第7話

「えっと、これとそれは準備が終わって――」時計を眺めた転が、指折り数えながら、天麩羅を揚げる準備をしていた。「講義は終わっているはずだから、もう少しで華秀さんが来ると思うのですが……」


 屋敷に帰ってきた転は、手洗いうがいをし、髪を上げ、ポニーテールにし、エプロンを掛けすぐに夕食の準備に取り掛かった。

 もっとも、ほとんどの料理は時間がかからず、下ごしらえを済ませただけであるが、カステラは焼く時間と冷ます時間を考え、早めに作ったために帰ってきたからのほとんどはカステラに費やしただけであった。


「さて――銀子、銀子はいますか?」厨房から顔を出し、転は銀子を呼ぶ。すると、パタパタ。と、銀子が駆けてきて首を傾げたために、転はクスりと声を漏らし、銀子にエプロンを掛けてあげた。「少し手伝っていただけませんか?」

「はい、もちろんです」パッと咲いたような雰囲気で、銀子が真顔を崩すことなく了承した。


「ありがとうございます――と、そういえば、義平さんは?」

「旦那様ですか?」銀子は転が皿に敷いたつまに、刺身を盛り合わせていく。「先ほど、自宅に何かを取りに行ってくる。と、言っていました。そのついでに、華秀先輩を迎えに行くとか」

「あら、華秀さんを迎えに行ってくれたんですね」アルミホイルに包まれ、火で焼かれているタケノコと魚焼きグリルに入れられているそら豆の様子を見ながら、転は天麩羅を揚げ始めた。「それならもうすぐですね。律子叔母様もそろそろ帰ってくると思いますし、さっさと盛り付けてしまいましょう」

「わかりました」


 転が天麩羅を揚げている間、銀子は次々と料理を盛っていく。

 天麩羅、刺身、焼きたけのこ、焼きそら豆以外にも、丸々一個を使った焼き玉ねぎや事前に八千雄が作っていたホタルイカの沖漬、菜の花の白和え、ゴボウと鶏の炊き込みご飯、白みそを使ったジャガイモとキャベツの味噌汁などなど――転はそれだけの料理を用意していた。


 すると、チャイムが鳴る音――この家の主である中村 律子がわざわざチャイムを鳴らすはずもなく、およそ、華秀と義平が来たのだろう。


「――っと、来たようですね。銀子、私は2人を出迎えに行くのであとは任せても?」

「はい、任せてください」相変わらずの無表情だが、銀子の雰囲気はやる気に満ち溢れていた。


 転はエプロンを外そうと手をかけるが、ふと思いついたのか、そのままの格好でエントランスに足を進めた。

 その間、転はワイシャツの第2ボタンまでを開け、フフっ。っと、鼻を鳴らし、外と繋がる扉まで急いだ。


 そうして、息を吸い、どことなく色っぽさを演出した転は扉を開けた――。


「いらしゃい――よく来てくれましたね」転は上品に、そして艶のある表情と声で言い放つ。その際、顔を背け、出来るだけ背徳感が出るように――。「私、待っていたのですから――」


「あら、そんなに歓迎されると、年甲斐もなく嬉しくなってしまいますね」

「………………」転の額からどっと脂汗が流れ始めた。

 転はチラり。と、視線を扉の外の面々に向けるのだが……そこには腹を抱え、笑いを堪えもしていない義平と、引き攣った笑みで転の目の前の人物の背中を見つめている華秀――そして、ニコニコと笑顔を張り付けている菊江の姿があった。


「ところで転さん、随分とだらしのない格好でお客様を出迎えるのですね? いくら昔馴染みや幼馴染の義平くんや華秀ちゃん相手とはいえ、それは失礼では――」


「チェンジで!」


 バタン、カチャリ――と、最早芸術的な音の連鎖を鳴らしながら、転は扉の鍵を閉めた。


「ちょ――く、転さん、転さん! ちょっと! 転さん、開けなさい!」

「嫌です! 私のほのぼの歓迎食事会を壊させるわけにはいきません!」

「あ? お前さんの歓迎会だったのか? 銀のだろう?」

「殿様はちょっと黙っていてくれませんか? 私と銀子のです!」



――と、転は扉を押えたままだったのだが、律子が帰ってきたことにより、鍵を開けられたのである。


「わぁ~、ころちゃんの家、久々だぁ」

「あ? そうだったか? 俺は何度か茶に誘ってもらえてたから久々って感じはしねぇな」

「え~? それならあたしも誘ってくれても良かったのに。よっちゃん気が利かないね?」

「お前さんは転(てん)に会いたがってただろうに。ここに来ても面白くねぇと思ったんだよ」

「む~……でも、ここに足を運んでいれば、少しは情報が入ってきてたかもだもん。そうすれば、驚かなくて済んだかもなのに」すると、華秀はチラリと義平から視線を外した。「あの光景も久々だよぉ……がぅがう」

