第十二話:辿り着いた世界

 先頭の車両に乗り込むと、ぽつぽつとまばらに席に座る人々の姿が目に入った。英二は車両の中間辺りに位置するシートに腰を降ろした。これまで乗っていた電車と大きく違うのは、外を見渡す窓がないということだろうか。まあこんな地下の世界では、景色も何もあったものではないのだろうが。

 前方のモニターには目的地と出発までの時間が表示されている。それを見る限りあと少しで出発の時間となるようだ。英二は座席に座ってぼんやりとしながら出発の時を待った。

 しばらくして車内に電子音が鳴り響いた。車両の扉がほとんど音もなく閉まる。シューッという音とともに自然と車両が前に進み出した。全く振動することもなく、体への負荷もない。すごい技術だ、と英二は思った。徐々に車両はスピードを上げて行く。窓がないため、自分達がどれくらい進んでいるのかは伺い知ることは出来ない。皆一様にこの車両の動きに大人しく身を委ねている。

車内は快適だった。英二は次第に、自分がこの最先端の交通手段の中にいるという意識を失い始めた。英二はゆっくりと目を閉じた。藍と待ち合わせをしたあの映画館を思い出す。あの日あの時を境に、自分の人生は余りに大きく動き始めた。それまでの退廃的な日々を思うと、ここにこうして座っていることが奇妙に思えてならない。

 だが、物語は自分の知らない所でひっそりと始まっていたようだ。その荒波に飲み込まれる日が遂にやって来たということだろう。英二は少し自嘲気味にそんなことを考えていた。

しばらくして英二を睡魔が襲い始め、英二は抗うことなくその睡魔に己の意識を差し出した。


 再び鳴り響いた電子音で英二は目を覚ました。目を開けると、前方のモニターに『まもなく到着』という文字が並んでいる。

 いよいよ到着か。車両のスピードは着実に緩まっている。

 そして遂にシューッという小さな音と共に動きを止めた。

「長旅お疲れ様でした。黒都、黒都に到着致しました。お忘れ物のないよう、お気を付けてご降車ください」

 女声のアナウンスが車内に流れた。立ち上がり、頭上の棚から荷物を取り出す乗客たち。英二も周りに倣って自分のリュックを取り出して背負い、扉に向かって歩き出す人々の列に連なった。

 扉を抜けてホームに降りると、まさしくそこは別世界だった。見たこともない電子機器が立ち並び、様々な文字を映し出した透明なパネルが宙に浮かんでいる。明らかに今までの世界にはなかった技術がこちらでは発展していることが分かった。

「そうだ、慎たちを探さないと」

 見たこともない景色に圧倒されながらも、英二はすぐに冷静さを取り戻した。急いで後方の車両に向かう。既に降車している人々の中に2人の姿はない。

 まだ中にいるのかな。

 英二はすぐ傍にあったベンチに腰掛け、2人が降りてくるのを待つことにした。

 5分が過ぎ、そして10分が過ぎた。しかし2人が降りてくる気配はない。

 英二は落ち着かない気持ちを抱き始めていた。そして15分が過ぎようかという頃、扉が閉まりゆっくりと車両が動き出し、すぐに立ち並ぶビルの陰に消えていった。

 どういうこと……?

 英二は焦り、慌てて周囲を見渡す。しかし2人の姿は全く見当たらない。

 嘘だろ……

 英二はがっくりとベンチに座り込んでうなだれた。これからどうしたら良いか途方に暮れるしかなかった。そのとき、英二は唐突に後ろから肩を叩かれた。えっ、と思い振り返ると、そこにはタキシード姿の老齢の男性が立っていた。背は低くもなく高くもなくといった所で、洒落たハットの裾からは白くなった髪が覗いている。

「ようこそ、黒都へ」

 老人はにこやかな笑みを浮かべて会釈した。

「英二君、だね」

「……どうして俺の名前を?」

「君を待っていたよ。私の名前は小柳津おやいづだ」

 老人は英二の質問はさりげなく受け流し、自らの名を名乗った。

「これからしばらく私が君の面倒を見させてもらうよ。色々分からないことだらけだろうが安心してくれ。君が早くこの世界に馴染めるよう尽力することを約束しよう」

「俺の面倒を……? 何の為に?」

「細かいことは気にしなくて良い。一つ言えるとすれば、それが私の役目だということくらいかな」

 小柳津は穏やかな口調で語りかける。

「さて、いつまでもここにいてもしょうがない。早速移動することにしよう」

「移動するって、どこに?」

「私の家さ。君はこれから一時的にそこに住むことになる」

「そんな……勝手に話を進められても」

「そうは言っても君、このままじゃどうしようもないだろう? さあ、立って」

 小柳津は右手で英二にベンチから立ち上がるよう促した。英二はまだこの老人のことが皆目理解出来ていなかったが、迷った末しぶしぶその言葉に従った。慎も兵馬も見当たらない今、確かにこの老人の言う通り他に頼りにする人も術も皆無だ。

「さあ、こっちだ」

 小柳津はくるりと踵を返し、レールを背に右手に向かって歩き出した。英二はその後ろについて歩き出した。改札と思しき場所には、来たときのゲートと同様に電子パネルが設置されていた。小柳津がそのパネルの上に手をかざすとパネルが光り、ゲートが向こう側にぱたりと開いた。英二は小柳津に続いてその改札を抜ける。

 駅の構内をしばらく歩き、やがて目の前に現れた大きな階段を降りて外に出ると、そこには街の景色が壮大に広がっていた。この駅はどうやら小高い岡の上に位置しているようで、下の平野部分に栄える街の光景が一望出来た。

 すごい……何だこの街……

 英二はそこから見える景色に圧倒されてぽかんと口を半開きにしていた。地下の暗がりの中でネオンや光が飛び交い、まさに近未来と呼べる街並みがそこには広がっていた。ホバーカーのような乗り物が自由に空を飛びまわり、独特の形をしたビルが立ち並んで摩天楼を形成している。街中の人々はスクーターのような、地面から僅かに浮かぶ乗り物を自由自在に乗りこなしていた。これまで自分のいた世界では、創作の物語の中にしか存在しなかった景色。それが今目の前に確かに存在している。

「どうだい、びっくりしたかい」

 隣にいる小柳津がにこやかに語りかけて来る。

「なかなかに見応えのある景色だろう。初めてこれを見た者は誰もが言葉を失うものさ。黒都はこの地下世界でも指折りの大都市だからね」

「すごい……車が空を飛んでる」

「はっはっ、この世界じゃ当たり前のことさ。私たちもこれからあの車に乗って移動するよ。空飛ぶタクシーさ」

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