第19話 二勝、されども七敗

 デュランはウィリエから預かった地図を手にすると、宿に走った。

 悪魔が力を注いだ魔力石を何に使うのかを考えれば、自ずと答えが出たからだ。

 宿に戻ると、部屋に入る直前に内部でどたばたと音がした。


「戻りましたよ、って何してるんですかふたりとも」

『な、何でもないのよデュラン』

「むうう」


 何やらひどく焦った様子のカウラと、何やら機嫌の悪いティアと。

 デュランは位置的にティアがカウラを放り投げたような体勢になっていることに疑問を持ったが、そんなわけないよなと思い直した。カウラを拾い上げて背負う。


「カウラ。魔王殿の発生を止めようと思います。急ぎますので、よろしく」

『素性がばれるのも覚悟ということね?』

「ええ。やむなし、でしょう。ティア、君はロブーリエ商会の監視を聖殿騎士の方たちと一緒に。今回は全力を出しますので、君を連れては」

「嫌です!」

「いけないから……って、いやあのね」

「嫌なものは嫌です! 師匠の言うことなんて聞きません!」


 駄々をこね始めたティアは、何とも珍しく子供じみた雰囲気だ。

 デュランはちらりと視線をカウラに向けると、カウラはどうやって吹いているのか、調子はずれの口笛を吹くのだった。


「カウラ?」

『し、知らないわよ私は! デュランに巫女がキスしたところなんて見てないし!』

「……あのねえ」


 その一言で理解する。どうやったのかは知らないが、ふたりはデュランとウィリエの会話を聞いていたか見ていたかしたらしい。


「ティア。あのですね」

「知りません! 私の気持ちを知っているのにあんなこと……! 師匠のバカぁ!」


 涙を浮かべて騒ぐティアに、デュランは頭を抱えた。どうしてこの状況でこんなことになるのか。


「恨みますよ、カウラ」

『何よ! 私だって怒ってるんだからね!』

「ええい、もう!」


 収拾がつかない。デュランは小さく息をつくと、ティアの両肩に優しく手を添えた。


「ティア」

「し、師匠?」

「魔王殿がどれほど危険なものか、ティアは理解していますね?」

「理解してます」

「では我侭はここまでです、ティア。上手く監視をこなしてくれたなら、終わったあとに僕の出来る範囲で君の頼みをひとつ聞いてあげます」

「本当ですかっ!?」


 随分な食いつきだ。

 デュランは少し早まったかなと軽く後悔しつつも、頷いた。


『デュラン!? 私はぁ!?』

「カウラは僕の相棒でしょう?」

『もぉーっ、こういう時ばっかり!』


 後ろで騒ぐカウラについては軽く流し。


「ではティア、ロブーリエ商会の者の監視をお願いします。魔剣が反応したら、その相手がどんな顔をしているか、しっかりと記憶しておいてください。止める必要はありませんよ」

「分かりました!」

『ちょっとーっ! 私にもたまには言うこと聞くって言ってよー!?』


 ティアは準備を始め、デュランは部屋を出た。


***


 デュランは本気で急ぐと言った通り、一切の躊躇なくひとつめのダンジョンに飛び込み、カウラを振るって次の階層までの道を強引に切り拓くという暴挙に出た。

 一応、フロア内に人の気配がないことを確認してから、だ。

 驚異的な速さで最下層に到達したデュランは、扉を開くやいなやカウラの光刃を振り抜いた。


「ほう、ここまで来るものぐぁっ!?」

「悪いですが、話している時間も惜しいもので」


 部屋には入らず、中にいる悪魔は名乗る間も与えられずに重大な傷を負う。

 これでも加減しているのだ。


「カウラ、知っている悪魔ですか?」

『見たことないわね。下っ端よ』

「何だ貴様、いや、その剣はまさか……!?」

「了解、それでは失礼」


 悪魔が驚愕を露にするが、気にも留めず、デュランは刃をもう一振り。

 緑色の光の奔流が、悪魔ごと魔力核を消し飛ばす。


「次、行きましょう」

『ええ』


 結果を一顧だにせず、デュランは踵を返した。


***


 ロブーリエ商会を包囲している聖殿騎士の数は、十七名に及ぶ。

 それぞれが素性を隠しているから、私服だ。

 そのうちの一人。アリッサとウィリエに初めて会った時に顔を見ていた聖殿騎士で、シンズーと名乗った男に声をかけたティアは、デュランの推挙ならということで、商会の正門前の家屋に潜むことになった。


「十七階位様のお連れですので、名のある剣士殿だと思ってはおりましたが、かの有名なユフィークトの令嬢騎士殿だとは」


 あからさまな掌返し。よく言うと思うが、ここで彼らの心証を悪くして良い事などひとつもない。ティアは笑みを浮かべて頷いた。


「師とともに身分を隠して旅をしておりますので。まだ未熟ではありますが、お力添えできれば幸いです」

「ご謙遜を。十七階位様の直弟子と聞き及んでおります。信頼させていただきますよ」

「ええと、その十七階位というのは師のことですか」

「はい。スルオリ様の聖殿は地上に十六ございます。神官位と巫女には序列などは本来ございませんが、各聖殿の責任者のみスルオリ様に近い者として一から十六の階位が与えられております。十七階位様はそれに準ずるお立場としてスルオリ聖教から正式に認められた聖人というわけですね」

