第8話 Ⅲ

 ギンの唄に合わせて、ユウハは立ち上がり、舞う。

「神楽舞であるか」

 海陽に古くから伝わる神道において神楽とは、神の宿る場所や招魂・鎮魂を行う場所を指し、そこで舞う神楽舞は神楽に神を降ろして巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりとなって神人一体の交流を行う宴の催しであったり、荒ぶる神や霊を鎮めるための儀式を指す。

 ユウハはこれを、最も神から遠い汚染された精霊点でやろうとしているのだ。

「並大抵の気力ではもつまい。だが……」

 それは確信なのか、ユウハに迷いは一切ない。

 必ず神を呼び寄せてみせるなどという気負いもない。

 ただ純粋に、無心に、訴えかけるべく舞っていた。

 その姿がレッコウにはこの上なく美しく見え、たとえ深い岩戸に隠れた神でも思わず誘い出されてしまうに違いないと一人納得するのだった。

「この唄も実によい……いずこにおろうと故郷を愛する健気な優しさに満ちておる。嗚呼、目を瞑ればわが故郷、対馬つしまの荒波が見えようぞ……」

「よ、余裕ですな……」

「この程度の危地、北方の民えみしに山間で囲まれたときに比べればなにするものぞ」

「よくわかりませんが、頼もしい限りで……」

「しかしおれたちにとっては余裕をこいていられる場合ではないな。オイゲン、少し時間を稼ぐぞ」

「は、はい。どうやって?」

 シュネルドルファーは答えず、錬魔に入った。

 指で空中に印を刻み、オイゲンが想定したタイミングから大幅に遅れて発動したのはやはり場のせいだろう。

 発動したそれは、ジブラスタで密猟者退治をしたときにオイゲンが使った魔法と同じもの。地面から無数のツタが伸び出て結界の下半分を覆った。

「オイゲン、ツタのあるところだけを燃やせ。ちょうどいい訓練になるだろう」

「こんなときでも訓練ですか……」

 呆れるものの、反対などあるはずもない。界術を得意とするシュネルドルファーが危ないといったらそれが正しいのだ。オイゲンはすぐに錬魔を始め、たっぷりいつもの五倍はかけて無式の火魔法を放った。

 するとどうだろう、シュネルドルファーの狙いどおりアンデッドたちの動きが鈍ったではないか。

 もちろん彼らは火を恐れたのではない。恐れる心もない。

 結界の前にツタという障害物が現れたことでまず攻撃が阻害され、その障害物が燃えているために肉体的な力を削がれてしまったのである。

「さすがにオーガはとめられんか……」

 一対一で出遭えばシュネルドルファーですら死を覚悟しなければならないほどのモンスターである。いくら知能を失おうがその物理的な威力はちょっとした炎程度でとめられるものではない。

