第8話 Ⅱ

 最初はユウハによる、例の異様なまでに平坦な海陽式の詠唱、祝詞であった。それも先日シュネルドルファーに教わったばかりの、筆記魔法を応用した空中に文章を浮かべるスタイル。これだけでもシュネルドルファーに感声を上げさせるに充分だったが、彼が真に驚愕したのはそのあと、ギンの役割であった。

 ユウハの、平坦ながらも厳かな詠唱が一拍の間を置いたとき、その隙間を埋めるようにして鋭い弦の音が鳴り響いた。

 そして徐々に音楽の態を成してゆき、二人の音は完全に一体となった。

「そ、そういうことか……!」

 シュネルドルファーは、ギンのユウハの相棒としての役割がなんなのかずっと疑問に思いつつも他の興味の対象が大きすぎて今の今まで訊くことができなかった。そういう場面に直面したときのお楽しみという考えもあるにはあったが、果たして、その期待は見事に報われたのだ。

 今、目を閉じて三味線を奏でるギンからは確かな魔力が迸っている。

 正確には、三味線から。

 いいや、三味線から空気中に伝達された、音にだ。

 音楽それ自体がひとつの魔法となって、ユウハの霊力と混じり、音の届く範囲にその効果をもたらしている。

 つまりギンは、ユウハの増幅器としての役割を担っているのだ。

「術式もくそもない、ただ演奏するだけ……いや、これこそが彼女独自の術式というべきか……」

 無理矢理分類するならば、特定の法則で手を動かすため刻印式、それによって音を発するため詠唱式、よってそのふたつを合わせた複合式といえなくもない。

 シュネルドルファーの知る中で、歌うことで詠唱するという変わった術式にこだわる魔術師が連盟に一人いるが、それとはまた違う。その人物にとって歌はあくまで発動手段であって、ギンにとっての音楽はそれ自体が結果をもたらしているのだ。

「びっくりするでしょう?」

 既に何度も見ているオロフも、まだ新鮮さが抜けきらないように感心している。

「魔法など誰からも教わったことがないとのことですが、彼女は声や音でモンスターを撃退することもできるのですよ」

「天賦の才か……」

 これで、二人が単身で旅を続けてこられた理由が完全に明らかとなった。

 ともに女ならではの武器を使うことになんら躊躇いをもたず、そのうえ戦うすべまできっちり持ち合わせているのだから、むしろ一般的な単独冒険者などよりよほど安全で気軽な旅だったに違いないのだ。

「このような場所でなければいつまでも見ていたい光景ぞ……」

「同感です」

 しかしレッコウがいうように、こういう場所だからこその問題が、形を成して訪れてしまった。

 ずん、と小さく地面が揺れたのだ。

 地震かと思って身構える一行だが、その震動は一定の間隔で届き、しかも徐々に大きくなっていった。

「おいおい、まさか……」

 騎士の一人が青ざめた顔で笑いながら剣を抜いた。

 その視線の先に、いたのだ。

「オーガだと!?」

 いないはずのものが、姿を現した。

 オーガとは、三メートル前後の上背と筋骨隆々の体格をもつ非常に凶暴な、人間すら捕食する肉食モンスターで、攻防いずれかの能力の高い魔術師がいないなら五人以下で出くわせば即座に逃げ出すべし、といわれるほど危険な存在である。

 そんなモノが、現れた。

 それも一匹ではない。

 オーガが三匹、他にも獣型のモンスターや人間らしき者たちが、半ば腐った体で群れ出てきたのである。

「オロフ、これは想定内か?」

「人間や小型のモンスターは何度か見かけたことがありますが、オーガは初めて見ましたね……」

「どどど、どうするんですかっ!?」

「結界の中にいれば問題ないはずですが……」

 言い切れないところに、オロフの動揺が表れている。

 シュネルドルファーは破眼を発動させ、さっと周囲を警戒した。

 その余人には見えないモノを正確に捉えることができる赤紫の双眸で確認したところ、奥にはまだ人型や獣型のアンデッドが潜んでいるようだが、オーガ級の化け物は見当たらない。

 ただ、ここで問題なのは敵の数と、それらすべてが単なるアンデッドではなく、怨霊と思しき霊的エネルギーに憑依されているということだった。普通のアンデッドならばどれだけいようがシュネルドルファーの敵ではないが、強力な霊術の干渉があると話は違う。そう、キルケのように。

