3-2

 イースト二番公安署内。

 やたらと広い署長室で、セルジオはその部屋の主である男と対峙していた。

 あれから、セルジオらは急きょ現場から撤収する運びとなった。なぜか、サウス二番署の人間が応援に来て、こちらには公安省から撤収命令が出たのだ。


 ――今回の一件の事後処理はフラグメントの主導となる。そしてそれに伴い、イースト二番署は捜査から外れてもらう――


それが命令の概要だった。たぶん、今後の捜査を担当するのはサウス二番署なのだろう。

 それは完全に異例のことだったが、上からの命令となれば、いち士官でしかないセルジオに追及の隙はなかった。ちなみに例の少女の件についても、ある返答――いや、これももはや命令か――があった。何にせよ、その内容は非常にきな臭いものだったが。

 そしてセルジオはイースト二番署に帰るなり、行動制服から着替える間もなく、署長から別件で呼び出されたのであった。


「確認したまえ」


 言って、イースト二番署署長である中年の男は、自身のデスクを挟んで向かいに立つセルジオに、一つの書類綴じバインダーを差し出した。


「なんでしょうか?」

「君の次の仕事だ」


 男は制服に包まれた小太りの体を窮屈そうに揺らしながら、受け取りを催促する。

 セルジオはバインダーを受け取り、中をあらためた。まず目を引いたのは中の書類に添付されている小さなカラー写真。夜に撮影されており解像度も悪かったが、その写真に写っているのは魔法使いだった。

 しかしその魔法使いの顔は、通常の魔法使いのものとは少し違うように見えた。


「赤い、瞳……?」


 魔法使いの体の形や色は通常の個体と変わらないようだったが、この魔法使いの顔、瞳の部分は真っ赤だった。まるで赤色灯を組み込んだようにも見える。


「暫定的に『赤目』と呼称することになった特殊個体だ。常に瞳を開いた状態の個体で、特殊個体としての能力は不明だ。写真は民間から送られたもので、先日存在が判明した。これを討伐しろ。当然、『縄張り意識ドメイン』がある」


 『縄張り意識ドメイン』とは、一年ほど前に判明した魔法使いの特性だ。数としてはかなり少ないが、あの化け物にも、『縄張り』という概念を持ったものが一定数いることがわかった。この縄張り意識のある個体は、一晩中特定の範囲に行動を限定して留まり、朝になって街から姿を消しても、次の霧の夜にはまた同じ場所に出現する。人目に付きにくい場所を選び、長期に渡ってその場を縄張りとするものもいるほどだ。故に――特に通常と見た目が異なる特殊個体の場合は――こうして民間から目撃情報が上がってくることがあるし、公安もそうした個体については迅速な通報と情報提供を呼び掛けている。

 そして情報を得た公安は、目撃地点付近に公安官を派遣し、積極的に排除にあたるわけである。今回の仕事は、そんな種類のものであるらしかった。


「ただ、目撃地点はイーストの外縁部になる。出向く際は気を付けてくれよ」

「……外縁、ですか」


 イースト三番街よりも外縁、俗に区画外と呼ばれる場所の歴史はセルジオも知っている。学校教育等ではあえて触れられないが、市営図書館の書籍を漁ればその程度の知識は身に付けられるし、当事者たちから口頭で話を聞くこともできるだろう。そしてその中で、外縁部に住む人間には市政府や公安を恨んでいる者が多いということも知ることになる。先の署長の忠告はそれについてだ。ヴェストシティに危険が及ぶとわかれば公安官が外縁に赴くこと自体はあるのだが、その場合もたいていは歓迎されない。

 しかしそれを知っているからこそ、今回の仕事は妙なものだと思えた。

 外縁にもヴェストシティに協力的な者はいるが、それもごく少数だ。今回、この特殊個体が運よくその少数派に目撃され、写真を撮影され、報告が上がってきたというのだろうか。


「僭越ながら意見を申し上げますが、この情報は確かなのでしょうか? 何らかの形で我々を貶めるために誰かが仕組んだ謀略という可能性もあるのでは」

「……マックフォート君。君は公安省からの任務に異議を唱えるのかね?」

「……いえ。そういうつもりでは」

「まぁ、君なりの考えもあるだろうけどね。今回、情報提供を受けたのは公安省だ。その精査もそこできちんと行われているはずだよ。何か疑問があるなら直接本部に確認を取るといい」

