第1話

「大丈夫ですか? リンコ」

 慌ててドゥルラナはリンコの脇をとって抱き起こした。


「大丈夫じゃない!」


 気絶したかに見えたリンコが、ドゥルラナに向かって大声を張り上げた。動転しているように、彼には見えた。


「子供って何よ!? 第一無理じゃない! だって、その、麒麟と人間だよ!? 無理だよ、それに、子供なんて無理無理無理無理! わたし、まだ十七歳だよ!? こんな、わけのわからないところに呼び出されて、いきなり、子供を生むとか、はっきり言って、無理! だって、わたし……、好きな人もできてないのに、いきなり子供とか、わけがわかんないよ!」


 ドゥルラナは腕の中で喚くリンコを気の毒に感じた。確かになれない場所に呼び出されて、いきなり子供を生むのだと言われたら、どんな雌も拒否するだろう。しかし、リンコに同情しても、ドゥルラナにはなすすべもない。おとなしく、リンコをリョダリに渡すしかないのだ。あのリョダリだと、リンコになにをするか分からない。無理強いをするだろう。雄が雌に無理強いするなど、言語道断だ。雄は雌を喜ばせるべきだった。それをリョダリは拒絶したのだ。ディヴァナシーが怒って後宮に閉じこもっても仕方ないのだ。


 腕のなかのリンコは柔らかくて小さくて愛おしい。大事にしなくてはならない宝のように、ドゥルラナは感じていた。できたら、リョダリから逃がしてやりたい。彼は命令と同情心の間で揺れた。腕のなかのリンコの発情した香りを嗅いだだけで、命令への忠誠心が揺らいだ。それは当たり前のことだ。発情した雌雄は本能で行動する。いっそ、昔のようにリョダリと角競り合いをして、リンコを奪ってしまおうか、とも考えてしまう。ドゥルラナは気持ちを落ち着かせるために、頭を振った。髪が角と擦れあい、少し落ち着いた。


 リンコはドゥルラナに抱きしめられてから静かになっていた。リンコも彼の発情した香りを嗅いでいる。これ以上二人がふれあい続ければ、番う気分になってしまう。ドゥルラナは冷静になって、リンコを離した。


 ドゥルラナを見上げるリンコの頬が赤く染まっている。リンコも発情してしまったようだった。番い相手を彼に決めてしまわないように、彼は、一時的にリンコを雌に預けようと考えた。そうすれば、彼がリンコの心を奪うことがないかもしれない。


「リンコ、あなたを一時的に雌のいる後宮に連れて行きます。そこで待っていてください。番うことに関しては、雌が教えてくれるでしょう。雌は争いを嫌いますから、あなたが脅かされることはありません」

「でも……、でも、長のところに行くときは一人なの? どうせ無理やり連れて行くんでしょ?」

「リンコ……」


 泣きそうなリンコの顔を見下ろしているうちに、ドゥルラナは、言ってはいけない言葉を口にした。


「わたしがリンコの守護聖獣ガーディアンになりましょう。なにか危険が起これば、わたしがあなたを守ります」

「本当に?」


 リンコの顔が明るくなった。ドゥルラナはまずい事を宣誓してしまったと自覚していた。ガーディアンになる。それは一生を通じての誓いだ。何よりも雌を優先し、守り、雌を脅かすすべてと闘う。通常は番う相手がその役目を果たす。番えない雄が雌のためにガーディアンを名乗ることもあるが稀だ。なぜなら、雌が番った相手を嫌えば、相手がどれほど強かろうと闘わねばならない。雄からしてみれば、非常に利益のないことだ。だが、雌の少ない部族では、一頭の雌に何頭ものガーディアンが付くという。ただ、イスキア族では珍しいだけだ。問題なのは、ガーディアンを担う雄なのだ。雌の番う相手が族長ならば、角競り合いでは済まない。長に命じられた他の雄たちから一斉に攻撃されてしまうだろう。


 ガーディアンになると言った時点で、ドゥルラナは、どちらを選ぼうと命をかけることになってしまったわけだ。なんて馬鹿なことを口走ってしまったのだろう、と彼は額に手を当てた。しかし、後悔しても遅い。口にしたことは守るべきだ。この小さな愛らしい雌のために、彼は、不利益を甘んじて受ける覚悟を決めた。


「ずっとこの小屋にいることはないです。今から、後宮に案内しましょう」


 ドゥルラナの言葉に、リンコが首を傾げた。

「後宮? 大奥みたいに女性しかいない場所?」


「大奥がどんなところか知りませんが、雌の居住区になります。雄は後宮の周囲に小屋や家を作ります。長の家も、後宮の近くにありますよ」

「ここから後宮は近いの?」

「ええ、呪いは雌がよく行いますから」


 リンコはドゥルラナにつづいて暖簾をくぐった。ぱあっと明るい世界がひらける。太陽が天上にあり、今が昼間だと分かった。リンコの背後に藁葺きの小屋がある。これがドゥルラナの小屋だ。粗末な小屋で、壁は木板で出来ている。屋根も同じように木板で覆われていて、その上からわらを葺いているようだ。周囲には腰ほどの草原が広がっている。かと思えば、その隣には茶色い地面にところどころ葉が茂っていたりする。どうも畑のようだ。


「あれは何?」

 リンコは目のまえに広がる畑を指した。


「あれはヒヨです。炊いて食べます。その隣の畑にはタンガが植えてあります。炒ってもいいし、蒸かしても美味しいですよ。イスキア族は穀物を中心に食べているのです。興味ありますか?」


 穀物には特に興味を持たなかったリンコは話を元に戻した。

「さっき言ってた、雌がよく呪いをするって、占いが好きなの?」


 先立って歩きながら、ドゥルラナが説明した。

「ええ、今年の実りや天気を占ったり、祈願したりするのは雌の役割です」


「雄は何をするの?」

「主に畑を耕して収穫したり、家を建てたりしますね。闘うのも雄です。雌は雄を使う立場にあるのです」

「雌のほうが偉いの?」

「そうなりますね」


 そう言いながら、土を重ねて作った塀をくぐり、石を組んで作った屋敷の前に立った。


「ここが後宮です」


 リンコは平屋造りの質素な石の小屋を眺めた。

「意外に目立たないね。もっときらびやかだと思った」


「どういう意味ですか?」

 ドゥルラナはリンコの言葉に首を傾げて尋ねた。


「だって、あなたの腰や胸には宝石の帯がたくさん巻いてあるじゃない」


 確かに、ドゥルラナの体には銀と宝石でできた帯が巻いてある。


「これは地位を表すもので、銀はシャーマンだけが身につけます。金は雌と長。他のものは革や蔓で出来た帯を巻いてますね」

「思った以上に質素だった……」


 複雑そうに眉をしかめるリンコを見て、笑った。


「あなたも金の飾りをつけられますよ。花嫁になるのですから」


 すると、リンコが反発した。

「まだ、花嫁になるなんて決めてないよ」


「しかし、長の命です。あなたはそのために召喚されたのですから」

「納得出来ない」


 顔をしかめたリンコをドゥルラナは困ったように見つめた。


「さぁ、ここに立っていては埒があきません。細かなことは雌から聞いてください」


 ドゥルラナに案内されて、リンコは屋敷のなかに入っていった。

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