誇りと重荷と

 ファガルド家は「錬金術師」の家系である。魔術学でも特に歴史の古い錬金術に造形が深い一族で、多くの魔術研究者を輩出し、数世紀に渡って築かれた富と発言力を持つ。

 日本に拠点を移したのは二十年前のことで、天才魔術研究者槙野零子の研究・開発にも資金面・技術面の援助・協力を行った経緯がある。

 後継者候補の一人のクレエは、一族の歴史と功績に誇りを持ち、その重みに恥じない後継者となるべく努力を重ねてきた。だからだろうか、槙野零子の実の娘だという槙野ハジメとの実力の無さ、そして母親の功績をまるで知らず、興味もなく今まで育ってきたということが信じられなかった。あまりに大きな衝撃で、あの日帰宅してからも頭の中がぐちゃぐちゃだった。彼女が抱えているのがどんな気持ちかと言えば、本人も良く分かっていないのだが、

「許せませんわ」

「はっ! お嬢様、この鈴木がご無礼をいたしましたでしょうか」

 知らずに口に出していた言葉に、運転席から慌てたような声が返ってくる。

「じいやのことではないわ。槙野ハジメのことよ」

「おや、ご友人と何かございましたか」

「あんな子を友人とは認めませんわ!」

「はて、槙野ハジメ様でしたらとても素直な方と見ましたが……」

「あの子の場合は素直じゃなくポンコツというのよ。だいたい、じいやが魔導書のすり替えに気が付いていれば……」

 そこまで一息に言って、クレエは口を閉じる。鈴木の肩がわずかに震えたのを、後ろから見たからだ。

「ごめんなさい、八つ当たりね。鈴木は言う通り、[練金のうたかた]を探してきたというのに、上に立つものがこれではいけないわ」

 自分を戒めるため、彼女は謝罪する。

「いいえ、クレエお嬢様。この鈴木めが及ばず、申し訳ございません」

 ハンドル捌きを乱さない範囲で、ロマンスグレーの執事は頭を垂れた。

「それはいいのよ。ただ、槙野さんが許せないだけ。何と言っても、あの槙野零子の娘なのよ、それなのに……」

 結局、クレエのいらだちはそこに行き着く。薄青く染まる車窓の外の町並みを目で追いながら、彼女は唇を噛んだ。

 鈴木は何も言わない。優秀な執事は、ただ車を走らせた。


 校区の外れに近いところに、ファガルドの屋敷はある。

 鈴木の開けたドアの向こうから、メイドの一人が駆け寄ってきた。

「これパピヨン、はしたないですよ」

 鈴木を無視して、彼女はクレエにエア・メールを差し出す。

「お父様から?」

 クレエの顔がぱっと明るくなり、もどかしそうに封を切る。だが、文面を読み進めるうちにその色は褪めてしまう。

「お嬢様?」

「お仕事の都合で、お帰りにはならないそうよ。来月のバースデー」

「そうでしたか……残念です」

 鈴木も、年若いメイドも顔を伏せるーーどれだけお嬢様が楽しみにしていたか知っているから。

「仕方ないわ。それよりも、いつでも成果をお見せ出来るようにしなくては。じいや、書店の探索、必ず成功させましょう」

「勿論でございます」

「お願いするわ。ーー明日の支度を手伝ってちょうだい、パピヨン」

 気丈に振る舞い、メイドと共に広い屋敷の二階に消えるクレエを、鈴木は不安げに見送った。

「クレエお嬢様……」


 最高級の品ばかり誂えた寝室。ベッドに寝そべると、天蓋に彫り込まれた金のクローバーの紋章が見える。一族の家紋。

「必ずーー必ず、ご先祖様の遺した秘術を手に入れて、ファガルド家にふさわしい後継者だと証明して見せますわ。見ていてください、お父様……天国から見守っていて下さいませ、お母様」

 窓際のテーブルに置かれた写真から、少女と同じ金色の髪の女性が笑顔を浮かべて見つめていた。  


 クラスの違うクレエはハジメとあまり顔を合わせることもなく、約束した土曜日はすぐにやってきた。

朝早く起きてすぐ、前夜に何度も確認した準備再度改めると、クレエは生地と糸一本一本に耐魔術加工を施したローブに袖を通した。フード、袖口、胸元に家紋のクローバーがあしらわれているオーダーメイドである。

