6-4 キラキラソーダと花火
花火大会当日は学校が休みだったので、俺たちはいつも通りに夕方まで踊りの稽古に出掛けた。
今は
あまり表情は変わらないが、喜んでる気配を感じる。
ぱくりと口に入れてはそのしあわせオーラが漏れてしまっている師匠。(正確に言うと、口に入れる瞬間を見たことがないのだが。)
「あずさ屋」のだんご、ほんとにすきだよな。うんうん。ここの「こしあん」めっちゃうまいんだよなー。(俺は絶対こしあん派なのだ! ちなみに紗雪もだ。)
さっきまでかかっていたのは『日本の夏ごよみ』(*10)という歌で、夏の風物詩が歌詞にたくさん現れる。
花火、屋形船、浴衣、盆踊り、打ち水、風鈴、夕涼み、お神酒、神輿、蛍。
ゆったりと静かな曲だ。こういう曲は何度もかかるうちに、しみじみした良さを感じるんだ。日本人でよかったと。きつねだけど。
手拍子、伏せ流し、添え上げ、明けかざし、水平開き、また手拍子。
振りも特にめずらしいものではなく、基本を重ね合わせたようなのだが、こういう曲こそ、もう一度自分の姿勢なり、癖なりを確認するのに最適だったりする。
慣れてくると惰性で踊ってしまいがちな時に、もう一度原点に帰れる曲、とでも言おうか。
まあ、ここで踊る時は常に師匠の目があるので、手を抜くなんて考えたこともないけど。ピンとシャンとして、我らは進んでいく。
*
結局、花火大会は、稽古の帰りに紗雪とそのまま出掛けることになった。
二人で団扇を仰ぎながら、夕涼みがてら川沿いを歩いていく。水鳥の佇む川岸が風に揺れて、なかなかに涼しい。
今朝の紗雪はめずらしく帯結びに
新調した紫陽花柄の浴衣を、何度も鏡越しに見ては、嬉しそうに笑っていた。馬子にも衣装、というより、やはり紗雪も女の子だなと思う。
「紗雪は着映えがするわね。ほら、少し紅も差してごらん」
トリコさんが紗雪のくちびるに、筆で軽く朱い色をのせる。はにかんだその笑顔がまぶしかった、なんて思ったのは、ここだけの秘密。
待ち合わせこそしなかったが、小鹿やフェネックにも偶然会うだろうという予想はしている。何せフェネック・サラマンダーにはSPやらスパイがいっぱい付いているからな。俺たちが今ここを歩いているのも、すでにお見通しなんだろう。
それでもあえて俺たち二人とも、どうしてだか他の人と約束する気になれず、別に紗雪ともそのままの流れでこうしているだけだ。示し合わせたわけでもないけれど、自然に花火大会に向かっている。
そういう相手なのだ、こいつは。きっと一生涯。
日が傾いて夕闇に染まる頃には、隅田川の両岸は人で溢れていた。
紗雪が鈴カステラに寄って行こうとするので、例年通りに手をつないだ。ふかふかっとやわらかい手。よく知っているけど、こんな日じゃなければ昔ほどにはつながなくなった手。
こどもの頃はいつも手をつないでたな。やんちゃだったたぬきのぽんの方が先に走り出す。行動が急だから俺はいつもビックリして引っぱられるままについていった。大型犬の散歩じゃあるまいし。そうだ、あの頃はぽんの方が大きかったもんな。
屋台に不思議なものが並んでいた。電球だ。色あざやかな電球がぶら下がっている。中に何かを入れているらしい。
「おい、紗雪。あれ」
「なぁに、すっごいキレイ!」
近寄って見てみたら、泡がプチプチとはじけている。これは、ソーダ水?
裸電球にソーダを入れるって、どんな発想だよ。
気になって買ってしまった。理科室の実験の危険な水を飲んでいるかのようで、ドキドキする。
うまい、中身はレモンソーダだ。シュワシュワーとはじけている。これは、魔法にかかってもおかしくはない。
「全部は飲めないよー」という紗雪のを奪って、飲み干す。炭酸でお腹いっぱいになるのは悔しいんだって。食いしん坊め。
*
なぜだかハッピー民踊部の部員たちとは誰とも出会わなかった。
大勢の人間たちのいる中で、たぬきときつねの俺たちがまぎれて、二人で花火を見上げる。
紗雪はハート型の花火がすきで、きゃっきゃ言ってる。
俺は大きな音が響いて、空から降って来るような大玉の花火がやっぱりすきだ。
花火が悪い訳じゃないけど、俺たちの中に、花火を畏怖する想いもある。どうしてもあの夏の日の記憶に繋がるからだ。だからよく花火の夢を見る。
けれど、目の前に降り落ちてくる花火はやはり綺麗で、だからこそ命を削っているような、複雑な心地がするんだ。
そんな時にはやはり、互いにぎゅっとつないだ手に力をこめて、体温を感じる。そんなことでとてもあたたかくなる。
*
つないだ手を離すタイミングがなくて、家までそのまま帰ってきてしまった。
玄関を開けてトリコさんに「ただいま」って二人同時に言った瞬間、その手は自然に離れた。
浴衣を脱いで、衣文掛けに通して吊るしておく。明日洗濯をすることにして、今日は霧吹きで水をかけておいた。ゆらゆらと俺と紗雪の浴衣がなかよく泳いでいる。
風呂を済ませたら、疲れてしまった紗雪は、むにゃむにゃ言いながら、先にくぅくぅお腹をふくらませながら寝入ってしまった。
寝入りばなに、「夏音、私のこと、すき?」って小声で言ったような気もしたが、気づかない振りをした。
すきって言ったら、お前調子に乗るだろ。腹づつみ打ったりするじゃないか。
寝ている時は時々たぬきにもどってしまう紗雪。ふさふさのしっぽ。
頭を撫ぜたら、ちょっと動いた気がした。これはいわゆる「たぬき寝入り」ってやつかな。
たぬきは臆病だから、びっくりして気絶しているのが眠っているようにみえたって話もあるが、だいたいは都合が悪いから寝たふりしてるって場面で使われるよな。
今も、おまえ、耳がぴくぴくしてるぞ。
なんだかんだと、愛くるしい存在。
<民謡ひとこと講座>
*10「日本の夏ごよみ」
1993年発表の、鈴木正夫氏および藤みち子氏歌唱の曲。
盆踊りでも時折かかる人気の曲。
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