触媒核融合とSF小説についての一考察

いわのふ

触媒核融合とSF小説についての一考察

□□□ その一 触媒核融合とは


 わりと理系の方も知らない話のようなので、あえてここからするか、とは思うのだけれども、触媒核融合に使われるミューオンとは何か、というところから話を始めたい。


 我々の世界には、電子、という負電荷を持つ軽い素粒子がそこかしこに存在しており、なおかつ原子を作り、分子を構成するのに重要な役割を果たしている。じゃあ、世の中、電子に似た素粒子はないのか、というと実はあるわけで、ミューオンとタウ粒子というものがある。


 素粒子には三世代あり、世の中で普通に存在しているのは第一世代の軽くて安定な粒子だけだ。だから、電子が周囲にあふれているわけだ。世代については、ノーベル賞をもらった日本の科学者がその機構を説明する理論を発表している。まあ、そんなことはここではどうでもよくて、第二世代という比較的不安定な粒子だと思ってもらえればそれでよい。第三世代は不安定すぎて使えない。


 すでに述べたとおり、ミューオンは第二世代の電子族粒子で、電子の200倍の質量を持つ。寿命は2.2マイクロ秒。短いように思えるのだけれど、数ある素粒子の中では異例に長い寿命で、考えて見ればコンピュータがこの寿命の間にどれだけの演算をこなしているかを考えれば、その長さが分かる。


 ミューオンは電気的に陰性で電子に似ているが、質量が重い。であるため、例えば水素分子に捕獲されると電子の代わりに二つの水素原子核の周りを、より近くで周回し始める。


 つまり、二つの核が近くなってしまうわけで、ここまで近づくと核力が働いて核融合を起こすようになる。普通の水素原子核より、同位体の重水素、三重水素の方が核融合を起こしやすいので現実的にはこちらを使う。ミューオンが触媒のように次々に核反応を起こし、反応で発生したエネルギーを取り出すことができれば核融合発電にも使えるだろう、というのがそもそもの発想だった。


 ところが、問題があり、ミューオンを人工的に作り出す方法はなくはないが大規模な粒子加速器を必要とする。その上、核融合が起きた後にはヘリウム原子核が発生する。ヘリウムは単原子分子だから、核が一つしかない。これにミューオンが捕獲されるとそれ以上の核融合反応が停止してしまう。


 現時点でヘリウム原子核を積極的に排出する方法が確立されていないため、この方法ではエネルギーを取り出せないとされている。


 逆にヘリウムさえなんとかすれば、そしてミューオンを小さな設備で製造できればこの問題はなくなる。


□□□ その二 SF小説における触媒核融合の利用


 最も象徴的に用いられたのがA. C. クラークの「2061年宇宙の旅」。ミューオン触媒核融合で巨大な駆動力を得た宇宙船はもはや、今までの宇宙探査機のように「スイング・バイ」による加速を必要としない。直接、目標とする天体に近づいていくことができる。2061年はハレー彗星の近接年なので、クラークは彗星への着陸と木星への旅行を小説で描いた。


 次に、同じ重い粒子を使うが、ミューオンは使わず、より質量の大きな「磁気単極子」を使う。小説はロバート.L.フォワードの「竜の卵」。こちらは推進力ではなくて、巨大な質量を持つ星に近づくための手段として使う。


 同じくミューオンは使わないが、「2010年」ではモノリスが木星の水素を吸蔵、圧縮して点火し、第二の太陽にしてしまうラストシーンが描かれており、2061年の間接的アイデアになったのではないかと思われる。


 小説として最小限の仮定で済ませるとするなら、ミューオンより長寿命の新粒子が発見されたところあたりから始めるのもありか、と思う。例えば、ミューオン触媒核融合を調べていたら、ある条件でなぜか核融合反応確率が想定外に高く、調べていたら新粒子を発見した、とか、特殊な核反応経路を発見したとか。小説としてやりやすいとしたら、この仮定を導入するあたりが落としどころになりそうだ。


 あとは、まともにヘリウムの問題に斬り込むことだが、現実に科学者が困っている問題なわけで、そんなこと考えつくぐらいなら小説を書くより論文の一つでもネイチャーに投稿した方が、後々の生活を変えることになるだろう。


 宇宙船を加速するには高エネルギーが必要なわけで、究極的に最大のエネルギー密度を持っているのは物質-反物質の直接反応であるが、もうこの仮定を入れた段階でハードSFとは言えなくなる。ただ、スタートレックとかその手はこれが可能になったなら、という仮定を導入している。異星人との邂逅や人との駆け引きを描くのがスタートレックの醍醐味なわけで、そういう小説ならこの仮定でもかまわないだろう。


 それで、私はというと、先に述べたミューオン触媒核融合の実験で新粒子が発見された、という仮定を導入しようと試みたわけだが、なんとも新粒子の導入という時点でうさんくささを感じてしまい、筆が止まってしまうわけである。自然な流れでその粒子が見つかるストーリー性、妥当性が必要だと思う。


 どちらにしても、ミューオンは魅力的な存在なのだが、いかんせん寿命が中途半端に長く、もう少し長くなってくれたらやりやすいわけだが、そうであればとっくに発電所ができているはずなのである。

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