二章 面影のかたち

2-1

「やっとか……」


 痺れてきていた腕に鞭打って少女を背負い直しながら、ノインはぼやいた。

 今ノインがいるのは大通りから一本外れた小道――目と鼻の先にスキューアが見える位置だった。あと少し、とノインは歩く速度を上げる。

 背中の少女は、まだ目を覚ましていない。

 道中、何度か彼女に呼びかけたが、結局反応が返ってくることはなかった。後のことを考えると早めに起きてくれると助かるのだが、こればっかりはどうにもならないものだ。

 と、そこで、ノインはスキューアの近くに一台の車が停まっているのを見つけた。

 暗いラセットブラウンの二人乗りのオープンカーで、長めのフロント部と、曲面構成の車体が特徴的なモデルだ。確か型としては一年ぐらい前のものだったか。

 内燃機関はガソリン・エンジン。

 一昔前は蒸気自動車なるものも走っていたが、車に関しては今やガソリン車が主流だ。鉄道などは未だに蒸気機関だが、維持管理のしやすさなどもあって、街中の移動に関しては、ガソリン車がかなり普及してきている。

 とはいえ自家用車など、当然ながら高級品であるので、普及しようがしまいがノインには一切関係のないものではあるのだが。


「あいつ来てんのか」


 ノインは入れ違いになっていたらしい来客を予想しつつスキューアの入り口前まで来ると、片手でドアノブを捻ってから、足でドア押し開けた。

 中に入ったノインを迎えたのは、二人の男女。

 男の方は無論、ボスウィットだ。彼はカウンターの中で煙を躍らせながら、戻ってきたノインを見て少し驚いたような顔をしてみせる。だがそれだけで、背中に負ぶった少女については特に何も言ってこなかった。

 そして女の方は、ボスウィットと対面するようにカウンターに座っており、ノインの来訪に気付くと、軽く振り向いてひらひらと手を振ってきた。ただ彼女も彼女で、少女を連れたノインの姿には驚きもしていない様子だった。

 彼女の名はカリーナ。薄褐色の肌と、ウェーブのかかった長い黒髪、青の瞳を持つ美女である。着ているのはフードのついた黒いローブのような衣服と、ワインレッドのオーバーコート。それにスマートなデザインの黒のサイハイブーツを合わせている。しかし全体的にゆったりとした衣装に反して、激しい体の凹凸は隠しきれていない。

 彼女の年齢は二十代後半……と一応聞いている。ただ見た目だけの判断ならば、彼女はノインと同じくらいの歳に見えた。


「久しぶりだな」

「今日はノースに魔法使い居なくてね。足伸ばしたついでに寄ったの」


 肩を竦めつつ、カリーナは言う。様子から察するに、足を伸ばした成果はなかったようだが。

 彼女は、ここからは少し離れたノース三番街をメインに活動している同業者討伐屋だ。所属はそのノース三番街にある〈アウル〉という拠点。

 そして彼女は、ノインとボスウィットが長く付き合い続けている友人の一人でもあった。

 厳密には、カリーナはノインの相棒であった女性と親交が深かったのだが、彼女がいなくなってからもこうして関係は続いている。

 ちなみに彼女の所属する討伐屋拠点、アウルの主人とボスウィットは古い友人であり、さらに言えば、ボスウィットの持つ銃器関連の仕入れ先の一つは実はアウルだったりもする。


「で、そっちはなんか訳あり?」


 そこで初めて、カリーナは少女を背負ったノインの事情を尋ねてくる。

 ノインは彼女の言葉を肯定だけすると、矢継ぎ早にボスウィットに救急箱のありかを訪ねた。

 事情をゆっくり話すのは少女の手当てが済んでからでいいだろう。

 ノインはボスウィットの答えを聞くと、店の奥の住居スペースへと足を運んだのだった。


 ○ ○ ○


 住居スペース――といっても、そう大したものではない。二部屋あるものの、片方は今物置になっていて、使っているのは残り一部屋とキッチンだけ。ノインが少女を連れて入ったのは当然使っている方の一部屋であり、一般的なものより一回り小さい部屋には、古い木製棚とベッド、ソファなどが置かれていた。そして店舗スペースと同じく、床にはゴミと私物が混然一体となって放置されている。

 ノインはそんな部屋の状況を眺めつつも、少女をそっとソファに寝かせる。そして、ボスウィットに言われた場所を探しにかかった。


「……二段目の引き出し……」


 ノインは古びた木製棚の引き出しを漁る。だがそこに救急箱らしきものは見当たらなかった。

 一段上も、一段下も、二段下にも、それらしきものは見つけられない。


「おい! ねーぞ!」


 ノインはドア越しにボスウィットに叫んだが、ボスウィットは「よく探せ」と声を放ってきただけだった。


「……ったくどこだよ……」


 悪態をつきながらノインは開けた引き出しもそのままに、別の棚を漁りに向かう。

 だがその時、背後でぎしりとソファが鳴った。

 振り向くと、ソファの上の少女が身を起こし、きょろきょろと周囲を見回していた。


「お。起きたか」


 ノインは手を止め、少女に歩み寄る。

 彼女は状況に少し戸惑っているようだったが、パニックにはなっていないようだった。できる限りやわらかい声音でノインは少女に告げる。


「安心しろ。ここは安全だ」


 すると少女はまっすぐにノインを見つめ、まるで何かに驚いたように目を見開いた。


(……こっちも珍しいな)