「そうだな」


 クツクツと喉を鳴らし、義平はソファーに深く腰を下ろした。


「だが、理事長も律子さんも嬉しそうだな。やっぱ、この屋敷は転(てん)がいねぇとだな」

 転を中心に、菊江、律子、八千雄が三角形を作るように囲んでいた。

 理由は言わずもがな――説教である。


 転が帰って来た時、八千雄は銀子の手前、拳を握りしめるだけであったが、律子が帰ってきたことと、菊江がいることで今朝のことや帰ってきてからの生活態度について爆発させた。


 すると、それに誘爆するように菊江と律子も、重ねに重ね、説教のミルフィーユ状態となっている。


「あれがバミューダトライアングルだね! が~う~」片手遣い人形をグルグル回しながら華秀がしたり顔を浮かべた。

「……華(はな)お前さん、適当に言ってるだろう?」

「うん!」

「……そうかい」


 義平はため息を吐くと、銀子が運んで来てくれた茶を受け取る。

「銀、いい加減あれを止めてきてやれ」

「私が、ですか?」

「ああ、この屋敷の人間はお前さんと華(はな)に弱いからな」

「わかりました」


 銀子は頷き、トコトコ。と、歩いていき、律子の袖を引っ張った。

「奥方様――」


「――? っと、銀ちゃん」レディーススーツに身を包んだ女性――転の叔母であり、雲母の妹の律子(のりこ)が子どもっぽい、と、いうより、可愛らしい笑みを銀子に向けた。「そういえば、まだ挨拶をしてなかったわね。銀ちゃん、おかえりなさい」

「あぅ……」

 律子に向けられた笑顔により、照れてしまった銀子が真顔だが、オドオドと体を揺らした。

「た、ただいまです」

「ええ、おかえりなさい」


 クスクス。と、笑みを漏らし、銀子の頭を撫でる律子。

 転や菊江と違い、上品と言うよりは可憐――空気も多少おっとりしており、転への説教も、どこか緩い。そんな律子だが、先ほど義平が言ったように銀子には甘い。銀子を撫で始めたら説教をそっちのけで撫で撫で撫で――。


「あ、あの――」

「ん~ぅ? 銀ちゃんはいつ見ても可愛いわねぇ」

「あぅ――その、お料理が」

「――? ああ、そうね」律子は自分の手を数回叩くと、菊江と八千雄の視線を集めた。「菊ちゃん、八千雄も、これくらいにしておきましょう? せっかく転が作ってくれた食事が冷めてしまうわ」


「……え~、一緒に食べるつもりですか――」

「転(てん)はちと黙ってろ」


 ニッコリ――と、威圧感のある笑顔で転を見る律子がいた。

 転は顔を背けながら、食卓へ歩き出した。


「さ、さぁ、みなさま、せっかくの食事です。早く食べてしまいましょう? ええ、そうしましょう」転は青い顔をして手を叩くが、すぐに息を吐き、呟く。「早く帰ってもらうために」


「転、私はこの家にずっといるわよ?」

「いえいえ――一体何を言っているのですか! ささ、丹精した料理をどうぞお召し上がりくださいませ」そうして、全員が食卓に着くと、転は銀子の頭を撫でた。「銀子がこの屋敷に戻ってきてくれましたことを祝いまして――」


「……ころちゃん、位置取りから役割まで逃げの姿勢だよぉ」華秀が言っているのは、転が銀子と華秀の隣、義平の向かい。と、いう位置取りをしており、さらには進行係という下手に攻撃をされないような役割を買って出たことに対してである。そんな転の涙ぐましくすら感じる行動に、一種の感心も覚えたのか、うんうん。と、華秀は頷く。「さすがだよねぇ」


「――ったく、転(てん)の叱られ癖はいつまで経っても治んねぇなぁ」

「い、いいじゃないですか! さっ、みなさまグラスは持ちましたね?」八千雄が用意した飲み物を全員手に持ち、視線を動かしてそれを確認した転が小さく息を吸った。「それでは、ささやかではありますが、粂八 銀子がまた、この中村の警護をしてくれる。と、いうことで、それを歓迎する意味での食事会を始めたいと思います」


 そうして、乾杯――と、グラスを上げた面々が、食事を始めた。

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