「…………」

「しかし君にとっていい仕事だと、私は思うがね。イースト外縁なら三番署でもいいところだが、公安省はわざわざ二番署と君を指名してきたんだ。期待されているということだよ?」


 今回のような仕事――それも相手が特殊個体である場合は、戦闘のセオリーが通用しないこともあるため、単純に危険であることが多い。それに、公安が縄張りに公安官を派遣するのも、魔法使いが何か大きく事を起こす前に、できる限り先手を打って対処するためなのだ。当然、任務の危険性と重要性は共に高いものとなるので、署長の言うことは間違ってはいない。


「差し出がましい発言、失礼しました。ご期待に沿えるよう尽力します」


 しかしそこで、署長は意地の悪い顔と口調で付け足した。


「まぁ、『また』討ち損ねるようなことがないようにな」

「はい。善処いたします」


 眉一つ動かさず、セルジオは署長の嫌味を受け流す。


「それと、討伐屋連中に出し抜かれるようなこともないようにな。君の評価もそうだが、この署の評価も落ちることになりかねない」

「ご安心を。彼らに遅れは取りません」


 別にセルジオ自身は討伐屋に偏見を持っているわけではないが、この署長は討伐屋に対する差別意識が強い。合わせておくのが無難である。


「君以外の人員ももう決まっている。霧が出たら即、出られるようにしておけ」


 そして署長はその他いくつかの伝達をほとんど一方的に伝え終えると、まるで犬でも追い払うように、さっさとセルジオに退室を促した。

 正直言ってこの男は、署の公安官を駒のようにしか考えていない節がある。おまけに二番署の評価――ひいては自身の地位を上げることに執心しすぎていて、署内では不満の声も多い。

 しかしセルジオはもう慣れたもので、極めて穏便に応答し、署長室を去った。静かにドアを閉め、リノリウム貼りの廊下でふっと、息をつく。


「……人使いの荒いものだ」


 セルジオの言葉が、誰もいない廊下の空気に吸い込まれてゆく。

 別に仕事内容に不満があるわけではないのだが、このタイミングで新たな仕事を持って来られるとは、なんとも災難である。

 フラグメントとサウス二番署が動くとはいえ、自爆被害の件の仕事は、まだ片付いていないのだ。武器弾薬の使用報告書は作らねばならないし、救急搬送された者の手続きもあれこれと残っている。それに、他署への引き継ぎ書類もどうせ必要になってくるだろう。加えて、自爆し、ナハトレイドが効かない個体の交戦記録も署の資料室に提出しに行かなければならない。

 これらの仕事を一段落させるとすると、どんなに早くても休めるのはもう三、四時間後になるだろう。

 しかも今夜からは『赤目』討伐のために動かなければならないので、その準備のことも考えると、ぐっすり寝ているわけにもいかないという状況である。霧が出なけれは赤目討伐に出向く必要はなくなるが、最近霧は毎日発生しているので、多分今夜も同じだ。

 それにたとえ霧が出なかったとしても、特殊生物対策課には常に夜間警戒の仕事がある。人員の問題から他の課と兼任している者も多いため、夜勤は基本的に交代制だが、主任士官である自分には(専属であるロイもそうだが)それは当てはまらない。


(……九時か)


 懐中時計を見て、セルジオは胸中で呟く。と、そこで、今日は午前中に定例会議があったのを思い出した。当然、自分も出席しなければならない。

 魔法使いを狩るのが仕事である特殊生物対策課の人間であっても、何も昼間の仕事がないわけではないのだ。会議や訓練などは基本的に昼間に行われるし、それ以外にも仕事は出てくる。

 署の中で少数派である自分たちの生活リズムに、周りが合わせてくれるはずはないのである。


「……まぁ、とりあえず着替えるか」


 セルジオは執務制服に着替えるべく、バインダー片手に庁舎の階段を下りる。

 淡々とした階段は、冷たく無機質に、セルジオを階下へ導いた。

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