人ではないと、マダム・ステイシーはピンときた。赤毛はエルシオン人に多い髪色だし、発音も若干エルシオン訛りがあったからだ。

 国境警備兵の身分証を示したのでエレバス人ではあるのだろうが、大方両親のどちらかがエルシオンからの移住者なのであろうと想像した。近頃は移住は禁じられているが、その二世三世はいくらでも町にいるし、赤毛も珍しくはない。もっとも、彼のような燃えるような赤い髪を見かけることは少ないのだが。

 なんにせよ、マダムにとっては彼が何者であっても構いはしなかった。バートと名乗るその青年が、思いを寄せている女性に求婚するのだと語るのを、微笑ましく頷きながら聞いていたのだった。


 そして今日、彼が女性を伴って現れた時、思わず笑ってしまいそうになった。

 彼女は黒目黒髪のいわゆるリンザール美人だったのだ。きっと彼女の親も移住者なのだろう。

 憎み合い戦を繰り返すエルシオンとリンザール。それぞれを祖に持つ二人が、このエレバスでは恋人同士なのだと思うと、感慨深いものがあった。

 マダムは今でこそエレバスの市民権をもっていたが、元はエルシオン人だったし、亡くなった夫はリンザール人だった。多難だった恋を思い出し、ふと唇を綻ばせる。

 青年の求婚が上手くいき、収穫祭の言い伝え通りに二人が幸せになることを、マダム・ステイシーは心から願うのだった。


 旧聖堂の鐘の音が聞こえてくると、マダムはそろそろ着付けを手伝ってあげなければいけないだろうとなと、飲みかけのティーカップを置いて立ち上がった。

 どう見てもあの二人は庶民ではない。使用人にかしずかれて暮らしているだろう彼らに、一人であの仮装用の衣装が着られるとは思えなかった。無論、着付けが必要な状況になっていないということも考えられはするが。

 果たして、マダムがノックすると、恥ずかしそうな顔をした青年が、彼女の着付けを手伝ってやって欲しいと言ったのだった。


「昨日は、寝室には用はないと仰ってたけど? 役にたったようで良かったわ」

「……マダム、虐めないでくれよ」

「あら、祝福しているのよ。ほほほ」


 初々しい恋人たちを目を細めて眺めるのだった。

 マダム・ステイシーは彼らの願いを叶えてあげることにした。

 二人は家の事情で、頻繁に会うことができないらしい。そして付き合っていることも、まだ大っぴらにはできないのだと言う。だから、お互いに使いの者に手紙を持たせるので、その受け渡し場所にこの宿を使いたいと言うのだ。

 二人の仲は、それぞれの家族に反対されているのだろうと思ったが、深くは訊ねなかった。語らぬことを、聞き出そうとするほど野暮ではない。

 マダムにとって手紙を預かることくらい造作もないし、恋のかけ橋になれると思えば断る理由は無かった。

 馬車に乗って去ってゆく二人に手を振り、次に彼らと会うときは晴れて夫婦になっていれば良いと微笑むのだった。







 ダリオは焦れていた。身代わりがバレるのではないかと身の細る思いで、早く入れかわりの時間にならないかと、大聖堂の鐘を何度も見上げていた。

 昼の一の鐘は既に鳴った。もう直だとは思うのだが焦れてならなかった。主は旧聖堂も同じ時刻に鐘が鳴るから、一度目の鐘を聞いたら大聖堂に向かうと言っていた。遅れずに来てくれることを切に願う。

 侍女がしきりに話しかけて来るのをかわすのは、もう限界に近いのだ。


 長い仮装行列は、ぐるぐると町を練り歩き続けている。その中にあって、彼らは他の仮装者たちの様に見物人に手を振って愛想を振りまいている。

 随分と歩きまわり疲れたのだろう、背後の侍女が少し休みませんか、と何度もいうのだが聞こえないふりをする。列を外れて休憩すれば、侍女がアンナ役の女にもっと話しかけてくるだろうし、もしかしたら「仮面を外しましょうよ」などと言うかもしれない。危険だ。

 ダリオはアンナ役の手をとって、ダンスの様にステップを踏んで進んでゆく。

 もう、やけくそだった。とにかく鐘が鳴るまでは、この行列を外れられない。そしてバレないように、アンナ役を侍女から遠ざけなければならない。


――この仕打ち、決して忘れませんよ……陛下。


 仮面の下で、歯ぎしりをする。側近随一の騎士を自他共に認める、このダリオ・ベルニーニ中将様が、なんでこんなことをせねばならんのだと。

 今頃、主のバルトロメオは、愛しい女との逢瀬を楽しんでいるのだろうに、自分は神経をすり減らしながら、楽しくもないダンスステップを刻んでいるなんて不公平だと思った。ため息が出る。

 アンナ役も仮面の下で、目が虚ろになってきていた。ふらふらとしている。疲れと緊張のせいだろう。倒れられては困るので、しっかりと腰を抱いてやり、カラ元気で踊るダリオだった。