「あの木偶の坊ならば吾輩に任せよ。鼓のように叩くのはよいが唄の速度にまるで合わぬ」

「おまえにかかればオーガもその程度か……」

「音楽の基本は律動であるということを教えてやろうぞ!」

 いって、跳んだ。

 いや、もはや飛んだというほうが近いかもしれない。

 師弟の合作魔法を軽々跳び越えてアンデッドの群れの中に降り立つと、抜き打ちの一刀で周囲すべての敵を真っ二つにして見せた。

「うおおっ……!?」

 それを見て呻いたのは騎士たちである。

「は、速い……!」

「なんという気の凝縮……!」

 レッコウは本当にこの曲が気に入ったらしい。動きが完全に曲のテンポと一体化しており、さながら二人のダンサーが同じ曲で踊り合いをしているようであった。

 そんな流れの中で、レッコウの一振りがオーガの巨体を引き裂く。

 一振りで両足を切断し、二振り三振りで両腕を斬り落として無力化する。

 もう一匹に取りかかろうとしたところでそのオーガの剛腕が振り下ろされたが、これを難なく受け止めると切り上げの一振りで上半身を粉砕し、あっという間に撃退完了である。

「どれ、やかましいのでもう一体も黙らせておくか」

「レッコウ、まだ終わっていないようだぞ」

「ムっ?」

 シュネルドルファーに背後を指差され、レッコウは素早く振り向いた。

 そこには、アンデッドの本体ともいえる怨霊が……

「嫌なモノを思い出してしまうな」

「同感だが、おまえの剣でそれが斬れるか?」

「わが剣に斬れぬものなし!」

 烈鋼に眩い光が灯り、裂帛の気合いとともに怨霊を一薙ぎする。

 しかし。

「斬れぬか!?」

 どす黒い半透明のそれは、多少苦しみはしたようだが、存在が消えてしまうほどではなかったらしい。

「やはりな……」

「キルケは斬れたぞ!?」

「信じられんことにおまえの剣は霊的存在に干渉できるほどの力を秘めてはいるが、あいにくここは場所が悪すぎる」

「わが剣を鈍らせるほどにか……」

「逆だな。やつらにとってここが有利すぎるのだ」

 むしろレッコウの剣が鈍るほうがどれだけよかったことかと、シュネルドルファーは内心で呆れ返っていた。なぜならそうなれば理外の存在たるレッコウとてよかれ悪しかれ精霊点や霊脈の影響を受けるという証明になる。

 ところが現実は逆で、レッコウはダロアやオアシスなどプラスの精霊点でもここというマイナスの精霊点でも、これといった影響が見受けられない。

 それはつまり、もはやイスルヒメの助けを借りてもどうにもならない可能性があるということなのだ。

 世界との繋がりを断たれてなお存在し続ける存在……

 そんなものが果たしてありうるのかと、場違いながらも魔術師たる彼は考えざるを得ないのだった。

「様子がおかしい、一旦戻れ」

 その異変はシュネルドルファーでなくとも容易に見て取れた。

 レッコウに斬られて肉体を失った亡者どもから怨霊が抜け出て、ひとつに集まり始めたのである。

「こ、こちらも!」

 オロフのいる左側でも、まだ肉体があるにもかかわらず怨霊が肉体を放棄して集合を始めていた。

 左右一対となったそれらは、もはや生物の形などしてはいなかった。

 どす黒い半透明のなにかは、それ自体でひとつの存在であるかのようでいて、まったく別種の個の寄せ集めのようでもあり、呪詛めいた呻きを漏らしながら苦しげに結界を叩き始める。