メイドが扉をノックする頃には、彼女は準備万端で母親の写真の前に跪いていた。

「お嬢様、朝食のお時間ですよー」

「ええ、パピヨン、ありがとう」

 気丈に振る舞うクレエの背中に、パピヨンと呼ばれているメイドは思わず声を掛けた。

「お嬢様、大丈夫……?」

「当然よ。わたくしのことは心配しなくとも良いわ」

 硬い口調で答え、階下に消えるクレエを、メイドは慌てて追いかけた。


午前九時。「槙野よろず書店」は商店街の奥まったところにあり、車で乗り付けることは出来ない。離れた所から執事とメイドを伴って歩くクレエの姿は商店街中の注目を集めた。

 動じる様子も見せず歩を進めるクレエだったが、問題の書店の入り口をくぐったところで口をぽかんと開く羽目になった。

 目を閉じて体を大きく傾けるハジメを抱き抱えるようにして、彼女の服を整えている詩織。

「ああほらもー、ちゃんと着てから降りてきなさいよ!」

 詩織の肩にもたれかけたハジメの頭は一目で分かるほどにあちこち跳ね、瞼は重たそうに閉じられ、口からむにゃむにゃと音を立てている。

「あの、槙野さん……?」

「あー、こりゃ完全に寝ぼけてるわね」

 クレエの背後から顔を出した桐山先生が、ハジメの頭を小突いた。まったく反応がない。

「すいません、やっと起きて着替えさせたんですけどまた……」

「仕方ないわね。みんな、耳を閉じて」

 かぶりを振った桐山先生が大きく息を吸い込むのを見て、詩織は慌てて両手で耳を塞ぎ、クレエたちもそれに倣い、

 次の瞬間、クラスの居眠りを起こす最終手段として使われる、耳をつんざく大音声が書店内に響き渡った。

 

「それでは、『槙野さんが証拠になる本を隠さないか』、『クレエさんが店内・家を必要以上に荒らさないか』。この条件を満たすため、お互いに見張りながら探せるように、私とメイドさん、槙野さんとメイドさん、河野さんとクレエさんでペアになってもらいます。いいですね」