「はぁ」


 国内では無敵の聖騎士として。聖教からは高位神官として。

 デュランは元々農民の子であったと聞く。周囲からそのように扱われてしまうことが時に疲れることもあるのではないか。

 あるいは、身分を隠して旅をしているのは、そういう自分から脱却できるからなのかもしれない。

 ティアは英雄として遇される師の心労を想いつつ、視線を表に向ける。


「……ガルンケルブ?」


 と、カタカタと魔剣が揺れる。

 ちょうど店に、身形の良い老紳士が入ろうとするところだった。


「あの老紳士は」

「む? 顔は見えませんでしたね。あの人物が何か」

「魔剣が反応しました。師からは反応した者の顔を覚えておくように、と」

「そうでしたか。では、出てくるのを待ちましょう」

「ええ」


 だが、待てども待てども老紳士は中から出て来ない。

 それどころか――


「あのご婦人からも?」


 赤いドレスの女性。


「あんな子供が?」


 頭に布を巻いた少年。


「すごく綺麗な子だけど」


 明るい色の帽子をかぶった少女。


「特に共通点はないようですが」

「ええ。止めるな、との指示ですからそのままに。しかし、何に反応しているのでしょうか」


 ガルンケルブは何度か反応を示し、その人物たちは建物に入ると出て来ることはなかった。

 シンズーの方はせわしなく出入りしつつ、ガルンケルブが反応した者たちが他の場所から出てきていないかを確認に回っている。

 ティアはガルンケルブの鞘を撫でながら、じっと建物の奥を見つめる。

 ふと、向こうからも誰かがこちらを見ているような感覚を覚え。


「っ!」


 ティアは息を呑みつつも、極力反応しないように心を落ち着ける。

 少しして、視線を感じなくなる。どうやらこちらがぼんやりと見ているだけだと思ってくれたようだ。


「あ、また反応が」


***


『ゴルデュナスの八ツ頭じゃない。あんたまで地上に出ていたとはね』

「なぁっ……!?」

「危ない危ない、間に合ったか」


 二つ目のダンジョンに入ったところで、デュランは蒼い皮膚の巨大な人型モンスターと遭遇した。カウラの言を信じるならば、それなりに名の知れた悪魔であるようだ。

 それぞれの肩から三つずつ、人の頭のようなこぶが生えている。

 デュランはカウラを振るってまず悪魔の左腕を斬り飛ばすと、顎を撫でた。


「カウラ、あのこぶを頭と見立てるとすると、七つしかないのでは?」

『いえ、本来の頭部は胸のあたりにあるのよ。上に載っているのは全部擬態ね。だから切り離してしまっても問題ないわ』

「か、カウラリライーヴァ様の気配! 貴様、その剣をどこで手に入れた!?」


 どうやらカウラの声は聞こえているようだが、ゴルデュナスの八ツ頭と呼ばれた悪魔はその剣がカウラそのものであるとは思っていないようだった。

 当然ではある。本来は人間が持てばその魂を打ち砕き、肉体を乗っ取るという最上の魔剣でもあるのだ。自我を保っているデュランがカウラそのものを持っているとは思ってもいないだろう。


「どこって。ダンジョンの下の方ですが」

「その剣は、貴様ごときが振るって良いものではない! よこせ!」

「だ、そうですが。カウラ?」

『死刑』

「その前に出来れば情報を引き出したいんですがねえ」


 デュランは振り下ろされる右腕に、無数の斬撃で応じた。

 軽口を叩く余裕もある。


「あっ、ああっ⁉ 儂の腕が、腕がっ⁉」

『ゴルデュナスの。あんたまだ理解してないのかしら? この私が何者であるのか、その濁った眼で今一度見てみるといいわ』


 溢れる青い血を剣風で吹き散らして、デュランはカウラの刀身を悪魔の右脚に突き刺した。


「いぎぃぃぃっ!? この苦痛、まさか、まさか!」

『分かったようね? 私を見間違うとは、その濁りは万死に値するわ。覚悟なさい?』

「な、何故です!? 我らが主神、美しく気高く自由なカウラリライーヴァ様が何故、人間などに使われているのですか!」

『簡単なことよ』


 カウラが笑い、その切れ味のままに悪魔の右脚を斬り裂いていく。


「あっ、あっ、あがぁあぁっ!」

『私よりも強い男だから。それ以外の理由があって?』

「馬鹿な、そんな馬鹿な!」

『私としては、魔王殿の儀式は面白いから嫌いではないのだけど。何しろ私のデュランがそれを嫌がるのよ。だから、そう。残念だったわね?』

「ヒッ!?」


 煽り立てるカウラの言葉に、デュランの倍はあろうかという巨大な悪魔が悲鳴を上げる。

 ひとまずデュランはカウラを悪魔の右脚から抜くと、努めて冷然と問いかけた。


「さて、色々と教えてもらいましょうか」


***


 三つ目のダンジョンのあったはずの場所は、既に土に埋もれてしまっていた。


「少し時間をかけ過ぎましたか。ティアの方に向かったのは順当に考えれば七つ、ですね」


 ゴルデュナスの八ツ頭が持っていた魔力塊を片手で弄びながら、デュランはボルデコの街の方に視線を向ける。


『デュランが倒したのが三匹、ボルデコの街の周囲にあったという悪魔のモンスターダンジョンが十。裏切る者がいなければ、そうね』

「それにしても、連中も色々考えるものですよ」

『そうね。それにしても、黒幕はどこのバカなんだか』


 結局、ゴルデュナスの八ツ頭は最期まで首魁の名前を明かすことはなかった。

 デュランは足をボルデコに向ける。カウラはどことなく楽しそうに呟く。


『まあ、強ければ強いほど、デュランを高みに押し上げてくれるだろうからそれでいいわ』

「何か言いましたか?」

『いいえ、何でもないの。何でも――』


 楽しそうに笑うカウラの声は、どこまでも無邪気で残酷だった。

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