第18話 デュランと美女

「ウィリエ殿。あのですね」

「はい。デュランさま」

「いえ、そのぅ」

「はい」

「ええと……」


 じっとこちらを見つめる、その純粋な輝き。

 デュランは言葉を継げず、ウィリエはその様子を見てなお穏やかに笑みを浮かべている。 

 ボルデコにある、最も高額なカフェの一席。

 何やら先夜の聖殿騎士二人が気を回したらしく、デュランは四人の男から引き出した情報を伝えるという理由でカフェに呼び出された。

 そこには、美しい法衣に身を包んだウィリエが待っており、柔らかい笑顔で席を勧めてきたのだ。


「デュランさま。先日はありがとうございました。わたくし、何がなんだかよく分からないままでしたけれど、聖殿の皆さまのお話を伺いますと、本当にすごいことなのですって」

「いやいや、そんなことは」


 彼女を抱きかかえてダンジョンを脱出して以降、どうもウィリエの視線に照れてしまうデュランである。三十代のおっさんが照れている様子など、見ていて気持ちの良いものではないだろうに、ウィリエは笑みを絶やさずその様子を見ている。


「それでね、デュランさま」

「ええ」

「アリッサ様がお礼をしなくてはね、って。ですからわたくし、聖殿の皆さまが良い店だとおっしゃるところにお願いして、こうして席を用意していただいたの。お気に召していただけました?」

「ええ、はい。それはもう」

「本当に?」


 心配するような顔でこちらを覗き込んでくるウィリエに、デュランは頬が熱くなる一方でたまらず視線を逸らした。

 ウィリエはそれをどう思ったのか、顔を伏せて申し訳なさそうに言ってくる。


「わたくし、どういうことがお礼になるのか、よく分からなくて」

「ああ、いえ。済みませんウィリエ殿。お気遣いは嬉しいんですよ。本当です。これは僕個人の問題でしてね。何だか照れてしまって」

「照れて?」

「ええ。ウィリエ殿のように麗しい女性を目の前にしてしまいますとね。お恥ずかしい話ですが、今の今まで女性にはあまり縁がなく」

「まあっ」


 花咲くような笑みを浮かべるウィリエに、デュランは改めて頭を掻いた。照れてしまうのは確かだが、ウィリエのためにも視線を逸らすのは止める。

 笑みを交わして他愛のない話に終始していると、店員が入ってきて二人にパンと飲物を置いて出ていく。

 そうしてようやく、ウィリエは本題に入ったのだった。


***


『何よ何よデュランったら! デレデレしちゃって!』

「し、師匠の好みってあんな雰囲気の女性だったんですか! ……どうしよう」


 デュランとウィリエがいるカフェが見える、レストランの窓際の席で。

 カウラを背負ったティアは、やけ食いしながら斜め上に見える二人を観察――あるいは監視――していた。

 持つだけで危険なカウラをティアが背負っているのは、簡単に言えばカウラが許可したからだ。デュランを追ううえで自力では動けないカウラが、苦渋の決断として『柄を持たないことを条件に』ティアが触れるのを許したのだ。


『ミリティア! これは由々しき事態よ!』

「カウラ様! いつもの天罰はどうしたんですかっ」

『スルオリ姉様の巫女には手出しできないのよ! デュランがアリッサと仲が悪いから、ちょっと安心してたのに!』

「そんなぁ」


 カウラの声は他の者には聞こえないので、ティアは小声でカウラと会話を続けている。とはいえ、一人でぶつぶつと呟きながらやけ食いしているように見えるティアの姿は周囲には奇異に見えるようで、周囲の客や店員までもが微妙な表情で見ているのだが、本人たちは気付いていない。

 

『くっ、デュランたらニヤニヤしてる……!』

「そんな、師匠がだらしない笑顔なんて……!」


 妙なところでショックを受けているティアと、ある意味で平常運転のカウラ。

 その背後では店員が声をかけるように促されているが、奇妙な迫力に近づけずに首を振っている。


「くっ、店員さん! このリゾット、大盛りでもう一杯!」

「あ、あのお客様……?」

「何ですか? ああ、ついでにデザートも一通り!」

「う、承りましたぁ」


 結局、デュランとウィリエがそのカフェを出るまで、ティアとカウラはやけ食いと呪詛を漏らし続けたのだった。

 無関係な店員が胃を痛めてしまったのは、たぶん偶然ではない。


***


「デュランさま。ダンジョンにまたお連れいただけますか?」

「……魔王殿のことですか」

「はい」


 ぴしりと、空気が張り詰める。さすがに聖女候補というだけあって、集中するだけで場の雰囲気まで変えてしまった。

 デュランもまた、意識を切り替える。


「魔王殿というのは、ダンジョンの一種と伺いましたが」

「そうですね。モンスターダンジョンのひとつの到達点です。悪魔が恩寵のダンジョンを目指した結果、生み出されるとされています。問題は、信仰ではなく恐怖を原動力とする点でしょうか」