「構いませんわ」「ええ」

 睨み合うクレエと、学校のジャージを着こんだ詩織が頷く。

 桐山先生によって組み分け、持ち場の分担が行われ、『槙野よろず書店』の家捜しが始まった。


 まだ鼓膜がじんじん痛むハジメは店のエプロンをつけ、クレエのメイドと共に二階の住まいを改めている。

「ねえ、アナタがマキノ? お嬢様がアナタの話ばっかりしてるの」

「えーと、うん。槙野ハジメです。私の話……?」

 この間のあんまりな魔術戦のことだったら嫌だな……と考えながらタンスの中身を出していると、彼女はずいと顔を寄せてくる。

「そう! お食事のときもお着換えのときもずーっとマキノのこと。だいたいダメ出しだけど」

「やっぱり?」

「でもでも、それだけアナタのこと気になってるってことなのよ」

 ハジメが雑に畳んだ服を綺麗に整えながら、彼女はまくし立てた。お金持ちの家のメイドという割りにフランクな話しぶりに目を白黒させていると、

「クレエ様は昔から、同い年のお友達がいないの。クレエ様と気の合う子ってなかなかいないし。だから、マキノがお友達になってくれると嬉しいな」

 妹を気に掛ける姉のような顔に、思わず息を吞む。

「友達が、いないって……」

「そうなの。小さいころから、家名を継ぐため、錬金術を極めるためにって魔術のお勉強ばかりで。でも……」

 言葉を切り、首を振る。

「だからね、マキノ。お嬢様はきっと、アナタには遠慮も、打算もせず相手出来ると思うわ。だから……お願い、クレエ様のお友達になって、マキノ。ね?」

 服を畳んでいた手を止めて、ハジメの手をそっと包み込む。

「えっと……わたしなんかでいいのかな……? なんだかこの前ので、がっかりされたような……」

「ううん、アナタしかいないのマキノ。お願い!」

 手を掴まれたまま、精いっぱい頼み込まれた。

「え、えっと……がんばります?」

 勢いのまま、流されるようにハジメは頷いた。


「桐山様、お嬢様がお世話になっております」

 桐山先生と組んだ執事の鈴木は、これ以上ないほど丁寧かつ、やり過ぎないお辞儀を行った。

「これはどうも、鈴木さん……うちのクラスの子がご迷惑を」

「いえいえ、お嬢様のためにご協力頂き感謝しております。お嬢様は気高い性格ですが、そのために誤解や反発を招くことも多ございますから……」

 しばしお辞儀を交わし合ってから、二人は店舗スペースの半分の在庫を調べ始めた。

 古本の本棚から数冊ずつ下ろし、新聞紙を敷いた床に下ろす。中身を改め、表紙が入れ替わっているものがないかを確かめて行く。

「でも、教師として見るとクレエさんは確かに誤解はされやすいですね。成績や能力もそうですけど、あの見た目と性格……熱狂的なファンと、煙たがってる子たちばかり、周りにいる気がします。先生たちも過剰に持ち上げるか、生意気だって……」

 かぶりを振る桐山。

「そうですか、やはり……なかなか、難しいですな。お嬢様が世間の方々に馴染めれば、と旦那様は進学の際におっしゃっておりましたが……」

「ご期待に沿えなくてすいません。ケンカ相手なら出来ちゃったみたいですけど……」

 店舗の反対側で激しく言い合うクレエと詩織を見守りながら、桐山はため息を吐いた。

「ははは……しかし、あれほど年相応に感情をお見せになるお嬢様は数年ぶりでございます」

 目を細めて微笑む鈴木は、どこかほっとしたように見えた。

「河野様も、槙野様も、自然体でクレエ様に接してくださいます。あのお二人ならばもしかして……」

「ええ?……河野さんがケンカ友達になるならまだしも、あのアホのハジメちゃんが?」

 思わす、鈴木の孫を愛でるような表情に疑いの目を向ける桐山だった。


「ちょっと、そこはレジがあるから、勝手に触らないの!」

「わたくしがお金を盗むとでも言うの? だいたい、二人いるのだから手分けして効率よく探せばよいでしょう。それを貴女が……」

「アンタに任せて、証拠を捏造しないって保証はないでしょうが!」

「つくづく人を悪人のように……だいたい、疑いがかかっているのは槙野さんではなくって!?」

「アンタがあの単純なハジメに過剰な想像をしているだけだって、なんで分からないわけ?」

 益体もない口喧嘩を盛んに行うクレエと詩織。言い合いながらも、元々要領の良い二人だからか、作業の進み具合は他の二組よりも早い。

「ところでクレエ、アンタ意外と手際いいわね。金持ちのお嬢様なんて使用人に任せっきりかと思ってた」

  文句の応酬に疲れた詩織が、雑巾を絞るクレエを見てふと口にすると、

「心外ですわね。ファガルド家に生まれたものとして、この程度のことは自分で出来ます。いくら鈴木やメイドたちがいると言っても、それに甘えていては一族の恥ですわ」

 また癇に障ったらしく、つんと顔を背けながら答えた。

「ふーん……ちょっと誤解してたかも。自分には厳しいのね。見直したわ」

 手を動かしながらの言葉に、クレエは思わず振り返った。昼間の光に眼鏡を光らせた詩織の横顔だけが見える。

「でも、一族だ錬金術だって……窮屈そうね、アンタ」

「なっ……」

 思わぬ言葉を重ねられ、クレエは自分が今どんな気持ちなのか急に分からなくなった。だからとりあえず、

「あ、貴女には関係ないでしょう!」

 そう、苛立った口調のままぶつけた。

「……そうね」

 詩織はそれきり口を閉じると、動かしていた分厚い古本の山を元に戻した。

 二人の担当した場所は、思ったよりも早く片付いてしまった。

「で、どうなの? 例の本が無いのは分かったけど、アンタが言ってた魔術の痕跡とやらは?」

「……まったく何も見つかりませんわね、ええ」

 苦虫を嚙み潰したような顔のクレエに、詩織は勝ち誇る。鈴木のほうをちらりと見たが、彼も首を横に振った。

「で、でもまだ槙野さんの私室が……」

 僅かな望みを託した先でクレエを待っていたのは、本のことなどうっちゃってしまって雑談に花を咲かせるメイドとハジメの姿だった。

「な・に・を! のんびり話していますの! パピヨン!」

「は、はい~ごめんなさい!」

 頭から湯気を出すクレエの指示で、メイドとハジメに詩織も加わった。

「つ、疲れた……休憩にしない? おまんじゅうあるよ」

 きびきびと働かされたハジメが音を上げる。

「駄目です! サボっていた分しっかり探して頂きますわ。先生もここに呼びますから」

 腰に両手を当てて厳しく言い放つと、クレエは身を翻し階段を下りた。

 苛立ちを抑えようとしたが、どうしても足音が荒々しくなる。

「あら、どうしたの?」

 一階を引き続き探していた桐山が、しかめ面を見て声を掛ける。

「なんでもありませんわ――鈴木、何かわかって?」

「お探しの魔導書も、カバーを入れ替えられていた本も見つかっておりません。ですが――」

 鈴木はそこで声を潜め、そっと懐から出した小さなメモを見せた。

“この建物には地下があります。かすかに冷気が漏れております”