 その時、ついに大聖堂の鐘がゴーンゴーンと高らかに鳴った。

 思わず、アンナ役と見つめ合い手を握り合って、ウンウンと頷き合ってしまう。よくぞここまで頑張った偉いぞ自分、とダリオは涙を噛みしめた。

 女の仮面の下からも小さな嗚咽が聞こえてきたので、それはまずいとばかりに抱き寄せる。


「静かに……予定通りにいくぞ……」

「……は、はい……中将様……」


 ここが最後の踏ん張りどころだ。

 ついてくる侍女と護衛に指で合図して、大聖堂に向かって進んでいった。この中でバルトロメオたちとまた入れ替わるのだ。あと少しだ。

 ダリオは腹に力を込めて、バルトロメオの声音を真似た。予め決められていた台詞を流れるように紡ぎ出す。


「神との対話をしようと思う。アンナとの出会いを、神に感謝したいんだ」


 大聖堂を指さした。

 疲れきり少し猫背になっていた侍女は、小首をかしげた後、ハッとしたように背をピンと伸ばした。これで行列から抜けて休めると思ったのだろう、軽く頷いた。

 彼女は、もうやってられるかいった感じで仮面を外した。汗をかいて頬が真っ赤に染まっている。

 それが妙に色っぽくてダリオはドキリと唾を飲んだ。口調がきつかったので、てっきりもっと年嵩の女かと思っていたのに、意外にも若くて案外気の良さそうな娘にも見え、少々戸惑ってしまった。


「良いですね。ではみんなで、神の対話室へ行きましょう」

「い、いや、全員は無理だろう。少しだけでいいんだ、二人きりの時間をくれないか? 神の御前で不埒なことは絶対しないし、扉の前で待っていてくれればいい」


 大聖堂の中には、神と一対一で対話をするための小部屋が幾つかある。神への感謝であったり、夢や願いを語ったり、悩みを打ち明けたり、と他人に聞かれぬ静かな部屋で神と語り合い祈ることで、癒しや希望を得るのだ。

 一人で入っても良いし、神官に聞き手になってもらっても良い。ということで定員は二名なのだ。侍女と護衛は部屋の外で待っていてもらわねばならない。

 なにしろ、神官用の裏扉から入ってくるバルトロメオたちと、入れ替わらなければいけないのだから。


「二人きりぃ?」

「ほんの少しだけさ」


 侍女の眉がピクンと吊り上がったが、極力無視した。どんどんと大聖堂の中を進んでゆき、対話室へと向かう。

 あと少しだ、と気持ちが逸り、ダリオは思わず大股で歩いてしまう。するとアンナ役がよろけてしまい、いかんいかんと彼女を支えた。背後で、チッと侍女の舌打ちが聞こえて、ビクリとなる

 そっと振り返ると思い切り睨まれてしまった。もしかして、行列の中にいた時もアンナ役に接触するたびに、舌打ちしてたのだろうかと苦笑してしまった。

 侍女は、気安くお嬢様に触るんじゃない、と視線で激しく威圧してくるのだ。


――はいはい、もう触りませんよ……。というか、この女はお前のお嬢様じゃないんだけどね。


 ダリオは仮面の下でクスリと笑いながら、対話室の前で立ち止まる。この中にバルトロメたちがいるはずだ。


「少しだけですよ!」


 侍女の険のある声を聞き流して、ダリオは扉を開けた。やっと苦行が終わる、身代わりが終わると安堵していた。

 アンナ役をそっと部屋に押し込み、素早く自分も入り扉を閉めた。

 そして衝立の向こうを覗き込んだ。


「………………か、勘弁してくださいよ」


 そこには誰もいなかった。







 結論からいうと『バート』という国境警備兵は、あまり問題は無いようだった。

 マルセルは自分の調査結果からそう判断した。


 『バート』を調べるにあたり、警備隊の本部を訪ねることが出来たなら話は早いのだが、そういうわけにはいかなかった。

 自分の身元を隠したままで、兵士の個人情報を聞き出すのは難しいし、何ゆえに探っているのかと、反対にこちらを探られては困るのだ。

 故に、マルセルは昨日から地道に街中で聞き込み調査を始めていた。兵士らがよく立ち寄る飲み屋や、食堂などを訪ね歩いたのだ。そして、『バート』が七名いる所まで確認した。もしかしたら、まだ他にもいるかもしれないが。

 恐らく二十代半ばから後半という年齢から、『バート』候補を四名まで絞り込んだ。

 また、この四名に含まれるかどうかはまだ不明なのだが、確かに赤毛の『バート』もいるようなのだ。そして、特に評判の悪そうな『バート』はいなかったし、身元の不確かな者もおらず、間者と疑うべき点は無いように思えた。


 自分の心配は杞憂だったかと、マルセルは肩の力を抜いた。

 実害があった訳では無い。『バート』は一人歩きをして道に迷ったアナスタージアを、送ってきただけだ。王女であることも知らないのだろう。

 昨日は、不審な赤毛がホテルに近づかないか見張らせていたが、そういったこともなかったのだ。


――まあ、この件はこれでお開きとしようか……。アナスタージア様は仮装行列を見たがっていらしたし、早く戻ってお連れして差し上げよう。今日で祭りも最後なのだしな。


 そしてマルセルは、ホテルに戻り驚愕することになった。

 アナスタージアの筆跡で残されていたメッセージには、あろうことが『バート』と共に仮装行列の見物に出かけるなどと書いてあったのだから。

 手紙を握り潰して、ぶるぶると震えた。


「お、おのれ! たばかったか、くそ『バート』! 許さんぞ!」


 突然の怒鳴り声に驚いた従業員を突き飛ばして、マルセルはホテルを飛び出していった。アナスタージアを止めもせず、一緒に出掛けてしまった間抜けなハリーを、絶対にぶっ飛ばすと拳を握り締めていた。

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