 魔王殿が確認されたのは三度。その全てが山間部に生成されており、それは肥大化する魔王殿が恩寵のダンジョンと接触しないようにするためであるらしい。


「魔王殿は、強力なモンスターが出現するだけでなく、存在そのものが悪魔どもの悪意に満ちています。モンスターダンジョンが純粋に餌を求めるのとは違い、恐怖を集めるために人間を捕獲し、ダンジョンの奥に連れ帰ります」

「それは何故?」

「恐怖を与えるためです。捕らえられた人間に与えられるのは、ありとあらゆる苦痛と尊厳の破壊。ここで口に出すのもはばかられるような、おぞましい行為が行われるのだとか」


 実際、カウラはその辺りに詳しく、どういうことが行われたのかデュランに説明してくれたことがある。

 その内容は思い出すだけでも胸が悪くなることばかりで、デュランも人に説明したくはなかった。


「では、侵入を禁止するべきでしょうか」

「それもひとつの方策ですが、魔王殿はモンスターを野に放ち、人里を襲わせることもあります。騎士団の派遣を依頼したのはその対応に当たらせる為ですね」

「なるほど。この近隣では人里はボルデコの街だけですものね」

「はい。それで、ウィリエ殿。ブーレの素性は明らかになりましたか」


 デュランが気にしていたのはそこだ。ブーレはボルデコの街に関わりのある人物だと見ている。ブーレが個人的に悪魔と取引をしたとは考えにくい。何らかの大きな組織の一員であると見ているのだが。


「ええ、彼の素上はもう明らかです。聖殿に子供の頃から勤めている者が見知っていました。本名はジョーイ。ロブーリエ商会に勤めている商人です」

「ロブーリエ商会」

「はい。王都に装飾品などを納めている老舗です。鍛冶師や細工師を多く抱えており、坑道も自前のものをひとつ持っているなど、ボルデコでも大きな商会ですね」

「なるほど、それで」


 デュランが思い出したのは、ブーレと最初に会った時に漏らしていた話だ。良い鉱石が取れなくなったとか言っていたか。

 悪魔は人の弱みに付け入るのが得意だ。ロブーリエ商会の弱みを掴んで協力させているとなれば。


「恩寵のダンジョンを作る手伝いをしろ、とでも囁いたか。どちらにしても早く見つけないとまずい」

「何か、気になることがあるのですか?」

「ええ。ブーレが捕まったことは、あちらも理解しているでしょうから。ゼウラエの悪魔の魔力石を必要としたのも同じ理由でしょう。悪魔が潜んでいるダンジョンがほかにいくつあるかは分かりませんが」


 デュランはテーブルに置かれたパンを手にした。次々口に放り込み、淹れられた茶で流し込む。


「ロブーリエ商会の監視は」

「しています。ですが特別動きはないと」

「尋問の結果、ブーレはほかのダンジョンの場所は言いましたか?」

「はい。ほかに三つほど。自分の担当はそれだけで、ほかのダンジョンについては知らないと」

「ではその場所を教えてください。すぐに向かい、攻略してきます」

「え、その」

「その間、監視にはティアもつけましょう。ウィリエ殿はアリッサねえ……アリッサ殿と一緒に街中にスルオリ様の結界を張ってください。申し訳ありませんが、時間との勝負です。ダンジョンにお連れすることはできないでしょう」


 表情を鋭いものに変えたデュランは、ウィリエに指示を出す。

 抗いがたいものがあったのか、ウィリエは言葉を飲み込んで頷いた。だが、一方で譲れないことはあると問うてきた。


「魔王殿には、お連れいただけますか」

「それが完成しないように力を尽くすつもりですが、完成してしまったなら必ず。魔王殿の浄化は僕では出来ませんし、きっとウィリエ殿の力が必要になるでしょう。御身は僕が護ります。お約束しますよ」

「はい。魔王殿の完成を願いはしませんが、その時にはお頼りさせていただきますね。デュラン様」

「はい」

「ご武運をお祈りいたします」


 そう言って、立ち上がったウィリエはそっと。

 無精ひげもまばらなデュランの頬に、唇を寄せたのだった。

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