クレエは目をみはった。それが意味することはつまり、伝子と反応して冷気を発する魔導書が隠されているということだ。

それを、涼しい顔をしてあの二人は隠していた――

確信を得た彼女は、険しい表情を消し、鈴木と桐山に向き直る。

「先生、二階の捜索のお手伝いをお願いします。あの子たちでは不安ですから」

 溜息をつく。

「そう、分かったわ。……ふふっ」

 桐山の笑みに首を傾げると、

「あなたにはそういう、年相応の顔があってると思うわよ」

 思わぬ言葉だったが、クレエは皮肉げに顔を歪めて答えた。

「そうでしょうかしら。わたくしはもう少し一階を探します。それでは」

 桐山が階上に消えるのを確認してから、鈴木に指示を出す。

「二階から降りてくる気配がしたら足止めを。入口の目星は?」

「そちらのお手洗いの横に」「ありがとう。鈴木はここにいて」

 見ると、「WC」のプレートを吊るしたドアの横に、やたらと大きなタペストリーがかかっている。それをめくると、やや小さなドアが現れた。

 引き戸式のそれを引っ張るが、動かない。

「見たところ鍵穴はありませんわね……バスルームやトイレのように内側から鍵がかかっている?」

 だが、内側から鍵をかけたなら、どうやって外に出たのか?

 やはり魔術を使ったのだろう。であれば、魔術で開錠出来るはずだ。

 アプリを起動したところで、家主に断りなく侵入することが頭を掠めたが、

「いいえ、元々あの子がいけないのだから。はっきりと確かめなければ」

 自分に言い聞かせ、小声で術式を唱える。小さな音を立てて錠が跳ね上がった。

 引き戸の向こうに小さな階段が地下に伸びている。鈴木の言った通り、地下は僅かに気温が低い。優れた冷感を持つクレエには、強力な魔導書の存在がひしひしと感じられた。

 注意深く薄暗い階段を下りる。左右の壁は打ちっぱなしで、何の装飾もない。

 降りきると、そこだけ真っ黒なドア。こちらには鍵穴のついたノブがある。

 スマートフォンではなく、腰のポーチから文庫本サイズの魔導書を取り出し、先ほどとは異なる術式を唱える。ドアノブの内側が淡く光り、X線写真のように構造が透けて浮かび上がった。

「内部構造解析……合致する鍵の成型」

 魔導書の術式を使用しながら、クレエの鼓動は高鳴っていた。通常配信されている魔導書アプリケーションには、家屋侵入などの犯罪に応用出来る術式は含まれない。ファガルド家の人間として有事の備えのため覚えた術式の一つだ。己の大義のためとはいえ、他人の家の鍵を暴くなど初めてで、緊張が抑えきれない。

 伝子の型に魔力を注ぎ、限りなく精密に合鍵を形作る。出来上がった鍵は、例にもれず黄金色だ。

 恐る恐る鍵穴に差し込み、回す。一度深呼吸をしてから、重いドアを開く。鈍い音が地下に響くが、もう慌てはしない。『錬金のうたかた』を見つけ、ハジメの前に突きつけるまでだ。

「みゃあ……!」

 と、彼女の前に一匹の黒猫が立ち塞がった。毛を逆立てながら、戸口を小さな体で遮ってクレエを睨んでいる。

「槙野さんの飼い猫、かしら……」

 クレエは猫自体は嫌いではない。だが、今は先に進まなければならない。何を置いても。

「ごめんなさい、猫さん。そこを通してもらうわ」

 素早く拘束の魔術が発動し、黒猫は金色のリボンで天井から吊るされ、動けなくなる。

 灯りの点いていない室内に足を踏み入れた、その瞬間――

 あるはずの床の感覚がなくなり、体が一回転し、クレエは闇の中に落ちていった。




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