「この森五〇〇年の集大成というべきか……それでもこれですべてというわけではないだろうな」

「今までこんなことはなかったのですが……」

「遅れたことを怒っているのかもな」

「とにかく、警戒態勢のまま様子を見ましょう。儀式が最優先です」

 シュネルドルファーは頷き、ユウハとギンを見やる。

 二人ともまるで気づいていないかのように変化なく、それぞれ祝詞と演奏を続けていた。

「たいしたものだ」

 ここで護衛のほうが動揺していては立つ瀬がないというものだろう。

 だからオロフは、

「二人を囲むようにしましょう」

 そう提案したが、

「いや、二手に分けよう」

 シュネルドルファーが修正した。

「右はおれとレッコウが受け持つ。左は全員で護ってくれ」

 右にオーガが二匹おり、背後には結界つきの道があることからの提案だった。

「二人で大丈夫なのですか?」

 というのは当然の心配だろう。

「こいつに合わせられるのはおれくらいだからな」

 それは、あるいは虚勢の極みだったのかもしれない。シュネルドルファー自身、自分がレッコウに並べるほどの実力者だとは毛ほども思ってはいないのだ。

 そして、不思議と確信している。

 レッコウと対等に肩を並べて戦える魔術師はただ一人、クガナだけだろうと。

 それほどの極みにレッコウも達していると、シュネルドルファーは確信しているのだ。


 ……やがて、ユウハの祝詞に変化が訪れた。

 これまで異様なほど平坦だった声質と音程が、音楽的なものに移行したのだ。

 それに合わせて、ギンも唄い始めた。

 二人による同時詠唱である。

 そして、この変化に応じて増幅された霊力と魔力に不満をぶつけるように、アンデッドたちが結界に向かって走り出した。

 それらの大半は結界に弾かれるが、オーガなど一部の者は弾かれることなく無造作に体当たりや打撃を繰り返し、結界を揺らす。

「さて、結界がどこまでもつか……」

 シュネルドルファーはパイプを取り出し、魔力の調整を始めた。

「しかし、これは、なかなか……」

 かろうじて引きつる程度に表情を抑えているオロフが呻くように呟いた。

 結界に護られているとはいえ、すぐそばまでアンデッドの群れに詰め寄られ、上からは巨体のオーガが叩き潰そうと覆いかぶさってくるのをただ見ているだけというのは、精神的にとてつもない圧迫感を覚えるのだ。

 しかも、結界がいつまでもつかわからない。

 アンデッドは肉体的にも精神的にも疲労とは無縁の存在のため、その肉体が維持できる限り、取り憑いている怨霊が消え去らない限り、いつまででもその行為を継続できる。つまり持久戦では圧倒的に不利。そのうえ数でも圧倒的に不利な状況であるから、場数を踏んでいる騎士たちもさすがに神経をすり減らしていた。

 ただ、現状一番の問題は、ここが汚染された精霊点であることである。

 せめて通常の場ならよかったが、この場所では魔力がろくに集められず、ほぼ自身の保有魔力だけで対処するしかない。そのためシュネルドルファー、オイゲン、オロフの魔術師三人はそれぞれのやりかたで念入りに魔力調整を行っているのだが、そうもいかない者が二人いる。

 そう、ユウハとギンである。

 この二人も魔力を使っているため、当然場の影響を受けている。

 つまり、本来ならもっと効率よく進められる儀式が甚だ遅れているのだ。

 ユウハはこうなることがわかっていたので、少しでも精霊の力を借りようと最初にじっくり時間をかけてそのための術を行使していた。ほとんど焼け石に水でしかなかったが、それから鎮魂の儀に取りかかり、今もなお継続中である。そしてその儀式ももちろん、遅れていた。

 そんな中、最初に痺れを切らしたのは、なんとほかならぬユウハであった。

 ギンとともに何度も繰り返し続けていた唄を切り上げ、演奏をやめるよう手で制して立ち上がる。

「終わったのか?」

「いいえ。このままではおそらく間に合いません。ですので、少々強引にでも神をお呼びします」

「こんなところにまできてくれるか?」

「難しいとは思いますが、やるしかありません。この儀式を行っている間、私は完全に無防備となりますので、どうかみなさん、よろしくお願いします」

「もとよりそのためにおるのだ。神道の神髄、とくと見せてやるがよい」

「はい」

「あたしはどうすればいい?」

「“故郷ふるさと恋い唄”を、少し早いテンポでお願いします」

「あいよ」

 ギンはテンポの確認のために軽く弾いて見せ、それに頷いたユウハは道具袋から短刀と弓、そして鈴がいくつもついた金属の棒・神楽鈴を取り出し、短刀と鈴をもって正座した。

「おギンさん、どうぞ」

 ユウハの合図で、ギンの演奏が始まった。

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