「先生、もしかしなくてもすごくマズくないですか……!?」

「ああ、明らかにまずいな」

 なぜなら、霊体には魔術の効き目が薄い。キルケと戦ったときもそうだったように、この怨霊たちに対しても結界の余命は驚くほど早くすり減っていた。

「肉体を捨てたことがかえって利点となったか……」

「シュネルドルファーどの、界術はお得意で?」

「一応な」

「ならば援護をお願いします。ひとまず私の魔力を使って結界を強化しますので、その内側にもうひとつ作っていただけますか」

「もはやそれしか手はないな、仕方ない」

 ただの悪あがきとわかっていても、ユウハの儀式を少しでも長く続けさせるためにはやるしかなかった。

 オロフは地面に両手と両膝をつき、ファーンクヴィストの結界と自身の魔力をリンクさせようと錬魔を開始する。

 魔力の注入が開始されたタイミングで今度はシュネルドルファーが、魔法防御一辺倒の結界を展開した。

 あとはもう、突破されそうになるたび魔術師三人が結界に魔力を補充するしかない。魔力が尽きて突破されるのが先か、ユウハの儀式が終わるのが先か、である。


『許さん……許さん……!』


 そんな声が、怨霊から漏れ聞こえた。

「おお、われらが祖霊よ、鎮まりたまえ……!」

 オロフや騎士たちは両手を握り合わせて祈るが、おそらく効果は皆無だろう。

 むしろ鎮まるどころかどんどん怨霊の攻撃は激しくなってゆき、早くもオイゲンの魔力が底をついてしまった。

「まだ精霊は応えてくれんのか……!?」

 二人の神聖な儀式に焦りの視線を送っている間にもオロフの魔力が尽き、残るはシュネルドルファーだけとなってしまう。

「吾輩が出よう」

 返事も聞かず、レッコウは再び結界を出た。

 そして斬りつけるが……

「こやつ!」

 怨霊はレッコウを完全に無視していた。

「ええい、離れよ! おぬしらを慰めようというに、なにゆえ邪魔立てするか!」

 シュネルドルファーの見立てでは、この怨霊たちにはもう、なにを恨んでいるかもわからなくなっている。なぜ死んだのかも、なぜこの地に留まり続けているのかも、なにもかもを忘れて、ただ、最初の感情『憎悪』だけが彼らを彼らたらしめる要素となっているに違いない。

 ここが精霊点でなければここまでのものにはならなかっただろう。精霊点はよい力も悪い力もごく自然に受け入れて増幅させてしまうのだ。

 そして、ここに封術師の手が入った時期が遅かったというのも致命的だった。

 この地の負の力の強さゆえにファーンクヴィストが現れるまで四〇〇年間手つかずで放置されてきたというのは、四〇〇年間負の力を増幅させてきたということになる。それを一旦は封じたファーンクヴィストはやはりとてつもない能力の持ち主だったに違いないが、おそらくは今、ユウハとギンはそれに等しいことをやろうとしているのだ。怨霊が激しく抵抗するのも当然といえるだろう。

 望みはやはり、ユウハの霊術。

 ファーンクヴィストは魔術師であったため魔力によって封じることには成功したものの、それは根本的な解決にはなっていない。根本的に解決するためにはどうしても霊術師の力が必要なのだ。

 むろん、それを行えるだけの力を精霊から借りることができれば、の話だが……

「もうあとがないぞ……」

 ついに、シュネルドルファーの魔力も尽きた。

 レッコウの自慢の剣もほんの少しの妨害にしかなっていない。

「ああ、神よ、英霊よ……」

 祈りも無意味。

 やがて、そのときが訪れる。

「間に合わなかったか……!」

 音もなく結界が破壊され、怨霊が襲いかかる。

 それでもなお舞と演奏をやめようとしない二人はもう、無意識の領域にあるのだろう。

 しかし、だからなのか。

 それとも儚い祈りが天上か地底にでも届いたのか。

 短剣と神楽鈴を怨霊に向けたユウハから、凄まじい霊気が迸った。

「き、きたッ!」

 この期に及んですかさず破眼を発動させたシュネルドルファーの神経もあるいは称賛に値することかもしれない。

 霊気の一撃で怨霊を遠ざけたユウハは、両手の道具を置き、代わりに小さな梓弓を取り、矢も番えずに弦を引いた。

 指を放すと高く細い音が鳴った。

 一度。

 二度。

 そして三度。

 シュネルドルファーの双眸は、確かに捉えた。

 一度弦を鳴らすたびに霊力が高まり、集中していくさまを。

 そして三度目に弦が鳴ったとき、矢を番えていないはずの弓から、目が眩むほどの光が矢となって放たれ、目の前の巨木に突き刺さるさまを。

 ただし、映像はそこで途切れた。

 おそらくは破眼のせいで通常は見えるはずのない霊力が当のユウハよりもよく見えてしまい、一時的に視覚が麻痺したのだろう。

 そうしてシュネルドルファーが破眼の性能のよさを呪っているとき、他の者たちは確かに肉眼で捉えていた。

 怨霊を貪り食らう、黄金の龍の姿を。

「おお、黄龍……伊守流姫命いするひめの化身ぞ……!」

「すごい……」

「天に昇ってゆく……」

 しばし一同が一様に天を仰いでいると、ばた、とふたつの鈍い音が彼らの心を大地に引き戻した。

「ユウハ、ギン!」

「大丈夫ですか!?」

「おい、なにが起こった、どうしたんだ!?」

 いまだ視覚不良を起こしているシュネルドルファーだけが見当外れの方向に進み出て転ぶのだった……

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