 胸中のノインの言葉は、彼女の瞳に向けて。

 髪だけでなく、彼女は瞳の色も独特だった。中心に向かうほど赤が強く、その周囲は金色。そこには妙な不安定さも感じられる気がしたが、何というか、引き込まれる色合いである。ノインもつい彼女をじっと見返す。

 が、あまり見つめていても変に思われそうなので、ノインはそそくさと視線を外した。


「ま、起きてくれてなによりだ。朝になったら公安行くから、家族んとこ返してもらえ」


 言葉の後に、ノインはこれで一安心だと胸中で付け足す。

 見ず知らずの少女の身をそこまで案じていたわけではないが、もし長々と目を覚まさないようなことがあったら事態は非常に面倒なものになる。病院で診察を受けさせるような金銭的余裕はノインにはないし、たとえボスウィットが公安に行ったとて、彼女が自分で会話できる状態でなければ虐待や誘拐ではないのかとこちらが疑われる可能性があっただろう。

 だがこうして目を覚ましてくれれば彼女の口から話を聞くこともできるし、身元もすぐに判明するはずだ。


(けど、身元……ね)


 ノインは再度彼女を見、心中で独りごちた。

 自分が言うのもなんだが、彼女の見た目は非常に貧相だ。

 どういう状況で魔法使いに連れ去られたのかは知らないが、この地域で、夜に薄着一枚という格好は異常である。体つきそのものも痩せ気味であるし、彼女がもといた場所で良い扱いを受けていたとはあまり思えない。初等……いや、中等学校に通うくらいの年ごろだと思うが、そうした教育もどこまで受けさせてもらっているのかは疑問であった。


(そういう子供ってことなのかね)


 それなりに文化的に発展した街であるヴェストシティであっても、虐待や身売りなど、そうした影の部分はやはり存在している。むしろ「与えるヴェスト」という名の代償としてそれはより暗く、根強く残っているのかもしれなかった。見た目だけの判断だが、彼女もその犠牲となった一人である可能性はやはりある。元いた場所へ返すのが彼女にとって最善の選択なのか、それはノインにはわからない。ただ、自分の生活でも手一杯なノインに、この少女の生活をどうこうできるような力などあるはずもなかった。

 しかしそこで、彼女の様子を見ていたノインはふとあることに気付いた。


「……あれ?」


 ノインは少女に近づいて目を凝らし、彼女の腕を取る。

 だが今の今まであったはずのそれは、今の彼女には見受けられなかった。反対の腕も、服の裾から覗く両足も見てみるが、やはりそこにもそれはない。


「確かに怪我してたと思ったんだが……」


 けして深くはなかっただろうが、彼女の体には大小いくつかの傷があったはずだった。だが今、彼女の肌にそうした傷は一つもない。


「見間違い……だったのか」


 少々腑に落ちないが、怪我が無かったならそれでいい。そう思い直してノインは立ち上がる。そしてボスウィットらに事情を説明すべく、部屋を後にしようとした。

 だが、その時。


「おわっ!」


 突然、ノインは何かに急襲された――いや、何かではない。ノインを襲ったのは他でもない、少女だ。彼女は後ろからノインの腰に抱きつくように飛びついて、そのまましがみつく。

 不意打ち過ぎて、ノインはたまらずバランスを崩した。

 体当たりでもするかのように飛び込んできた少女を支えきれず、ノインは彼女と共に床に倒れこむ。そしてその振動で、開けっ放しにしていた戸棚の引き出しの一つが落ち、中身が盛大に床にぶちまけられた。大小さまざまな物品が部屋に転がり、散らかる。

 しかし少女の方はそんなことお構いなしに、幸せそうな笑みでノインの胸に顔を埋め、子猫のようにノインにじゃれついていた。


「おい、何騒いでやがる」


 騒ぎを聞きつけ、部屋の扉を開けたのはボスウィット。

 だが彼は中の様子を見るなり、憐みと軽蔑の感情が入り混ぜになった真っ白な目をノインに向けた。年端もいかぬ少女を胸に抱く二十そこそこの男は、さぞや犯罪的に映ったことだろう。


「ノイン……おめぇ……」

「……違うぞ。バカオヤジ」


 ノインはボスウィットのいかがわしい想像を即座に否定し、今度は首に縋り付こうとしている少女を、それこそ猫でもつまむかのように無理矢理引きはがす。


「ったく、あぶねーだろうが」


 さすがに叱りつけたノインだったが、聞いているのかいないのか、少女はただただ満面の笑みを返してくるだけだった。


「……おい、ちゃんとわかって――」


 呆れ半分でそう言いかけたノインだったが、唐突に後の言葉を切った。

 そして目の前の少女の顔を呆けたように見つめる。

 だがノインはすぐにかぶりを振って立ち上がった。

 そしてがりがりと頭をかくと、このドタバタで周囲に散らかったものをざっと片づけ、少女を伴って店舗スペースへと向かっていった。

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