4.

5月31日 午後5時40分



「大学でもバイト先でも浮いた話一つ聞かないから安心していたものを……こんな時に女の子と家で二人っきりでいちゃこらしてるなんて、神経が図太すぎるのも、ほどがあるんじゃない!?」

「だからそれは誤解だって……」


 創介がなんとか誤解を解こうとしているが、彩夢は制服のブラウスをまくり上げた腕を胸の前で組んだまま、微動だにしない。アリアはそんな二人から距離を取るように、ダイニングテーブルの隅っこにちょこんと腰掛けたまま、嵐が過ぎ去るのを静かに待っていた。


〈今夜、この中の誰かが死ぬ……!〉


 これまで数々の怪事件やクローズド・サークルに遭遇してきたアリアも、こんな修羅場は初めてだ。下手に藪をつつくと蛇どころか、八つ首のヤマタノオロチが出てきそうなので、なるべく気配を消して関わらないようにしていた。

 カップを傾けて残り少なくなったカフェラテを飲むフリをしながら、アリアはこの新たな登場人物に視線を向ける。


〈なんか、あんまし似てないな……〉

 創介は見た目も性格もぼんやりしていて良くも悪くも印象に残らない、『いいヤツだけど影が薄い』タイプだ。対して、この妹は全身から活気がみなぎっていて、ひと目を惹きつける引力のようなものを感じさせる。意志の強そうな眉は太く、胸の前で組んだ腕は肘のあたりまでブラウスの袖がまくり上げられていて、日に焼けた肌が見えている。

 唯一似ている所と言えば、背の高さくらいなものだ。彩夢は近所の公立中学の制服を着ているが、身長はアリアよりも目線一つ分以上高い。スリッパも靴下も履いていないココア色の素足と、長い髪を後頭部で一本に結んだヘアスタイルがその印象をより強めていた。

 なによりアリアの目を惹いたのは、組んだ腕の上に半ば乗り上げるように膨らんだ胸元だった。


〈あれは巧妙なアリバイトリックに違いない! だって、だって、中学生であんなに胸がデカいなんて、あ、ああ、アリエナイしっ!? コンチクショーっ!!〉


「状況、分かってるの!?」

 軽い現実逃避に陥っていたアリアの意識を彩夢の声が現実に引き戻した。

「今、兄さんは殺人事件の容疑者なんだよっ? 幼女誘拐の容疑までかけられたいの!?」


〈……おい、待て、妹よ。今、『ようじょ』って言ったか?〉


「だからこうして、探偵さんと一緒に真犯人が使ったトリックを考えていたんだ!」

 怒りの形相から一転、疑念と不審と好奇心を5:4:1でミックスしたような眼がアリアを捕らえる。

「探偵って……この女の子がですか?」

「……ヲォウォイ!? 妹よ、私はこう見えて高校生だぞ!」

 おもわず椅子から立ち上がったアリアだったが、身長差の所為でどう足掻いても彩夢を見上げる形となり、いまいち格好がつかない。

 一方、彩夢はそんなアリアの頭からつま先だった足まで何度も視線を往復させながら徐々に目を見開いていく。

「――うっそ!? もしかして見た目は幼女、中身は大人的な名探偵!?」

「――違うっ! 普通の女子高生だし、私立探偵なんて縁起でもない!!」

「え、そうなの?」

 驚く彩夢のすぐ隣で、その兄も意外そうな顔でアリアを見下ろしていた。

「事件の捜査とか、推理に慣れてるみたいだったから、てっきり〝現役JK探偵〟を目指しているのかと思ってた……」

〈何だ、その安っぽいキャッチコピーは……〉

 兄妹揃って驚いた顔をしているのを見てアリアは軽い目眩を覚えた。

「私を事件や暗号と聞けば何にでも首を突っ込む推理オタクとかと、一緒にしないで下さい」


 確かに世の中にはそういう、好奇心と燃えるような正義感を持ち合わせた奇特な人間も居るかも知れない。

 しかし、自分は違う――。

 いたって普通の女子高生でしかない。

 できれば、血生臭い事件にも、頭のイカれた犯人なんぞとも関わりたくなどない。普通に友達と海や山に遊びに出かけたり、恋人を作って喫茶店や遊園地でデートをしてみたいと、常々思っている。


〈ンま、どっちみち一緒に遊ぶカレシも友達も居ないんですケドね……〉


 アリアが自嘲気味に溜息をつくと、思いがけず創介と目が合った。

〈何だコイツ、さっきから人の顔、ジロジロ見て……まさか妹の言うとおり、マジでソッチの気があるんじゃないだろうな?〉

 アリアが睨み返すと創介はすまなそうに眉を寄せた。

「なんだかゴメン……」

「はい……?」

「疑われてるのはオレなのに勝手にキミを巻き込んじゃって」

「兄さん……」


 まさか謝罪を受けるとは思わず、アリアは絶句する。

 これまでアリアはどこかに出かけるたび、必ずと言っていいほど何らかの事件に巻き込まれてきた。大抵はアリアとは全く無関係の事件でも、同じ事が続けばアリアのことを〝死神〟や〝疫病神〟と呼ぶ心無い人間も出てくる。アリア自身、呪いとも言うべき自分の才能を疎んじ、最近では事件に巻き込まれないように学園と寮を往復するような生活を続けていたのだ。

 それなのにまさか謝られるとは思いもしなかった。

 アリアは不意に湧き上がった気持ちを処理しきれず、創介から視線をそらす。


「別に……九野さんに頼まれなくても、勝手に推理して勝手に解決していたので同じことです」

〈……そうだ。せっかく密室の謎が解けかけたところに、この妹がやってきたせいで、安っぽいラブコメみたいな雰囲気になってしまったんだ〉

 アリアは頭を切り替えると、箕輪家の台所を物色し始めた。

 そんなアリアの小さな背中を見つめながら彩夢が創介を手招きする。


「兄さん、兄さん……すっごい自信満々だけど、ホントに大丈夫なの?」

 何度もアリアの観察眼や推理力を目の当たりにしている創介とは違い、彩夢はまだ半信半疑といった感じだ。

「きっと何か考えがあるんだと思う……探偵さん、探しものなら手伝うけど?」

「ねぇ、そこってアタシのスポーツドリンクとかプロテインぐらいしか入ってないと思うけど……」

 しかしアリアはあえて二人を無視した。


〈私の推理によれば、おそらくこのあたりにアレがあるはず……〉


 創介の几帳面な性格を表すかのように、戸棚の中は整理整頓が行き届いていて、埃一つ落ちていない。おかげで目的のものはすぐ見つかった。

 アリアが手にした細長い棒状の物を見て、怪訝な表情を浮かべる彩夢。

「……そんなモノ、どうするつもり?」


「これが勝利の――いえ、密室を開く〝鍵〟です」


 アリアは確信に満ちた表情で、そう告げた。

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